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再会 <106> 躍動するフルミント
Anita & Hans Nittnaus, Furmint Ried Tannenberg 2024. 葡萄の越境を考えるとき、私たちはたいてい、一つのわかりやすい物語を想像する。
有名産地の葡萄が、まだ名の知られていない土地へ渡っていく。
マイナーな産地が、メジャーな産地の言語を借りる。
シャルドネを植えればブルゴーニュの旋律が鳴り、カベルネを植えれば、どこかボルドーめいた低音が響く。
もちろん、現実はもう少し複雑だが、ワインの入口に立つ人々を引き寄せるには、それだけで十分なわかりやすさを持っている。 しかし、その逆は、あまり想定されない。
つまり、名高い土地の葡萄が無名の土地へ渡るのではなく、周縁に置かれていた葡萄が、いま注目される産地へ入り込み、その土地の新しい表現を作り始めるという動きである。
しかもそれは、単なる移植ではない。
かつて国境の両側にあった記憶を、現在のワインとして読み直す行為でもある。

梁 世柱
3 日前


ワイナリー訪問記 <2> Prager, in Wachau Austria
アポイントまで少し時間が空いたので、適当にサンドウィッチを頬張ったあと、ドナウ川のほとりにあったベンチに寝転がった。 空は大きく、川は静かだった。 観光客の声も、車の音も、ここではずいぶん薄まっていく。 自分がここへ何をしに来たのかさえ、一瞬だけ曖昧になる。 出所のわからない感傷があった。 旅の疲れかもしれない。 午前中に終えた訪問の余韻かもしれない。 あるいは、Wachauという土地が持つ長い時間に、こちらの境目が少し溶け出していたのかもしれない。 川面に砕けた光が、水晶の欠片のように輝いていた。 この日訪れたのは、Wachauを代表する名ワイナリーの一つ、Pragerである。

梁 世柱
5月26日


出会い <104> オーストリアの本命ピノ・ノワール
Landauer-Gisperg, Pinot Noir Ried Schönkirchen 2021. 聖地ブルゴーニュがあまりにも高騰した現在、オールドワールドの「妙」を諦めきれない愛好家たちは、ヨーロッパ中でピノ・ノワールの捜索願を出している。 もちろん、これは優雅な旅ではない。 赤い果実が華やかに香り、酸が細く長く伸び、タンニンが絹のようにほどけ、なおかつ値札を見て軽い目眩で済むワインを探す。 それは、現代ワイン愛好家に課された新たな巡礼である。 現時点で、「目的地」の筆頭として名が挙がることが多いのは、やはりドイツだろう。

梁 世柱
5月17日


ワイナリー訪問記 <1> Martin & Melanie Muthenthaler in Wachau, Austria.
これまで、ワイナリーを訪問した際のレポートは、各産地の特集記事に組み込む形で公開してきましたが、今回から、(特にすでに特集記事を組んだことがある産地に関しては)レビューカテゴリーの中で「ワイナリー訪問記」として分離します。 産地を知ることは、地図を広げて俯瞰する仕事である。 一方で、ワイナリー訪問は、地図に足を置く仕事だ。 同じWachauと書かれていても、Loibenの光とSpitzer Grabenの冷気は違う。 同じRieslingと書かれていても、ドナウ川のほとりで育つものと、森へ向かって谷が細くなっていく場所で育つものでは、背筋の伸び方が違う。 その真理を五感で知るために、私は時に不便なところでも、迷いなく足を運ぶ。 車を運転しない私は、海外でワイナリーを訪問する際も、可能な限り公共交通機関で移動する。 ワイン産地において、車を持たない人間は、ときどき文明の外側に置かれる。 タクシーは走っていない。バスは来ない。電車は、こちらの都合など当然知らない。 それでも私は、この不便さをそこまで嫌っていない。 便利すぎる移動は、土地を素早く通過さ

梁 世柱
5月15日


赤の地図 <オーストリア・ブルゲンラント特集:後編>
白ワインの国として語られるオーストリアに、赤ワインの側から異議を申し立てる。 そう書くと、いかにも挑発的に聞こえるかもしれない。 しかし本来、これは奇をてらった反論ではない。 ただ、見落とされてきたものを、見落とされたままにしておかないという、ごく当然の抵抗である。 ワインにおいて地名は、決してラベルの上に置かれた装飾ではない。 そこには、目には見えない風の回廊があり、日光が紡いだ金糸があり、丘陵のうねりが刻むリズムがあり、大地の熱狂と沈黙があり、そして何世代にもわたってそこで暮らし、葡萄を育て、ワインを造ってきた人々の記憶がある。 だからこそ、地名は重い。 問題は、その重さを丁寧に読み解こうとしないまま、都合の良い記号として乱暴に使う態度にある。 有名な地名には、説明を省略してもらう。 聞き慣れない地名には、理解を後回しにする。 それでいて、自分の舌は十分に公平だと信じていられるのだから、ワインの世界における教養とは、ときにずいぶん寛大な衣装である。 だが、土地は人間の怠慢を上品に包み直してはくれない。 葡萄は名声の序列に従って熟すわけではなく

梁 世柱
4月27日


SommeTimes’ Académie <102>(イタリア・トスカーナ州: Part.3)
一歩進んだ基礎の学び、をテーマとするのがSommeTimes’ Académieシリーズ。初心者から中級者までを対象としています。今回はイタリア・トスカーナ州について学んでいきます。 イタリアを代表する銘醸地の一つであるトスカーナ州は、イタリアで最も偉大な黒葡萄の一つであるサンジョヴェーゼを主力にしつつ、国際品種やその他の地品種でも多大なる成功を収めてきました。 また、オーガニック/サスティナブルへの取り組みも、イタリアで先陣を切っており、イタリアワイン産業のリーダーとして、力強く歩んでいます。 トスカーナ州編第3回では、トスカーナ州の中でも三大サンジョヴェーゼ銘醸地の一つとされる、Brunello di Montalcino D.O.C.G.に関して学んで行きます。

梁 世柱
2025年8月1日


出会い <81> 新世代のブラウフレンキッシュ
Gober&Freinbichler, Blaufränkisch Horitshon 2020. 私がオーストリアワインを学び始めた約20年前、彼の国を代表する偉大な黒葡萄であるブラウフレンキッシュは、どのテキストをみても「エレガント」な味わいであると表現されていた。 違和感があった。 興味をもって、色々とテイスティングしてみていたのだが、どのワインもどちらかというとカベルネ・ソーヴィニヨン的な性質で、エレガントという表現に結びつけられるピノ・ノワール感を、ほとんど感じることができなかった。

梁 世柱
2025年5月5日


出会い <71> もう一つの大銘醸地
Prieler, Ried Steinweingarten 2022. ピノ・ブランは「偉大なワイン」となれるのだろうか。 おそらく、100人のワイン好きに訊ねても、Yesと答える人は1人いるかいないか、だろう。 それもそのはず。 そもそも、ピノ・ファミリーの中では圧倒的にピノ・ノワールの知名度と人気が高く、ピノ・ブランは実質的に、ピノ・ノワールの劣化版亜種のような扱いを受けている。 さらに、ピノ・ブランが一般的に最も良く知られている産地は、フランスのアルザス地方だと思うが、そのアルザスにおいても、ピノ・ブランは主役の座からは程遠く、高貴品種には同じピノ・ファミリーであるピノ・グリが名を連ねている。

梁 世柱
2024年11月4日


出会い <70> ノーマークだった、極上シャルドネ
Markus Altenburger, Ried Jungenberg Chardonnay 2022. 完全にノーマークだった産地と葡萄品種の組み合わせに、心底驚かされることが時々ある。 そのような発見は、ワインを広く深く探究していくことの、最大の醍醐味の一つだ。 今回の「出会い」ワインは、オーストリア・ブルゲンラント州で、ブラウフレンキッシュやツヴァイゲルトを集中的にテイスティングする最中で出会った、驚異的なシャルドネ。 このシャルドネが育まれたのは、Leithaberg DAC内の小地区であるJois(ヨイス)。ノイジードル湖の北端から北、ライタ山脈の麓に広がる、Leithaberg最東端のエリアだ。

梁 世柱
2024年10月20日


黒の楽園 <オーストリア・ブルゲンラント特集:前編>
ワイン産出国としてのオーストリアを象徴しているのは、グリューナー=ヴェルトリーナーとリースリングをダブル主役とする、圧倒的な品質領域にある白ワインの数々。 そこに異論があるわけではないが、相対的に赤ワインが過小評価されている点に関しては、納得がいかない。 ブラウフレンキッシュ、サンクト・ラウレント、そしてツヴァイゲルト。 オーストリア三大黒葡萄の全て、とまでは言わないが、少なくとも最上の例に関しては、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルなどの象徴的な黒葡萄と比べても、遜色する点など全く見当たらないからだ。 つまり、それらの主産地であるブルゲンラント州は、ボルドー、ブルゴーニュ、ローヌ、ピエモンテ、トスカーナ、リオハ、リベラ・デル・デュエロ、ドウロなどと、本来なら並び称されるべき産地であると、私個人の意見をここに強く記しておこう。 私自身、ブルゲンラント州の赤ワインとは、随分と長い間向き合ってきた。 調和に満ちたブラウフレンキッシュ、エネルギッシュなサンクト・ラウレント、変幻自在なツヴァイゲルト。 魅力の在りどころは異なっていても、どれも品質と

梁 世柱
2024年10月17日


問われる真価 <オーストリア・カンプタール特集>
オーストリアを象徴する葡萄品種といえば、グリューナー=ヴェルトリーナーとリースリング。 ブラウフレンキッシュやツヴァイゲルトなど、同国には偉大な黒葡萄も存在しているが、一般的なレベルでのオーストリアワインへの理解という意味においては、間違いなく白葡萄の両巨頭に軍牌が上がる。 そして、その白葡萄を象徴する産地は、Wachauである。 むしろ、Wachau一択、としても過言では無いほど、彼の地の総合力は他を圧倒してきたと考えられている。 だが果たして、本当にそうなのだろうか。 本当に、Wachauが唯一無二の絶対王者なのだろうか。 それを確かめるには、もう一つの産地を深く理解する必要がある。 Wachau最大のライバル候補、Kamptalだ。 Kamptal Wachauの東端からKremstalを挟んで、ランゲンロイスの街を中心に、ドナウ川に合流する直前のカンプ川流域に広がっているのがKamptal。 葡萄畑はカンプ川北部(左岸)の南向き急斜面(一部はテラス状)と、川により近いなだらかな平地エリアに集中している。また、Wachauと同様に、東側のパ

梁 世柱
2024年10月4日


その畑には、奇跡が宿る <オーストリア・ヴァッハウ特集後編>
格付けは、旧時代の遺物なのかも知れない。 多様性の尊重が声高に叫ばれるようになってから、その思いが私の脳裏から離れなくなった。 確かに、時代は順位を、優劣を、忌避している。 他者よりも優れていることが絶対的な価値では無い。 ありのままの個性を磨けば良い。 そもそも、その順位や優劣は、誰がどの価値観に基づいて決めたのか。 まるで呪いのように繰り返されるそれらの言葉に抗うのは、実に骨が折れることだ。 実際、テロワールが導き出す優劣は、この上なく残酷なものである。 複雑性と調和が格を決める。そこに個性が認められる余地はあったとしても、最終的な価値判断は、厳格なリアルとして佇む。 生産者の常軌を逸した努力によって、ワンランク上のテロワールへと到達できることは稀にあったとしても、最低ランクの葡萄畑が、特級畑クラスへと昇華するような奇跡は起こらない。 やはり、前時代的ではあるのだろう。 だが、私は頑固者だ。 勝ち負けの無くなったスポーツになど、全く興味はない。 美味い料理は美味いし、そうではない料理の中には、不味いものもある。 全てを個性と多様性の名の元に許

梁 世柱
2024年9月20日


特異点の完全性 <オーストリア・ヴァッハウ特集前編>
オーストリアで、総合的に最も優れた産地はどこか。 いくら捻くれた性格の私でも、その問いに対しては、一瞬のためらいもなくWachau(ヴァッハウ)と答える。 テロワールの質と好適品種として根付いた葡萄の極まった相性、品質の最高地点と最低地点の平均値、逸脱して優れた造り手の数、オーガニック比率の高さ。 どれをとっても超一級であり、白ワイン以外ほとんど造られていない、ということが弱点にすらならないほど、ヴァッハウの特異性は限界突破している。 それでも私は、日常的にヴァッハウを飲むことはほとんどない。 「不完全なものにこそ、人間性を感じる。」という、私の「人」としての在り方が、ヴァッハウの完全性とは本質的に相容れないからだ。 ヴァッハウを飲む、という行為は、私にとっては美術館で人類史に残るほど優れたアートを鑑賞するに等しく、実に非日常的な行動である。 同じような理由が、ブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュ、モーゼル、ラインガウなどにも当てはまるように思われるかも知れないが、そうではない。

梁 世柱
2024年8月30日


出会い <66> 聖地のニュースター
Daniel Jaunegg, Sauvignon Blanc “Muri” 2021. 近年の日本における学校教育の実態を聞いて、私は開いた口が塞がらなくなった。 どうやら子供達に、徹底的に「競争」を避けさせている学校が数多くあるらしいのだ。 勝者と敗者を同時に生む競争の弊害に関しては、理解できる部分ももちろんある。しかし、運動会の徒競走で順位を決めないなどは、正直あまりにも極端に思えてならない。 切磋琢磨、という言葉はもはや死語なのだろうか。 そういう私自身も、旧時代の遺物として揶揄されることになるのかも知れないが、私は純然たる事実をここに書き記そう。 今の私は、絶え間ない競争の果てに在る、と。

梁 世柱
2024年8月25日


PIWI品種とナチュラルワイン <オーストリア・シュタイヤーマルク特集:Part.3>
気候変動とナチュラルワインは、すこぶる相性が悪い。 低介入醸造を可能とする葡萄の必須条件はいくつかあるが、その最たるものは、低いpH値(単純化すると、高い酸度)と、高いポリフェノール類の熟度だ。 気候変動の一部である温暖化は、糖度の上昇を大幅に加速させるため、低介入醸造を重要視する造り手たちは、アルコール濃度の抑制と低pH値のために、早摘みを余儀なくされる。 しかし、過度の早摘みは未熟なポリフェノールともダイレクトに繋がるため、結局問題が起こる。 この堂々巡りを回避するために、栽培品種が今の気候に適しているかどうかも含めた畑仕事の根本的な見直しや、糖度上昇の加速によって劇的に狭まった「適熟」のスイートスポットを、決して逃さないように収穫することが、かつてないほど重要になっているが、当然それも、簡単なことではない。 特に収穫タイミングに関しては、超速で飛ぶジェット機を、連写機能を一切使わずに写真に収めるようなものだ。 栽培に関しては他にも、オーガニックという大きなカテゴリーの生産者に対しても、問題がのしかかっている。 ..

梁 世柱
2024年8月16日


レジェンドの息子 <Elias Musterの挑戦>
ワイナリーの継承というのはとても難しい。 そもそも子供世代が大変な農作業を伴うワイナリーを引き継ぎたいとも限らないし、親が造っていたワインの品質を維持できるとも限らない。 ワイン造りに「人」が深く関わってくる以上、変化は避け難いものだ。 さらに、一般消費者だけでなく、ワイン業界に携わる人々も、代替わり後の品質に関しては、問答無用という厳しさで接することも多い。 そういう私も、ポジティヴとは言い切れない世代交代を何度も目にしてきたし、代替わり後にそのワインを全く購入しなくなったことも何度もある。 特に、親がレジェンド級の造り手であった場合、後継者にかかるプレッシャーは相当なものだ。 優れた造り手であった両親のもとに生まれた子供を、無条件で「サラブレッド」と表現したくなる気持ちはわかるが、現実はそう甘くない。 もちろん、この難しさを誰よりも理解しているのは、造り手本人だ。

梁 世柱
2024年8月3日


感性の世界 <オーストリア・シュタイヤーマルク特集:Part.2>
私は常に、理性でワインを探究してきた。 気候、土壌、地勢、葡萄品種がもたらす影響をマトリックス化することによって、神秘のヴェールに覆われたテロワールを観測、分析可能なものとし、そこに栽培、醸造における人的要因も加え、ワインに宿った特有のアロマ、フレイヴァー、ストラクチャーの根源に理路整然とした態度で向き合ってきたのだ。 ワインに対してそのようなアプローチを取り続けた理由は、単純化すれば「理解したかったから」の一言に尽きるが、【結果には、すべて原因がある。】というガリレオ・ガリレイの言葉を、幼い頃にその出自もコンテクストも知らずにどこかで聞きかじったまま、長い間盲目的に信じ込んできたのも一因と言えるだろう。 しかし、一般的にクラシック、もしくはオーセンティックと呼ばれるカテゴリーから探究範囲を大きく広げた結果、様々な在り方のワインとの出会いを通じて、私はこの世界に理性だけでは理解することができないワインが存在していることを認めざるをえなくなった。 理性でワインを探究してきたからこそ、その限界を知ることができたとも言える。 ...

梁 世柱
2024年7月25日


ロゼ界のライジングスター、ロザリア。
ロゼワインの歴史はかなり興味深い。 その原初の姿は、我々が知る現代のロゼワインとは似ても似つかぬものだったからだ。 最古の記録は3,000年以上前の古代ギリシャ。当時、「ワインは水で薄めて飲む」ことが上品とされていた。 白葡萄と黒葡萄を混醸して造った非常に薄い赤ワインのようなものを、さらに水で割ることによって、ロゼワインらしきものとなっていたのだ。後に、赤ワインと白ワインらしきもの(現代のオレンジワインに近かった可能性が高い)に分けられるようにはなったが、数百年、いや、ひょっとすると数千年ほど、水で薄めたワインを飲んできた文化圏で、タニックな赤ワインや白ワインが市民権を得るには随分と時間がかかったようだ。

梁 世柱
2024年7月10日


美の真理 <オーストリア・シュタイヤーマルク特集:Part.1>
調和こそ美の真理であり、調和無き美は存在しない。 クラシックか、ナチュラルか。 探究を拒む人々によって二極化された世界観に興味を失ってから、随分と時が経つ。 固定された価値観の中で話をするのなら、私が探し求めているテロワール・ワインは、そのどちらでもなく、どちらでもあるからだ。 美の対は破壊であり、極端なクラシックもナチュラルも、極めて破壊的となり得るのだから、そこに美が宿らないのは必然である。 美とは理性的であると同時に、感性的でもある。 ワイン的表現をするのであれば、理性的な美とは、天地、葡萄、人の総体を意味し、感性的な美とは、極限まで純化されたエネルギーとなる。 理性的な美は、分析によって客観視することができるが、感性的な美は、極めて主観的なものだ。 だからこそ、美の真理へと到達するためには、私自身が理性的かつ感性的であらなければならない。 シュタイヤーマルク地方 オーストリアのシュタイヤーマルク地方を訪れた理由は、テロワールという美の真理を追い求めていたからに他ならない。 遠く離れた日本からの分

梁 世柱
2024年7月1日


ハプスブルグ風カジュアルペアリング
前回のペアリング研究室では、西〜中央ヨーロッパ料理の粋と言えるオーストリア料理と、その象徴的な料理の一つであるヴィーナー・シュニッツェルの話をした。 今回もその流れのまま、もう一つの代表的なオーストリア料理であるヴィーナー・サフトグーラーシュ(ウィーン風ビーフグラーシュ)の話をしよう。

梁 世柱
2024年6月29日
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