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フランスの庭 <ロワール渓谷特集:第一章>
全長1,006km。フランス最長の河川であり、ヨーロッパ全土でも3番目の長さであるロワール河は、色とりどりの恵みを、フランスに、そして世界にもたらしてきた。数々の壮麗なシャトー群は世界中の旅行者を魅了し、アスパラガスやアーティチョークは世界各地のレストランへと届けられる。ヴァランセ、サント・モール、クロタン、セル・シュール・シェールといった、世界に名だたる極上のチーズでも有名だ。そして、「 フランスの庭 」と称されるロワール渓谷には、広大な「 葡萄の庭 」が広がっている。約2,000年の歴史を誇るその庭は、まさに楽園。そして楽園に美酒はつきものだ。 歴史 ロワール渓谷におけるワイン造りの歴史に関して、簡潔に触れていこう。 記録上、ワイン造りが始まったのは 1世紀 の間とされている。古代ローマの政治家であり、自然と芸術に関する歴史的書物である『プリニウスの博物誌』の著者であるガイウス・プリニウス・セクンドゥス( 大プリニウス )は、その著書(西暦77年発表)の中でロワール河沿いに広がる葡萄畑に関して言及している。 しかし、ロワール渓谷でワイン造りが

梁 世柱
2022年4月15日


曇り空の向こうへ <シャブリ特集:後編>
変わらないための努力をしていくのか。変わっていくための努力をしていくのか。たった2つしかない選択肢が示されたとき、そしてその両方が茨の道であると知ったとき、人はどちらを選ぶのだろうか。 混迷の中にある銘醸地 シャブリ は、まさに今、 岐路 に立たされている。 選択をするのは、 この問題の当事者である造り手 であり、あくまでも 傍観者 である我々飲み手では決してない。 しかしその選択は、否応なしに、 飲み手の審判を受ける ことにもなる。 造り手と飲み手は、本質的に 並列の関係 にあるのだ。 造り手がいるからこそ、飲み手はワインを味わうことができる一方で、そのワインに対価を支払う飲み手がいてこそ、造り手はワイン造りを続けることができる。 だからこそ、飲み手に見限られるという最悪の結末を、世界に名だたる銘醸地シャブリが迎えるようなことは、決してあってはならない。

梁 世柱
2022年3月27日


混迷の銘醸地 <シャブリ特集:前編>
今日よりも、より良い明日がきっと来る。 エントロピーの増大に抗うことが、生きるということそのものである人類にとって、少なくとも今はまだ、 時間とは不可逆的なもの なのだろう。そう、過去に向かって生きることが、精神世界の中だけの話なのであれば、我々にはそもそも 選択肢が無い のだ。 それでも、人は過去を振り返る。 私がいま、世界中のワイン産地の中で、最も危惧しているのが、 シャブリ だ。 シャブリは今、美しい過去の記憶、より良い未来に期待する思い、そして人々がシャブリに求める理想像が、複雑に入り組んだ迷路と化し、そもそもゴールが存在するのかも、分からない状態にある。 混迷の根源的原因はただ一つ、 気候変動 だ。 思い起こせば10数年前、シャブリの造り手たちとこの問題に関して議論すると、決まって同じ答えが返ってきた。 地球温暖化は、シャブリにとっては恩恵となる。 それが、過去のシャブリにとって、誰もが予想し、期待していた「より良い明日」だった。 そもそもシャブリは、冷涼という括りには到底収まりきらないほどの、限界的産地だった。冬と春の寒さから葡萄樹を

梁 世柱
2022年3月12日


償いの丘 <カタルーニャ特集:ペネデス編>
何度も、何度も、フラッシュバックする光景がある。あの瞬間、不意に気付かされた過ちに、あらゆる言い訳は意味消失した。私にとってペネデスの丘は、終わりのない贖 罪 の日々と、生涯守り続けることになる約束の、始まりの地である。 ペネデス カタルーニャ州のペネデスは、プリオラートと並ぶ最重要産地として、名を馳せてきた。しかし、この2産地は 両極端の性質をもつ に至ったことでも知られている。プリオラートが4人組による復興後、スペイン最上のクオリティ産地へと進化した一方で、 ペネデスは超大量生産型産地の典型例として猛進を続けた 。 言うまでもないかも知れないが、ペネデスで超大量生産されてきたワインとは、スパークリングワインの カバ である。 コストパフォーマンスという一点において、カバは世界各国のトラディショナル製法(シャンパーニュ製法)で造られるスパークリングワインに対して、圧倒的な優位を維持し続けてきた。 また、カベルネ・ソーヴィニヨンなどで造られる インターナショナルスタイル のワインも、カバに比べればマイナーだが、強い勢力を維持してきた。こういったワ

梁 世柱
2022年2月28日


誰がために鐘は鳴る <カタルーニャ特集:プリオラート編>
世界を旅していると、自分がその場所にいる違和感を全く感じない街に出会うことが稀にある。異国であるはずの場所が、生まれ故郷のように肌に、心に、自然と馴染むのだ。街角から聞こえてくる色とりどりの音が、耳あたりの良い大阪の言葉にすら聞こえてくるのだ。 筆者にとっては、ニューヨークとバルセロナが、そういう街である。 心地良さの理由は、はっきりしている。ニューヨークにも、バルセロナにも、 反骨精神が強固に根付いている からだ。自由と尊厳を求める人々のエネルギーが巨大な渦となって、街全体を満たしているからだ。だからこそ、大阪の下町で、社会的マイノリティーとして生まれた筆者は、その場所をホームと感じることができたのだと思う。 長らく訪問は叶っていないが、久々に心の故郷の一つに、想いを馳せよう。 騒がしく、慌ただしく、エネルギッシュで、優しく、何よりも美しいバロセロナに。 そして、バルセロナを囲む、カタルーニャ自治州という驚異的な魅惑な放つ偉大なワイン産地に。 カタルーニャの反骨精神 かつて地中海の覇者として栄華を誇ったカタルーニャ帝国は、15世紀以降、苦難の道

梁 世柱
2022年2月13日


祝福の鐘は、葡萄畑から鳴り響く <オーストラリア・クラフト・ワイン特集:後編>
過ちを正すのは難しいことではない。だが、正したことを理解してもらえるかは、全く別の問題だ。「 他人の不幸は蜜の味 」という底知れぬ悪意は、カソリック教会における「 七つの罪源 」や、ダンテの叙事詩「 神曲 」などにおいて、人を罪へと導くものとして常に描かれてきたように、残念ながら、人という種にとって、極めて自然発生的なものだ。だからこそ、 消し去りたい過去ほど、他者によって消えない烙印のように刻まれてしまう 。だからこそ、「農」のワインであれば許されたはずの失敗は、「人」のワインであったが故に、許しを得る可能性が著しく制限されてしまった。 だが、それで良いのだろうか。失敗した人間の成長を認められないほど、人の心に善と許しは無いのだろうか。 決して違う、と私は信じていたい。 悪意ではなく、善意でもって、受け止めて欲しい 。 オーストラリアの、 自然を愛する造り手たちの想いと、結果に対する責任を 。 矛盾からのそれぞれの脱出 極端な醸造的欠陥が生じたワインは、テロワールを表現する能力を失う 。葡萄畑のありのままの自然な姿を表現しようという想いが暴走し

梁 世柱
2022年1月31日


栄光の落日 <オーストラリア・クラフト・ワイン特集:前編>
2015年頃から約3年間、熱狂していたと言っても決して大袈裟ではないワインが、私にはあった。一人のプロフェッショナルとして、常に公正公平であれるようにと、 ワインと造り手に対して感情移入することを徹底して避けてきた 筆者にとって、それは 極めて例外的な出来事 だった。どこか 停滞感 が漂っているように感じていた オーストラリア という国に、突然変異的に発生した、底抜けに明るく、親しみやすく、どこまでも人懐っこいワインたち。ヨーロッパ伝統国ではすでに一大勢力となりつつあったナチュラル・ワインとはどこか違う雰囲気を纏った、未知の魅力に溢れたワインに、私はまさに虜になった。新しいワインを試すたびに、驚きと発見がある。ワインそのものも、それらのワインを使ったペアリングも、私の知的好奇心を、これでもかと刺激した。だが、私と オーストラリア・クラフト・ワイン の蜜月の日々は、長続きしなかった。 本特集では、筆者がなぜオーストラリア・クラフト・ワインに熱狂し、激しく失望し、数年を経て、また愛するようになったのかを、パーソナルな視点と客観的な視点を織り交ぜながら

梁 世柱
2022年1月15日


偉大さだけが、価値では無い <ピエモンテ・ネッビオーロ特集:最終章>
より優れていること。漠然としたその言葉だけが絶対的な価値になってしまうことほど、悲しく、虚しく、恐ろしいことはない。ヒトに当てはめてみると、その怖さが良くわかる。極々一部の「より優れた人間」だけに価値が宿る社会になってしまったとしたら、ヒトの大多数は逃れようの無い絶望感の中で生きていくことになるだろう。そう、「優れている」という言葉は、 使い方を間違えれば脱出不可能な混沌への呼び水となってしまう のだ。ワインについて語る時、特に、偉大とされるワインと必ずしもそうでは無いワインの両方を語る時は、何をもって「優れている」と表現するかが、極めて重要になる。つまり、 広義としての「優れている」ではなく、常に狭義としての「優れている」という価値判断を貫くべき なのだ。イタリア・ピエモンテ州のネッビオーロにおいては、バローロ・バルバレスコという圧倒的な知名度を誇る二大巨塔と、それ以外のネッビオーロとでは、優れているポイントが全く異なる。確かに、古典的価値観に基づく偉大さという点では、二大巨塔の優位は揺るぎないものだ。しかし、現代は多様性と個性の時代である。

梁 世柱
2021年12月26日


イタリアで最も偉大な産地 <ピエモンテ・ネッビオーロ特集:第三章>
バレバレスコに想いを馳せると、いつもやるせない気持ちになる。偉大なるバローロの栄ある光は、バルバレスコに深い影を落とし続けてきたからだ。そう、バルバレスコに与えられた地位は、 永遠のNO.2 。ワインファンに「イタリアで最も偉大な赤ワインは」と尋ねると、おそらく90%程度はバローロと回答するだろう。残りの9%はトスカーナ州のブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、そして 1%がバルバレスコ といったとこだろうか。実は、 筆者はこの1%に属している 。私はこのことを隠すことも、ましてや恥じることも一切ない。90%の超多数派が私をなんと罵ろうとも、私にとってイタリア最高の赤ワインは、バルバレスコなのだ。 バローロとバルバレスコの違いは、ブルゴーニュに当てはめるならシャンベルタンとミュジニーの違い 、と表現しても差し支えないだろう。不思議に思わないだろうか。ブルゴーニュ・ファンなら、意見が真っ二つに割れるような「違い」であるにも関わらず、なぜかバローロが圧倒的な優勢を保ち続けてきたことを。その本質は結局のところ、「 無知 」にある。 我々の多くは、ブルゴーニ

梁 世柱
2021年12月10日


ワインの王、王のワイン <ピエモンテ・ネッビオーロ特集:第二章>
過日、とあるワイン初心者の方から質問を受けた。ピエモンテ州の同じ造り手で、DOCGのワイン(Dogliani)よりも、DOCのワイン(Langhe Nebbiolo)の方が高いのは何故か、と。DOCGは最高位格付けでは無いのか、と。 まさに 雨後の筍 。次々と認定され続けるイタリアの最高位格付けたるDOCGは、 既に意味消失して久しい 。それは、ピエモンテ州に限ったとしても同様だ。Barbera d’Asti、Dolcetto di Dogliani Superiore、Erbaluce di Caluso、Ruche di Castagnole MonferratoといったDOCGは確かにどれも注目に値する素晴らしいワインだが、最高位格付けにふさわしい「 品格 」は無い。いや、品格の話をするのなら、最高位に座せるのはピエモンテ州では ネッビオーロしかそもそもあり得ない 。そして、その頂点は当然、 BaroloとBarbaresco だ。 本章では、ピエモンテ州の真に頂点たる2つのDOCGの中から、 Barolo に焦点を当てて、細かく追っていく

梁 世柱
2021年11月28日


栄光は霧の中 <ピエモンテ・ネッビオーロ特集:序章>
目に飛び込んでくる世界が紅葉色に染まり、冬の足音が聞こえてくる頃になると、私はいつもピエモンテに想いを馳せる、そしてネッビオーロが恋しくなる。かすかにオレンジがかった魅惑的なワインのエッジがそうさせるのか、枯葉を思わせる滋味深いアロマがそうさせるのか。でも、その想いはいつも、もどかしさや、やりきれなさによって、少し苦い味になる。 偉大なバローロやバルバレスコが、なぜブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュに比べて、こんなにも過小評価されているのかと。 世界最高の黒葡萄の一つであるはずのネッビオーロが、なぜピノ・ノワールと並び称されていないのかと。 イタリアという国の長い歴史を振り返ってみると、いつの時代も、 肝心な時に一枚岩になり切れなかったことが、イタリアを真の栄光から遠ざけてきた ことがわかる。 そしてそれは、ピエモンテにおいても同じだ。 永劫に続くかのような分断と闘争の果てに、ピエモンテは、ネッビオーロは、いったいどこへ向かっているのだろうか。 今一度、確かめてみたい気持ちになった。 本章から全4章に渡って、ピエモンテ州のネッビオーロを特集す

梁 世柱
2021年11月10日


パーカーとボルドー <ボルドー特集:後編>
人は変われないのか。私はその問いに対する答えをもたぬまま、本稿の執筆と向き合い始めた。失敗は恥ではない。愚かさも、未熟さも恥ではない。私はずっとそう思ってきた。だが、繰り返すことは確かな恥だとも、知っていたはずだ。だから、もうこれ以上繰り返さないために、常識も、一般論も、過去の自分ですらも徹底的に疑ってみようと思う。その果ての答えが、どこに行き着くのかは分からなくても、私が変われる保証などどこにも無いとしても、自らに、そして偉大なるボルドーに、問いかけてみよう。 本当にボルドーは、ロバート・パーカーに、誇りを、魂を捧げ続けてきたのだろうか 、と。 ロバート・M・パーカー・Jr. 1975年からワイン評論活動を本格的にスタートさせた ロバート・M・パーカー・Jr.( 以降、パーカーと表記 )は、ワイナリーやワイン商と蜜月の関係にあったジャーナリズム(そう呼ぶにはあまりにも腐敗していたが)に異議を唱え、圧力に屈さず、何者にも影響されず、ただひたすら自らの絶対的な価値観を、断固として突き通していた。まさに 異端児 と呼ぶべき存在であったはずのパーカーだ

梁 世柱
2021年10月26日


Bordeaux in Green <ボルドー特集:前編>
正直に言おう。私の心は長らくの間、ボルドーから離れていた。かつて夢中になっていたことを、どこか小っ恥ずかしく感じて、少し酸っぱい想い出に蓋をするようなところもあったとは思うが、単純に、私の心に響くボルドーになかなか出会わなくなっていたのもまた事実だ。思えば、近代のボルドーにとって、莫大な設備投資は品質向上とイコールであるかのような報道が、絶え間なく続いてきた。その金満的で工業的な進化は、ワインに自然への賛美を求める私のようなトラディショナリストにとって、決して魅力的なものではなかった。もちろん、全てのボルドーがそうでは無いことは重々承知していたが、それでも、私の酷く個人的で感情的な嫌悪感を拭い去るには至ってこなかった。はっきりと言おう。私はもうとっくの昔に、ボルドーのファンではなくなっていたのだ。そんな私が、なぜ今更ボルドーに向き合うことになったのか。かの地に対して10年以上失っていた興味が、なぜ戻ってきたのか。それは、 ボルドーが変わった からだ。驚くほど 劇的に、そして急速に。今ボルドーは、世界最高の銘醸地として、世界のワインシーンを力強く牽

梁 世柱
2021年10月10日


その憂いが、世界を変えた <ボジョレー特集後編>
愛するものに、自らの理想像を押し付ける。厄介極まりないヒトの性に、筆者もまた囚われている。ありのままを受け入れたいと建前を言い放ちながらも、本音では自らが受け入れられる折衷点を常に探っている。それは結局のところ、部分的にでも理想を押し付けていることと何ら変わらないことと知りながら。筆者のような妄執に囚われたものが、そこから抜け出し、冷静かつ公正でいるためには、指針が必要だ。動かざる指針が。サステイナブル社会が問う「造る意味」と「造る責任」。ワインにおいて、造る意味の大部分は「テロワールの表現」に宿る。そして、造る責任は「無駄にしないこと」に集約される。それらは確かに、私にとっては動かざる指針だ。今一度、自らを縛り付ける頑なな情熱と向き合ってみよう。手にした二つの指針を頼りに。 非常に古い時代の姿をそのままに残す、ボジョレーの古樹 ジュール・ショヴェの系譜 『ボジョレーとは、香りのワインである。』 第二次世界大戦後に、化学肥料と化学合成農薬の助けを得て 大幅に高収量化 した代償として、 潜在的な脆弱性 を抱えてしまったボジョレーの葡萄は、 過度の補

梁 世柱
2021年9月25日


偉大なるボジョレー <ボジョレー特集前編>
毎年のことだ。9月に入ると、安堵と焦慮が入り混じった感情に駆られる。エアコンのスイッチを入れる頻度は減り、全開にした窓から新鮮な空気が室内を吹き抜け、けたたましい蝉の鳴き声は、心地良い鈴虫の音に変わる。美しい秋はもう目の前だ。だがこの穏やかな気持ちをいつも乱してくるものがある。そう、ワインだ。この季節に筆者がとあるワインに対して抱く想いは、主観的には至って冷静で論理的なはずなのだが、客観的に見ると酷く感情的に思えるだろう。理由ははっきりとしている。結局は、単純に、嫌なのだ。自分が愛してやまない偉大な産地から、心から愛せないワインが大量に生み出されることが。あと2ヶ月も経ったら、私がその地に対して抱く理想像が木っ端微塵に破壊して回られることに、心が激しく掻き乱されるのだ。そう、 ボジョレー・ヌーヴォー というワインが、私の心から平穏を奪っていく。 ヌーヴォーの未来を問う フランス・ブルゴーニュの南部に飛び地の様に位置するボジョレーは、おそらく日本においては、あらゆるワイン産地の中でも シャンパーニュに次いで知名度の高い産地 だろう。少なくとも、ブル

梁 世柱
2021年9月11日


ジョージアの試練 <オレンジワイン特集後編>
イタリアとスロヴェニア の国境地帯に股がる ゴリツィア の地から始まった オレンジワインの再興 は、消滅寸前まで追い込まれていた、 古代のワイン文化 を発掘した。 ジョージア と、ジョージアの伝統的な クヴェヴリ(*1)による醸造 、そして白葡萄の果皮を漬け込んだまま発酵した オレンジワイン である。大多数の現代的なワイン市場にとっては、ジョージア産オレンジワインは、まるで人類の前に突如姿を現した シーラカンスのような存在 であった。しかし、そのショッキングな登場から10年以上が経過し、今改めてジョージアの古代ワイン文化は、問われている。 骨董品として何も変わらない姿であり続けるのか、古代の文化を継承した現代のワインであるべきかを 。 *1: ジョージアで用いられる素焼きの土器。円錐形で地中に埋めて使用される。ジョージアの西側ではチュリとも呼ばれる。 ジョージアワイン文化の始まり 歴史の話を楽しめるかが、人それぞれなのは重々承知している。しかし、ジョージアの、そしてオレンジワインの理解を深めるためには、歴史を知ることは必須と考える。しばらく、お付

梁 世柱
2021年8月22日


オレンジ色の夢の続き <オレンジワイン特集前編>
オレンジワインは、過去からの手紙を収めたタイムカプセルのような存在だ。そこには、センチメンタルな美しさと儚さがあり、時空を超えたノスタルジーがある。近代的醸造技術が発した同調圧力は、強引な都市開発が古民家を破壊し尽くすかのように、そこにあったはずの確かな価値を、文化と伝統の墓場へと放り込んだ。しかし、地中深くに埋められた古典美は、志高き英雄達によって掘り起こされ、再興の道のりを力強く一歩一歩踏みしめながら、進んできた。 改めて向き合おうと思う。オレンジワイン再興の物語と。そして、その夢の続きと。 名称と色 オレンジワインというカテゴリー名は、 2004年にイギリスのワイン商であるDavid A. Harvey によって考案された。オレンジワインに関する最古と目される歴史をもつ ジョージア では、歴史的に「 アンバーワイン (琥珀色のワイン)」という意味をもつ Karvisoeri ghvino という呼称が用いられてきたため、正にジョージアスタイルのオレンジワインをアンバーワインと呼ぶことも多いが、 単純に「カテゴリー名」としての機能を考えた場合

梁 世柱
2021年8月8日


オルタナティブ品種に、最高のステージを <ドイツ特集後編>
オルタナティブ品種にヴァリューパフォーマンスが優れたワインが多いことは、周知の事実だと思われるが、だからといって その価値が真っ当に評価されているとは決して限らない 。そのようなワインには、もっと 導きの手が必要 だ。ワイン界に蔓延している有名産地、有名品種、有名銘柄至上主義から、現代人が抜け出すことは容易では無く、多くの人はブランドワインを学べば学ぶほど、その大沼に深く沈んでいく。

梁 世柱
2021年7月25日


ドイツの今を知らねば、時代に置いていかれる <ドイツ特集前編>
ドイツが時代に寄せてきたのか、時代がドイツに追いついたのか 。どちらにしても、ドイツワインを取り巻く市場が、 劇的な変化の最中 にあることは間違いない。もし、「 ドイツワイン=甘口のリースリング 」というイメージしか抱いて無いのなら、 この機会に認識を改めていただきたい 。もしワインを伝える側にいる人が、旧時代的なメッセージを発し続けているのならば、時代遅れも甚だしいどころか、ドイツの志高い生産者が心血を注いできた挑戦を無慈悲に踏みにじる行為であると、厳しく断じさせていただく。そう、現代のドイツは、凄まじい多様性を既に開花させているのだ。1,970~80年代には生産の9割が白ワイン、そしてその6割が甘口という極端な国家的戦略で知られたドイツも、 今では生産量の1/3が赤ワイン となり、リースリングの占める割合は全体の2割強、 甘口の割合も激減 している。本特集前編では、ドイツがどの様に変化してきたのか、リースリング以外の品種がどの産地で飛躍的に成長しているのか、現代のドイツワインがいかに多様性に満ちているのかを、 内的要因、外的要因の双方向から、

梁 世柱
2021年7月9日


ロマンスとエゴイズム <ナチュラル・ワイン特集:最終章>
ワインはその長い歴史の中で、存在価値を少しずつ変化させてきた。有史以前から造られていたと考えられるワインは、コーカサス地方からカナンを経由して 古代エジプト へと渡り、 ファラオが来世へと行くための供物 として献上され、 古代ギリシャ時代 には ディオニュソス を「 豊穣とワインと酩酊の神 」とし、エタノール(古代ギリシャ語の“エーテル(天空)”が語源とされる)による意識の変化(酩酊)は神との繋がりをもたらすと考えられるようになった。 古代ローマ時代 には、ディオニュソスへの崇拝は、「 ワインの神 」とされた バッカス へと受け継がれ、後の 聖書時代 においても、 ユダヤ人の間で儀式的な価値 が伝えられていたワインは、 イェス・キリスト の登場と最後の晩餐において「 キリストの血 」としての 決定的な宗教的意味 を得たことによって、その象徴性が極地に達することとなる。その後、カソリック教会でミサを祝うために必要なワインを確保するために、 ベネディクト会やシトー会 といった修道会がワイン造りの中心を担うようになり、 15世紀 になってようやく、ヨー

梁 世柱
2021年6月26日
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