2022年8月14日14 分

突き進むものたち <長野・千曲川ワインヴァレー特集 第1章>

最終更新: 2022年9月10日

梁世柱は日本ワインに冷たい。

散々言われてきたことだ。

確かに私自身もそれを否定できないという自覚をはっきりともっているが、そこには明確な理由が常にあったのもまた事実だ。

日本で造られたワインが、海外の(特にヨーロッパの)ワインに対するオマージュイミテーションである限り、私はその元となったワインと同じ評価基準で日本ワインを評価するしか選択肢が無くなる

その評価基準とは、ヨーロッパの古典的価値観に基づいた品質評価、そしてその品質とワインに付けられた価格のバランスだ。

そもそも日本のテロワールに適合してるとは、ヨーロッパの基準で見れば到底言い難い外来種の葡萄を、極限の献身と、深い知恵でもって育てても、適地適品種という残酷なほど強大な壁にぶつかることは避けられない。当然、そこまで辿り着くための献身や知恵にも、多大なコストがかかる。

その結果、同程度、もしくはそれ以上の品質評価ができる海外産のワインが、日本ワインの半額以下で、「輸入品」として手に入ってしまう、という絶望的な状況から抜け出せくなってしまう。

私が多くの日本ワインに対して辛辣な態度を取り続けてきたのは、偏見でも、意地悪でも、西洋かぶれでも、反愛国主義的思想でも決してなく、日本ワインの「在り方」が私にもたらしてきた選択肢の少なさ故のことだ。

しかし、筆者の考えが180度ひっくり返るような時代がついに到来した。

そう、ヨーロッパの銘醸ワインに追いつけ追い越せと奮闘してきた日本ワインが真に勝利を勝ち取る前に、「競争」という概念そのものの価値が、世界的に失墜したのだ。

競わなくて良い、個性を大事にすれば良い、自分らしくあれば良い。

多様性の時代とも呼ばれる現代は、(特に品質面においては)手放しで歓迎するには少々の危うさももちあわせてはいるものの、圧倒的不利というスタートラインから必死に抗ってきた日本ワインにとっては、まさに「肩の荷が降りる」変化と言えるだろう。

私は、日本ワインにしても日本酒にしても、「西洋コンプレックス」からの脱却こそが、進化への最短ルートと、ことあるごとに主張してきたが、それも全て、やがてこの東洋の最果てに浮かぶ小さな島国をも覆い尽くすであろう「多様性の尊重」という大波の中で、母国の同志達がありったけの夢と情熱を注いでつくり上げたものが、さらに強い輝きを放つようになってほしいと心から願ってきたからだ。

千曲川ワインヴァレー

日本のワイン産業に、着実に芽吹き始めた多様性。そして、その多様性に基づいた進化が最も顕著に見受けられる産地こそが、私が今回訪れた長野県の千曲川ワインヴァレーだ。

千曲川ワインヴァレー(正式表記はワインバレー)は、長野県が策定した「信州ワインバレー構想」で誕生した4つのワインヴァレーの1 つ(その他は、桔梗ヶ原、日本アルプス、天竜川)で、ワイナリーはヴァレー内の各地に点在しているものの、中心部は東御(とうみ)市、小諸(こもろ)市、上田市にある。

千曲川周辺エリアは、2015年に広域のワイン特区「千曲川ワインバレー(東地区)特区」として認定されたことから、酒税法が定める最低製造数量が6,000ℓから2,000ℓへと緩和され、小規模ワイナリーの参入が加速した。

さらに、日本のワイン産地の中では年間平均降水量が約980mmと少なく、90%という高い晴天率や、年間2,100時間ほどの日照時間、やや水はけの良い土壌、耕作放棄地や未開墾地の多さ、長野県による様々な就農誘致政策、そして、この地のパイオニアであるヴィラデスト・ワイナリーを牽引する玉村豊男さんが代表を務める「日本ワイン農業研究所」が開講した栽培醸造経営講座「千曲川ワインアカデミー」や、委託醸造を引き受ける同社のワイナリー施設「アルカンヴィーニュ」の存在などの好条件が揃った千曲川ワインヴァレーは、他産地と比べても、新規参入のハードルがかなり低い

そして何よりも、千曲川ワインヴァレーには、「自由と個性を尊重する」イデオロギーが、色濃く立ち現れているように感じてきた。

それは、造る人、飲む人の話からではなく、「結果」として出てきたワインから感じた印象だった。

そして、念願かなって訪問した千曲川ワインヴァレーに根付いた人々の、様々な意思、決意、苦悩にも触れることができた。

これから私がお伝えする話は、日本ワインの中でも注目が高まる産地を、手放しに賛美する類のものではない

本特集では、私自身が見て、聴いて、触れて、味わって感じたものを、「突き進むものたち」、「繋ぐものたち」、「考え抜くものたち」という3つのテーマに分けて書いていくが、どのテーマにおいても、一切の脚色も忖もすることなく、ただそこにあるリアルとして、お伝えしようと思う。

願いを支えるテロワール

千曲川ワインヴァレーでワイン造りを行う人々のほぼ全員が、県外からの移住者達だ。この点は、ワイン産地そのものの性質として、隣県の山梨県(特に甲府盆地)とは大きく異なるカルチャーを形成している。

全員が移住者で、全員が新参者なのであれば、そこには彼らを縛り付けるような古くからの固定概念は生じにくい

畑同士の距離が程よく離れている(農薬散布が他の畑に影響を及ぼす範囲外にある)ことが多いのも、自由なアイデアをバックアップしている見逃せない要素だ。

また、移住してきた人々(特に2015年の特区認定以降)は現在30~40代前半の世代が多く、当然のごとく、彼らの多くが近年のワイン造りにおける世界的な潮流である「サステナビリティ」「よりナチュラルなワインメイキング」を肌で感じてきた。

そして、そんな彼らの願いを支えるテロワールが、千曲川ワインヴァレーにはある。

実は、不思議に思っていた。

日本ワインにナチュラルワインのアイデアが入り込んできてから、個人的な許容範囲を大きく超えた欠陥的特徴が立ち現れたワインに遭遇することが多々あったのだが、なぜか、千曲川ワインヴァレーのそういったワインからは、不安定さを感じることがほとんどなかったのだ。

もちろん、人の力によってコントロールできることはあるが、それ以上の秘密が、あの地には隠れているような気がしてならなかった。

そして、今回の旅で、見聞きした様々な要素の点と点を繋ぎ合わせると、そこには確かな「理由」が存在していたことがわかった。

ワインを不安定たらしめる要素は多々存在するが、その中でも重要度が高いとされているのは、収穫時の葡萄のpH値(低い方が良い)、ポリフェノール類の熟度、そして醸造時の環境だ。

実は、千曲川ワインヴァレーで造られる安定感の高いナチュラル系ワインのほとんどが、標高650~950mに位置する畑から造られている。これだけ標高が高いと昼夜の寒暖差が大きくなり、葡萄はpH値を低く保ったまま成熟へと向かうことができるのだ。

pH値が低く保てるという条件は、収穫時期を遅くすることができるというメリットももたらす。晩腐病や、スズメバチの襲来といった脅威は残るものの、糖度もポリフェノールもしっかり確保できるというのは、「引きの醸造」を行う上で、大きなアドヴァンテージとなる。

さらに、醸造時の環境も抜群に良い。特に9月下旬以降に収穫して醸造に突入した場合、その時期の外気温はすでに平均15度を下回るくらいにまで落ちているため、欠陥的特徴の原因となる細菌や微生物が暴れにくくなる。汚染の危険度が下がれば、当然亜硫酸の添加も、(理論的には)抑えることができる。

千曲川ワインヴァレーでは、それらテロワールがもたらすサポートに、人がしっかりと加わってくる頼もしさもある。

無添加を主義として貫く造り手もいるが、「必要な時には必要な処置をする」という柔軟さを保っているワインメーカーもまた多い。

正しいテロワール無くして安定したナチュラルワインを造ることは難しく、また、テロワールだけでそれが造れるほど、ワイン造りは甘いものでもない。

両方揃ってこその、現代的クリーンナチュラルなのだ。

突き進むものたち

千曲川ワインヴァレーでは、様々な形で「突き進む」人たちに出会った。彼らはみな強い信念のもとに、真っ直ぐとその道を歩んでいる。その純粋なエネルギーは、周りの人たちにも大きな影響を与え、気付いたらもうその魅力にすっかり引き込まれている。

ツイジラボ:須賀貴大

地元で人気の温泉施設「湯楽里館(ゆらりかん)」の敷地内にあるツイジラボで、醸造家として活躍する須賀貴大さんは、千曲川ワインヴァレーでも異色のニューフェイス。

須賀さんの人となりを一言で表現するなら、「興味心の塊」だ。

海外留学したり、ジャーナリストを志したり、カメラマンをしたり、ワイン雑誌で記者になったり、日本でインポーターに就職したりと、興味と情熱に突き動かされてきた彼が今辿り着いた「夢中になれること」こそが、ワイン造りだった。

日本各地の名ワイナリーで学んだあとは、フランス、ドイツ、オーストリア、オーストラリア、ニュージーランドと渡り歩きながら経験を重ね、2019年にはオーストラリアで自らのワイナリーを、Gentle Folk(オーストラリアのナチュラルワインシーンを牽引する造り手)のワイナリー内に間借りする形で立ち上げた。

現在は、四季が真逆に巡ることを利用して、オーストラリアと長野の2拠点でワイン造りを行いつつ、オフシーズンには東京でビール造りまでしている。

ツイジラボの自社畑はわずか40aなためドメーヌワインは非常に少ないが、10軒ほどのワイナリーから委託醸造も引き受けている。

そして、その委託醸造ワインにも、須賀イズムが強烈に染み込んでいる

「収穫は種が熟すまで待つ。マメ(ネズミ臭)は出したくないから、(基本的には使わないけど)必要であれば亜硫酸も使う。メルローの青さは抑えたいから、ピジャージュは手で優しく掻き回す。熟成期間に入ったら空調を入れてしっかりと管理をする。」など、基礎となる明確なヴィジョンをもってはいるものの、メルローとシャルドネを混醸して赤ワインにしたりと、自らのアイデアを委託者とすり合わせながら、一緒に「クリエイト」していく須賀さんは、やはり強力な「巻き込み力」の持ち主だ。

その興味心は葡萄畑でも発揮されていて、自社畑では、笠かけをする畝としない畝を交互に作って、東御市のテロワールにとって本当に笠かけが正しい手法なのかを検証したり、プティ・マンサン、ガメイ、シラーといった品種にも興味をもったりと、可能性の発掘に余念がない。

*笠かけをした葡萄の方に病気が発生しているのが見てとれる。

樽試飲した自社畑のメルロー2021年は、今回の旅の中でも白眉の一つ。軽やかで華やか、徹底してクリーンで、染み込むような旨さがたまらない。軟水の地である日本で、ミネラリティー豊かなワインを造るのは難しいとあえて割り切り、フルーツ感溢れる優しい味わいに仕立てている。

豊かな創造性と類まれなる求心力、興味に向かって真っ直ぐに突き進みつつも、美味しいワインを届けるという造り手としての責任を決して忘れない須賀さんは、千曲川ワインヴァレーの未来を、底抜けに明るく引っ張って行ってくれるだろう。

Les Vins Vivants:荻野貴博&荻野朋子

葡萄畑に一歩足を踏み入れると、そこには周囲とは全く違う空気が流れていた。

果樹や花々の甘い香り、生い茂る青草の爽やかな息吹が自然と溶け込む。

これほど深呼吸が心地よい空間に来るのも、随分と久しぶりだった。

2015年に東御市へと移住し、2019年には自社ワイナリーであるLes Vins Vivantsを設立した荻野夫妻もまた、信念に真っ直ぐな人たちだ。

一般的なビオロジック栽培の範疇にとどまらず、自然農法の大家である故福岡正信や、「奇跡のリンゴ」で知られる木村秋則さんの農法からも学んでいる朋子さんが畑仕事を、山梨の中央葡萄酒で6年間研鑽した後、ボジョレーやアルザスでも学んだ貴博さんが醸造を主に担うが、夫婦共同でワイン造りに関わるあらゆる作業を休む間もなく行っている

注目すべきは、自社畑に植えられたガメイで、なんとボジョレーに僅かながら残る古樹のガメイと同様に、ゴブレで仕立てている。

湿気の多い日本で、乾燥地に向いたゴブレ仕立てはさすがに無謀では、とすら正直思えたが、葡萄畑に行くとその疑念は軽く吹き飛んだ。

植樹して6年経つが、葡萄樹はまだまだ小さく、細い。それでも、草をかき分けるとそこには、宝石のような葡萄がしっかりと実っていた。そして、その葡萄を見つめる荻野夫妻の表情は、最高の笑顔で満ちていた。

徹底したオーガニック栽培を貫く荻野夫妻は、朋子さんが「農薬を使わないためなら、なんだってする。」と力強く語ったように、どれだけ無謀と言われようとも挑戦するという強固な決心に対して、これ以上ないほど強い「責任感」でもって臨んでいる。

葡萄畑を見て、夫妻の強い想いに触れたとき、私は「無謀だ」とちょっとでも思ってしまった自分を、思いっきり説教したい気持ちになった。

やりたいことをやると決めて実行し、環境に負荷をかけず、誰にも迷惑をかけず、自らの献身で最後まで責任を取る。

そんな夫婦の覚悟に、他人が余計な口を挟む余地など、微塵もない。

彼らの愛情が詰め込められたガメイがしっかりと育ち、ワインになって手元に届く日を、私はただただ心待ちにしていよう。

ワイナリーでは、シードルの「あお」と、デラウェアを醸し発酵した「デラ」を試飲した。

アンセストラル製法のシードルは、軽やかな低アルコール仕立てでじんわり染みる優しい味わい。取材であることをすっかり忘れて、ついつい杯を進めてしまった。

オレンジワインの「デラ」は、甘美なピーチティーのアロマがたまらなく心地よい快作。オレンジワインとしてのデラウェアの高いポテンシャルは新たな発見だったし、何よりも荻野夫妻のセンスと閃きには、感動すら覚えた。

ドメーヌ・ナカジマ:中島豊

2009年に東御市へと移住し(東御市は広域の千曲川ワインバレー特区に先駆けて、2008年にワイン特区認定)、2010年に最初の葡萄を植樹、2014年に市内では当時四軒目となるワイナリー(ドメーヌ・ナカジマ)を設立した中島豊さん。ドメーヌ・ナカジマは、特にナチュラルワイン界隈では、千曲川ワインヴァレーきっての人気ワイナリーだ。

中島さんが拓いた最初の1.5haの自社畑は、周囲を車で走っていると一際目立つ急斜面に拓かれている。あれほどの斜面の畑では、水はけは非常に良いが、養分も同時に流れていくため、土壌は痩せて渇水気味になる。当然、この畑に植えられた葡萄は、より過酷な環境の中で生き抜いていく必要がある。

栽培品種はカベルネ・フランを主体に、メルロー、シュナン・ブラン、ソーヴィニヨン・ブランが植えられている。

「栽培は毎年苦労している。」と中島さんは語った。千曲川ワインヴァレーは他産地に比べると条件が整っている方だとはいえ、極限の低農薬栽培が大きな負担となることには変わりない急斜面には機械もなかなか入れないから、効率の悪い手作業も格段に増える。それでも、畑と周囲の環境を守りながら、奥様と共に日々葡萄と向き合ってきた

葡萄との対話を繰り返す中で、葡萄畑や自身のワインを取り巻く様々な変化もダイレクトに感じ取ってきた。

「これまでにはあまりなかった病気(晩腐病)がきたり、糖度21まで行けば良かったようなシュナン・ブランが糖度30まで上がった年があったり、例年は晴れが多かった10月の天気が崩れがちになったり、変化は多い。」と気候変動の影響は懸念している。

一方で、葡萄の品質が上がってきたという実感もあり、「より複雑さを表現してみたい。自分のワインを寝かせて飲んでくれる人も増えてきたと感じているので、熟成によってじっくりと複雑さを育てるような、正統派で真面目なワイン造りにも挑戦してみたい。ナチュラルな造りのワインにも別の美味しさがあるし、揮発酸が好きな人がいるのも理解しているけど、最近の葡萄でそういう造りをするのはもったいないと感じる部分はある。」と語るように、葡萄の成長がもたらした、新たな方向性も常に模索している。

さらに、葡萄畑でも新たな挑戦を始めている。急斜面の自社畑に加えて、新たに1.5haの畑を3年前に拓いた。場所は、御堂地区。東御市初の「ぶどう団地」として、かつては桑畑が広がっていた荒廃地を造成して、作付総面積約27haという、日本では異例中の異例とも言える大規模な葡萄畑として拓かれた場所だ。

この御堂地区には数多くのワイナリーが畑を拓いたが、「この位置なら、誰にも迷惑をかけないと思った。」という御堂地区の頂上に程近い端のエリアに中島さんが所有する畑は、周囲とは明らかに様子が違った

ネットで周囲を囲まれたその畑には、隣合う区画とは次元が違う生物多様性が宿っていたのだ。(草刈り直前のタイミングというのもあったが)背の高い草が生い茂り、足元を見れば色とりどりの植物が命を芽吹かせ、虫がその間を跳ね回り、樹々の間には「益虫」である肉食の蜘蛛が巣を張っていた。

そして、ワイナリーではやや寡黙だった中島さんは、この場所に来ると饒になり、笑顔が溢れた

標高850m近辺にある御堂の畑には、中島さんが「仮想ジュラ」と語る通り、シャルドネ、サヴァニャン、ピノ・ノワール、トゥルソーといったフランス・ジュラ地方の伝統品種を植樹した。トゥルソーには難しさを少し感じているが、他の品種、特にサヴァニャンには大きな可能性を感じているという。

造成地故に非常に薄い表土の下には、重機でも掘れない硬さの造成地層が広がっているが、いつか(強力な)雑草の根が硬い地層を突き破り、そのルートを葡萄樹の根が通ってくれるのではないかと、期待もしている。

さらにこの畑では、おそらく日本では初と考えられる試みがなされている。畝と畝の間に、幅約50cmの排水路が張り巡らされているのだ。水はけの向上は当然考えられるが、排水路の両壁に風が当たることで、土壌が乾き、余計な水分を溜め込まないという大きな効果も見られるとのこと。

降水量の多さ、水はけの悪い肥沃な土壌という、長野にとどまらず日本ワイン産業全体が抱える悩みに、一石を投じる革新的な試みと言えるだろう。

固定概念を打破するようなその試みも、中島さんは信念をもって断行した。

そして、その試みがもたらす結果は、いずれワインとして現れてくるだろう。

その時を、心待ちにしていよう。

御堂の畑を、楽しそうに歩き回っていた中島夫妻の1歳のお子さんが、たくさんの言葉を話し始める頃には、きっと御堂のサヴァニャンが、トゥルソーが、ワインとなって生まれるはずだ。

次章に続く。