目に飛び込んでくる世界が紅葉色に染まり、冬の足音が聞こえてくる頃になると、私はいつもピエモンテに想いを馳せる、そしてネッビオーロが恋しくなる。かすかにオレンジがかった魅惑的なワインのエッジがそうさせるのか、枯葉を思わせる滋味深いアロマがそうさせるのか。でも、その想いはいつも、もどかしさや、やりきれなさによって、少し苦い味になる。
偉大なバローロやバルバレスコが、なぜブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュに比べて、こんなにも過小評価されているのかと。
世界最高の黒葡萄の一つであるはずのネッビオーロが、なぜピノ・ノワールと並び称されていないのかと。
イタリアという国の長い歴史を振り返ってみると、いつの時代も、肝心な時に一枚岩になり切れなかったことが、イタリアを真の栄光から遠ざけてきたことがわかる。
そしてそれは、ピエモンテにおいても同じだ。
永劫に続くかのような分断と闘争の果てに、ピエモンテは、ネッビオーロは、いったいどこへ向かっているのだろうか。
今一度、確かめてみたい気持ちになった。
本章から全4章に渡って、ピエモンテ州のネッビオーロを特集する。
序章である本章は、次章以降をより深く理解するための前段階的内容となっており、ネッビオーロの歴史とともに、過去数十年間のダイナミックなピエモンテ州の動きを中心に、様々な角度から追っていく。
黒葡萄の王、ネッビオーロ
世界でも屈指の、気難しい品種と言われるネッビオーロ。この古代品種の名が確認できる最古の文献(nibiolと表記されていた)は1266年にまで遡ることができるが、実際はもっと古くから栽培されてきたと考えられている。名前はイタリア語で「霧」を意味するNebbiaが語源とされているが、収穫期にピエモンテ州の丘を覆う霧のことを直接的に差しているのではなく、成熟したネッビオーロの果実が、葡萄から自然発生した蝋状の粉によって白く「霧のように」覆われる様子から名付けられたという説の方が信憑性が高いと考えられる。ネッビオーロの同意語の一つであるprünent(ピエモンテ州北部のVal d’Ossola近郊での呼び名)も、イタリア語でこの蝋状の粉を意味するpruinaを語源としているという説が有力視されている。