ワイン×アート [南仏を愛する芸術家]

日頃から日本で西洋の文化や芸術に触れられる機会がある際は、なるべく足を運ぶようにしている。


2020年の秋頃、待ちに待った「ゴッホ展」が始まり、上野にある東京都美術館に引き寄せられた。ゴッホの作品自体はその少し前に、渋谷Bunkamuraザ・ミュージアムで同時期開催中であった印象派コレクション「甘美なるフランス」でも、数点展示されているのを見かけた。その前は二年前に「ロンドン・ナショナル・ギャラリー展」で見た以来となるだろうか。


国外の美術館でも幾らか見た記憶はあるが、ゴッホのみにフォーカスしてここまで多くの作品が時系列を追って見られる機会は初めてだった。時の流れと共に移りゆく彼の心情が捉えやすく、フランスへ移り住んだ後に晩年を過ごした南仏でのクライマックスの作品集はやはり何度見ても傑作であった。

特に思い入れがあり、多くの名作を生み出した移住地がフランスのプロヴァンス地方アルル(1888年 - 1889年5月)と、療養時代に過ごしたサン=レミ(1889年5月- 1890年5月)であるとされている。

いつも美術館へ行く度に、フランスに住んでいた頃にもっとたくさんの絵画にも触れ、偉人たちが愛した田舎の町巡りをすればよかった…。

と、決まって少し後悔した気分になるものだが、今回は何かもやもやするものを感じた。

記憶に訴えかけるような、どちらかと言うと懐かしい気持ちというのか…。

そう、思い返してみると自分は、アルルやサン=レミのすぐ近くを訪れていたのである。そこはサン=テティエンヌ・デュ・グレという、アルルの行政区内にある田舎町。観光目的では到底訪れることがないような小さな町だが、それはとある生産者のワイナリー訪問をさせていただいたときだった。

どこの国にも、辺境の地でワイン造りをしている者はいる

まるで何かに取り憑かれたかのようにその地や自然を愛して移り住み、自給自足をしながら人目のつかないところで黙々とつくる者。

はたまたワイン大国にありながら皆が知る偉大な産地ではないけれど、代々受け継がれてきた土地を守りながらつくっている者。

前者はヨーロッパなどの伝統的な生産国ではなかなか起こりにくい。というのも、自国のワイン法によって歴史とともに既に産地として細かい線引きがされているからである。

「ここでどんなに美味しいワインが出来たとしても原産地呼称を名乗る事は出来ませんよ?」


その様に決められた地に、新しく労力と費用を割くというのは考えにくい。


しかし、このような事例は逆にニューワールドなどではよく起こりうることである。まだ知られぬ土地でありながら、自由な考え方と巧みなセンスを駆使して見事なワインを造り上げ、後にその成果が認められる。まるで法律が後から追いついてきたかのように葡萄栽培の適地として認められていくパターンである。筆者が住んでいたオーストラリアなどでも、そのような生産者を見かけてきた。ワイン造りの歴史が浅い国にとってはそのような新天地を切り開いていく生産者たちは、後々にその地域のリーディング・プロデューサーとなっていくケースも多い。

今でこそSNSなどを初め様々なメディアが発展し、小さな生産者にもスポットが当てられやすくなった時代ではあるが、その昔は人が足を運んで少しずつ開拓され世に広められてきたのだろう。「まだ誰も知らない」などの話題性はマーケティングには大きな武器となり、そこに確かな品質と味わいがついてきて初めて、消費者へ真の驚きを与え深く記憶となっていく。素晴らしいものと新たに出会ったときの喜びは皆同じである。

今回は御察しの通り、美術館で思い出したときから高まる気持ちに後押しされて直ぐにこの生産者を紹介しようと決めたのであった。先ほどお話した前者と後者両方の要素を持ち、正に異端で素晴らしい造り手



Domaine de Trévallon

生産者:ドメード・ド ・トレヴァロン

葡萄品種:カベルネ・ソーヴィニョン50% 、シラー50%

生産国:フランス

生産地:プロヴァンス地方

ヴィンテージ:2017

インポーター:株式会社アルカン

参考小売価格:¥12,000



ワイナリー所在地のサン=テティエンヌ・デュ・グレはアヴィニョンから25km、アルルから15km、サン・レミ・ド・プロヴァンスから7kmに位置する。

1950年代に両親が購入し、別荘としていた土地へエロワ・デュルバック氏が葡萄樹を植樹したのが1973年。ここから歴史が始まる。名前の由来はアルピーユ山脈に開墾した畑がある土地 Tre Vallon (three valleys) = "3つの谷" の意味から。

19世紀の著名な葡萄栽培家であったジュール・グイヨの著書には、フィロキセロ禍以前のプロヴァンスではカベルネ・ソーヴィニョンとシラーがよく育ち、それらをブレンドすると素晴らしいものが出来ていた事が記されている。氏はその再現を夢見て、両品種を約半分ずつバランスよく植える事にした。

もともと辺りに葡萄畑はなく、ガリーグが生い茂っていた土地。硬い石灰の岩々をときにダイナマイトで砕き、根気よく耕作して細心の手入れを施した。


畑は殺虫剤や除草剤などは使用せず、出来る限り持続可能な自然農法。収量を抑えて樹が長生きできるように短梢仕立てで、地中の深くまで耕している。自然酵母による全房発酵は品種ごとに行われた後、二年にも及ぶ大樽での長期熟成が特徴。その間もオリ引きは出来る限り少なくして、最大限に旨味を引き出している。


また何より多くのエピソードがあり、複雑なのがここの原産地呼称である。生産開始から間も無くして1985年に一度は『AOC Coteaux d’Aix-en-Provence』に昇格するも1993年にワイン法の変更により再び、ヴァン・ド・ペイ(『Vin de Pays des Bouches du Rhone』)に降格してしまう。その後はAOP法導入により2009年から『IGP Alpilles』の表記で生産されている。


ここで大きな転機となったのが、1993年に起こった悲劇だろう。晴れてAOCに昇格し、光が射したかのように見られたのも束の間、更に小さく独立したAOCのレ・ボー・ド・プロヴァンス(1995年認定でプロヴァンス地方最西)の発足に伴い、INAOによる規定変更があった。そこには細かい使用品種の決まりも含まれており、それ以降プロヴァンスでは20%以上のカベルネを混ぜるとAOCを取得出来なくなってしまったのである。

当時は正に究極の選択を強いられただろう。規定に従い葡萄を植え替えるか、一度得た地位を格下げしてスタイルを貫くのか。エロワ氏は後者を選んだ。


「そのような決断をするのは怖くなかったのか?」

私は氏に直接質問した事がある。彼は、

「それは怖かったさ、もしかしたら皆に認められないかもしれない。しかしAOCを名乗ることよりも、自らのスタイルを守ることを優先したかったんだ。」


不安はあったが、迷いはなかった「確かな意思」のようなものを私はその時に感じた。たくさんの法に縛られるワイン大国フランスで、彼は小さな自由を選んだのである。

今でこそ地域の規定にそぐわない、独創的なスタイルで注目を集め成功する例も多いが、その先駆けともいえる存在。

AOCから降格後も、確立されたスタイルと更なる美味しさの追求により、南仏最高位の地位を築いてきた。


日本にある現行のヴィンテージは2017年。アルピーユ山脈の北部にあたるため、シラーの成熟はやや遅い。所謂南仏の煮詰めたジャムを思わせるフルーツの甘さや柔らかさよりも、北ローヌのように冷んやりとした鉄っぽいミネラルのノートや、塩漬けにした生胡椒感を強く感じる。そこにカベルネ・ソーヴィニョンの強靭なタンニンとボディが厳しさを与え、骨格を成している。ボルドー×ローヌの高いレベルのハイブリッドスタイルで両品種それぞれの"旨さ"が際立っており、唯一無二の味わいといえる。


筆者自身、何度もその味に魅了された。と云うのもパリのトゥールダルジャンに務めていた際、地下のセラーには膨大な数のトレヴァロンが保管されていたから。そこでは様々なヴィンテージを試飲する機会に恵まれたが、特に30年程熟成したものなどはまた格別であった。


実は今回調べていて、後から知った事である。エロワの父ルネ・デュルバック氏は画家であり、近代美術の改革者であるパブロ・ピカソなどとも親交があったらしい。父が生前に遺した作品がエチケットのデザインになっているようだ。

先代とは進む道は違えど、芸術家の血をしっかりと受け継いだ彼が情熱を込めて造ったワイン。これもまた一つの独創的なアート作品といえる。

毎年違ったキャラクターをもつこの"芸術作品"にこれからも目が離せない。




※ 追記

今回この原稿を書き終えて、掲載されるのを待っている間にエロワ・デュルバック氏の訃報が入ってきた。急きょこちらの場を借りて彼のご冥福をお祈りさせていただきたい。プロヴァンス地方の革命児であり巨星を失ったのは、一ワインファンとしてもとても悲しいことであるが、これからもその遺志を引き継いだご家族による変わらずの繁栄を見守っていきたいと思う。







<ソムリエプロフィール>

丸山 俊輔 / Shunsuke Maruyama

Restaurant Ryuzu

Chef Sommelier


1988年 埼玉生まれ。

2008年 都内のフレンチレストランでサービスとしてのキャリアをスタート。

2011年 ソムリエ資格を取得。

2014年 渡豪、二年間シドニーやメルボルンなどシティのレストランでソムリエとしての勤 務、南オーストラリア州のワイナリーで働く。

2016年 渡仏、パリの星付きレストランで一年間研鑽を積む

2017年 帰国後より現職。

オーストラリア、フランスと計三年間の海外滞在期間中は語学取得に励み、現地や近隣諸国のワイン産地、ワイナリー訪問などにも日々足を運ぶ。国内の食通のお客様のほか、海外からも毎日たくさんのゲストを迎えるRyuzuでは経験、スキルを活かし現在も日々研鑽中。



<Restaurant Ryuzu>

六本木交差点からほど近くにあるフレンチレストラン。オーナーシェフの飯塚隆太により2011年オープン。2013年よりミシュラン二つ星。