誰も知らない偉大な産地<NY前編>(無料公開)

大都会のハイセンスが反映されたスタイリッシュなワイン。世界最大の大都市であるニューヨーク市を有するニューヨーク州のワインと聞けば、随分とバイアスのかかったイメージが先行するだろう。マンハッタンを悠々と闊歩する成功者たちが、昼間にテラス席で優雅に楽しむワイン。そんな光景すら、容易に想像できてしまうかもしれない。


しかし、実際のニューヨーク・ワインは、そのようなイメージとは大きくかけ離れている。


マンハッタンからほど近いロング・アイランドにも中規模のワイン生産エリアが存在しているものの、世界市場から見たニューヨーク・ワインとは、主にフィンガー・レイクス産を意味している。フィンガー・レイクスはマンハッタンから車で約5時間の距離にある。ニューヨーク州は非常に大きな州であり、フィンガー・レイクスは、ニューヨーク州北西部の、カナダとの国境にほど近いエリアに位置しているのだ。これほどまでに距離が離れているのに、マンハッタンとの繋がりを求めるのは無粋というものだ。


フィンガー・レイクスは、空を覆い尽くすような超高層ビル群とも、けたたましいタクシーのクラクションとも、ハイウェイの異常な渋滞とも、地下鉄の構内に鳴り響く様々な音楽とも、舌打ちしながら観光客の間を早足ですり抜けていくニューヨーカーとも無縁の、どこまでも朴訥とした素朴さが魅力のワイン・カウントリーである。


そんな「ど田舎」にあるフィンガー・レイクスに、今世界のワイン市場が大きな期待を寄せている。


右下に位置するオレンジ色の部分がマンハッタンのあるニューヨーク市


Finger Lakesの歴史

始まりのとき

フィンガー・レイクスに最初に葡萄が植えられたのは、1829年。牧師であったウィリアム・ボトウィックが牧師館の庭に葡萄を植樹したと記録されている。当時、アメリカ全土で高アルコール濃度、低品質かつ低価格な穀物系スピリッツの流通により、アルコールへの強度の依存が社会的問題となっていた。ボトウィック、そして同時期にワイン作りを開始したサミュエル・ウォレンという二人のキリスト教徒は、アメリカで消費される酒類の中で、ワインの比率を上げ、高アルコール濃度酒類への依存から脱却するきっかけとして、多大なる貢献を果たした。


当時、植えられた葡萄の中でも、特に重要だったのは、フィンガー・レイクスの厳しい気候に順応したカタウバ種(セミヨンとアメリカ系ラブルスカ品種の自然交配種)と、イザベラ種(不明のヴィニフェラ品種とアメリカ系ラブルスカ品種の自然交配種)であったとされている。


ハイブリッド品種を使用していたため、ヨーロッパのワインとは大きく異なる味わいであった原初のニューヨーク・ワインだが、ローカル消費、教会での儀式用の消費等もあり、生産量は大きく伸びていった。しかし、1919年に禁酒法が発令されると、アメリカ中のワイナリーと同じく、フィンガー・レイクスのワイン産業も、壊滅の危機に瀕した。


ヴィニフェラ革命

禁酒法によって負った痛手を引きずったままだったフィンガー・レイクスで、再興への狼煙をあげたのは、ウクライナから移住した一人の葡萄栽培学者だった。1951年にニューヨークに渡ったコンスタンティン・フランクは、1957年頃からにヴィニフェラ品種を植樹し始め、1958年にはケウカ湖の南西部に約78haの土地を取得し、葡萄畑を開墾した。二度の世界大戦を生き抜き、苦難に満ちた人生を歩んだフランクが、59歳にして初めて得た、自らの夢を託した畑であった。1962年には、東部アメリカ初のヴィニフェラ品種に注力したワイナリー「ヴィニフェラ・ワイン・セラーズ」を設立。


これまで、育てやすい自然交配系ハイブリッド品種を用いて、カジュアルなローカル消費向けのワイン産地として成長してきたフィンガー・レイクスが、世界基準の品質を生み出せる可能性のある産地として、大きく前進した歴史的瞬間である。また、フランクは自らのヴィニフェラ品種栽培に関する知見を、惜しみなく共有したことでも知られており、フィンガー・レイクスでヴィニフェラ品種の栽培を試みる若者たちの背中を力強く押し続けた。


成長と躍進

1976年、有名な「パリスの審判」と時を同じくして、ニューヨーク州で「ファームワイナリー法」が施行された。禁酒法時代の名残であった「生産量の95%以上を卸業者に販売」という規制が撤廃され、小規模生産者がレストランやワインショップに直販することが可能になった。また、同じタイミングでワイナリーの登録申請料が大幅に引き下げられたため、多くの葡萄農家が、自らワイン造りもするようになった。また、このファームワイナリー法は、ニューヨーク州以外のワイン産地にも多大なる影響を与え、1976年以降から現在に至る、アメリカ国内におけるワイナリー設立ブームの直接的かつ決定的なきっかけの一つとなった。


この力強い流れの中で、フィンガー・レイクスの成長にとって欠かせない存在となった、いくつかの重要なワイナリーが誕生した。1979年には、ハーマン・J・ウィーマーが設立され、1984年には酪農家であったウィルドリック家が葡萄を植樹し、後のフォックス・ラン・ワイナリーとなった。1990年には、1940年代からフィンガー・レイクスで葡萄栽培をしてきたワグナー家が、ラモロー・ランディングを設立、同じく1990年にはアンソニー・ロードが、1998年にはレッド・ニュート・セラーズが、2000年にはレヴィーンズが設立された。そして2009年、近年のフィンガーレイクス躍進の立役者とも言える、フィンガー・レイクス出身のマスターソムリエであるクリストファー・ベイツが率いる、エレメント・ワイナリーが設立された。


革新を進める第三世代

ヴィニフェラ革命によって、可能性を切り開いたコンスタンティン・フランクを第一世代とするなら、70〜80年代にかけてフランクを追従した生産者は第二世代にあたる。そして時代は今、第三世代のワイン造りへと大きな転換期を迎えている。第二世代の造り手は、ワイン造りをブームに乗った「生活の手段」として行っていた者も少なくない。そして彼らの多くは、農家からワイナリーへの転身組だったため、手探りな部分も非常に多かった。当然、資金的な余裕も無く、近代的な革新はスローペースなままだった。しかし、そんな第二世代のもとで育った若者たちは、インターネットが一般化した時代の恩恵を受け、超高速化した情報社会に慣れ親しんできた。マンハッタンを含む国内の大都市圏や、海外の大都市へのアクセスも容易になり、世界最先端のワイン市場をダイレクトに感じ取る機会にも圧倒的に恵まれた。多くの若者は、フィンガー・レイクスの外へ飛び出し、世界中の銘醸地で研修を重ねる中で各々が得た知見を、同世代の同郷の仲間たちと分かち合った。


1829年にフィンガー・レイクスに初めて葡萄が植樹されてから、180年以上の時を経てようやく、フィンガー・レイクスのワイン産業は、世界の最前線と繋がったのである。


極めて強い影響力を誇ったロバート・パーカーJrの嗜好に、ワイン産業全体が振り回されていた時代は、ビッグ・ワインを造るのが非常に難しいフィンガー・レイクスにとって、まさに不遇の時であったが、近年の世界的な食のライト化傾向に伴った、低アルコール濃度で軽やかなワインを好む嗜好の変化は、フィンガー・レイクスにとっては、強力な追い風となっている。


自宅の裏手にある小山で頁岩の地層を見せてくれた、マスターソムリエのクリストファー・ベイツ


Finger Lakesのテロワール

現代的ワインの理想郷

温暖な夏と非常に寒い冬という気候特性は、葡萄が成長する夏場に熱ストレスを与えずに継続的かつ長期的な成長を促し、冬の寒さの間にしっかりと葡萄を休ませることができる。年間降雨量は約550mm〜800mmの間であるが、冬場の降雪と積雪もあるため、葡萄にとっては十分すぎるほどに水分に恵まれた産地である。


フィンガー・レイクスのマイクロ気候にとって、最も重要な役割を果たしているのは、水量の多い湖だ。「レイク・エフェクト」とも呼ばれるこの湖の効果は、夏には涼しい空気を葡萄畑に送り込み、冬には暖かい空気を送り込む。これは、巨大な水塊は水温が大きく変動しにくいことに起因する。湖に沿って、東西のなだらかな斜面に開墾された葡萄畑は、積算温度こそやや低いものの、日照量は問題ない。このレイク・エフェクトの恩恵を最大限に受けられるのは水量の特に多い湖の周辺であることから、フィンガー・レイクスの葡萄畑は、セネカ湖、ケウカ湖、カユガ湖の周辺に集中している。


フィンガー・レイクスという産地は、温暖な夏と厳しい冬、温度調整の役割をする巨大な湖、東西に開けた十分な日照量という組み合わせによって成立しているのだ。

フィンガー・レイクスの畑の多くは、湖のすぐ側に拓かれている


しかし、過酷な環境に弱いヴィニフェラ品種にとって、フィンガー・レイクスの気候は、限りなく限界点に近い。そして、この点こそがフィンガー・レイクスのワインが、世界中の銘醸地に対して決定的に優位に立てる重要な要素である。地球温暖化の影響で年々変容してきているヨーロッパの伝統産地に比べ、現時点でのフィンガー・レイクスは、かつての伝統産地がそうであったように、限界点だからこそ生まれる緊張感のある味わいが徐々に、しかし明確に、出始めている。現代人の一般的なワイン嗜好(特にミレニアム世代)は、極端に冷涼産地の味に傾きはじめているため、まさにフィンガー・レイクスのテロワールは、世界中の生産者が喉から手が出るほど欲する要素が詰まっている、と言っても過言ではない。

冬には大量の雪が積もる


バナナ・ベルト

なんとも気の抜けた珍妙な名前であるが、セネカ湖の南東湖岸エリアは、フィンガー・レイクスでも最も温暖なマイクロ気候であることから、こう呼ばれている。他エリアでは栽培の難しい品種の成功も期待されている注目のエリアである。


特別な土壌

フィンガー・レイクスという地は、古代の氷河の動きによって生まれた。氷河がこの地に進出し、覆い尽くした後に去っていったことによって、湖も含めた現在の地形が形成されたのだ。土壌としては、頁岩(Shale=けつがんと読む)、石灰岩(Limestone)を含む沈泥土壌(Silt=泥の中で粘土よりも粒が大きく荒い)が中心となるが、エリアによって様々なヴァリエーションが見られるため、隣り合った畑でもテロワールが大きく異なることも多い。


これらの土壌組成物の中で、フィンガー・レイクスならではの個性を宿した最も重要なものは、頁岩である。頁岩は泥岩の一種であり、薄く層状に重なり、脆く割れやすい。より分厚く、やや頑丈に変成したものは粘板岩(スレート)と呼ばれる。頁岩と粘板岩は共に類似点の多い土壌であるが、若い産地であるフィンガー・レイクスにとって、割れやすい頁岩は、葡萄の根が地中深くまでより早く伸びることを促すため、極めて大きな役割を果たしている。フィンガー・レイクスのワインは、他のニューワールド産地に比べ、ミネラルの表現が際立って豊かである。その秘密が、まさにこの頁岩にあるのだ。

ミルフィーユ状に重なった頁岩


割れやすさが利点となる頁岩


Finger Lakesの葡萄

コンスタンティン・フランクは、20年ほどに渡って、約60種のヴィニ