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赤の地図 <オーストリア・ブルゲンラント特集:後編>
白ワインの国として語られるオーストリアに、赤ワインの側から異議を申し立てる。 そう書くと、いかにも挑発的に聞こえるかもしれない。 しかし本来、これは奇をてらった反論ではない。 ただ、見落とされてきたものを、見落とされたままにしておかないという、ごく当然の抵抗である。 ワインにおいて地名は、決してラベルの上に置かれた装飾ではない。 そこには、目には見えない風の回廊があり、日光が紡いだ金糸があり、丘陵のうねりが刻むリズムがあり、大地の熱狂と沈黙があり、そして何世代にもわたってそこで暮らし、葡萄を育て、ワインを造ってきた人々の記憶がある。 だからこそ、地名は重い。 問題は、その重さを丁寧に読み解こうとしないまま、都合の良い記号として乱暴に使う態度にある。 有名な地名には、説明を省略してもらう。 聞き慣れない地名には、理解を後回しにする。 それでいて、自分の舌は十分に公平だと信じていられるのだから、ワインの世界における教養とは、ときにずいぶん寛大な衣装である。 だが、土地は人間の怠慢を上品に包み直してはくれない。 葡萄は名声の序列に従って熟すわけではなく

梁 世柱
4月27日


黒の楽園 <オーストリア・ブルゲンラント特集:前編>
ワイン産出国としてのオーストリアを象徴しているのは、グリューナー=ヴェルトリーナーとリースリングをダブル主役とする、圧倒的な品質領域にある白ワインの数々。 そこに異論があるわけではないが、相対的に赤ワインが過小評価されている点に関しては、納得がいかない。 ブラウフレンキッシュ、サンクト・ラウレント、そしてツヴァイゲルト。 オーストリア三大黒葡萄の全て、とまでは言わないが、少なくとも最上の例に関しては、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなどの象徴的な黒葡萄と比べても、遜色する点など全く見当たらないからだ。 つまり、それらの主産地であるブルゲンラント州は、ボルドー、ブルゴーニュ、ローヌ、ピエモンテ、トスカーナ、リオハ、リベラ・デル・デュエロ、ドウロなどと、本来なら並び称されるべき産地であると、私個人の意見をここに強く記しておこう。 私自身、ブルゲンラント州の赤ワインとは、随分と長い間向き合ってきた。 調和に満ちたブラウフレンキッシュ、エネルギッシュなサンクト・ラウレント、変幻自在なツヴァイゲルト。 魅力の在りどころは異なっていても、どれも品質と

梁 世柱
2024年10月17日


問われる真価 <オーストリア・カンプタール特集>
オーストリアを象徴する葡萄品種といえば、グリューナー=ヴェルトリーナーとリースリング。 ブラウフレンキッシュやツヴァイゲルトなど、同国には偉大な黒葡萄も存在しているが、一般的なレベルでのオーストリアワインへの理解という意味においては、間違いなく白葡萄の両巨頭に軍牌が上がる。 そして、その白葡萄を象徴する産地は、Wachauである。 むしろ、Wachau一択、としても過言では無いほど、彼の地の総合力は他を圧倒してきたと考えられている。 だが果たして、本当にそうなのだろうか。 本当に、Wachauが唯一無二の絶対王者なのだろうか。 それを確かめるには、もう一つの産地を深く理解する必要がある。 Wachau最大のライバル候補、Kamptalだ。 Kamptal Wachauの東端からKremstalを挟んで、ランゲンロイスの街を中心に、ドナウ川に合流する直前のカンプ川流域に広がっているのがKamptal。 葡萄畑はカンプ川北部(左岸)の南向き急斜面(一部はテラス状)と、川により近いなだらかな平地エリアに集中している。また、Wachauと同様に、東側のパ

梁 世柱
2024年10月4日


その畑には、奇跡が宿る <オーストリア・ヴァッハウ特集後編>
格付けは、旧時代の遺物なのかも知れない。 多様性の尊重が声高に叫ばれるようになってから、その思いが私の脳裏から離れなくなった。 確かに、時代は順位を、優劣を、忌避している。 他者よりも優れていることが絶対的な価値では無い。 ありのままの個性を磨けば良い。 そもそも、その順位や優劣は、誰がどの価値観に基づいて決めたのか。 まるで呪いのように繰り返されるそれらの言葉に抗うのは、実に骨が折れることだ。 実際、テロワールが導き出す優劣は、この上なく残酷なものである。 複雑性と調和が格を決める。そこに個性が認められる余地はあったとしても、最終的な価値判断は、厳格なリアルとして佇む。 生産者の常軌を逸した努力によって、ワンランク上のテロワールへと到達できることは稀にあったとしても、最低ランクの葡萄畑が、特級畑クラスへと昇華するような奇跡は起こらない。 やはり、前時代的ではあるのだろう。 だが、私は頑固者だ。 勝ち負けの無くなったスポーツになど、全く興味はない。 美味い料理は美味いし、そうではない料理の中には、不味いものもある。 全てを個性と多様性の名の元に許

梁 世柱
2024年9月20日


特異点の完全性 <オーストリア・ヴァッハウ特集前編>
オーストリアで、総合的に最も優れた産地はどこか。 いくら捻くれた性格の私でも、その問いに対しては、一瞬のためらいもなくWachau(ヴァッハウ)と答える。 テロワールの質と好適品種として根付いた葡萄の極まった相性、品質の最高地点と最低地点の平均値、逸脱して優れた造り手の数、オーガニック比率の高さ。 どれをとっても超一級であり、白ワイン以外ほとんど造られていない、ということが弱点にすらならないほど、ヴァッハウの特異性は限界突破している。 それでも私は、日常的にヴァッハウを飲むことはほとんどない。 「不完全なものにこそ、人間性を感じる。」という、私の「人」としての在り方が、ヴァッハウの完全性とは本質的に相容れないからだ。 ヴァッハウを飲む、という行為は、私にとっては美術館で人類史に残るほど優れたアートを鑑賞するに等しく、実に非日常的な行動である。 同じような理由が、ブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュ、モーゼル、ラインガウなどにも当てはまるように思われるかも知れないが、そうではない。

梁 世柱
2024年8月30日


PIWI品種とナチュラルワイン <オーストリア・シュタイヤーマルク特集:Part.3>
気候変動とナチュラルワインは、すこぶる相性が悪い。 低介入醸造を可能とする葡萄の必須条件はいくつかあるが、その最たるものは、低いpH値(単純化すると、高い酸度)と、高いポリフェノール類の熟度だ。 気候変動の一部である温暖化は、糖度の上昇を大幅に加速させるため、低介入醸造を重要視する造り手たちは、アルコール濃度の抑制と低pH値のために、早摘みを余儀なくされる。 しかし、過度の早摘みは未熟なポリフェノールともダイレクトに繋がるため、結局問題が起こる。 この堂々巡りを回避するために、栽培品種が今の気候に適しているかどうかも含めた畑仕事の根本的な見直しや、糖度上昇の加速によって劇的に狭まった「適熟」のスイートスポットを、決して逃さないように収穫することが、かつてないほど重要になっているが、当然それも、簡単なことではない。 特に収穫タイミングに関しては、超速で飛ぶジェット機を、連写機能を一切使わずに写真に収めるようなものだ。 栽培に関しては他にも、オーガニックという大きなカテゴリーの生産者に対しても、問題がのしかかっている。 ..

梁 世柱
2024年8月16日


感性の世界 <オーストリア・シュタイヤーマルク特集:Part.2>
私は常に、理性でワインを探究してきた。 気候、土壌、地勢、葡萄品種がもたらす影響をマトリックス化することによって、神秘のヴェールに覆われたテロワールを観測、分析可能なものとし、そこに栽培、醸造における人的要因も加え、ワインに宿った特有のアロマ、フレイヴァー、ストラクチャーの根源に理路整然とした態度で向き合ってきたのだ。 ワインに対してそのようなアプローチを取り続けた理由は、単純化すれば「理解したかったから」の一言に尽きるが、【結果には、すべて原因がある。】というガリレオ・ガリレイの言葉を、幼い頃にその出自もコンテクストも知らずにどこかで聞きかじったまま、長い間盲目的に信じ込んできたのも一因と言えるだろう。 しかし、一般的にクラシック、もしくはオーセンティックと呼ばれるカテゴリーから探究範囲を大きく広げた結果、様々な在り方のワインとの出会いを通じて、私はこの世界に理性だけでは理解することができないワインが存在していることを認めざるをえなくなった。 理性でワインを探究してきたからこそ、その限界を知ることができたとも言える。 ...

梁 世柱
2024年7月25日


美の真理 <オーストリア・シュタイヤーマルク特集:Part.1>
調和こそ美の真理であり、調和無き美は存在しない。 クラシックか、ナチュラルか。 探究を拒む人々によって二極化された世界観に興味を失ってから、随分と時が経つ。 固定された価値観の中で話をするのなら、私が探し求めているテロワール・ワインは、そのどちらでもなく、どちらでもあるからだ。 美の対は破壊であり、極端なクラシックもナチュラルも、極めて破壊的となり得るのだから、そこに美が宿らないのは必然である。 美とは理性的であると同時に、感性的でもある。 ワイン的表現をするのであれば、理性的な美とは、天地、葡萄、人の総体を意味し、感性的な美とは、極限まで純化されたエネルギーとなる。 理性的な美は、分析によって客観視することができるが、感性的な美は、極めて主観的なものだ。 だからこそ、美の真理へと到達するためには、私自身が理性的かつ感性的であらなければならない。 シュタイヤーマルク地方 オーストリアのシュタイヤーマルク地方を訪れた理由は、テロワールという美の真理を追い求めていたからに他ならない。 遠く離れた日本からの分

梁 世柱
2024年7月1日


Karakterre 13
オーストリアの首都ウィーンにて、2年に一度開催される大展示会VieVinumに参加する前日、ウィーンから車で1時間ほどのアイゼンシュタットまで足を運び、Karakterreという別の展示会に参加した。 日本での知名度はほとんど無いが、Karakterreは中央〜東ヨーロッパの国々、そしてオーガニック、ビオディナミ、ナチュラルというカテゴリーに属するワイナリーにフォーカスした極めてユニークな展示会として知られている。 2011年にスタートしたKarakterreは、アイゼンシュタットで開催され続けてきたが、2022年にはNew Yorkへと初上陸し、伝統あるロックフェラーセンターにて開催された。 第13度目のKarkterreとなる今回は2日間のイベントとなり、初日と2日目で出展者が総入れ替えされるという仕組み。 非常に残念なことに、スケジュールの都合上、2日目しか参加できなかったが、オーストリア、ドイツ、スロベニア以外の国々に焦点を当てて、テイスティングを繰り返した。 1,000名近い参加者で溢れ返る会場の熱気に包まれながら、充実した取材を行うこ

梁 世柱
2024年6月12日


RAW WINE Tokyo 2024
2024年5月12日と13日、東京にて、ナチュラルワイン・ファンが長年待ち焦がれたイヴェントが初開催された。 名著として知られる「自然派ワイン入門」(訳:清水玲奈)の著者、イザベル・ルジュロンMWが主催するRAW WINEは、この分野における最も重要な展示会の一つであり、近年は世界各地で開催されてきたが、世界最大級のナチュラルワイン市場である日本にはなかなか上陸してこなかったのだ。 クリーン・ナチュラルからワイルド・ナチュラルまで、あらゆるスタイルのナチュラル・ワインをテイスティングしつつ、数多くの造り手(RAW WINE Tokyo 2024には、世界各地から約100の作り手が集結した。)と直接話ができるこの様な展示会が日本で開催されたことに、一人のナチュラルワイン・ファンとして、これ以上ない喜びと興奮を覚えた。 溢れんばかりの熱気に包まれた、超満員の会場。 日本各地からの来場者に加え、台湾、韓国、シンガポール、インドネシアなどから、RAW WINE Tokyo 2024のために来日した人々も多くいた。 まともに歩くのも困難

梁 世柱
2024年5月15日


エネルギーとテロワールの最大公約数 <Gorizia特集:後編>
Gevrey-ChambertinとChambolle-Musignyの違いを溢れんばかりの情熱で語り合う一方で、West Sonoma CoastとSanta Rita Hillsの違いには興味を示さないどころか、「カリ・ピノ」などと愛称まで付けてひとまとめにする。 まだ「カリフォルニア」と州単位になっているだけマシな方で、これがチリ、NZ、オーストラリア、南アフリカなら、もはや国単位となってしまうことは避け難い。 熱心な愛好家であっても、良く知らない産地のワインは、何も考えずに一括りにしてしまうものだ。 確かに広範囲に適用されるテロワールのようなものもあるが、本質は常にディテールにこそ宿るのだから、より深い理解へと到達するためには、範囲をどんどん狭めていく必要がある。 しかし、残念ながら私自身を含む大多数の人の感応力は、一切の手がかりなしに、狭範囲に宿ったテロワールのエッセンスに辿り着けるほど、優れてはいない。 だからこそ、特定の産地のワインを深く理解する上で、気候、地勢、土壌、葡萄品種といったテロワール情報の整理と精査は

梁 世柱
2024年5月5日


2つの国、1つの文化 <Gorizia特集:前編>
イタリアのフリウリ・ヴェネツィア=ジュリア州とスロヴェニア領内に跨る街、ゴリツィア(*)は、いつか必ず訪れようと思っていた場所だった。 (*):スロヴェニア語ではGoricaゴリツァ。以降、両領土を合わせてGoriziaと表記。 もちろん、Gorizia周辺で造られる極上ワインの数々に心惹かれて、という理由もあるが、私にとってのGoriziaは、自身のルーツとも重なる部分が多い場所なのだ。 少し、私のファミリーヒストリーを語ろう。 私自身は日本で生まれ育ったため、アイデンティティの比重はかなり日本人よりだが、私の祖国は朝鮮(一つのKorea)である。 そしてその祖国は、米ソ冷戦に巻き込まれる形で、南の大韓民国と、北の朝鮮民主主義人民共和国へと分断された。 ここから先は、私の祖父母(母方)の話となる。 祖父母は、ソウルで出会い結婚した。 1942年、祖父は日本軍からの徴用令状を受け、広島への赴任を命じられたが、邑長(日本で言うところの町長)が手を回してくれたおかげで、幸運にもそれを回避することができた。その代わりに2

梁 世柱
2024年4月18日


革命の狼煙 <Montepulciano特集 2024年版>
モンテプルチアーノを訪れる度に、私はなんとも言えない複雑な感情を抱いてきた。 Vino Nobile di Montepulcianoという歴史的大銘醸が、品質においてChianti ClassicoやBrunello di Montalcinoと同じ領域にあることは疑いようもないと常々感じてきたが、人気、知名度、価格など、品質以外のあらゆる点で、三大サンジョヴェーゼの一角とは言い難い現実があった。 消費者目線から見れば、過小評価によって低止まりした価格にありがたさも感じる部分はあるが、一人のワインプロフェッショナルとしては、モンテプルチアーノの偉大なワインが真っ当な評価を受けていないことに、苛立ちにも似た感情を覚えてきた。 確かに、Vino Nobile di Montepulcianoには、Chianti Classicoのような「集の力」も、Brunello di Montalcinoのような「わかりやすさ」もない。 あまりの不人気ぶりに、三者を品質的に同列と考えている私自身のテイスティング能力を疑ったことさえある。 ..

梁 世柱
2024年3月30日


知られざるクラシコ <Chianti Classico特集 2024年版>
現地に赴いて日本国内未輸入ワインをテイスティングし続けると、素晴らしい品質と高い個性の完成度を有しているにも関わらず「なぜ未輸入のままなのか」という部分に、相当程度一貫した法則が存在していることに気付く。 「その産地の典型例ではない」という法則だ。典型例ではない場合、販路に携わるあらゆる人々にとって、挑戦と困難が伴うのは間違いない。私自身、飲食店、酒販店、インポーターという三つのティアに関わってきたので、そのあたりの事情は重々理解している。その上で、あえて苦言を呈そう。 そのワインが上質なものである限り、典型例でないことを売り辛さの直接的な言い訳にするのは、怠慢以外の何物でもない。 消費者としても、典型例ばかり飲んでいると、その産地への理解が真に深まることはない。 そして、少し踏み込んで考えてみれば、疑問をもつ人も多いはずだ。 そもそも、典型例とは何なのだろうか、誰がどのような基準で決めたことなのだろうか、と。 有史以来、自由を求めて戦い続けてきた人類が、なぜワインに自由な表現を認めないのか。 なぜ、固定された狭小な価

梁 世柱
2024年3月23日


目覚めたトスカーナ最後の巨人 <Chianti Rufina特集>
興味は常にもっていた。 テイスティングも定期的に行ってきた。 だが、歴史的銘醸地とされているChianti Rufina(正確な表記はChianti Rùfinaだが、以降Rufinaと表記)のワインが、私に最高の満足感を与えてくれることは、これまで一度もなかった。 15世紀初頭には既にその名が知られ、コジモ三世による世界初の「原産地認定」(1716年)においては、現在のChianti Classico、Carmignano、Valdarno di Sopraと並び、Rufinaが内包するPominoがその栄光を掴んだ。 19世紀に入る頃には、ずんぐりとしたフィアスコ・ボトルに詰められ、藁の腹巻きで飾られたRufinaが、良くも悪くもキアンティの代名詞となった。 歴史の重みはあれど、少なくとも現代のRufinaは、Chianti Classico、Brunello di Montalcino、Vino Nobile di Montepulcianoといった真の銘醸と並び得るワインでは到底ない。 それが私の中で、Rufina

梁 世柱
2024年3月2日


臥龍鳳雛 <ポルトガル特集:知られざるDouro編>
Vinho Verdeでのツアーを終えた後、個人で取材を行うために、Douroの中心地であるCima Corgoへと向かった。 ポート・ワインのリサーチを更に進めることは早々から決めていたが、スティル・ワインとしてのDouroに関しては、どこに焦点を当てるか随分悩んだ。 二日半しかない期間の内、半分はPort用の葡萄畑を訪れるスケジュール。 選択肢は無数にあったが、時間は限られていた。 その中で、メインターゲットとして私が選んだのは、おそらくワイン識者のほとんどが知らず、ワイン愛好家の大部分が興味など示さないであろうエリアだった。 なぜその場所へ行くことにしたのか。 「そこに呼ばれている気がした。」 もっともらしい理由は、それだけだった。 ローカルのタクシー運転手には、「なぜジャーナリストがあんな場所へ行くんだ。何もないぞ。」と牽制されたが、気にも止めなかった。 Cima Corgo北部 ピニャオンの町を取り囲む壮大なテラス状の葡萄畑は、世界遺産としても良く知られている。 ピニャオンから町から北へと車を走ら

梁 世柱
2024年2月13日


9つの個性 <ポルトガル特集:Vinho Verde後編>
処理しきれない多様性は、混乱を生む。 放置されたままの混乱は、拒絶を生む。 そして拒絶は、理解を遥か彼方へと遠ざける。 それでも構わない、という人々を責めるつもりなど、私には毛頭無い。 それもまた、多様性の一部なのだから。 興味とは常に私的なものであり、探究は往々にして孤独な旅だ。 そして、もしあなたが、その道を辿りたいと願うなら、この声無きことばを、せめてもの道標としていただきたい。 Sub-Regionの全体像 Vinho Verdeには9つのサブ・リージョンが制定されている。 しかし、実態としての各サブ・リージョンの特性を探っていくには、情報を整理し、取捨選択しつつ、工夫も重ねていく必要がある。 Vinho Verdeが内包する多様性は、あまりにも膨大で複雑なものである。 原産地呼称制度でもって、その全てに理路整然とした枠組みを作るのは、不可能とすら言えるだろう。 もちろん、最終的には「上澄み」を含めた方が当然面白いのだが、まずは数多くの「例外」を丁寧に取り除きながら、テロワールの本質へと迫っていくの

梁 世柱
2024年1月31日


古くて新しい銘醸地 <ポルトガル特集:Vinho Verde前編>
2ヶ月連続で同じ国を訪れる、というのは初めての経験だった。 Dãoの日差しと、Bairradaの海風がまだ肌の記憶に残ったまま、再びポルトに降り立った。 今回の目的地はVinho Verdeだ。 Vinho Verdeは、日本では最も知られているポルトガルの産地であると同時に、最も理解されていない地でもある。 長年に渡って安価なワインを超大量生産し続けた産地は、どこもかしこも同じような問題を抱えているが、Vinho Verdeが急ピッチで繰り返してきたアップデートに、世間が全く追いついていない。 まるで、現地では最新のWindows 11を搭載しているのに、日本ではWindows 98のままで止まっているかのようにすら思える。 リアルタイムのVinho Verdeは、ポルトガル最高峰の白ワインが生まれる、紛れもない銘醸地なのだが、今でも過小評価のどん底から抜け出す気配すらない。 だからこそ、責任をもってお伝えしようと思う。 この特集記事が、Vinho Verdeが見直されるきっかけになることを切に願いながら。

梁 世柱
2024年1月16日


未完の銘醸地 <ポルトガル特集:バイラーダ編>
少しマイナーな産地で、驚くべきワインの数々と出会った時、私は一人のワイン人として、この上ない喜びを覚える。 日本では話題に上がることすらないような未開の地に足を踏み入れると、私はジャーナリストとして、強い使命感を感じる。 真摯にワインと向き合い、楽しみ、喜ぶ人たちと出会う度に、私はワインを好きになって本当に良かったと心から感じる。 Bairradaへの一人旅は、そんな「出会い」に満ち溢れていた。 歴史 Bairradaが、ワイン産地として公式にその境界線を定められたのは1979年。 その事実だけを見るとまるで新興産地のようだが、真実は異なる。 10世紀にはすでに、キリスト教徒によってワイン造りが行われていたBairradaは、古都コインブラ(1139年から1255年までの間、ポルトガルの首都でもあった)、そして北西部の大都市ポルトにとって、極めて重要なワインの供給源だった。

梁 世柱
2023年12月30日


Quinta do Noval ~谷間のグラン・クリュ・ポート~ <ポート特集:Part3>
ポートの銘醸地Cima-Corgoの中心部、ドウロ川沿いを南北に挟み込む段々畑は、世界遺産として良く知られた風景だが、最高位の「A」にレーティングされるグラン・クリュは、川沿いにだけあるわけではない。 少し内陸に入ったエリアにも、見過ごすべきではない、いや、より重要とすら言えるグラン・クリュゾーンが存在しているのだ。 Cima-Corgoの中心にあるピニャオンから北部のアリージョ(スティルワインの産地として要注目の場所であるため、別の機会でレポートする。)に至る中間地点に広がるのが、ポート用(スティル用としても)の葡萄畑としては最上位の筆頭候補とすら言える、Vale de Mendiz。 ポート用としてはTaylor’sの看板ヴィンテージ・ルビーの一角を成すQuinta de Terra Feitaが、スティル・ワイン用としてはNiepoortの野心とウィットに富んだCharmeの葡萄畑があることでも知られているが、Vale de Mendizの象徴といえば、なんといってもQuinta do Novalなのではなかろうか。

梁 世柱
2023年12月26日
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