2022年9月18日4 分
最終更新: 2022年10月2日
長野県・千曲川ワインヴァレー特集の第2章でも触れたが、2022年現在、ワインを品種名で売らないといけない時代が終焉へと向かっている。
ヨーロッパ伝統国の複雑な原産地呼称制度を覚えなければ、何もワインのことがわからない。そんな極端に高いハードルを、「品種名で売る」というアイデアが豪快に破壊し、ワインの裾野を広げるために、多大なる貢献をしてきたのは間違いない。
筆者がソムリエ修行をしていたニューヨークでも「品種名の便利さ」は顕著で、ごく一部の熱心なワインマニア以外は、ほぼ必ず品種名でワインを選んでいた。それがどの国のワインであっても、だ。
原産地呼称よりもはるかに使い勝手の良い「共通言語」となった品種名は、ワインをサーヴィスする人と、ワインを飲む人たちの間のコミュニケーションを劇的に簡素化し、様々なミス・コミュニケーションや、ロスト・イン・トランスレーションのリスクを低下させてきた。
実は、品種名でワインを売るというアイデアが、これほどまでに強力な効果を発揮できたのには、理由がある。
そう、ひと昔前のワインは、そのようなコミュニケーションが容易なもの、つまり世界規模で見ても、画一的と言えるスタイルのワインが圧倒的に多かったのだ。
シャルドネらしさ。
ソーヴィニヨン・ブランらしさ。
カベルネ・ソーヴィニヨンらしさ。
メルローらしさ。
ピノ・ノワールらしさ。
そのような「らしさ」が、ある種の集合意識のように一箇所に自然と寄り集まりながら形成されていったのだが、それを可能にしたのが栽培・醸造技術の進化、であることもまた事実だ。
つまり、技術で造る各品種の「らしさ」が古典的なテロワール表現よりも優先されていた時代だった、とも言い換えることができる。
そして時代は巡り、多様性と個性がより重視されるようになった。
その流れの中で、矯正され、強制された「らしさ」もまた、徐々に価値を見失っていくこととなる。
ソーヴィニヨン・ブランという共通言語が、記号として役に立たなくなってきているのであれば、その言葉を用いる意味そのものが消失していく。
そして今、トレンドが一巡し、過去のテロワール主義を再度通過しながらも、造り手自身のアイデアを大きく巻き込んで、新たな形へと進化しつつあるのだ。
その結果として、ワインを品種名で売る必要が無くなってきた。
品種名で売る必要がないという変化は、生産者にも大きな自由をもたらす。
特に、葡萄栽培に完全に適しているとは言い切れないような場所でこそ、このメリットが最大化する。
分かりやすく、売りやすい商品を造るために、その地に適合していない品種を、大量の農薬を使って無理矢理育てる。そんなことをする必要がなくなるのだ。
実際に、品種名を気にしない、新時代のワイン造りは世界各地で大きなうねりとなっており、ここ日本もまた、その例外ではない。
今回出会った、ジオ・ヒルズは、品種名を気にしないことが、日本ワインにとってどれだけのプラスになり得るかを示す、素晴らしい好例。
2002年から千曲川ワインヴァレーで葡萄栽培を始め、2018年には念願の自社ワイナリーが完成したことから、栽培農家兼ワインレーベルからワイナリーへと完全な転身を果たしたジオヒルズ。
彼らのスタンダード商品と言える「トアイ・マイ・ブラン」の原料は、「白葡萄」であること以外明かされていない。
ベトナム語で「気軽に」を意味する(三男がベトナム人女性と結婚し、ベトナムでもワインを造っていることから、ワイナリー名やワイン名にはベトナム語が数多く採用されている。)このワインは、軽やかなフラワー、ハーブ、蜂蜜のアロマが印象的で、非常にクリアでフルーティーな味わい、軽妙な酸、そしてアルコール濃度12%という抜群の飲み心地が最高の一本。
おそらく、ヴィニフェラ種に加えて、ハイブリッドや生食用ブドウもブレンドされていると思われるが、そんなことを邪推するのは、粋ではない。
気軽に飲む、美味しい地ワイン。
それでいいじゃないか、という意思表明こそが、このワインをどこまでも魅力的なものにしているのだから。
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「再会」と「出会い」のシリーズは、SommeTimesメインライターである梁世柱が、日々のワイン生活の中で、再会し、出会ったワインについて、初心者でも分かりやすい内容で解説する、ショートレビューのシリーズとなります。