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エネルギーとテロワールの最大公約数 <Gorizia特集:後編>

Gevrey-ChambertinとChambolle-Musignyの違いを溢れんばかりの情熱で語り合う一方で、West Sonoma CoastとSanta Rita Hillsの違いには興味を示さないどころか、「カリ・ピノ」などと愛称まで付けてひとまとめにする。

 

まだ「カリフォルニア」と州単位になっているだけマシな方で、これがチリ、NZ、オーストラリア、南アフリカなら、もはや国単位となってしまうことは避け難い。

 

熱心な愛好家であっても、良く知らない産地のワインは、何も考えずに一括りにしてしまうものだ。

 

確かに広範囲に適用されるテロワールのようなものもあるが、本質は常にディテールにこそ宿るのだから、より深い理解へと到達するためには、範囲をどんどん狭めていく必要がある。

 

しかし、残念ながら私自身を含む大多数の人の感応力は、一切の手がかりなしに、狭範囲に宿ったテロワールのエッセンスに辿り着けるほど、優れてはいない。

 

だからこそ、特定の産地のワインを深く理解する上で、気候、地勢、土壌、葡萄品種といったテロワール情報の整理と精査は決して欠かせないのだ。

 

そのプロセスは往々にして、多大なる労力を伴うものとなるが、グラスに注がれた液体に込められた神秘的なストーリーの深層へと入り込んでいく体験は、何ものにも代え難い。

 

一方で、ライフワークとも言える私のテロワール探究が、私自身のもう一つの情熱との間で、大きな矛盾を生じさせてしまうことも多い。

 

そう、私のもう一つの情熱とは、ナチュラルワインだ。

 

 

ナチュラルワインには、慣行的に造られたワインには決して無い、躍動感溢れるエネルギーが宿る。非常に抽象的な表現とはなってしまうが、この謎めいた「エネルギー」こそが、私にとって、ナチュラルワイン最大の魅力である。

 

しかし、ナチュラルワインの中には、さまざまな要因から欠陥的特徴の過度な現出を防ぎきれていないワインが少なからず存在している。

 

そして、このような過度の欠陥に晒されることによる最大の問題点は、その特異な香りや味わいそのものではなく、テロワールの特徴を覆い隠してしまうことにこそあると私は考える。

 

どの場所のどの品種のワインなのか見当が全くつかなかったとしても、最終的にそのワインを飲んだ個人が「美味しい」と感じるのであれば正義、とは思う反面、どうしても煮え切らない感情が燻り続けてしまうのだ。

 

 

この矛盾に答えを見出すために、私は探し続けている。

 

エネルギーとテロワールの最大公約数的なワイン

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