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じゃがバターとイロモノペアリング
おそらく、25年ぶりといったところだろう。 夏祭り、という空間に足を運んだのは。 焼きそば、たこ焼き、焼きとり、焼きとうもろこし。 学生時代の思い出が吹き出してくる。 チーズハットグ、ハリケーンポテトなる未知の屋台も出ていたが、なにせ20年以上ブランクのある私だ、野暮な懐古主義を持ち込むのはやめておこう。 まずはたこ焼きを平らげたあと、随分と長い列ができている屋台に並んだ。 じゃがバターだ。 じゃがいもと、バター。 以上。 呆れるほどわかりやすい料理名が、夏祭りという場で、妙に面白おかしく感じた。

梁 世柱
6 日前


ジェノヴェーゼとのイタリアン縛りペアリング
夏になると、私はバジルが爽やかに香るペスト・ジェノヴェーゼを多用する。 この料理の故郷は、イタリア北西部のリグーリア州、ジェノヴァ周辺。 海と山が近く、平地の少ない土地で、オリーブオイル、香草、野菜、魚介を巧みに使う料理文化が育ってきた。 その象徴が、ペスト・ジェノヴェーゼだ。 本場の味を考えるなら、リグーリアで栽培されるBasilico Genovese DOPというバジルが最重要とされ、そこへ松の実、にんにく、パルミジャーノ・レッジャーノ、羊乳チーズのフィオーレ・サルド、粗塩、エクストラ・ヴァージン・オリーブオイルが加わる。 バジルの鮮烈な香りを中心に、にんにくは刺激を、松の実はやわらかな厚みを、チーズは塩気と旨味を、オリーブオイルは滑らかさを加える。 それぞれが存在感を保ちながら、最後にはちゃんとバジルのところへ戻ってくる。

梁 世柱
8月21日


ラタトゥイユとクラシックペアリング
フランス料理と聞くと、だいたいの人は少し身構える。 芸術作品よろしく盛り付けられた美しい皿。 複雑だということだけはよくわかる料理説明。 そして、食べ終わったあとも解決されない謎の香り。 だが、ラタトゥイユはその反対側にいる。 南フランス、なかでもニースとプロヴァンスを代表する料理の一つで、トマト、なす、ズッキーニ、パプリカ、玉ねぎ、にんにくといった夏野菜を、オリーブオイルとハーブで煮込む。 材料だけを見れば、驚くほど素朴だ。 高級な肉もなければ、フォアグラもない。トリュフを削る必要もない。 夏の畑で元気になりすぎた野菜たちを集めて、鍋の中でなんとか話し合いをつけてもらう。 それが、ラタトゥイユである。

梁 世柱
8月14日


焼きとうもろこしとの、意外なペアリング
夏になると思い出す。 お祭りに漂う、あの懐かしい香りを。 少し焦げた焼きそば。 炭火の上で転がされる焼き鳥。 そして、大好物だった焼きとうもろこし。 あの甘く香ばしい匂いが漂ってくると、まだ姿が見えていなくても、だいたいどこに屋台があるのかわかったものだ。 さて、今日は焼きとうもろこしの話をしよう。 焼きとうもろこしと一口に言っても、食べ方は幅広い。 塩、バター、味噌、チーズ、スパイス。 あるいは、メキシコの屋台料理であるエローテのように、マヨネーズ、ライム、チリ、チーズまで総動員すれば、焼きとうもろこしは一気に国際派になる。 だが、日本の夏という文脈で考えるなら、やはり甘辛い醤油ダレを塗り、香ばしく焦がしながら焼くタイプには、特別な存在感がある。 とうもろこしそのものが、すでに十分に甘いのに、なぜさらに甘いタレを塗るのか。 それは、塩気と旨味を加えることで、とうもろこしの甘さをより鮮明にするためでもある。 さらに、火に当てると魔法がかかる。 醤油と糖分が高温で焼かれ、メイラード反応にカラメル化も重なることで、格別な香ばしさが生まれる。 中心に残

梁 世柱
8月7日


セヴィーチェとワインの夏感ペアリング
南米を代表する魚料理の一つ、セヴィーチェ。 個人的にも、深い思い入れがある。 アルゼンチンを訪れたとき、数日間ひたすら続いた重い肉料理とポテトに、胃腸が悲鳴を上げていた。そして、移動先のサンティアゴ(チリ)で食べたセヴィーチェには、本当に癒やされたものだ。 一般的にセヴィーチェは、生の魚介をライムやレモンの果汁で和え、玉ねぎ、唐辛子、香草などを加えて仕上げる。 だが、単なる魚介のマリネではない。 セヴィーチェの「らしさ」は、生の魚と鋭い酸が触れ合う、その短い時間にある。

梁 世柱
7月31日


生ハムメロンとペアリング
生ハムとメロン。 どちらも単独で十分に成立している食材だが、並べてみると、最初から仲が良さそうにはどうも見えない。 一方は、豚の腿肉に塩を施し、長い時間をかけて水分を抜いたもの。 もう一方は、果肉の大半に水分を抱え、甘い果汁を滴らせる夏の果物。 乾いた肉と、熟れた果実。 塩と糖。 熟成と瑞々しさ。 ずいぶん方向の違う二人を、イタリア人はなぜか同じ皿に座らせた。 この組み合わせの背景には、古代ギリシャからローマへ受け継がれ、中世以降のヨーロッパにも大きな影響を与えた「四体液説」があったといわれている。 当時の医学では、人間の健康は「熱い、冷たい、乾いた、湿った」という性質の均衡によって保たれると考えられていた。 食材にも同じ性質が割り当てられ、偏りの強いものは、反対の性質を持つ食材と組み合わせる必要があるとされた。 水分が多いメロンは、「冷たく湿った」食材であり、そのまま大量に食べるのは身体によろしくない。一方、塩漬けにして乾燥、熟成させた肉は、「熱く乾いた」性質を持つ。そこで両者を同じ皿に置き、互いの偏りを打ち消そうとした。

梁 世柱
7月24日


田楽味噌とのペアリングを極める
田楽味噌の「田楽」は、田植えや豊作祈願に関わる歌舞から生まれ、平安時代に芸能として広まった「田楽舞」に由来するといわれている。 白い袴を身につけ、竹馬のような一本足の「高足」に乗って踊る田楽法師。 その姿が、串に刺して焼いた白い豆腐に似ていたことから、豆腐の串焼きを「田楽」と呼ぶようになったそうだ。 室町時代には、串に刺した豆腐に味噌を塗って焼く「豆腐田楽」が広まり、江戸時代になると、砂糖やみりんなどを加えた甘い練り味噌も用いられるようになった。 やがて、豆腐だけでなく、こんにゃく、なす、里芋なども使われるようになる。 甘い味噌を塗って焼く料理として、田楽は庶民の食卓に深く根を下ろしていった。 それとともに、「田楽」という言葉が指す料理の範囲も、少しずつ広がっていった。 現代における田楽味噌とは、味噌に砂糖やみりん、酒などを加え、火にかけながら練り上げた甘い味噌のことを指す。

梁 世柱
7月17日


ガスパチョの夏感を活かすペアリング
夏の定番料理として知られる、ガスパチョ。 よく冷えたガスパチョを口に含んだ瞬間に感じるのは、火を通さない野菜だけが持つ、少し荒い生命感だ。 トマトの酸味、きゅうりの青さ、ピーマンの青苦さ、玉ねぎの辛み、にんにくの強さ。 そこにオリーブオイルのなめらかさと、ヴィネガーの鋭い酸が重なる。 ガスパチョは、単なる冷たいトマトスープではない。 むしろ、サラダが液体になった料理だ。 夏野菜を噛む代わりに、飲む。 冷たさはすっと身体に入り、酸は乾いた喉を刺激し、青い香りが鼻の奥に抜けていく。 ここには、夏の食欲を無理に奮い立たせるような強さはない。 むしろ逆だ。 暑さで気だるくなった身体を、少しずつ軽い方向へ戻してくれる。 火を使った料理のように香ばしさで引っ張るのではなく、生の野菜が持つ水分と酸で、食卓に涼風を運んでくる。 ガスパチョは軽やかだが、決して単純ではない。 爽快感の中に潜む、少しだけ攻撃的な尖り。 そこをしっかりと捉えないと、ペアリングは成功しない。

梁 世柱
7月10日


水茄子を美味しく味わうペアリング
初夏を彩る食材の一つ、水茄子。 その魅力は、名前の通り、水にある。 もちろん、ただ水分が多いというだけではない。 水茄子を口に入れた瞬間に感じるのは、夏そのものが弾けるような瑞々しさだ。 皮は薄いが、張力がある。 パリッとしたファーストアタックのあと、食感はすぐにやわらかくなる。 もう一段深く噛むと、細胞の奥に抱え込んでいた水分がジュッとあふれ、青い香りとほのかな甘みが舌の上に広がる。 どこか火を待っている気配がある普通の茄子とは、あまりにも異なる野菜だ。

梁 世柱
7月3日


カキフライと変化球ペアリング
カキフライは、オムライス、ハンバーグ、ナポリタンなどと並ぶ、日本の洋食を代表するメニューの一つ。 実は、牡蠣という食材そのものは、日本で古くから親しまれてきた。 一方で、パン粉をまとわせ、油で揚げ、レモンやタルタルソース、ウスターソースと一緒に食べるカキフライは、明治以降の洋食文化の中で育った料理だ。 タルタルのふわっとした感触の直後にくる外側の衣は、サクッと香ばしい。 内側はふっくらと熱を帯び、噛んだ瞬間に、牡蠣の旨味と潮の香りがじゅわっと広がる。 カキフライの魅力は、そのドラマチックな食感と風味の展開にこそあると私は思う。

梁 世柱
6月26日


バインセオと夏系ペアリング
バインセオを知っているだろうか。 バインセオは、南部ベトナムを代表する、非常にポピュラーな料理。 日本では、ときに「ベトナム風お好み焼き」のように紹介されるが、見た目も食べ方もたいして似ていないので、個人的にはあまり好きな呼び方ではない。 バインセオはまず、米粉を溶いた生地を薄く焼き、豚肉や海老、もやしなどを包み込む。 生地にはターメリックが加えられることが多く、鮮やかな黄色に焼き上がる。 薄く焼かれた米粉の皮は、パリッと香ばしく、軽い。 そこに豚肉の脂、海老の甘み、もやしのみずみずしさという異要素が、完璧な調和で重なる。

梁 世柱
6月19日


ポルケッタとのクラシックペアリング
近年、日本のイタリア料理店で見かける機会が増えた料理の一つが、ポルケッタだ。 ポルケッタは、イタリア中部を代表する豚肉料理。 豚肉を開き、塩、コショウ、ニンニク、ローズマリー、フェンネル、セージなどのハーブを擦り込み、大きな塊のまま、ゆっくりとローストする。 地域によっては丸ごとの仔豚を使うこともあれば、豚バラや肩肉を巻き込んで仕上げることもあるが、日本で一般的に提供されているのは後者のスタイルだ。 豚肉の甘み、脂の厚み、焼き目の香ばしさ。 そこに、ハーブの清涼感、フェンネルの甘く青い香り、ニンニクの温かい刺激が重なる。 だからポルケッタは、決して軽い料理ではない。 だが、鈍重な料理でもない。 噛むたびに、肉と脂の力強さと、香草の涼しさや少し乾いた甘さが交互に現れる。 この複雑さこそがポルケッタらしさであり、ペアリングを面白くしている理由でもある。

梁 世柱
6月13日


ペアリングのパーソナライズ <9> 季節感:夏 Part.3
夏を飲む 夏を、ただ爽やかさの記号としてではなく、開放感と疲労、みずみずしさと濃度が同居する季節の総体として捉えるなら、ワインペアリングは、質感や酸の設計だけで完結するものではない。 まだ見なければならない論点がある。 香りは、どのような印象を残すべきか。 そして、飲み込んだあとに何が待っていると良いのか。 Part.3で見ていきたいのは、その二つだ。 第三に、夏にふさわしいのは、熱を少し霧散させるような爽やかさを持ちながら、なおかつ酸の気配を伴った香りである。

梁 世柱
6月5日


ペアリングのパーソナライズ <8> 季節感:夏 Part.2
夏を支える 夏を、ただ爽やかで軽い季節としてではなく、開放感と疲労、みずみずしさと濃度が同居する季節の総体として捉えるなら、ワインペアリングに求められる条件も自ずと変わってくる。 ここで考えたいのは、暑さを誤魔化すための冷たさではない。 熱のただ中に置かれた身体と、すでに外へ向かって開いた夏の食材を、ワインがどう支えられるかである。 夏の料理と身体に共通しているのは、涼しさを欲しながらも、単純な軽さだけでは満たされないという点だ。
だから、よく冷えていて、ただ軽ければよいという発想では、季節の実感には届かない。 第一に、夏に適するのは、軽やかで滑らかに流れ、明確なシルエットを保ちながら、必要十分な密度を備えたワインである。 夏の食材は、たしかにみずみずしい。だが、そのみずみずしさは、淡さとは違う。

梁 世柱
5月29日


ペアリングのパーソナライズ <7> 季節感:夏 Part.1
夏をほどく 夏という季節感に向き合うには、まず夏を一つの表情だけで受け取らないことが必要だ。 夏はよく、開放の季節として語られる。 日照は長くなり、空は大きく開き、街も人もどこか外向きになる。 たしかに、それも夏の顔のひとつだ。 けれど、夏をただ明るく、ただ軽快な季節として受け取ると、すぐに見落としが生まれる。 この季節を形づくっているのは、開放感だけではない。 熱の蓄積、湿度の停滞、光の過剰、身体の消耗。 そうしたものまで含めて、夏の輪郭はようやく見えてくる。

梁 世柱
5月22日


ペアリングのパーソナライズ <6> 季節感:春 Part.3
春を飲む 春を花や光の記号としてではなく、揺らぎを含んだ季節の総体として捉えるなら、春のペアリングは、軽やかさを装うことでも、酸や透明性でただ支えることでも終わらない。 そこにさらに問われるのは、香りがどのような陰影を帯びるべきか、そして質感がどのような張力を保つべきかである。 春という季節感に真に寄り添う一本は、最終的にはこの二つの層の向こう側で、その精度を問われる。 第三に、春にふさわしいのは、甘美だが表層的な香りではなく、甘さと苦さが混在する奥行きのある香りである。

梁 世柱
5月8日


ペアリングのパーソナライズ <5> 季節感:春 Part.2
春を支える 春を花や光の記号としてではなく、明るさと不安定さ、軽さへの欲求となお残る鈍さが同居する季節の総体として捉えるなら、ワインペアリングに求められる条件も自ずと変わってくる。 問題は、表層的な春らしさを演出することではない。 立ち上がりの途中にある味や身体感覚を、どのように損なわず支えるかである。 春のペアリングに必要なのは、単純な軽快さではない。 香りが華やかで、口当たりが軽ければよいという発想では、季節の実感に届かない。 第一に、ワインには透明性と抑制が必要である。 春の食材は、山菜の苦味、豆の青み、貝のほのかな塩気のように、立ち上がりの途中にある繊細な味わいを備えている。

梁 世柱
5月2日


ペアリングのパーソナライズ <4> 季節感:春 Part.1
春をほどく 春という季節感へのアプローチは、まず春そのものを見誤らないところから始まる。 春はしばしば、花の季節として語られる。 光はやわらぎ、空気はほどけ、世界は一斉に色づき始める。 たしかにそれは春の一面ではある。 だが、春の本質は、ただ明るく軽やかなことにあるのではない。 むしろ、明るさと不安定さが同時に進んでいく、その頼りなさにこそある。 東アジアの古い季節観は、そのことをよく知っていた。

梁 世柱
4月25日


ペアリングのパーソナライズ <3> 季節感:前段
ペアリング理論がまず提示するものは、正しさである。 完璧に理論武装されたペアリングは、正しすぎるほど正しい。 だが、もし正しさだけで記憶に残るのなら、世界中の食卓はとっくに感動で満ちていなければおかしい。 皿とグラスのあいだで、毎晩のように小さな奇跡が起きていなければつじつまが合わない。 実際には、理屈としては申し分のないペアリングが、ひどく無機質で、どこか空気の通わないものとして感じられることがある。その一方で、どうしても説明しきれない「何か」が、不意に心の奥へ沈み、あとになって静かに浮かび上がってくることもある。 その「何か」を形づくる要素の一つが、季節感である。 厄介で、曖昧だが、四季のある国で生きる人々にとっては、決定的とすら言える要素だ。 気づかぬうちに肌に触れ、呼吸の深さを変え、食べる速度や、飲みたいものの質まで変えてしまうそれは、まるで見えない支配のようなものでもある。

梁 世柱
4月20日


浜焼きとの世界最強ペアリング
私は昔から、生粋の肉好きだ。 だが、最近は正直、少々重く感じるようにもなってきた。 昔はあまりよく分かっていなかった「脂の甘み」とやらの素晴らしさに、せっかく目覚めたというのに、その脂の処理に胃と新陳代謝が追いついてくれないのは、なんとも悲しいものだ。 そんな肉の代替として、私の食生活で主役級となりつつあるのは、魚介類。 アメリカに住んでいた約10年間は、どうしても鮮度の高い魚介類を買うことが難しかったというのも、私が肉食へと強く傾いた理由の一つだが、やはり日本の魚介は抜群に美味い。 そして、マイブームとなりつつある魚介類の食べ方が、魚介版BBQとも言える「浜焼き」である。 浜焼きでも魚は焼くが、主に貝類、甲殻類、そしてイカが浜焼きの主力。 生けすから出したばかりの貝が、網の上で「踊る」姿は、これでもかと食欲を掻き立てるものだ。

梁 世柱
4月12日
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