赤の地図 <オーストリア・ブルゲンラント特集:後編>
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白ワインの国として語られるオーストリアに、赤ワインの側から異議を申し立てる。
そう書くと、いかにも挑発的に聞こえるかもしれない。
しかし本来、これは奇をてらった反論ではない。
ただ、見落とされてきたものを、見落とされたままにしておかないという、ごく当然の抵抗である。
ワインにおいて地名は、決してラベルの上に置かれた装飾ではない。
そこには、目には見えない風の回廊があり、日光が紡いだ金糸があり、丘陵のうねりが刻むリズムがあり、大地の熱狂と沈黙があり、そして何世代にもわたってそこで暮らし、葡萄を育て、ワインを造ってきた人々の記憶がある。
だからこそ、地名は重い。
問題は、その重さを丁寧に読み解こうとしないまま、都合の良い記号として乱暴に使う態度にある。
有名な地名には、説明を省略してもらう。
聞き慣れない地名には、理解を後回しにする。
それでいて、自分の舌は十分に公平だと信じていられるのだから、ワインの世界における教養とは、ときにずいぶん寛大な衣装である。
だが、土地は人間の怠慢を上品に包み直してはくれない。
葡萄は名声の序列に従って熟すわけではなく、検索窓の賑わいに合わせて酸を蓄えるわけでもない。
その年の熱、冷気、水分、風、土壌、そして人間の選択を、愚直なほど正確に、果皮の内側へ刻み込んでいく。
だからこそ、オーストリア赤ワインの真髄を見ようとするなら、我々は地名を軽んじるのではなく、むしろもう一度、正しく読み直さなければならない。
Carnuntum。Leithaberg。Mittelburgenland。
この三つの名は、単なる産地リストではない。
ブラウフレンキッシュというひとつの黒葡萄が、どこまで深く、どこまでしなやかに、そしてどこまで厳粛に土地を語れるのかを示す、三つの異なる入口である。
