本質を知ることを怠ると、自分にとって都合の良い形で理解してしまいがちだ。こういった曲解は、作品という結果を純然に楽しむだけの消費者であれば問題にはならないが、その価値を伝える役割と責任を担う「伝え手」にとっては、重大な過失に繋がり得る深刻な怠慢だ。
知らないなら語らない。しかし、伝え手が本来守るべき約束事は、破られることが常。
私は新政を、いや、新生した新政を良く知らなかったから、語ることは避けてきた。しかし、他の有識者らしき人たちによって切り取られ、植え付けられてきた筆者の新生新政に対する断片的な認識は、その本質にいよいよ触れたとき、何もかもが間違っていたと断じざるを得ないものだった。
筆者が21歳の時、ニューヨーク・マンハッタンで職を得た「酒蔵」という巨大な日本酒バーには、旧新政が常備されていた。刈穂、飛良泉、紅まんさく、雪の茅舎といった銘酒どころ秋田の佳酒が並ぶ中、旧新政は際立って地味な酒だった。売れ行きも芳しくなく、スタッフの誰かが抜栓しては他のスタッフに迷惑がられ、抜栓後の日数が経過し過ぎないギリギリのタイミングで急いで売り切る、というサイクルが繰り返されていた記憶がある。
20代前半の私には、旧新政のクラシックな魅力が、全く理解できなかったのだ。
新政に対しては、決して良いとは言えないイメージを引きずったまま時が流れていったが、2007年に八代目蔵元の佐藤祐輔が新政酒造に帰還して以降、急激に様子が変わったのを、少し離れたところから観察するようにはなっていた。
そして、この「少し離れた」距離感は、筆者が新生新政の本質を知ろうとする動機をことごとく奪ってきたとも言える。今となっては実にもったいないことをしていたと、後悔の念は深いが、ようやく知ることによって得た無上の喜びは、苦々しい思いを悠々と消し去るほどのインパクトを伴っていた。
おそらく、非常に多くの方々が新生新政に対して抱いているイメージはこうだろう。
・プレゼンテーションがおしゃれ
・面白い名前のお酒が多い
・アーティストとも積極的にコラボレーションしている
・入手困難で、プレミアム価格になっている
少し専門的な話もわかる人なら、日本酒では通常は用いない白麹(一般的には焼酎用、日本酒は黄麹が基本)を使った、酸味の強いヨーグルト的な味わいの、ちょっと変わった亜麻猫という日本酒を作っている蔵、といったイメージをもっている人が多いだろう。
筆者は、抜栓後の異常な持続力にも興味の目を向けてはいたものの、全体としては、多くの人々と大差ないイメージを、新生新政に対して抱いてきたと言える。
一度、佐藤祐輔帰還後に新政酒造が行ってきた改革を辿っておこう。
2007年:八代目蔵元、佐藤祐輔帰還
2009年:100%秋田産米使用への転換を宣言
2010年:新政酒造発祥である6号酵母のみの使用を宣言
2012年:醸造アルコール添加の完全廃止を宣言
同年:佐藤祐輔、社長就任
2013年:原料米の大部分を契約栽培に移行
同年:木桶の導入(2022年現在45本を保有)
2014年:山廃造りの完全廃止、100%生モトへ移行
2016年:自社圃場での栽培開始
2018年:自社圃場の無農薬化に成功
2019年:全量蓋麹化
2020年:放冷機等を撤廃
これら一連の改革には、一つの極めて重要なテーマ、そして新生新政が標榜する酒造りの本質そのものが常に込められてきた。