ラベルに罪はあるのか

ワインのラベルは重要だ。


ブラインドテイスティングでも無い限り、一連のワイン体験の中で最初の「楽しむ」プロセスはラベルを観ることだ。


ラベルには、そのワインに関する様々な情報が詰めこまれている場合もあれば、文字による情報をほとんど含まないデザインの場合もある。


実は、そのどちらのパターンであっても、ラベルデザインとワインのスタイルは、同じ方向を向いていることが圧倒的に多い。経験を積めば、産地と品種が分かってさえいれば、そのワインのスタイル(品質では無い)に対して、ラベルデザインからかなり正確な予測を立てることすらできるようになる。


不思議と思えるかも知れないが、造り手の哲学が反映された(反映させないという形の反映のさせ方も含めて)ラベルに、農産物である葡萄が人の手によってワインへと転じていく過程における、自然と人の多様な関係性が宿るのは、必然と言えるのではないだろうか。


そもそも、味わうという行為は、舌の味蕾がキャッチした刺激に加えて、触覚が感じとるテクスチャー、嗅覚が感知したアロマ、言語情報による知覚的影響、そして視覚が捉えるイメージが全て合わさった、脳の総合体験である。


我々のほとんどが、目をつぶってイチゴを食べるよりも、はっきりと目視することによって、イチゴの存在を確定させた方が美味しく感じるだろう。


その辺りも踏まえてみると、ワインを味わうという行為の中で、ラベルの鑑賞がその体験を十分に向上させ得ることが、ロジカルに理解できるかと思う。

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