日本ワインに明るい未来はあるのか。
その問いへの答えを探るには、何をもって「明るい未来」と考えるかを明確にしておく必要がある。
日本ワインが、現在の在り方の延長線上、つまり日本国内消費量が極端に多い状況で発展していくだけなのであれば、その未来は明るいと言えるのかもしれない。
地産地消の流れがますます加速し、まだ産声を上げたばかりの産地にも第二、第三世代が現れれば、文化が徐々に形成され、地域に根付いていく。
日本人らしい丁寧な「モノづくり」を続けている限りは、安泰と言っても基本的には差し支えないだろう。
一方で、世界の中での立ち位置を基準に考えた場合、現状のまま日本ワインが「明るい未来」を迎える可能性は、絶望的に低い。
そしてその理由は、ワインそのものの品質や個性では決してない。
今、突破不可能とすら思えるようなサスティナビリティという巨大な壁が、日本ワイン産業の目前にまで差し迫っていることに気付いている消費者やプロフェッショナルは、非常に少ない。
そう、現在世界中のワイン産地が最重要視していることが、何よりも日本では難しいのだ。
そしてその事実が今よりも遥かに重く問題視される時代が、必ずやってくる。
その上で、日本ワインはこのままガラパゴス化し続けるのか、それとも世界に率先して、難しいテロワールへの挑戦とサスティナビリティを両立させていくのか。
我々は今、考えるべきだ。考えて、考えて、考え抜いて、どう行動していくのか、何を大切にしていくのか、何を支持していくのか、各々の意思で、決めていく必要があるのではないだろうか。
少なくとも私自身は、もう人類は「環境破壊を前提とした美味しさ」という価値を手放すべきだと考えている。だからこそ、最も大切なことをおざなりにして無闇に賞賛するなど、私にとってはただの無責任でしかないのだ。
そこで造ることの意味
世界各地で深刻化する気候変動。ある場所では異常な旱魃を引き起こし、ある場所では数ヶ月分の雨をたった数時間の間に降らせ、ある場所では大規模な山火事が毎年のように発生する。気候変動は、より豊かな生活を送るために人類が費やしてきた様々な努力を、いとも簡単に破壊してしまう。
本質的には農業であるワイン造りもまた、方法次第では、地球環境にとって破滅的な存在となってしまう。温暖で適度に乾燥した地域では、(大量生産のために)化学合成肥料の大量施肥でもしない限りは基本的に環境負荷が低いが、湿潤地である日本ではそうもいかない。
残酷だが、「難しい」という主張は、破壊された環境という結果からみれば、言い訳やエゴにしかならないのだ。
サスティナビリティを重要視する社会の中で、生活必需品ではないワインという嗜好品を、環境に強い負荷をかけながら造ることは、やがて「無意味」と切り捨てられる可能性すら高い。そして、その未来が差し迫っているのであれば、日本ワインは「価値」を高めることにもっと真剣になるべきではないのだろうか。