2021年7月13日4 分

サン=テミリオンの衝撃

最終更新: 2021年7月14日

2021年7月上旬、世界中の熱心なワインファンに衝撃を与えるニュースが、フランス・ボルドー右岸の銘醸地であるサン=テミリオンから舞い込んできた。

1955年にサン=テミリオンで公式格付けが広布されて以降、最高位格付けであるプルミエ・グラン・クリュ・クラッセAの称号を護り続けてきたシャトー・オーゾンヌシャトー・シュヴァル・ブランが、公式格付けからの撤退を、審査書類不提出という形で表明したのだ。

この出来事が、ワイン界にとってどのような意味をもつのか、紐解いていこう。

ワインにおける公式格付けは、原産地呼称制度の中に存在する、明確な優劣関係を伴う階層型制度のことである。

階層型の格付けは、大きく分けて3つのパターンが存在している。

1. テロワールの普遍的価値を重視するパターン【ブルゴーニュ型

2. テロワールと市場価格(長年のテロワール評価に基づいた)を重視するパターン【メドック型

3. テロワールとビジネス的価値(名声、評論家の評点、マーケティング戦略による市場価格の高騰)を重視するパターン【サン=テミリオン型

である。

公平を期すために述べておくが、どのパターンでも、同格付け内で格差は存在する

ブルゴーニュ型から一例を挙げると、特級畑ロマネ=コンティとコルトンの間には明確な格差がある。メドック型でも、第一級格付けのシャトー・ラフィット・ロートシルトとシャトー・ムートン・ロートシルトの間には、格差があると明言しても差し支えないは無いだろう。実は、ビジネス的側面が反映されやすいことから、最も格差が生じやすいサン=テミリオン型では、同様のパターンであるイタリアでは格差が生じ続けている一方で、サン=テミリオンにおいては、プルミエ・グラン・クリュ・クラッセAの最高位に限れば、同格付け内の格差が無い状況が、後述する2012年の格付け改正までは続いていた

別の見方をすれば、それほどまでに、オーゾンヌとシュヴァル・ブランは「別格」であり続けてきたのだ。

実は、元々はサン=テミリオン型とメドック型は同一のパターンであったのだが、異なるパターンへと変化していく分岐点となった2つの出来事がある。1973年のメドックにおけるシャトー・ムートン・ロートシルトの第一級昇格、そして1980年代後半から世界中のワイン産業に支配的な影響力をもち始めたロバート・パーカー・Jrの登場である。

シャトー・ムートン・ロートシルトの昇格は、現在に至っても「例外的」な事例として、メドック型格付けの権威を失墜させるほどのインパクトはもっていないが、サン=テミリオンの公式格付けにおける評価基準は、テロワールの秀逸さよりも、明らかにビジネス的価値を重視するようになっていった。その背景に、ロバート・パーカーJrの影響がある(名声評価に多大なる影響)ことは間違いないが、マーケティングに莫大な投資を行うことによって、自ら「ビジネス的価値」を高める戦略が、より濃厚に格付けにも反映され始めたのが1996年の格付け改正だろう。

1955年の格付けでは、プルミエ・グラン・クリュ・クラッセBから漏れていたシャトー・ランジュリュス(サン=テミリオンの丘の最下部に葡萄畑が位置している)が、1996年の格付けで、Bへと昇格したのだ。聖域と思われていたプルミエ・グラン・クリュ・クラッセの扉が、ついにこじ開けられた瞬間だった。

その後の2006年の改正裁判を繰り返す大揉めの事態にまで発展したことに関しては、本稿では割愛するが、さらなる紛争の火種が2012年の改正で生じた。Bには、ラルシス=デュカッスカノン=ラ=ガフリエールヴァランドローラ・モンドットが昇格し、絶対領域と思われていたAに、格付け古参組のパヴィと、新参組のランジュリュスが昇格したのだ。

Aの称号に相応しいかには疑問の余地が残るものの、シャトー・パヴィが位置する「パヴィの丘」は古くからそのテロワールの秀逸性と普遍性が認められてきた場所だ。

一方で、ブアール家(ランジュリュス)、ティエンポン家(ラルシス=デュカッス)、ナイペルグ家(パヴィ=マッカン、カノン=ラ=ガフリエール、ラ・モンドット)、テュヌバン家(ヴァランドロー)らの剛腕によって多くのシャトーが成り上がったことは、歴史的権威と文化的価値を誇ってきた公式格付けに、資本主義が勝利してしまったことを意味していた。

分かりやすく言うと、もはやサン=テミリオンにとっては、テロワールの普遍的価値など意味のあることではなく、如何にお金をかけられるかだけが重要視されるようになってしまったと言うことだ。

そして、2022年の再改正に向け、サン=テミリオンを構成する二つの重要な土壌である粘土石灰質土壌(オーゾンヌ)と砂質土壌(シュヴァル・ブラン)の頂点に在り続けてきた偉大なシャトーが共に、公式格付けからの撤退を決断した。

筆者の私見ではあるものの、20歩譲ればパヴィの昇格は納得できるが、100歩譲ってもランジェリュスの昇格には賛同できない。

優れたテロワールへの賛美を失った格付けに意味など無い。

そして、オーゾンヌとシュヴァル・ブランが抜けたサン=テミリオンの公式格付けにも、意味など全く無い。

文化と伝統、そしてテロワールという普遍的価値を、資本主義から守るために撤退を決断した両シャトーには、最大限の称賛を送りたい。