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揺れ動くヒエラルキー <Alsace Grand Cru特集:Part.1>

フランスとドイツの国境に位置するアルザス地方は、私にとっては特別な場所だ。


ワインを学び始めた時、当時はまだまだフランスワインが世界のスタンダードであったため、私も例外なくフランスからスタートした。


しかし、何かとすぐに脇道へ逸れたがる性格故か、最初に私が興味をもったのは、ブルゴーニュでもボルドーでもシャンパーニュでもなく、アルザスだったのだ。


そう、私のワイン人としての歩みは、アルザスと共に始まったと言っても良い。


初めて激しく心を揺さぶられた「グラン・ヴァン」も、アルザスのワイン(Marcel DeissのSchoenenbourg)だった。




Alsace

何が私をアルザスへと導いたのか、あまり記憶が定かではないが、おそらくその「歴史的背景」がそうさせたのだろう。


アルザスの歴史を辿ると、いかにこの地が権力者たちの争いに、深く、そして理不尽に巻き込まれてきたかが分かる。


西暦870年に、東フランク王国(後に神聖ローマ帝国、ドイツ帝国、現在のドイツへと繋がる一大国家)の一部となったアルザスは、最後にして最大の宗教戦争と呼ばれた「三十年戦争」終結後の1648年にフランスへと割譲されるまで、約800年近くの間、色濃くドイツ系文化の影響を受けていた地方だった。


その後、1870~71年に勃発した「プロイセン=フランス戦争」でフランスが敗北し、アルザスがドイツ帝国の一部となるまで、200年以上(*)もの間、アルザスの「フランス化」が行われたが、その結果ドイツ人でもフランス人でもない、「アルザス人」を生み出すこととなった。


(*)1714年に終結したスペイン継承戦争以降が、実質的にフランス領となったタイミング、つまりアルザスのフランス化は約140年間とする考えもある


1914~18年の第一次世界大戦の後、1919年に一度フランスへと返還されたが、1940年にはナチス・ドイツが再び(正式な条約や協定無く、つまり不法に)アルザスを併合した。


第二次世界大戦終結後、正式なフランス領となったが、両国の間を行き来し続けたアルザスは、もはやフランスでもドイツでも無い、アルザスそのものとして残った。



異国の中の故郷。曖昧に見えて、確かにそこにある。そんなアルザスの性質は、私自身の出自やアイデンティティともリンクする部分が多い。


だからこそ、若かりし頃の、アイデンティティ喪失の瀬戸際にあった私は、アルザスという地に惹かれたのだと思う。




Alsace Grand Cru

歴史と戦禍の渦に巻き込まれ続けながらも、ワイン産地として、フランス屈指の銘醸地たる力を着実に高めてきたアルザス。


そんなアルザスにも、ヒエラルキーの頂点たる「グラン・クリュ」が存在していることを知る人は多いだろう。


だが、アルザス・グラン・クリュの真実を知る人は、その10分の1にも満たないかも知れない。


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