福岡正信氏とは?と聞かれて一言で答えることができる人がどれ程いるだろうか。
自然農法の人、粘土団子の人、わら一本の革命の人。
世界のワインに通じる方なら、氏について知っているかもしれない。
海外に通じるワインプロフェッショナルなら、氏について聞かれたことがあるかもしれない。
実は、新型コロナ禍で世界の価値観に変化の兆しが見えている。
今、世界的に、東洋的思想が再評価されてきているのだ。
本特集では、福岡正信氏とは一体だれなのかを、丁寧に紐解いていく。
自然農法の本質、その実践に至った経緯、そして氏の哲学。
その思想は農業にとどまらず、人間性、神性、生き方へと繋がり、この現代社会を導く灯火ともなる。
そしてそれは、日本の農業、ブドウ栽培とも関わりがある。
福岡正信氏とは?
私はこう答える。
「キリストやガンジーのように真理を振りかざし、仏のように慈悲をもって無に還ろうと絶叫した百姓であり、哲学者であり、ある種の神性を得た存在。」と。
本特集は、なるべく福岡正信氏自身が著書内で語っている内容をそのまま使用するよう努めているが、私の個人的な見解も多分に含ませて書いていることを、ご承知いただきたい。
人生の転機
福岡正信氏は1913年、愛媛県伊予市の生まれ。
岐阜高等農林学校農学部(現岐阜大農学部)で植物病理学を学び(師は著名な植物病理学者の樋浦誠教授)、岡山県農事試験場を経て、横浜税関植物検査課に勤務し、病原性の細菌や菌類の研究を行う(この研究室での師も著名な黒沢英一氏)。
横浜植物検査課時代の25歳のとき、急性肺炎で死に直面したのをきっかけに懊悩するようになってしまう。
「死ぬのではないか… 私は反動的な恐怖と苦悩を味わわねばならなかった。」
「私は願ったもの、確認したもの、それがもろくも崩れ去るような不安に襲われた。」
「私は急にすべてのものに懐疑の目を向けるようになった。果てしない懐疑のため、私は仕事にも身が入らず、半ば茫然とした日々を過ごしていた。」
(すべて「無の哲学」より)
大悟(悟りの瞬間)
「五月十六日の未明であった。前夜来私の懊悩は極に達していた。私は一晩中、野良犬のように歩き回っていた。苦悩の限界という所まで来て、私は精魂尽き果てた思いであった。私は発狂するかも知れないと思った。
私は夜空の星を仰いで胸を冷やそうと、太い樹木の根元に横たわったまま、茫然自失の状態が幾刻続いたのか知らなかった。いつのまにか、夜が白々と明け始めていた。潮風が一陣さっと吹き上げ、断崖の一角が、ふっと姿を現した。その瞬間、五位鷺が鋭い声を発して飛び去った。