突き進むものたち <長野・千曲川ワインヴァレー特集 第1章>

梁世柱は日本ワインに冷たい。


散々言われてきたことだ。


確かに私自身もそれを否定できないという自覚をはっきりともっているが、そこには明確な理由が常にあったのもまた事実だ。


日本で造られたワインが、海外の(特にヨーロッパの)ワインに対するオマージュイミテーションである限り、私はその元となったワインと同じ評価基準で日本ワインを評価するしか選択肢が無くなる


その評価基準とは、ヨーロッパの古典的価値観に基づいた品質評価、そしてその品質とワインに付けられた価格のバランスだ。


そもそも日本のテロワールに適合してるとは、ヨーロッパの基準で見れば到底言い難い外来種の葡萄を、極限の献身と、深い知恵でもって育てても、適地適品種という残酷なほど強大な壁にぶつかることは避けられない。当然、そこまで辿り着くための献身や知恵にも、多大なコストがかかる。


その結果、同程度、もしくはそれ以上の品質評価ができる海外産のワインが、日本ワインの半額以下で、「輸入品」として手に入ってしまう、という絶望的な状況から抜け出せくなってしまう。


私が多くの日本ワインに対して辛辣な態度を取り続けてきたのは、偏見でも、意地悪でも、西洋かぶれでも、反愛国主義的思想でも決してなく、日本ワインの「在り方」が私にもたらしてきた選択肢の少なさ故のことだ。


しかし、筆者の考えが180度ひっくり返るような時代がついに到来した。


そう、ヨーロッパの銘醸ワインに追いつけ追い越せと奮闘してきた日本ワインが真に勝利を勝ち取る前に、「競争」という概念そのものの価値が、世界的に失墜したのだ。


競わなくて良い、個性を大事にすれば良い、自分らしくあれば良い。


多様性の時代とも呼ばれる現代は、(特に品質面においては)手放しで歓迎するには少々の危うさももちあわせてはいるものの、圧倒的不利というスタートラインから必死に抗ってきた日本ワインにとっては、まさに「肩の荷が降りる」変化と言えるだろう。


私は、日本ワインにしても日本酒にしても、「西洋コンプレックス」からの脱却こそが、進化への最短ルートと、ことあるごとに主張してきたが、それも全て、やがてこの東洋の最果てに浮かぶ小さな島国をも覆い尽くすであろう「多様性の尊重」という大波の中で、母国の同志達がありったけの夢と情熱を注いでつくり上げたものが、さらに強い輝きを放つようになってほしいと心から願ってきたからだ。




千曲川ワインヴァレー

日本のワイン産業に、着実に芽吹き始めた多様性。そして、その多様性に基づいた進化が最も顕著に見受けられる産地こそが、私が今回訪れた長野県の千曲川ワインヴァレーだ。


千曲川ワインヴァレー(正式表記はワインバレー)は、長野県が策定した「信州ワインバレー構想」で誕生した4つのワインヴァレーの1 つ(その他は、桔梗ヶ原、日本アルプス、天竜川)で、ワイナリーはヴァレー内の各地に点在しているものの、中心部は東御(とうみ)市、小諸(こもろ)市、上田市にある。


千曲川周辺エリアは、2015年に広域のワイン特区「千曲川ワインバレー(東地区)特区」として認定されたことから、酒税法が定める最低製造数量が6,000ℓから2,000ℓへと緩和され、小規模ワイナリーの参入が加速した。


さらに、日本のワイン産地の中では年間平均降水量が約980mmと少なく、90%という高い晴天率や、年間2,100時間ほどの日照時間、やや水はけの良い土壌、耕作放棄地や未開墾地の多さ、長野県による様々な就農誘致政策、そして、この地のパイオニアであるヴィラデスト・ワイナリーを牽引する玉村豊男さんが代表を務める「日本ワイン農業研究所」が開講した栽培醸造経営講座「千曲川ワインアカデミー」や、委託醸造を引き受ける同社のワイナリー施設「アルカンヴィーニュ」の存在などの好条件が揃った千曲川ワインヴァレーは、他産地と比べても、新規参入のハードルがかなり低い


そして何よりも、千曲川ワインヴァレーには、「自由と個性を尊重する」イデオロギーが、色濃く立ち現れているように感じてきた。

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