2022年10月23日3 分
ぎっしりと詰まった南アフリアでのスケジュール表を眺めていたら、心の昂りを抑えきれなくなった。
いつか必ず訪問したいと願ってきた、クライン・コンスタンシア。
その輝かしい名が、プリントアウトされたなんとも無機質な紙に、確かに刻まれていたのだ。
そもそも私は昔から歴史が好きなので、最古参のワイナリーとか、始まりの地といったパワーワードにはすこぶる弱い。
流石に、最古参のワイナリーだからワインも素晴らしいに違いない!などと言った安直な色眼鏡をかけたりはしないが、そういう場所には何かと特別な雰囲気が漂っているものだ。
南アフリカで最初の葡萄畑は、大航海時代の1652年に、オランダ東インド会社の現地法人代表だったヤン・ファン・リーベックによってケープ・タウンに開墾され、1659年には南アフリカで(記録上)最初のワインが造られた。そして、30年後の1685年に、クライン・コンスタンシアの大元となった「コンスタンシア・エステート」の歴史が始まった。
設立年だけで言えば最古では無いが、コンスタンシア・エステートは、別の意味で「最古」であるのは間違いない。
そう、コンスタンシア・エステートこそが、南アフリカで初めて、世界に(ヨーロッパに)その実力を極めて高く評価されたワイナリーだったのだ。
1726年にはヨーロッパへ輸出を始め、18世紀後半から19世紀初頭にかけては、フリードリヒ2世、ルイ16世、マリー=アントワネット、ジョン・アダムス、トーマス・ジェファーソン、そしてナポレオン・ボナパルトといった歴史上の高名な人物たちに並々ならぬ偏愛を受けてきた記録が多々残されている。
しかし、勇名を馳せたコンスタンシアも、様々な苦難が重なり1872年頃から1980年まで、約100年もの間、空白の時を過ごすことになった。
その後、伝説の「ヴァン・ド・コンスタンス」が復活したのは、1990年のこと。
ヴァン・ド・コンスタンスとは、ミュスカ・フロンティアン種を遅摘みにして造られる極甘口ワインのこと。そして、先述した人物たちにこよなく愛されたワインこそが、ヴァン・ド・コンスタンスだ。
さて、「歴史の中に立っている」というなんとも言えないミーハーな感慨にふけってしまうような、壮麗なクライン・コンスタンシアの建物で開催された晩餐では、2種のヴァン・ド・コンスタンスが提供された。
一つは2002年で、先先代のワインメーカーが手がけたもの。
もう一つは2018年で、現在もワインメイキングを担うマシュー・デイが手がけたものだ。
この2つのヴィンテージ間の違いは、ワインメーカーの違い以上に、「収穫」にある。2002年の時点では基本的には一斉に収穫を行なっていたようだが、2018年は非常に細かく分け、そして長期に渡って収穫を行なっている。
そしてその違いはそのまま、ワインの精度、そして透明感に顕れている。
精密な機械時計のような2018年は、驚異的なトランスペアレンシーと、三次元的構造が圧巻の大傑作。単純な品質評価という観点からすれば、2002年とは比べ物にならないほど優れたワインだ。
一方の2002年には、清濁が混在し、せめぎ合いながら、濃密な異世界的カオスが溢れていた。確かに精度は低く、緩いが、この手法でしか成し得ないような、鬼気迫る何かが宿っていたのだ。
2018年が「天使の歌声」のようなワインだとすれば、2002年はまさに「悪魔の囁き」。
善人ぶりたい私は、天使の歌声の方が好きだと言いたいところなのだが、2002年の魔力には抗えなかった。
高品質=心を掴むワイン、とは限らない。
進化は素晴らしいことだが、進化が全ての飲み手にとって良いこととは限らない。
ワイン探求とは本当に、一筋縄ではいかないものだ。
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「再会」と「出会い」のシリーズは、SommeTimesメインライターである梁世柱が、日々のワイン生活の中で、再会し、出会ったワインについて、初心者でも分かりやすい内容で解説する、ショートレビューのシリーズとなります。