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ナチュラルワイン:その自由は、どこで育ったか(期間限定無料公開)
ナチュラルワインを語るとき、私たちはしばしば、クラシックワインとは別の言語を使おうとする。 エネルギーがある。 生命力がある。 揺らぎがある。 身体に馴染む。 整えすぎたワインにはない、剥き出しの説得力がある。 たしかに、そういうナチュラルワインは数多く存在する。 グラスに注いだ瞬間、産地名、格付け、熟成ポテンシャルといった言葉を一度脇へ押しやり、飲み手の感覚へ直接触れてくるワイン。 果実、酸、タンニン、アルコールといった要素へ分解される前に、一つの動きとして身体にするりと入ってくるワイン。 ナチュラルワインがワインの世界にもたらした功績の一つは、この種の感受性を、無視できないものとして差し出したことだと思う。 だが、新しい言葉が必要だったことと、新しい言葉だけでワインの価値を説明できることは違う。 ここを取り違えると、ナチュラルワインを取り巻く話は急に危うさを帯びてくる。 クラシックワインの世界では、品質はいくつかの基本条件と結びつけて考えられてきた。 どの畑か。 その畑は、本当に優れているのか。 そこに植えられた葡萄は、その土地に適しているの

梁 世柱
5月21日


ナチュラルワイン 開かれた問いと責任の所在
SNSで、とある飲食店の店主が執筆したと思われるエッセイを目にした。理路整然とした実に素晴らしい内容で、共感できる部分も非常に多くあった。 しかし、情緒、感情、対話を重視するあまり、少々危うい理論の飛躍に至っていると感じる部分も少なからず見受けられた。 エッセイの根幹部分は大変素晴らしい主張であるため、ジャーナリストとして真正面から然るべき異議を唱えつつ、理が弱いと感じる部分を補完していこうと思う。 当該エッセイの内容を、「前提」「主張」「結論」の三層に分けて要約すると、以下の通りとなる。 前提 ワインは、人間だけでなく、土壌中の微生物、酵母、気候、セラー環境など、多数の非人間的要因との相互作用のなかで生成されるにもかかわらず、一般的な品質論では「人間は技術によってワインを制御できるはずだ」という前提が置かれやすい。

梁 世柱
4月14日


再会 <65> 大ピンチを救ってくれた、思い出のワイン
La Biancara (Angiolono Maule), Sassaia 2022. ¥3,700 約12年前の年末、私は大ピンチに陥っていた。 当時NYのワイン業界では無名に等しかった私を、なぜか新プロジェクトのワインディレクターとしてヘッドハントした、今は亡き大恩師でもあるシェフ、デイヴィッド・ブーレーは、紛れもない天才中の天才だったが、いわゆる「サイコ」としても知られていた。 無理難題を突如押し付けてくるのは日常茶飯事、その荒波をなんとか乗り切りながらの仕事は、今思えば刺激的で充実したものだった。 ところが、年末が近づいてきたある日、ブーレーは私に「Mission Impossible」と思えるような超難題を放り投げてきた。 当時働いてレストランは、フレンチの要素を取り入れた高級和食店。 そして、和食店の年末年始といえば、おせち料理にも関連した難食材や料理が多く出てくる。 普段なら、そういう料理に対するペアリングは日本酒でかわしてしたのだが、ブーレーは、「子持ち昆布のお浸し」というスーパーワインキラーに対して

梁 世柱
2024年8月4日


エネルギーの螺旋 <ラドヴァン・シュマンが目指す真なる調和>
スティリア地方訪問では、オーストリア側にあるワイナリーを中心に巡ったが、一軒だけ、スロベニア側の造り手を訪ねた。(オーストリアの)シュタイヤーマルク地方は、南側の境界線が全てスロベニアとの国境に接している。 シェンゲン協定によって、すでに形だけの国境となっているため、一応関所はあるが、往来を阻まれることはない。 それでも、すでに世界的なスター産地となったシュタイヤーマルク地方と、スロベニア側のシュタイエルスカ地方の間には、あまりにも大きな格差が形成されている。 元々は一つのスティリアであった事実がまるで無かったかのように、ワインの評価や人気は大きくシュタイヤーマルクがリードしているし、国境を超えてスロベニア側に入ると急に、家屋の質も変わる。 資本主義国家と、旧社会主義国家の違いが、矢継ぎ早に目に飛び込んでくるのだ。 より包括的にスティリアを捉えるために、シュタイエルスカ地方でも取材を重ねたい思いはあったが、時間の制約上、残念ながらそれは叶わなかった。 そして、唯一訪問することができたSchumann(シュマン)も、この地方では特異中の特異な存在で

梁 世柱
2024年7月30日


出会い <64> 古代型ワインの妙
Atipico, Under the Plum Tree 2023. ¥5,800 人類最古のワインカテゴリーは何なのか。 とても興味深い疑問だが、考古学である以上、どのような見解にも頻繁に「おそらく」という枕詞がついて回る。 しかし、少なくとも白ワインが最も古いカテゴリーではない、という見解は極めて信憑性が高い。 現時点で見つかっている考古学的証拠からは、紀元前3500年頃に、最初の白ワインらしきものが現代のイランで造られ始めたと考えられている。 また、紀元前460年に、「医学の父」とも呼ばれる古代ギリシアのヒポクラテスが、白ワインを患者に処方したと記録しているため、確定に限りなく近い証拠という意味では、白ワインの最古の記述はヒポクラテスの処方記録となるだろう。

梁 世柱
2024年7月28日


感性の世界 <オーストリア・シュタイヤーマルク特集:Part.2>
私は常に、理性でワインを探究してきた。 気候、土壌、地勢、葡萄品種がもたらす影響をマトリックス化することによって、神秘のヴェールに覆われたテロワールを観測、分析可能なものとし、そこに栽培、醸造における人的要因も加え、ワインに宿った特有のアロマ、フレイヴァー、ストラクチャーの根源に理路整然とした態度で向き合ってきたのだ。 ワインに対してそのようなアプローチを取り続けた理由は、単純化すれば「理解したかったから」の一言に尽きるが、【結果には、すべて原因がある。】というガリレオ・ガリレイの言葉を、幼い頃にその出自もコンテクストも知らずにどこかで聞きかじったまま、長い間盲目的に信じ込んできたのも一因と言えるだろう。 しかし、一般的にクラシック、もしくはオーセンティックと呼ばれるカテゴリーから探究範囲を大きく広げた結果、様々な在り方のワインとの出会いを通じて、私はこの世界に理性だけでは理解することができないワインが存在していることを認めざるをえなくなった。 理性でワインを探究してきたからこそ、その限界を知ることができたとも言える。 ...

梁 世柱
2024年7月25日


美の真理 <オーストリア・シュタイヤーマルク特集:Part.1>
調和こそ美の真理であり、調和無き美は存在しない。 クラシックか、ナチュラルか。 探究を拒む人々によって二極化された世界観に興味を失ってから、随分と時が経つ。 固定された価値観の中で話をするのなら、私が探し求めているテロワール・ワインは、そのどちらでもなく、どちらでもあるからだ。 美の対は破壊であり、極端なクラシックもナチュラルも、極めて破壊的となり得るのだから、そこに美が宿らないのは必然である。 美とは理性的であると同時に、感性的でもある。 ワイン的表現をするのであれば、理性的な美とは、天地、葡萄、人の総体を意味し、感性的な美とは、極限まで純化されたエネルギーとなる。 理性的な美は、分析によって客観視することができるが、感性的な美は、極めて主観的なものだ。 だからこそ、美の真理へと到達するためには、私自身が理性的かつ感性的であらなければならない。 シュタイヤーマルク地方 オーストリアのシュタイヤーマルク地方を訪れた理由は、テロワールという美の真理を追い求めていたからに他ならない。 遠く離れた日本からの分

梁 世柱
2024年7月1日


Karakterre 13
オーストリアの首都ウィーンにて、2年に一度開催される大展示会VieVinumに参加する前日、ウィーンから車で1時間ほどのアイゼンシュタットまで足を運び、Karakterreという別の展示会に参加した。 日本での知名度はほとんど無いが、Karakterreは中央〜東ヨーロッパの国々、そしてオーガニック、ビオディナミ、ナチュラルというカテゴリーに属するワイナリーにフォーカスした極めてユニークな展示会として知られている。 2011年にスタートしたKarakterreは、アイゼンシュタットで開催され続けてきたが、2022年にはNew Yorkへと初上陸し、伝統あるロックフェラーセンターにて開催された。 第13度目のKarkterreとなる今回は2日間のイベントとなり、初日と2日目で出展者が総入れ替えされるという仕組み。 非常に残念なことに、スケジュールの都合上、2日目しか参加できなかったが、オーストリア、ドイツ、スロベニア以外の国々に焦点を当てて、テイスティングを繰り返した。 1,000名近い参加者で溢れ返る会場の熱気に包まれながら、充実した取材を行うこ

梁 世柱
2024年6月12日


出会い <60> 魅惑のソレラ
Ktima Ligas, Spira NV. テロワールと葡萄品種の相性は、高品質ワインにとって最も重要な条件だが、唯一無二の絶対的なもの、というわけでもない。 例えテロワールが(最高の産地と比較して)劣っていても、スタイル的に品質が頭打ちになりやすいタイプのものでも、創意工夫次第では限界突破を果たせることが、確かにある。 とはいえ、非常に稀なケースではあるため、工夫すれば良い、というシンプルなものでもないのが難しいところ。 今回出会ったワインは、ギリシャのPellaという産地で造られている。 おそらく、Pellaのことを知っている人は、ギリシャ在住者でもない限り、ほとんどいないと思う(私も同様)が、ギリシャ第二の都市であるテッサロニキから近く、南隣は高名なNaoussaと書けば、少しはイメージが湧くだろうか。

梁 世柱
2024年5月19日


RAW WINE Tokyo 2024
2024年5月12日と13日、東京にて、ナチュラルワイン・ファンが長年待ち焦がれたイヴェントが初開催された。 名著として知られる「自然派ワイン入門」(訳:清水玲奈)の著者、イザベル・ルジュロンMWが主催するRAW WINEは、この分野における最も重要な展示会の一つであり、近年は世界各地で開催されてきたが、世界最大級のナチュラルワイン市場である日本にはなかなか上陸してこなかったのだ。 クリーン・ナチュラルからワイルド・ナチュラルまで、あらゆるスタイルのナチュラル・ワインをテイスティングしつつ、数多くの造り手(RAW WINE Tokyo 2024には、世界各地から約100の作り手が集結した。)と直接話ができるこの様な展示会が日本で開催されたことに、一人のナチュラルワイン・ファンとして、これ以上ない喜びと興奮を覚えた。 溢れんばかりの熱気に包まれた、超満員の会場。 日本各地からの来場者に加え、台湾、韓国、シンガポール、インドネシアなどから、RAW WINE Tokyo 2024のために来日した人々も多くいた。 まともに歩くのも困難

梁 世柱
2024年5月15日


ナチュラルワイン・ペアリング <5>
「欠陥的特徴」とも呼ばれるナチュラルワインに散見される風味を、あえてポジティヴに捉え、積極的にペアリングで用いていく方法を検証していく当シリーズ。 最終回となる今回は、「ネズミ臭」をテーマとして考えていくが、実はネズミ臭だけはポジティヴなペアリングを展開することが非常に難しい。 よって、ネズミ臭に関しては、ペアリング要素としての積極的な使用法ではなく、いかに発現を抑えるかについて検証していく。 ネズミ臭は、発酵中、もしくは熟成中のワインが、過剰に酸素にさらされたときに起こると考えられている、細菌汚染の一種。現時点での研究では、乳酸菌が主因である可能性が高いとされているが、酵母菌のブレタノマイセスとの関連を指摘する研究結果も報告されている。

梁 世柱
2023年7月15日


ナチュラルワイン・ペアリング <3>
「欠陥的特徴」とも呼ばれるナチュラルワインに散見される風味を、あえてポジティヴに捉え、積極的にペアリングで用いていく方法を検証していく当シリーズ。 今回は、「還元臭」をテーマとして考えていく。 還元臭は、ワインが嫌気的環境に晒された時、及び発酵中のワインに窒素が欠貧した際などに発生する。軽度の場合は、火打ち石の様な香りを発し、欠陥とはされず、クラシック・ワインの中にこの香りが出ているワインは多々存在している。重度の場合は、亜硫酸の揮発に由来する茹で卵を思わせる硫黄臭(白ワインで特に顕著)や、チオールに由来する焼けたゴムの様な強烈な香り(赤ワインとオレンジワインで特に顕著)が生じる。 デキャンティングやスワリング等の手段で、ワインを空気に触れさせると、不快臭を揮発させることも可能ではあるが、現実的な範囲の時間内で改善するとは限らない。また熟成によって、還元的特徴が潜むことがあるが、逆により強まってしまうケースもあるため、確実な予測を立てた対処は非常に難しい。 還元臭はシンプルに「アロマ」の一種であるため、ペアリングにおけるポジティヴな利用方法は、「

梁 世柱
2023年6月8日


ナチュラルワイン・ペアリング <1>
より精密で完成度の高いペアリングを目指す場合、ペアリング理論に基づいた構築は大きな助けとなる。少なくとも、ロジックをしっかり守ることによって、ペアリングの失敗は非常に高い可能性で防げるようになるのだ。 しかし、その強固なロジックを、相当程度無視できるタイプのワインが存在している。 そう、いわゆるナチュラル・ワインと呼ばれるものだ。 ナチュラルワイン・ペアリングのシリーズでは、ナチュラルワインだからこそできる、特殊なペアリング方法に関して、検証を行なっていく。 まず注目したいのは、ナチュラルワイン特有の「浸透力」に関して。 ナチュラルワインが有する「浸透力」を、科学的に証明することは難しいかも知れないが、実際に確認できる物理的現象として、存在している可能性は高いと考えられる。

梁 世柱
2023年4月25日


祝福の鐘は、葡萄畑から鳴り響く <オーストラリア・クラフト・ワイン特集:後編>
過ちを正すのは難しいことではない。だが、正したことを理解してもらえるかは、全く別の問題だ。「他人の不幸は蜜の味」という底知れぬ悪意は、カソリック教会における「七つの罪源」や、ダンテの叙事詩「神曲」などにおいて、人を罪へと導くものとして常に描かれてきたように、残念ながら、人という種にとって、極めて自然発生的なものだ。だからこそ、消し去りたい過去ほど、他者によって消えない烙印のように刻まれてしまう。だからこそ、「農」のワインであれば許されたはずの失敗は、「人」のワインであったが故に、許しを得る可能性が著しく制限されてしまった。 だが、それで良いのだろうか。失敗した人間の成長を認められないほど、人の心に善と許しは無いのだろうか。 決して違う、と私は信じていたい。 悪意ではなく、善意でもって、受け止めて欲しい。 オーストラリアの、自然を愛する造り手たちの想いと、結果に対する責任を。 矛盾からのそれぞれの脱出 極端な醸造的欠陥が生じたワインは、テロワールを表現する能力を失う。葡萄畑のありのままの自然な姿を表現しようという想いが暴走し、そのための手段を決定的

梁 世柱
2022年1月31日


その憂いが、世界を変えた <ボジョレー特集後編>
愛するものに、自らの理想像を押し付ける。厄介極まりないヒトの性に、筆者もまた囚われている。ありのままを受け入れたいと建前を言い放ちながらも、本音では自らが受け入れられる折衷点を常に探っている。それは結局のところ、部分的にでも理想を押し付けていることと何ら変わらないことと知りながら。筆者のような妄執に囚われたものが、そこから抜け出し、冷静かつ公正でいるためには、指針が必要だ。動かざる指針が。サステイナブル社会が問う「造る意味」と「造る責任」。ワインにおいて、造る意味の大部分は「テロワールの表現」に宿る。そして、造る責任は「無駄にしないこと」に集約される。それらは確かに、私にとっては動かざる指針だ。今一度、自らを縛り付ける頑なな情熱と向き合ってみよう。手にした二つの指針を頼りに。 非常に古い時代の姿をそのままに残す、ボジョレーの古樹 ジュール・ショヴェの系譜 『ボジョレーとは、香りのワインである。』 第二次世界大戦後に、化学肥料と化学合成農薬の助けを得て大幅に高収量化した代償として、潜在的な脆弱性を抱えてしまったボジョレーの葡萄は、過度の補糖や亜硫酸

梁 世柱
2021年9月25日


ロマンスとエゴイズム <ナチュラル・ワイン特集:最終章>
ワインはその長い歴史の中で、存在価値を少しずつ変化させてきた。有史以前から造られていたと考えられるワインは、コーカサス地方からカナンを経由して古代エジプトへと渡り、ファラオが来世へと行くための供物として献上され、古代ギリシャ時代にはディオニュソスを「豊穣とワインと酩酊の神」とし、エタノール(古代ギリシャ語の“エーテル(天空)”が語源とされる)による意識の変化(酩酊)は神との繋がりをもたらすと考えられるようになった。古代ローマ時代には、ディオニュソスへの崇拝は、「ワインの神」とされたバッカスへと受け継がれ、後の聖書時代においても、ユダヤ人の間で儀式的な価値が伝えられていたワインは、イェス・キリストの登場と最後の晩餐において「キリストの血」としての決定的な宗教的意味を得たことによって、その象徴性が極地に達することとなる。その後、カソリック教会でミサを祝うために必要なワインを確保するために、ベネディクト会やシトー会といった修道会がワイン造りの中心を担うようになり、15世紀になってようやく、ヨーロッパ全土で世俗的な飲用が可能になるほどの産業へと発展した。

梁 世柱
2021年6月26日


SDGs:全方位型サスティナビリティとワイン <ナチュラル・ワイン特集:第三章>
50年後も、100年後も、200年後も、この素晴らしいワインという飲み物と、ワインを彩る美しい文化が続いていくこと。それを心から願うのは、ワインに人生を捧げてきた一人の人間として、当然のことだ。しかし我々人類が、その文化を紡いでいくための、極めて重大なターニングポイントに来ていることに、まだ多くの人が気付いていない。

梁 世柱
2021年6月12日


アンチ・サスティナブル <ナチュラル・ワイン特集:第二章>
無駄にしないこと。世界的なサスティナビリティの推進によって、限りある資源を無意味にする行為は、強く非難を浴びる対象となっている。飲食の世界においても、「フードロス問題」がキーワードとなり、数多くの先進的なレストランや食料品販売店で、対策が進んでいる。しかし、ワインにおける「無駄」はあまり議論されていないのでは無いだろうか。生活必需品である食料に比べて、嗜好品であるワインの「無駄」は、遥かに悪質と言えるのにも関わらずだ。

梁 世柱
2021年5月26日


ナチュラル・ワインという偶像 <ナチュラル・ワイン特集:序章>
ナチュラル・ワインは偶像と成り果てたのだろうか。原理主義の信奉者が押し付けた「らしさ」は、いつしか厳格なレシピと化し、人と自然の共生関係を再構築するというナチュラル・ワインの本懐は、重要視されなくなっていった。偶像としてのナチュラル・ワインと、その本来の在り方の間に、決定的...

梁 世柱
2021年5月11日


ナチュラルワイン嫌いな方へ
これは、アンチ・ナチュラルワイン派だった私の考え方が変わるきっかけになったお話です。

SommeTimes特別寄稿
2021年1月12日
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