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偉大さだけが、価値では無い <ピエモンテ・ネッビオーロ特集:最終章>

より優れていること。漠然としたその言葉だけが絶対的な価値になってしまうことほど、悲しく、虚しく、恐ろしいことはない。ヒトに当てはめてみると、その怖さが良くわかる。極々一部の「より優れた人間」だけに価値が宿る社会になってしまったとしたら、ヒトの大多数は逃れようの無い絶望感の中で生きていくことになるだろう。そう、「優れている」という言葉は、使い方を間違えれば脱出不可能な混沌への呼び水となってしまうのだ。ワインについて語る時、特に、偉大とされるワインと必ずしもそうでは無いワインの両方を語る時は、何をもって「優れている」と表現するかが、極めて重要になる。つまり、広義としての「優れている」ではなく、常に狭義としての「優れている」という価値判断を貫くべきなのだ。イタリア・ピエモンテ州のネッビオーロにおいては、バローロ・バルバレスコという圧倒的な知名度を誇る二大巨塔と、それ以外のネッビオーロとでは、優れているポイントが全く異なる。確かに、古典的価値観に基づく偉大さという点では、二大巨塔の優位は揺るぎないものだ。しかし、現代は多様性と個性の時代である。偉大さだけが、価値では無いのだ。ピエモンテ・ネッビオーロ特集の最終章となる本章では、バローロ、バルバレスコ以外の、あまり日の目を見ることのないネッビオーロワインの真価に迫っていく。



Langheのネッビオーロ

Roero DOCG

ランゲ地方の北西部、最も緯度の高い位置にあるRoero(ロエロ)に、近年注目が集まるようになったのは二つ理由がある。一つは、復活した土着白葡萄であるアルネイスの中心地であったことから、ピエモンテ州屈指の高品質な白ワインの産地として知られたこと。もう一つは、ランゲ第三のネッビオーロ銘醸地として、バローロやバルバレスコとは違った個性が認められ始めたことにある。このような経緯もあり、Roero DOCGは白、赤、スパークリングが認められている。本章では、ネッビオーロ主体(最低95%、残り5%は非アロマティック系黒葡萄)の赤ワインに関してのみ取り上げていく。


ロエロには、一人の偉大な革命家がいた。故マッテオ・コッレッジァだ。かつてロエロではアルネイスが中心に栽培されており、産地としての知名度は非常に低く、むしろ他のランゲ地方の造り手に葡萄を供給する(かつては、エリア外の葡萄をブレンドすることに対する規制があってないようなものだった)という、名もなき下請け企業的立ち位置が、ロエロに与えられた主な役割だった。しかし、若かりし頃のマッテオが、1976年、エリオ・アルターレらと共にブルゴーニュ視察に向かったことが、その後のロエロにとって、まさに運命の分かれ道となった。


ロエロの中でも様々な土壌や微気候のヴァリエーションが見られるが、土壌に関しては全体的に砂質の割合が多いことが特徴となっている。この土壌からは、しなやかで軽やか、香り高く、若いうちから楽しめるチャーミングなネッビオーロが生まれるが、その特性は強固なタンニンと酸の構造をもつバローロ、バルバレスコの価値観とはかなり異なるものとも言える。しかし、Valmaggiore(ヴァルマッジオーレ)のように一部の限られたエリアでは、よりバルバレスコ的な性質をもったネッビオーロが生まれ、ブルーノ・ジャコーサ、ルチアーノ・サンドローネといった名門が、この地から素晴らしいワイン(Roeroではなく、Nebbiolo d’Alba Valmaggioreとしてリリース)を造っている。


Valmaggioreの例のように、現状ではNebbioloと表記できた方が販売しやすい側面があり、規定に厳しいDOCGであるRoeroではなく、あえてDOCのNebbiolo d’Albaとしてワインをリリースすることも少なく無い。


クリュ名、コムーネ名を合わせたMGAは153という非常に多い数が認定されたが、現在のロエロに対する世間的な理解度を鑑みれば、欲をかいたが故に意味消失してしまったと言えるだろう。

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