Advanced Académie <12> フィロキセラ

SommeTimes’ Académie <14> ブドウの虫害と生理障害でも簡潔に触れたが、本稿ではワイン産業の歴史上、最も猛威をふるった害虫であるフィロキセラの詳細を追っていく。


そもそもなぜ、フィロキセラが世界中のワイン産業を壊滅寸前にまで追い込むほどの被害を及ぼしたのか。理由は至って単純なものだ。世界中で造られているほぼ全てのワインは、ヴィティス・ヴィニフェラ(以降、ヴィニフェラと表記)というただ一つの種に属するブドウから造られていて、フィロキセラはヴィニフェラにとって最悪の天敵だった、ということだ。クローン増殖によって、遺伝的多様性が失われていたこともまた、天敵に対する脆弱性を高める要因となった。


フィロキセラ禍の経緯

19世紀の初めごろからアメリカ産葡萄がフランスに輸入され始めたが、その時は恐るべき付属物が未知の葡萄と共に渡来するなど、誰も想像していなかった。植物の輸出入に関して厳しい検疫をするという考えは、当時ありもしなかったのだ。


最初にヴィニフェラを攻撃したのはフィロキセラではなく、うどんこ病だった。1845年にイングランド・ケントで発見されたうどんこ病は、僅か数年の間にヨーロッパ中のヴィニフェラに襲いかかり、経験豊富な葡萄栽培家たちをパニックに陥れた。フランスのように、うどんこ病によって生産量の60%以上を失った国は少なくない。幸いなことに、うどんこ病の原因となるウドンコカビに対して、硫黄粉剤が有効であることが、かなり早期のうちに判明した。硫黄粉剤が比較的安価であったことも、問題の早期解決にとって、プラスに働いたため、ヨーロッパのうどんこ病被害は、1858年頃には終息した。


うどんこ病の撃退に成功してから間もない1862年、ついにフィロキセラという悪魔がやってくる。不幸にもこの悪魔を最初にヨーロッパの地に招いてしまったのは、南仏のガール県でワイン商を営んでいた、ジョセフ=アントワーヌ・ボルティという人物だった。自身が管理する小さな葡萄畑にニューヨークから購入した苗を植えたが、僅かに2年後には周辺の葡萄が枯れ始めた。この「原因不明」の現象は瞬く間にローヌ南部全体を襲い、1868年にはラングドック地方に進出。1880年頃までにフランス全土に蔓延し、ついにヨーロッパ各地へと猛烈なスピードで広がっていった。


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