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ブラインドテイスティング <1> 確信と偶然の狭間で
テーブルの上に、同じ形のグラスが六脚並んでいる。 普段使っているグラスよりも、ずいぶん小ぶりだ。 ワインボトルは、まるで今から強盗にでも入るかのような黒いマスクで覆われ、番号だけで識別できるようになっている。 準備が整うと、さっきまで冗舌だった人たちに、沈黙が走る。 「では」と妙に低い声色で合図がかかる。 誰かがグラスを傾け、誰かが白い紙の上で色を見る。 なにかの試験会場にも似た、居心地の悪い緊張感だ。 色調を舐めるように観察した後、香りを嗅いで、早くも困った。 何か知っている匂いがする。 果物のようではある。でも、その果物の名前が喉の奥で引っかかって出てこない。 まごついているうちに、隣の人の口からは、するすると果物、花、スパイス、ハーブの名が湧き出てくる。 あの人の鼻には、私の鼻よりたくさんの語彙が入っているらしい。

梁 世柱
2 日前


ワインの「ネズミ臭」と発酵食品の共通点
――ワイン・マッコリ・キムチ・ビールを、乳酸菌と香りの研究から考える 調査基準月:2026年9月 はじめに ワインを飲んだ後に、ネズミの飼育ケージや湿った穀物、米菓、だだちゃ豆のような香りが口の奥に残ることがある。 「ネズミ臭」、日本では俗に「マメ臭」と呼ばれる欠陥的特徴だ。 今回の調査は、ワインだけでなく、マッコリやキムチでも同じような香りを感じ、ビールではそれに似た軽い香りを感じたという体験に、連続性と再現性が見られたことを、出発点としている。 いずれも、口に入れる前より、飲み込んだ後に遅れて強く残るという共通点があった。 公開されている研究を調べると、乳酸菌は、この4つの食品・飲料をつなぐ重要な存在であることがわかる。 ただし、乳酸菌が関わっていることと、同じ臭いの原因物質が作られていることは、分けて考える必要があるだろう。 1.ネズミ臭とは何か ネズミ臭は、英語では mousy off-flavour や mousiness、フランス語では goût de souris と呼ばれる。 表現には幅があり、ネズミの飼育ケージのほか、クラッ

梁 世柱
9月24日


再会 <113> ナチュラルワインとテロワール
Odinstal, Riesling Herxheimer Himmelreich GG 2024. ナチュラルワインを語る時、私たちはついつい、造り手や造り方の話に夢中になる。 自由な発想。 自然と歩むライフスタイル。 髭とタトゥ。 野生酵母。 低亜硫酸。 アンフォラ。 もちろん、それらはワインを楽しむ上で、大切な要素になり得るものだ。 だが、ときどき思う。 肝心の畑は、どこへ行ったのだろうか、と。 ナチュラルワインという大きな言葉の中に入った瞬間、それまでワインの世界が長い時間をかけて議論してきた、テロワール、そして畑の優劣という概念が無視されてしまうことがある。

梁 世柱
9月20日


ペアリングのパーソナライズ <12> 季節感:秋 Part.3
秋を飲む 秋を、実りの季節としてだけではなく、成熟と終わりが同じ時間の中を進んでいく季節として捉えるなら、ワインペアリングも、ふくらみや酸の設計だけでは完結しない。 香りは、どこまで深く、陰影を帯びてよいのか。 そして、渋味はどこまで存在感を持ちながら、食材の旨みや厚みを受け止められるのか。 秋のペアリングを完成させるために、最後に考えたいのはその二つだ。

梁 世柱
9月18日


ペアリングのパーソナライズ <11> 季節感:秋 Part.2
秋を支える 秋を、実りだけではなく、成熟と終わりが同じ時間の中を進んでいく季節として捉えるなら、ワインにも夏とは違う役割が求められる。 真夏には、流れを止めないことが重要だった。 熱や重さを溜めず、前へ前へと進ませる。 ところが秋になると、その速度を少し落としてもよくなる。 食材には旨みが増し、脂が乗り、火を入れる時間も長くなる。 焦げ目や煮込みの香りも、夏より自然に食卓へ馴染んでくる。 ワインもまた、軽やかさだけでそれらに向き合う必要はない。 秋のペアリングでは、まずそこから考えてみたい。

梁 世柱
9月11日


ペアリングのパーソナライズ <10> 季節感:秋 Part.1
秋をほどく 秋は、実りの季節として語られる。 果実は熟し、稲穂は垂れ、茸が土から顔を出す。 魚には脂が乗り、野菜にも夏とは違う奥行きが見えてくる。 たしかに、秋は満ちている。 だが、その豊かさは、夏のように外へ勢いよく膨らんでいくものではない。 むしろ、十分に満ちたものが少しずつ速度を落とし、内側へ沈み始める。 実りのすぐ隣に、終わりの気配がある。 秋の美しさは、その二つを切り離せないところにあるのだ。

梁 世柱
9月4日


再会 <111> ハイプのリアル
Tony Bornard, Le Ginglet 2022. 嫌な予感ほど、よく当たるという。 それが、経験則に基づいた「予測」なのであれば、なおさらのことだろう。 Tony BornardのLe Ginglet 2022を久しぶりに開けた時、抜栓直後の香りそのものは、この地でこの葡萄でこの造り方をしたからこそ立ち現れる、いわゆる「薄ウマ系赤」の魅力に満ちていた。 無添加ナチュラルワインにしばしば見られる、少し不穏な揺らぎはあったが、まだ決定的に壊れているわけではなかった。 だが、舌の奥に、嫌な影があった。 私は同伴者につぶやくように告げた。 「これは、30分以内に飲み切った方がいい。」 もちろん、そんなことは言いたくない。 ワインを前にして、タイマーをセットするような飲み方は、正直あまり美しいとは思えない。

梁 世柱
8月23日


権威があなたを裏切った日-ミシュラン・グレープ-
Michelin Guideが、ブルゴーニュの生産者に対する新たな格付けを発表した。 案の定、発表直後から議論が噴出した。 反応を、少し乱暴にまとめてしまえば、こんなところだ。 「あのドメーヌが、この位置なのはおかしい。」 「昔から偉大とされてきた生産者が、なぜ名前も知らないドメーヌより下なのか。」 「こんな格付けは信用できない。ミシュランも地に落ちた。」 一方で、Domaine Arnoux-Lachauxは、少し違う角度から異議を唱えた。 近年、ミシュランを受け入れず、プレスにもワインを提示していないにもかかわらず、現在のドメーヌを何に基づいて評価したのか。 順位ではなく、評価へ至るプロセスを問い、掲載の削除を求めた。 この二つは、同じ反論ではない。 一方は、プロセスへの問いである。 もう一方は、自分の記憶と違う、という不満だ。

梁 世柱
7月15日


ポルケッタとのクラシックペアリング
近年、日本のイタリア料理店で見かける機会が増えた料理の一つが、ポルケッタだ。 ポルケッタは、イタリア中部を代表する豚肉料理。 豚肉を開き、塩、コショウ、ニンニク、ローズマリー、フェンネル、セージなどのハーブを擦り込み、大きな塊のまま、ゆっくりとローストする。 地域によっては丸ごとの仔豚を使うこともあれば、豚バラや肩肉を巻き込んで仕上げることもあるが、日本で一般的に提供されているのは後者のスタイルだ。 豚肉の甘み、脂の厚み、焼き目の香ばしさ。 そこに、ハーブの清涼感、フェンネルの甘く青い香り、ニンニクの温かい刺激が重なる。 だからポルケッタは、決して軽い料理ではない。 だが、鈍重な料理でもない。 噛むたびに、肉と脂の力強さと、香草の涼しさや少し乾いた甘さが交互に現れる。 この複雑さこそがポルケッタらしさであり、ペアリングを面白くしている理由でもある。

梁 世柱
6月13日


対話:ナチュラルワインと現場のリスク
ヨーロッパのある国で、二十年以上ナチュラルワインを専門に扱ってきたというワインプロフェッショナルに出会った。 綺麗に整えられた、長く豊かな顎髭、細身の長身、そして、屈託のない笑顔。 その人には、長い時間をワインと共に過ごしてきた者だけが持つ、穏やかな確信があった。 知識を誇示するのではなく、経験が身体の奥で熟成し、必要なときだけ言葉になる。 そんな空気感のある人だった。 他愛のない自己紹介を済ませたあと、話題はやがてナチュラルワインにおける欠陥へ辿り着いた。 様々な欠陥の話が出たが、議論の中心になったのはネズミ臭だった。

梁 世柱
6月11日


再会 <106> 躍動するフルミント
Anita & Hans Nittnaus, Furmint Ried Tannenberg 2024. 葡萄の越境を考えるとき、私たちはたいてい、一つのわかりやすい物語を想像する。
有名産地の葡萄が、まだ名の知られていない土地へ渡っていく。
マイナーな産地が、メジャーな産地の言語を借りる。
シャルドネを植えればブルゴーニュの旋律が鳴り、カベルネを植えれば、どこかボルドーめいた低音が響く。
もちろん、現実はもう少し複雑だが、ワインの入口に立つ人々を引き寄せるには、それだけで十分なわかりやすさを持っている。 しかし、その逆は、あまり想定されない。
つまり、名高い土地の葡萄が無名の土地へ渡るのではなく、周縁に置かれていた葡萄が、いま注目される産地へ入り込み、その土地の新しい表現を作り始めるという動きである。
しかもそれは、単なる移植ではない。
かつて国境の両側にあった記憶を、現在のワインとして読み直す行為でもある。

梁 世柱
6月7日


ペアリングのパーソナライズ <9> 季節感:夏 Part.3
夏を飲む 夏を、ただ爽やかさの記号としてではなく、開放感と疲労、みずみずしさと濃度が同居する季節の総体として捉えるなら、ワインペアリングは、質感や酸の設計だけで完結するものではない。 まだ見なければならない論点がある。 香りは、どのような印象を残すべきか。 そして、飲み込んだあとに何が待っていると良いのか。 Part.3で見ていきたいのは、その二つだ。 第三に、夏にふさわしいのは、熱を少し霧散させるような爽やかさを持ちながら、なおかつ酸の気配を伴った香りである。

梁 世柱
6月5日


樽風味は時代遅れなのか
新樽の風味を濃厚に効かせたワインが、少しずつ時代の中心から遠ざかっている。 かつては紛れもない高級感の証だった。 ヴァニラ、トースト、チョコレート、甘いスパイス。 熟した果実にそれらを重ね、滑らかに溶かし込み、隙のない一体感へ仕上げることは、ひとつの完成された美の形だった。 だが、時の流れと共に、飲み手の感覚は変わる。 透明感。 軽やかさ。 テロワールの声。 飲み疲れしない優しさ。 そうした言葉が価値を持ち始めると、かつての豪華さは、ときに受容しがたい重さへ変わる。 では、樽そのものが時代遅れになったのか。 そうではない。 ここで興味深い証明として立ち上がるのが、古典的なリオハである。

梁 世柱
6月3日


出会い <105> ハプスブルクの残響
3/4 -Tři Čtvrtě , Frankovka 2023. 現在、中東欧において、ワイン産出国として十分に成立する規模を持ちながら、日本のワイン学習の標準的な地図から、ほとんど抜け落ちている国がある。 チェコである。 チェコと聞いて、最初にワインを思い浮かべる人は多くないだろう。
プラハの美しい中世の街並み。歴史を刻んできた石畳。極上のビール。
そのあたりで大体想像力は満杯になる。 だが、謎に包まれているように見えるものほど、視点を少しずらすと、案外あっさり実像が見えてくるものだ。 チェコワインを理解する上で、最初に押さえるべき事実は単純だ。
チェコにおけるワイン用葡萄畑の大部分(約96%)は、南モラヴィアに集中している。 つまり、チェコワインを語るとは、ほとんどの場合、南モラヴィアを語ることに近い。

梁 世柱
5月30日


ペアリングのパーソナライズ <8> 季節感:夏 Part.2
夏を支える 夏を、ただ爽やかで軽い季節としてではなく、開放感と疲労、みずみずしさと濃度が同居する季節の総体として捉えるなら、ワインペアリングに求められる条件も自ずと変わってくる。 ここで考えたいのは、暑さを誤魔化すための冷たさではない。 熱のただ中に置かれた身体と、すでに外へ向かって開いた夏の食材を、ワインがどう支えられるかである。 夏の料理と身体に共通しているのは、涼しさを欲しながらも、単純な軽さだけでは満たされないという点だ。
だから、よく冷えていて、ただ軽ければよいという発想では、季節の実感には届かない。 第一に、夏に適するのは、軽やかで滑らかに流れ、明確なシルエットを保ちながら、必要十分な密度を備えたワインである。 夏の食材は、たしかにみずみずしい。だが、そのみずみずしさは、淡さとは違う。

梁 世柱
5月29日


ワイナリー訪問記 <2> Prager, in Wachau Austria
アポイントまで少し時間が空いたので、適当にサンドウィッチを頬張ったあと、ドナウ川のほとりにあったベンチに寝転がった。 空は大きく、川は静かだった。 観光客の声も、車の音も、ここではずいぶん薄まっていく。 自分がここへ何をしに来たのかさえ、一瞬だけ曖昧になる。 出所のわからない感傷があった。 旅の疲れかもしれない。 午前中に終えた訪問の余韻かもしれない。 あるいは、Wachauという土地が持つ長い時間に、こちらの境目が少し溶け出していたのかもしれない。 川面に砕けた光が、水晶の欠片のように輝いていた。 この日訪れたのは、Wachauを代表する名ワイナリーの一つ、Pragerである。

梁 世柱
5月26日


ペアリングのパーソナライズ <7> 季節感:夏 Part.1
夏をほどく 夏という季節感に向き合うには、まず夏を一つの表情だけで受け取らないことが必要だ。 夏はよく、開放の季節として語られる。 日照は長くなり、空は大きく開き、街も人もどこか外向きになる。 たしかに、それも夏の顔のひとつだ。 けれど、夏をただ明るく、ただ軽快な季節として受け取ると、すぐに見落としが生まれる。 この季節を形づくっているのは、開放感だけではない。 熱の蓄積、湿度の停滞、光の過剰、身体の消耗。 そうしたものまで含めて、夏の輪郭はようやく見えてくる。

梁 世柱
5月22日


ナチュラルワイン:その自由は、どこで育ったか(期間限定無料公開)
ナチュラルワインを語るとき、私たちはしばしば、クラシックワインとは別の言語を使おうとする。 エネルギーがある。 生命力がある。 揺らぎがある。 身体に馴染む。 整えすぎたワインにはない、剥き出しの説得力がある。 たしかに、そういうナチュラルワインは数多く存在する。 グラスに注いだ瞬間、産地名、格付け、熟成ポテンシャルといった言葉を一度脇へ押しやり、飲み手の感覚へ直接触れてくるワイン。 果実、酸、タンニン、アルコールといった要素へ分解される前に、一つの動きとして身体にするりと入ってくるワイン。 ナチュラルワインがワインの世界にもたらした功績の一つは、この種の感受性を、無視できないものとして差し出したことだと思う。 だが、新しい言葉が必要だったことと、新しい言葉だけでワインの価値を説明できることは違う。 ここを取り違えると、ナチュラルワインを取り巻く話は急に危うさを帯びてくる。 クラシックワインの世界では、品質はいくつかの基本条件と結びつけて考えられてきた。 どの畑か。 その畑は、本当に優れているのか。 そこに植えられた葡萄は、その土地に適しているの

梁 世柱
5月21日
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