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Wine Memo <25>
Mayer-Fonné, Riesling Grand Cru Schoenenbourg 2016. ¥7,500 アルザスのグラン・クリュは本当に難しい。 まず、51という数は明らかに多すぎる。しかも、(個人的な意見としては)その半数近くが、品質的にはグラン・クリュのステータスがかなり疑わしいのだから、信頼性がどうしても低くなる。 ブルゴーニュのグラン・クリュ群と比較するなら、アルザス・グラン・クリュの半数はプルミエ・クリュ相当といったところだろう。 平均的な面積(約34ha)が広すぎるのも問題だ。ブルゴーニュでは基本的に斜面中腹だけがグラン・クリュ認定されているのに対し、アルザスは斜面上部から下部までもれなくグラン・クリュとなるのが通例。

梁 世柱
2024年5月3日


出会い <59> 不可能を可能に
Lightfoot & Wolfville, Kekfrankos 2020. ¥4,000 ビオディナミ農法の難易度とリスクは、テロワールの条件によって大きく変動する。 同農法ではカビ系病害への対策が鬼門となるため、一般的には乾燥した地域では容易かつ低リスクとなる一方で、湿度と雨量が上がるほど、飛躍的に難度とリスクが跳ね上がる。 特に生育期に雨が多く湿度が高いエリアでは、「不可能」という声も良く聞く。 不可能というのは、概ね正しいだろう。 ビオディナミ農法の効果は、土壌の地力と葡萄樹の免疫力向上に集約されるため、基本的には品質向上を確約するタイプのものではない。

梁 世柱
2024年4月28日


Wine Memo <24>
Nyetimber, Cuvée Chérie Demi-Sec NV. 高品質かつテロワールに正直なワインでさえあれば、基本的には「なんでもあり」な私だが、それでも販売に四苦八苦するタイプのワインというのは僅かに存在する。 中でも特に、Demi-Secタイプのスパークリングがそうだ。 もはや本家本元と言えるChampagneですら、Demi-Secが絶滅危惧種と化しつつあるほど、生産量が減っているのには、ちゃんと理由があると思う。 端的に言うと、時代に合わない、のだ。 甘さを残したワインの販売難には、ドイツ、ソーテルヌ、トカイですら匙を投げはじめているのだから、辛口な味わいを求める大衆の「集の力」はそれだけ大きいと言うこと。

梁 世柱
2024年4月26日


再会 <59> どこまでも心地よい北海道ピノ
10R winery, 上幌ワイン “風” 2022. 好適品種がどうかの判断はとても難しい。 数値的に何か明確な指標があるわけでもないので、「葡萄がちゃんと熟す」という基準そのものが、実に曖昧なのだ。 私自身がその判断を行う際は、以下の4要素を基本的な考慮対象としている。 ・フェノールの熟度(不必要に未熟な味わいが生じていないかどうか) ・ミッドパレットの充実度(スカスカの味わいになっていないかどうか) ・果実味と酸とアルコール濃度のバランス(この判断が一番主観的となるだろうか) ・余韻の長さ(短く弱い余韻はあまり良くない) また、収量とその安定性、農薬への依存度といった味わい以外の要素も、現代では考慮対象とするのがスタンダードとなりつつある。

梁 世柱
2024年4月21日


出会い <58> ニュイ的ジャーマン・ピノの真打
Steintal, Spätburgunder Schlossberg G.G. 2021. 冷涼気候の中でも、特別に日当たりの良い区画だけが生み出せる、エレガンスの極地。 そして、ピノ・ノワールという品種において、その魔力が最大化されるのは、ブルゴーニュのグラン・クリュをおいて他に無かった。 過去形、なのは正しい。 もちろん、今でもブルゴーニュのグラン・クリュが特別な存在であることは変わらないのだが、酷暑と旱魃のヴィンテージが気候変動によって劇的に増えた現代では、エレガンスの最大化という一点において、疑問を抱かざるを得ないワインとなることも多い。 常軌を逸した高価格だけが、今のブルゴーニュの問題では無いのだ。 私自身、かつては遥かに手頃な価格と高い確率で出会うことができた「ブルゴーニュの魔法」を諦めきれず、ブルゴーニュ・オルタナティヴの探求に心血を注いできた。

梁 世柱
2024年4月15日


Wine Memo <23>
Geheimer Rat Dr. von Bassermann-Jordan, Deidesheimer Kieselberg Riesling Trockenbeerenauslese 2015. 世界三大貴腐ワインといえば、フランス・ボルドーのソーテルヌ、ハンガリーのトカイ、そしてドイツのリースリング・トロッケンベアレンアウシュレーゼ。 トカイの最高級品であるエッセンシアは、飲むというより「舐める」ので、比較対象にそもそもならない気もするが、極甘口ワインがたまらなく好きな私にとっての最上は、トロッケンベアレンアウシュレーゼ一択だ。 平均して8%前後のアルコール濃度、濃密極まりない甘味を、時に12g/Lを上回る凄まじい酸で中和したダイナミックかつ超多次元的なストラクチャー、糖分と合わさって強烈な粘性を生む凝縮したミネラル、桃源郷の余韻。 この地球上に、これほど甘美な液体は存在しないと、最高のトロッケンベアレンアウシュレーゼと巡り合う幸運に恵まれる度に思い知らされる。

梁 世柱
2024年4月11日


再会 <58> 幻のテロワールシャンパーニュ
Jacquesson, Vauzelle Terme 2004. 流通価格 約¥50,000~ 一番好きなワインは?という質問は非常に良く受ける。 回答にとても困る質問ではあるので、天邪鬼な私はいつも答えを変えるようにしているが、大体の場合、リースリング、シャンパーニュ、ピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニヨン、カベルネ・フラン、サンジョヴェーゼ、ネッビオーロ辺りをループしているだろうか。 リースリングやネッビオーロと答えると、「なるほどね」と納得してもらえることも多いし、ピノ・ノワールと答えると大体は「やっぱりそうですか」となるが、十中八九「意外!」という反応が返ってくるのは、シャンパーニュとカベルネ・ソーヴィニヨンだ。 王道が好きで何が悪い、と思うが、別に私がシャンパーニュやカベルネ・ソーヴィニヨンを好んでいるのは王道だからではなく、その絶対的な品質故のこと。

梁 世柱
2024年4月7日


Wine Memo <22>
安心院ワイン, 小公子 2021. ¥3,920 同じ言葉と文化を話す同朋として、もちろん日本ワインの発展を心から願っている。 しかし、その想いと、ワインに対する評価は明確に切り離すべきだと私は思う。 少なくとも、私のようなプロフェッショナル側の立場であれば。 私にとって日本は、世界に数多くあるワイン産地の一つであり、それ以上でも以下でもない。 日本ワイン愛好家には冷たいと思われるだろうし、実際に良くそう言われもするが、色眼鏡をかけまくって、自信満々で日本ワインを海外の専門家に紹介した結果、微妙な反応が返ってきた時なんかは、なんとも行き場のない気持ちになるものだ。 新興産地としてワイン産業が発展しつつある国のソムリエやジャーナリストと話をしても、明確な根拠なく自国のワインを褒め称えることは稀である。 彼らは皆、自国で形成されつつあるワイン文化が、すでに世界的な銘醸地として知られている伝統国と比べてどれほどのレベルに至っているかを、実に冷静に見極めているのだ。

梁 世柱
2024年4月4日


出会い <57> 衝撃のグリ系オレンジ
Ziereisen Jaspis, Roter Gutedel Unterirdisch 2020. ¥6,900 (500ml) あらゆるワインに対して公平に接する、というのが私の基本スタンスだが、どうにも好きになれない葡萄品種も実際にはある。 品質判断自体はちゃんとできるのだが、こればかりは好みの問題であったり、特殊な事情が あったりもするので、如何ともし難い部分がある。 そして、実はピノ・グリ(ピノ・グリージオ)は、私がなかなか好きになれなかった葡萄の一つだ。 過去形、なのは正しい。 考えを改めるきっかけがあったからだ。

梁 世柱
2024年3月31日


再会 <57> (私的)普遍のNo.1ボルドー
Chateau Lafleur 2013. ¥145,000 どの国のどの銘柄かは伏せるが、最近テイスティングする機会に恵まれた国内販売価格30万円超のワインが、どうにもこうにも響いてこなかった。 ワインファン垂涎の超有名ワインであり、当然私もそれなりの期待をもってテイスティングに臨んだが、期待外れも良いとこだった。 いや、実際には間違いなく高品質なワインではあったのだが、同程度の品質のワインは、1/30以下の価格でも、国や産地に拘らなければ簡単に見つけることができる。 「それだけの超高価格なのに、その程度の味わいなのか。」という落胆があまりにも大きく、すっかり気持ちが萎えてしまった。 ワインの価格とは、と考えさせられる機会に数えきれないほど触れてきた結果、私はいわゆる「ブランドもの」に対する興味を、ほとんど失ってしまっている。

梁 世柱
2024年3月24日


出会い <56> 新たなるHouillon
Corentin Houillon, Vieux Foug 2021. ワインの世界における「親族」というのは、実にややこしい話になりがちだ。 特にフランスの造り手にその傾向が強いと感じるが、親族のうちの誰かが突発的に素晴らしいワインを造り始めて名高い存在になった時、なぜか凡庸なままの他の親族のワインまで評価が上がる、という現象が度々起こる。 相続で「(有名な)誰々の畑を取得」といった類の話も同様だ。 この手の不可思議極まりない現象は、特に長年ブルゴーニュを追いかけていると、嫌というほど目にすることになるだろう。 ワイナリー一族に生まれれば、自動的に子供世代にも英才教育が施される。 親戚のおじさんが良いワイン造ってるから、甥っ子もその教えを存分に受けているに違いない。 前の所有者が素晴らしいワインを造っていた畑だから、所有者が変わっても素晴らしいに決まっている。 ちょっとでも冷静になれば、そんな状況に必ずなるとは全く限らないことなど、すぐに分かると思うのだが、なんだかんだ結局「ブランド名」に弱いのもまた、現代人のサガという

梁 世柱
2024年3月17日


Wine Memo <21>
Quinta do Noval, Branco Reserva 2022. ポートが売れない。というのは、何も日本でだけ起こっていることではない。 酒精強化酒を含むあらゆる甘口ワインの売り上げは、世界的にずっと右肩下がりの状況が続いている。 流石に消滅してしまうことはなかなか無いだろうが、造り手としても在庫を余らせておくよりかは、限られた葡萄畑を他のスタイルのワイン用に回してしまった方がスマートであることは間違いない。 フランス・ボルドー地方には、世界最高峰の貴腐ワインと名高いソーテルヌ(とバルサック)があるが、近年のトレンドはもっぱら辛口仕立てのワイン造り。 ドイツのリースリングや、ハンガリーのトカイ(フルミント)にも全く同じ状況が当てはまる。

梁 世柱
2024年3月16日


再会 <56> いちご味のイタリア地葡萄
Ferdinando Principiano, Langhe Freisa 2022. ¥3,500 イタリアのマイナーな地品種を学ぶのは、この上なく楽しい。 フランス系国際品種や、イタリアの中でもより王道と言えるネッビオーロ、サンジョヴェーゼ、アリアニコなどとは随分毛色の違う個性派集団。 どの品種をとっても「洗練」とは少々遠く、自己主張が激しめなのも良い。 まるで、予定調和的な美意識を嫌い、「絶対にアルマーニなど来てやるものか!」っと、こちらから聞いてもいないのに声高に叫んでいる、ちょっとうるさいイタリア人のようだ。 そして、イタリア各地のマイナー地品種それぞれに、豊かなストーリーがあるところも良い。

梁 世柱
2024年3月10日


出会い <55> 最高のメルロー
Chiacchiera, Piccola Viola 2021. Wine Memo <19>で述べたように、国際品種がブレンドされた一連のChiantiやVino Nobileに対して、私が異を唱え続けることは今後も変わらないだろう。 サンジョヴェーゼとその他の補助的地品種だけで構成されたワインの、調和に満ちた優美な味わいを思えば、国際品種による補強が「伝統の進化」とはどうにも思えない。 ワインにとって「美味しい」ことは正義だと思うが、それが伝統かと問われれば話が違うのだ。 一方で、国際品種のみで造られたワインに素晴らしい「品質」のものが数多くあるのもまた事実なので、その探究は私にとって隠れた趣味的なものとなっている。

梁 世柱
2024年3月3日


再会 <55> 微笑んでしまうワイン
A.A.Badenhorst, Kalmoesfontein White Blend 2021. ¥6,800 思い出が甦ってきてついつい笑ってしまう、そんなワインがある。 ワイン産地では、大なり小なり楽しい思い出はあるものだが、大抵の場合、適度に緩く、明るい国民性や地域性を通しての体験が、そうさせるものだ。 そしてなぜか、私にとって「笑ってしまうワイン」の多くが、南アフリカにある。 一年半前に初めて訪れた南アフリカでは、数多くの造り手たちと、談笑と爆笑のひと時を過ごした。かなり暗く辛い歴史がある国だが、少なくともワインに携わっている人々は、肌の色に関係なく、笑顔でいっぱいだった。 地域によっては、造り手たちも、試飲会の後半にでもなるとすっかり酔っ払っていて、ブースを飛び出してはしゃぎ回っている。 最初は驚いたが、すぐに慣れた。私自身は間違いなく「おとなしい」部類の人間だが、声を上げて歌い、踊っている彼らをみるのは、なんとも清々しいものだ。 異文化の中に身を置くことでしか体験できないグルーヴが、そこには確かにある。

梁 世柱
2024年2月26日


Wine Memo <20>
Cinciano, Bianco Preziano 2023. ブラン・ド・ノワールというのは、何もシャンパーニュの専売特許というわけではない。 他産地のスパークリングワインに、(シャンパーニュ方式であるかどうかに関わらず)ブラン・ド・ノワールが採用されることは昔から多々あるし、さらに近年では、もはやそもそもスパークリングですらないことも多いに増えてきた。 ブラン・ド・ノワールのスティルワインが増えた背景としては、ワインスタイルの多様化と自由化、そして地球温暖化が主な理由として考えられる。 私もそれなりの興味をもって、様々な国の様々な黒葡萄から造られたブラン・ド・ノワールを試してきたが、それらは「消極的」と「積極的」なブラン・ド・ノワールに大別することができる。 消極的、と書くと随分イメージが悪くなるかも知れないが、このタイプは基本的にシャンパーニュ方式の流れを組んでいるものとなる。

梁 世柱
2024年2月21日


出会い <54> 最強のブルゴーニュ・キラー
Jürg, Spätburgunder G.G. “Sonnenberg KT” 2019. ¥7,800 2024年に入ってから、ブルゴーニュ関連のマスタークラスを立て続けに開講していることもあり、例年以上に深く彼の地と向き合う日々が続いている。 ソムリエ駆け出し時代から、マット・クレイマー著の「ブルゴーニュが分かる」や、クライヴ・コーツMW著の「The Wines of Burgundy」といったブルゴーニュ関連の名著は、擦り切れるほど読み込んだし、ブルゴーニュが飲める試飲会には積極的に足を運び、プライヴェートでもヘソクリを絞り出して、グランクリュに手を伸ばしてきた。 私の頭の中には、自分でも不思議に思うほど膨大なクリマ名や、そのワインの特徴に関するメモリーがアーカイヴされている。 私はそもそも、物忘れが極端に激しく、カレンダーに詳細に書き込んだスケジュールやSNSでの「名前と顔の照合」を頼りに、日々をなんとか重大なトラブルなく生きているようなタイプの人間なのだが、きっとそうなってしまったのは、限られたメモリー容量を、ワイン関

梁 世柱
2024年2月18日


Wine Memo <19>
Ca di Pesa, Serafino 2021. 今年もまた2月のトスカーナにやってきた。 ニューリリースを祝うアンテプリマ展示会だ。 6日間ほど、ひたすらサンジョヴェーゼの海を泳ぎ続ける日々は実に楽しいが、なかなか辛くもある。 若いサンジョヴェーゼをテイスティングし続けるのは、実際にかなり骨が折れる。 数時間テイスティングすればもう、強い色素で完全にお歯黒状態となり、強烈な酸の刺激で舌が痺れ、分厚いタンニンが歯茎にびっしりとへばりつく。 初日の緩いレセプションを終え、今年のアンテプリマはキアンティ・クラシコからスタートした。 私はキアンティ・クラシコが大好きなのだが、少々偏った「好み」がある。 そう、カベルネ・ソーヴィニヨン、メルローなどがブレンドされたクラシコが、とにかく好きでは無いのだ。(このタイプのクラシコは、明らかに減少傾向にある。)

梁 世柱
2024年2月16日


再会 <54> 熟成ナチュラルVinho Verde
Aphros, Ten 2012. Vinho Verdeは高い長期熟成能力を有する。 その事実は、先日レポートしたSoalheiroにおける大垂直テイスティングでも、Vinho Verde特集記事後編で紹介した、Sem Igualにおける垂直テイスティングでも確認することができたが、果たしてナチュラル志向なワインの場合はどうだろうか? ナチュラルワインの長期熟成能力は、適切な(時に過剰な)亜硫酸添加によって守られたクラシックなワインよりも、ランダム性が強いことは間違いない。 低アルコール濃度で、高酸度のワインを造ることを目的とした不用意な早摘み、発酵・熟成時の不適切な管理、自然の力に対する精緻な観測を無視し、盲目的に信じ込んでいるかのような亜硫酸無添加など、「そもそも長期熟成に向いたテロワールと葡萄品種の組み合わせではない」こと以外にも、ナチュラルワインが長期熟成能力を著しく失する要素はある。 一方で、完全な調和に至ったナチュラル・ワインは、一般的なクラシック・ワインを遥かに凌駕する、圧巻の超長期熟成能力を得るのもまた事実だ

梁 世柱
2024年2月11日


出会い <53> ブルゴーニュ生まれのナチュラル「テロワール」ワイン
Domaine Dandelion, Pet’ Nat 2022. ¥5,000 今回はあえて、この言葉を極端な意味合いで使うが、私はかねてから歴史的大銘醸地における「ナチュラルワイン」に、少々懐疑的な立場をとってきた。 理由は二つ。 まず、ナチュラルワインの中でも欠陥的特徴の現出を厭わない「ワイルドナチュラル」が、葡萄畑と葡萄のもつ個性をありのままに表現したいという造り手の想いとは反し、(往々にして稚拙で極端な)醸造工程によって発生した欠陥的特徴そのものが、テロワールと呼ぶべきものを相当程度覆い隠してしまう危険性を秘めているからだ。 もちろん、テロワールの精緻な表現よりも、最終的な味わいを自身が「美味しい」と感じることを最優先とするのであれば、問題とはならない。つまり、そこに個人的な「良し悪し」という二元論を他者に押し付けること自体が、「余計なお世話」ということだ。 よって、(クラシックワインと呼ばれるものの相当数も、過度な調整と矯正によって結果的にテロワールを失していることも踏まえ)本稿の内容はあくまでも私見であり、他者の

梁 世柱
2024年2月4日
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