2021年12月10日23 分

イタリアで最も偉大な産地 <ピエモンテ・ネッビオーロ特集:第三章>

バレバレスコに想いを馳せると、いつもやるせない気持ちになる。偉大なるバローロの栄ある光は、バルバレスコに深い影を落とし続けてきたからだ。そう、バルバレスコに与えられた地位は、永遠のNO.2。ワインファンに「イタリアで最も偉大な赤ワインは」と尋ねると、おそらく90%程度はバローロと回答するだろう。残りの9%はトスカーナ州のブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、そして1%がバルバレスコといったとこだろうか。実は、筆者はこの1%に属している。私はこのことを隠すことも、ましてや恥じることも一切ない。90%の超多数派が私をなんと罵ろうとも、私にとってイタリア最高の赤ワインは、バルバレスコなのだ。

バローロとバルバレスコの違いは、ブルゴーニュに当てはめるならシャンベルタンとミュジニーの違い、と表現しても差し支えないだろう。不思議に思わないだろうか。ブルゴーニュ・ファンなら、意見が真っ二つに割れるような「違い」であるにも関わらず、なぜかバローロが圧倒的な優勢を保ち続けてきたことを。その本質は結局のところ、「無知」にある。我々の多くは、ブルゴーニュよりも遥かに低い理解しか、バローロとバルバレスコを内包するランゲの地に対してもち合わせていない。知らないなら、より有名な方に大多数が流されるのは必然だ。

幸運なことに、筆者は相当な数の、そして様々な状態のバローロ、バルバレスコと真摯に向き合う機会に恵まれてきた。そして、私が人生の「バローロ・バルバレスコ体験」の中からトップ10を選出するなら、7つはバルバレスコが占める。それどころか、トップ3は間違いなく全てバルバレスコだ。

「飲み頃のバローロなら」という反論は、当然出てくるだろう。しかし、筆者は飲み頃のピークに到達できるレヴェルだけで判断していない。ピーク時期の長さ、飲み頃予測の容易さ、飲み頃に至るまでの時間も、判断材料に含めている。一点突破力ではバローロかもしれないが、総合力ではバルバレスコだ。そして何より、リアリストの私にとっては、ワインは飲んで楽しみ、嗜むものであって、棚に飾って眺めるものではないのだ。

バローロが荘厳な王宮の如きワインだとしたら、バルバレスコは雄大な牧歌的神秘性を讃えるワイン

本章では、そんなバルバレスコの真髄に迫っていく。

Barbaresco誕生から現代まで

バルバレスコというワインの名が明確に残っている古い文献はかなり少ない。最古のものは1799年で、オーストリア軍の将校だったデ・メラスが、ワインが入った600Lの樽をバルバレスコの教会に注文したという記録が残っている。バルバレスコの名が刻まれた現存する最古のボトルは1870年製であり、実際のところは、19世紀の終わり頃までは、瓶詰めされたバルバレスコは非常に少なかったと考えられている。

ネッビオーロの名産地として古くから知られてはいたものの、非常に長い間バルバレスコ産の葡萄は、バローロにブレンドされ、バローロの名で販売されていた。バルバレスコのフレッシュでエレガントな特性は、強固になりがちなバローロを和らげるためのパーツとして、重要視されていたのだ。

そんなバルバレスコの長い暗黒時代にやっと光が差したのは、1894年のこと。そして、歴史に名を残す偉大な革命家の名は、ドミツィオ・カヴァッツァである。現在のエミリア=ロマーニャ州にあるモデナで生まれたカヴァッツァは、ミラン大学で栽培学を学んだのち、フランスに渡り、ヴェルサイユとモンペリエでさらに学びを深めた。また同時期に、カヴァッツァはフランスの葡萄畑をフィロキセラとベド病が蹂躙していく様を目撃している。1881年、若干26歳にも関わらずミラン大学とフランス各地で当時最先端のワイン学を吸収していたカヴァッツァは、イタリア農業省が新たに設立したアルバ王立ワイン学校のディレクターに大抜擢された。

そして、カヴァッツァは自らの安住の地として、バローロではなく、バルバレスコを選んだ。1886年にはバルバレスコに最初の葡萄畑を取得し(*1)、 ネッビオーロの栽培を開始したが、バルバレスコの名声を高めるには、より大きな規模で品質改革に取り組み必要があると痛感したカヴァッツァは、1894年、9つの葡萄農家と共に、協同組合であるCantina Sociale di Barbaresco(カンティーナ・ソシアーレ・ディ・バルバレスコ)を設立した。

しかし、この偉大な革命と挑戦は、短命に終わってしまうこととなる。1913年にカヴァッツァが若くして急逝し、息子のルイージが引き継いだが、その2年後には彼も第一次世界大戦のために徴兵されてしまった。戦後の貧困と、多くの若者が戦死したことによる絶望的な人手不足はバルバレスコを直撃し(この時すでに高い名声を得ていたバローロは、バルバレスコほどの危機には陥らなかった)、さらにフィロキセラとベト病が襲来し、1922年から始まったファシスト政権による農地改革(イタリアの食糧自給のために穀物栽培への転換が強引に進められた)によって決定的な追撃を受けたことを機に、Cantina Sociale di Barbarescoは1925年に閉鎖された。そしてその後30年以上もの間、バルバレスコは再び暗黒時代へと突入してしまった。

バルバレスコに再び革命の狼煙があがったのは、1950年代後半から60年代にかけてのこと。第二次バルバレスコ革命の主役となったのは、カヴァッツァの遺志と果たせないままだった夢を引き継いだドン・フィオリーノ・マレンゴ神父が創設した、新たな協同組合Produttori del Barbaresco(プロドゥットーリ・デル・バルバレスコ)、強大な野心を抱えた若き日のAngelo Gaja(アンジェロ・ガヤ)、そしてワインの偉大さは葡萄畑に宿ると頑なに信じたBruno Giacosa(ブルーノ・ジャコーサ)である。

特にProduttori del Barbarescoの果たした役割は極めて重要で、多くの葡萄農家に再び情熱の火を灯しただけでなく、1966年にDOCが初めて制定された際に、バローロ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、キアンティと共にバルバレスコが認定される直接的と言っても過言ではないほどの原動力となった。

その後から現在に至るまでの変遷は、基本的にバローロと同じだ。単一畑バルバレスコの出現によって古典的なブレンド派との確執が生まれ、革新派バローロの流行を受けて(最初に新樽のバリックを導入したのはアンジェロ・ガヤだが)一部のバルバレスコは新樽を積極的に導入するようになり、現在は古典派と革新派が共存しつつ、ハイブリッド派も躍動している。

(*1) :カヴァッツアが最初に取得した区画がある葡萄畑Loretoは、現在Ovelloというクリュの一部となっており、Albino Rocca(アルビノ・ロッカ)がOvello Vigna Loretoの名で、カヴァッツァが所有していた区画の近くの葡萄から、単一畑Barbarescoをリリースしている。またカヴァッツァの区画はCantina del Pino(カンティーナ・デル・ピーノ)が受け継いでいる。

*単一畑ワイン出現以降の詳細は本特集の第2章を参照。

春のバルバレスコ

Barbaresco DOCG

数度の改定は経たものの、現在の規定は2007年改定時のものがベースとなっている。

DOCG規定の主要部分は以下の通り。特に、葡萄畑の条件とクリュ名(M.G.A)記載時の規定が2007年に厳格化された。改定前に認定済みの畑に限っては、改定後の規定に該当していなくても問題ないとされた
 

*スタイル*

赤ワインのみ(ロッソ、リゼルヴァ)
 

*葡萄品種*

ネッビオーロ100%
 

*熟成*

収穫翌年の1月1日から数えて、以下の通りに規定。

Barbaresco:26ヶ月の熟成、内9ヶ月は樽熟成

Barbaresco Riserva:50ヶ月の熟成、内9ヶ月は樽熟成
 

*葡萄畑*

土壌:粘土質、石灰質を中心としている。

立地:丘の斜面に位置する畑のみ。谷の低地、平坦な地、日当たりの悪い場所、湿度の高い場所は全て条件を満たさない。

高度:葡萄畑の標高は、最高550mまで。

方角:日当たりに特段優れていること。しかし、北向きは原則として除外する。

植樹:最低でも3,500本/ha(新たに植樹する場合)

剪定:ギュイヨ

*最大収量と最低アルコール濃度*

クリュ名(M.G.A)記載の有無に関わらず、Barbaresco、Barbaresco Riserva共に以下の通り。

最大収量:8t/ha or 約56.0hl/ha

収穫時の最低潜在アルコール濃度:12.0%

リリース時の最低アルコール濃度:12.5%
 

*イタリアでは補糖が禁止されているにも関わらず、潜在アルコール濃度とリリース時の最低アルコール濃度に差異があるのは、最終的なアルコール濃度表示に±0.5%の誤差が認められているため。
 

クリュ名(M.G.A)を記載した場合、Barbaresco、Barbaresco Riserva共に以下の通り。

最大収量:7.2t/ha or 約50.4hl/ha

収穫時の最低潜在アルコール濃度:12.5%

リリース時の最低アルコール濃度:12.5%
 

また、クリュ名(M.G.A)を記載するワインが、6年以内の若木から造られる場合は、最大収量にさらに厳しい規制がかかり、以下の通りとなる。

3年目若木最大収量:4.3t/ha or 約30.1hl/ha

4年目若木最大収量:5.0t/ha or 約35.0hl/ha

5年目若木最大収量:5.8t/ha or 約40.6hl/ha

6年目若木最大収量:6.5t/ha or 約45.5hl/ha
 

また、特別に良好なヴィンテージに限って、最大20%の収量増が認められ、逆に極めて困難なヴィンテージの場合は、さらに厳しい収量制限が課される。
 

 

Barbaresco DOCGの規定(イタリア語原文)

4つのコムーネ

小都市アルバから北東へ向かうとタナロ川沿いにBarbaresco DOCGが広がっている。Barbaresco DOCGは4つのコムーネから形成されており、総面積は700ha弱と、Barolo DOCGの約1/3以下に留まっている。収量制限はBarolo DOCGと同様であるため、生産量もそのまま約1/3となっている。

1933年に制定されたオリジナルのコムーネは以下の2つ。

Barbaresco(バルバレスコ)

Neive(ネイヴェ)

1957年に、かつてはBarbarescoコムーネの一部だったTreiso(トレイソ)とSan Rocco Senodelvio(サン・ロッコ・セノデルヴィオ)が分離された。

現在、Barbaresco DOCGを語るときは、Barbaresco、Neive、Treisoの3コムーネに集約されることが多い。San Rocco Senodelvioには、特筆するべき銘醸畑も無いため、除外して考えるのは妥当と言える。11のコムーネの内、4つが不相応なBarolo DOCGに比べると、除外対象が1つだけなので、これらの3コムーネをわざわざBarbaresco Classicoなどと大袈裟に表現する必要も特にないだろう。

主要土壌と微気候

バルバレスコの主要な土壌はSant’Agata Fossili Marls(サンタガタ)で、一部にはLequio(レクィオ)も見られるが、全体的にバローロよりも肥沃な土壌が多い。ヨーロッパの葡萄畑の一般的な価値観においては、肥沃な土壌(バルバレスコ)よりも痩せた土壌(バローロ)の方が優れていると考えられることも多いが、バルバレスコの場合は、この点が明確な美点へと転ずる。肥沃な土壌は樹勢を強くするため、葡萄の凝縮度が低くなるが、バルバレスコにおいては、品質の低下ではなく、より洗練された構造と、しなやかなタンニンとなって現れるのだ。

*ランゲの主要な土壌の詳細は本特集の第2章を参照。

また大きなタナロ川に近い立地も、バルバレスコの個性には欠かせない要因となっている。巨大な水塊による保温効果によって、気候はバローロに比べてより安定(タナロ川の影響は、ラ・モッラの峰々によって遮断され、バローロにはあまり届かない)しており、タナロ川が温暖な朝をもたらし、夜には冷風を発生させて葡萄を休ませる。つまり、ヴィンテージによる差異は、バローロよりもバルバレスコの方が穏やかなのだ。そして、温暖化の影響が顕著になってきた近年では、特にバルバレスコにこの点が優位に働いているとも言える。

夏のバルバレスコ

Barbaresco

Barbaresco DOCGのコムーネの中でも、最も多くの偉大な畑を有しているのが、バルバレスコ(コムーネ)。DOCG全体の約35%の生産量を担っている。特に優れた畑は、標高200~350mの範囲に集中している。土壌はサンタガタが主体。まさにバルバレスコの真髄を体現するような、エレガントで香り高く繊細、ディテールに富み、複雑性も兼ね備えたワインとなる。

*Barbarescoの偉大なクリュ*

繊細な味わいが身上のバルバレスコの場合、バローロ(特にSerralungaやMonforte)に比べるとテロワールの差異がより鮮明に浮かび上がってしまう側面がある。この微妙だが確かな違いをなるべく正確に反映するために、バルバレスコに関しては、準特級畑相当の畑もリストアップした。

特級畑相当として列挙した5つのクリュはまさに圧倒的と言えるため、異論はほとんど出ないと考えられるが、議論の的となり得るのは準特級として選定した畑だ。特に人気と実力の高い生産者が多く手がけ、実際に際立って優れたワインも多いMontestefanoや、特級相当に肉薄する品質に至ることが少なくないMartinengaは意見が別れるところだが、明白に特級畑相当と言えるクリュとの厳正な比較によって、これら2つの畑を準特級畑相当とした。歴史的に高名な区画を内包するOvelloは、残念ながら現在のクリュが広すぎて安定感に欠ける。Roncaglieも非常に優れた畑だが、すぐ隣で畑名も非常に良く似ているRoncaglietteに比べると、どうしても少し見劣りしてしまう。

特級畑相当

Asili(アジリ)

Montefico(モンテフィコ)

Rabajà(ラバヤ)

Rio Sordo(リオ・ソルド)

Roncagliette(ロンカリエッテ)

準特級畑相当

Martinenga(マルティネンガ)

Montestefano(モンテステファノ)

Ovello(オヴェッロ)

Roncaglie(ロンカリエ)

一級畑相当

Pajè(パイエ)

Pora(ポーラ)

Tre Stelle(トレ・ステッレ)

*偉大なクリュの偉大なワイン*

Barbaresco Asili

造り手:Bruno Giacosa(ブルーノ・ジャコーサ)

1929年に生まれ、2018年にこの世を去ったブルーノ・ジャコーサほど、ランゲの地で「巨匠」の名が相応しい人物はいないだろう。第一次世界大戦、フィロキセラとベト病の蔓延、そしてファシスト政権による弾圧から、ネゴシアン業やバルクワインの生産に専念するようになっていたジャコーサ家だったが、三代目のブルーノは1960年に自身のワイナリーを設立し、アンジェロ・ガヤ、ドン・フィオリーノ・マレンゴと共に、第二次バルバレスコ革命の主役となった。創立当初から長らくの間は、バローロ、バルバレスコの特に優れた葡萄畑を中心に、買い葡萄からワインを造っていたが、80年代以降徐々に畑を買い足して、葡萄栽培のプロセスも完璧な管理下に置くようになっていった。

余談だが、筆者のバローロ・バルバレスコ体験のTop2は、ブルーノ・ジャコーサのバルバレスコによってもたらされている。人生最上のバルバレスコは1989年のサント・ステファノ・リゼルヴァ、そして次点が1996年ヴィンテージのリゼルヴァ・アジリである。共に2010年に飲んだのだが、1996年はまだ開き始めて間もない段階であったため、タイミングが違えば、順位が入れ替わっていた可能性も高い。また、この時のテイスティングには、アンリ・ジャイエやDRCも多数出ていたのだが、ジャコーサの2つのバルバレスコ、そして1989年ヴィンテージのシャトー・ラヤスが、この日のトップスターであったことは、強く記憶に残る出来事だ。

葡萄畑では、可能な限り自然な栽培に徹し、醸造所では頑なに古典的手法を貫く。当然、飲み頃はリリースの遥か後となるため、飲み手に忍耐を強いるワインでもある。

その神話的とすら言える圧巻の古典美に並び得るワインは、バローロ・バルバレスコの全てを合わせても、片手で数え足りる程度しかない。

Barbaresco Montefico

造り手:Roagna(ロアーニャ)

歴史ある名門ワイナリー、ロアーニャを現在率いているルーカ・ロアーニャは、不世出の天才にして、ドミツィオ・カヴァッツァ、アンジェラ・ガヤ、ブルーノ・ジャコーサ、ドン・フィオリーノ・マレンゴらのレガシーを受け継ぎ、バルバレスコをさらなる高みへと至らせる最重要人物でもある。その常軌を逸した才能と行動力は、マダム・ビーズ・ルロワすら彷彿とさせる。葡萄畑ではマッセル・セレクションも含めて、生物多様性を重視し、殺虫剤、除草剤はおろか、肥料も使わない。さらに草刈りもしないため、ロアーニャの葡萄畑はまさに「ジャングル」と化している。厳しい生存競争に駆り立てられ地中深くまで根を張った葡萄樹は、緻密なミネラルをもたらしつつ、糖度の上昇を適切に抑え、幾層にも渡る奥行きと深みを伴った調和を体現する。

醸造では、葡萄が生理的完熟に至る数日前に、極少量を収穫してピエ・ド・キューヴ(発酵のスターター)を準備しておき、本収穫の葡萄が本格的に始まると、既に活発な発酵状態にあるピエ・ド・キューヴを投入する。こさらに、カッペッロ・ソメルソと呼ばれる手法(大樽熟成させているワインの液面近くに浮かんだ果帽の上にオークの木版を平行に設置し、上からワインを満たすことによって、果皮が常に液面下にある状況を保つ)を用いつつ、60~100日という超長期ポストマセレーションを行う。

これらは全て、極めて古典的な手法であり、葡萄畑で最大限にまで純化されたテローワルを、一切偏光することなく精緻に表現するための、合理的手法でもある。

樹齢25年以下の葡萄は全て格下げし、それ以上の葡萄はさらに通常の単一畑キュヴェと、さらに樹齢の高い葡萄のみを選抜したヴェッキエ・ヴィーティ(フランスのヴィエイユ・ヴィーニュに相当)も仕込む。ある程度は早飲みにも耐えうる側面はあるものの、その真価を味わうなら、平年のヴィンテージなら10年、偉大なヴィンテージなら15年は待ちたいところ。

所有もしくはリースする葡萄畑も極めて優れた畑が多く、特にアジリとモンテフィーコは、特級畑の名にふさわしい、圧倒的な威厳を放つ、異次元の大傑作となっている。

また、ロアーニャは非常に特別なヴィンテージに限って、パイエの一区画からフラグシップワインとなるクリケット・パイエを仕込む。この幻のワインは現在、あらゆるバローロ、バルバレスコの中で最も高価なワインとして知られている。

Barbaresco Rabajà

造り手:Giuseppe Cortese(ジュゼッペ・コルテーゼ)

1971年に創立されたジュゼッペ・コルテーゼは、カルト的な人気を誇る偉大な生産者。現在は息子のピエロカルロが指揮をとっているが、その実力は衰えることを知らない。特級畑相当の一つであるラバヤは、2007年のクリュ制定時に境界線がかなり押し広げられてしまった畑の一つだが、ジュゼッペ・コルテーゼは歴史的にラバヤを名乗り続けてきた中心区画を所有し、この偉大なクリュの真髄を体現し続けている。非常に古典的なワインであるため、早飲みは厳禁だが、15年ほど経過した段階のラバヤ・リゼルヴァは、バルバレスコ最高峰の名に相応しい、隔絶のワインとなる。

Barbaresco Rio Sordo

造り手:Produttori del Barbaresco(プロドゥットーリ・デル・バルバレスコ)

プロドゥットーリ・デル・バルバレスコがイタリア最高の協同組合であることは間違いないが、その驚異的な実力は、世界最高峰とすら言える位置にある。全ての組合員を合わせると葡萄畑は110haにも及び、その中には特級畑相当の偉大な葡萄畑が4つも含まれている。醸造は極めて古典的かつ教科書的であり、バルバレスコのアーキタイプ的なアイデンティティを完璧に保全し続けている。ランゲ・ネッビーロから、ブレンドのバルバレスコ、単一畑とそのリゼルヴァまで、一貫した品質管理は驚異的であり、まさにいっぺんの隙も見当たらない。特級畑相当の葡萄畑はアジリ、モンテフィーコ、ラバヤ、リオ・ソルドを有しており、そのどれもがテロワールを緻密に表現した大傑作揃いでありながら、非常にリーズナブルな価格を維持している。

Barbaresco Roncagliette

造り手:Olek Bondonio(オレク・ボンドーニオ)

オレク・ボンドーニオは、まだまだ無名に近い造り手と言っても良いだろう。しかし、彼の一族はバルバレスコで200年以上に渡って葡萄栽培に携わってきた名家であり、ドミツィオ・カヴァッツァと共に伝説的なカンティーナ・ソシアーレ・ディ・バルバレスコを立ち上げたメンバーの一人はボンドーニオ家であった。長年、自家醸造は自家消費用として僅かに造っていたのみであったが、現当主のオレクが2005年に引き継いで以降、精力的に古典的バルバレスコの表現を磨き上げてきた。ボンドーニオ家が所有するロンカリエッテの区画は、アンジェロ・ガヤがSori Tildin用の葡萄を得ていた区画のすぐ上部に位置している。スパイスとバラのアロマ、繊細で優美な味わいとなるボンドーニオのロンカリエッテは、見事という他ない偉大なワインだ。

*準特級畑相当クリュの秀逸なワイン*

Barbaresco Martinenga

造り手:Tenute Cisa Asinari dei Marchesi di Gresy(マルケージ・ディ・グレシー)

マルケージ・ディ・グレシーのMartinengaは、この畑が時に特級畑に肉薄する品質に至ることを証明する素晴らしいワイン。ボルドーにおける、スーパー・セカンド的位置付けと言っても良い。

Barbaresco Montestefano

造り手:Rivella Serafino(リヴェッラ・セラフィーノ)

所有する葡萄畑は僅か2haという極小ワイナリー。頑なに古典的で美しいリヴェッラ・セラフィーノのMontestefanoに出会えるという幸運に巡り会えたなら、迷わず飲むべきだ。

Barbaresco Ovello (Vigna Loreto)

造り手:Albino Rocca(アルビノ・ロッカ)

その広さ故に品質がなかなか安定しないOvelloだが、歴史的なLoretoの区画から造られるアルビノ・ロッカのワインは別格。また、後述するCantina del Pino(カンティーナ・デル・ピーノ)のオヴェッロも極めて秀逸。

Barbaresco Roncaglie

造り手:Poderi Colla(ポデーリ・コッラ)

ポデーリ・コッラは、バローロの偉大な造り手であるPrunottoを1990年まで率いてきた伝説的醸造家べッペ・コッラに連なるワイナリー。香高く、優美なRoncaglieはこの銘醸畑の最もクラシックな表現と言えるだろう。

秋のバルバレスコ

Neive

DOCGの約40%を担うネイーヴェは、バルバレスコの主要3コムーネの中でも、最も逞しいワインとなる。言い換えるならば、ネイヴェのバルバレスコは、最も「バローロ的」なワインとも言える。その主たる理由はネイヴェの大半を占めるレクィオの層を中心とした土壌にある。だが、バローロに似ていると大雑把に表現してしまうと語弊が生じる。正確にはLa Morraのような性質ではなく、よりSerralunga d’Albaに近い特性となっているのだ。

*Neiveの偉大なクリュ*

バルバレスコの中でも最も逞しいという性質は、2つの特級畑相当のクリュでその特性が最も顕著に現れる。しかし、Albesaniは少々複雑な事情を抱えたクリュでもある。2007年のクリュ制定時に、高名なSanto StefanoBorgeseといった葡萄畑がAlbesaniの名の元にまとめられてしまったからだ。特にSanto Stefanoがその名を失ってしまったことは、バルバレスコの歴史的汚点として残り続けるであろう、愚策中の愚策だった。

特級畑相当

Albesani(アルベサーニ):Vigna Santo Stefano

Gallina(ガッリーナ)

準特級畑相当

Basarin(バサリン)

Albesani(アルベサーニ):Vigna Borgese

一級畑相当

Cottà(コッタ)

Currà(クッラ)

*偉大なクリュの偉大なワイン*

Barbaresco Albesani (Vigna Santo Stefano)

造り手:Cantina del Pino(カンティーナ・デル・ピーノ)

アルベサーニは、かつてサント・ステファノ、そしてボルゲーゼと呼ばれた2つの偉大な銘醸畑を内包しているクリュ。そして、真に特級畑に相応しいのはアルベサーニのすべてではなく、アルベサーニの中央にあるサント・ステファノである(ボルゲーゼは準特級畑相当)。サント・ステファノの最も優れた例は間違いなくブルーノ・ジャコーサだが、2011年を最後に生産されていない。次点というか、ジャコーサの強力なライバルとすら言えるのは、カンティーナ・デル・ピーノだろう。カンティーナ・デル・ピーノはバルバレスコの中でも、少々特殊な遍歴をもつワイナリーだ。そう、このワイナリーが所有する葡萄畑の一部は、かつてドミツィオ・カヴァッツァによって所有されていたのだ。そして現当主レナート・ヴァッカの父と叔父は、プロドゥットーリ・デル・バルバレスコの創設メンバーとして参画したが、1997年に独立し、カンティーナ・デル・ピーノが再び立ち上がった。醸造は基本的にはやや古典派よりのハイブリッド型。部分的に全房を取り入れた主発酵とマロラクティック発酵は、温度管理のできるステンレス・スティール・タンクで行い、熟成の一年目はバリック(新樽比率は最大30%程度)、二年目は大樽に移す。アルベサーニ(葡萄はサント・ステファノから)は、ネイヴェらしい逞しさと繊細さが共存する表現が見事で、古典的な良さをしっかりと残しながら、現代的に細部までチューンナップが施されている。

Barbaresco Gallina

造り手:Piero Busso(ピエロ・ブッソ)

小規模家族経営ワイナリーの典型例であるピエロ・ブッソは、この地の偉大な葡萄畑であるアルベサーニとガッリーナの両方を所有する、ネイーヴェの最も重要なワイナリーの一つだ。アルベサーニは非常に優れたボルゲーゼの区画から造られる傑作だが、ガッリーナは中腹にある最上の区画から造られていることもあり、最高傑作はガッリーナの方だ。ピエロ・ブッソは、葡萄畑によって醸造方法を柔軟に変えるスタンスをとってきたが、2011年以降、ガッリーナにバリックを使用しなくなったことから、この偉大なクリュの真価がついに発揮され始めた。筆者の嗜好としては少々新樽の影響が強く感じてしまうが、La Spinetta(ラ・スピネッタ)が手がけるガッリーナも、特級畑の名に相応しい、迫力と威厳に満ちたワインとなっている。また、カンティーナ・デル・ピーノのガッリーナも素晴らしい。

余談だが、2014年ヴィンテージから、現在バルバレスコ最高の生産者であるロアーニャが、アルベサーニとガッリーナの畑(リース)から単一畑バルバレスコをつくりはじめた。ロアーニャの作に関しては未試飲のため詳しい言及は避けるが、ルーカ・ロアーニャの天才と実力を鑑みれば、これらのクリュ最上の例となる可能性は十分にある。

*準特級畑相当クリュの秀逸なワイン*

Barbaresco Basarin

造り手:Moccagatta(モッカガッタ)

後ほど紹介するSottimano(ソッティマーノ)の近年のワインだけを例とするなら、特級畑相当と言っても過言ではない葡萄畑だが、平均点を取るとやや物足りなさも見える。モッカガッタのワインは、この葡萄畑の秀逸な例の一つで、(少々新樽はキツいが)間違いなく高品質な良作。

冬のバルバレスコ

Treiso

DOCGの約20%を担うトレイソは、3つの主要コムーネの中でも、最もエレガントで繊細なバルバレスコを生み出す。コムーネにある畑は全体的にやや標高が高く、かつてはネッビオーロを熟させることが難しかったため、バルベーラやドルチェットの方が多く植えられていた。しかし、その評価は現在、地球温暖化の影響(トレイソの場合は恩恵といっても差し支えないが、少々不謹慎な表現だ)を受け、逆転しつつある。

*Treisoの偉大なクリュ*

温暖化によって事情が変わりつつあるとはいえ、トレイソの大部分を占めるレクィオの土壌は、高標高と合わさるとネッビオーロにとってはまだまだ難しく、真に偉大とされる葡萄畑は、北側のバルバレスコ・コムーネに接した、サンタガタ土壌のエリアにある。その際たる例が、バルバレスコ屈指の偉大な畑であるパヨレだ。またトレイソの中央をベルトのように貫くBernadot、Nervo、Rizziも秀逸な畑で、特にNervoに含まれるFondettaという区画は非常に素晴らしい。

特級畑相当

Pajorè(パヨレ)

準特級畑相当

Nervo(ネルヴォ):Vigna Fondetta

一級畑相当

Rizzi(リッツィ)

Bernadot(ベルナドット)

*偉大なクリュの偉大なワイン*

Barbaresco Pajorè

造り手:Sottimano(ソッティマーノ)

ソッティマーノは劇的に変わった。かつては、強烈な新樽風味で覆われていたワインが、特に2010年以降、全く別物のワインとして生まれ変わっている。2004年から、段階的に葡萄畑をオーガニック転換しはじめ、野生酵母での発酵に戻し、新樽比率を極端に落としてきたアンドレア・ソッティマーノの手法は、かつての革新派的アプローチとは真逆の古典的ミニマリストへと変貌を遂げている。ネイーヴェにある銘醸畑バサリンからは、特級畑と見紛うほどの圧倒的なワインを生み出す一方で、偉大なるパヨレからは、この葡萄畑から生まれたあらゆるバルバレスコの中でも、最上のワインとすら言える圧巻の大傑作を生み出している。2010年以降のワインがもう少し熟成を経た段階で、再度テイスティングしたい。

*準特級畑相当クリュの秀逸なワイン*

Barbaresco Nervo

造り手:Rizzi(リッツィ)

同じ名の有名なクリュがあるためややこしいが、リッツィはトレイソ屈指の秀逸な造り手だ。特に、準特級畑相当のネルヴォは、この大きなクリュに含まれる銘醸畑Fondetta(フォンデッタ)の葡萄から造られ、トレイソの中でも際立ってエレガントで軽やかなバルバレスコとなる。

バルバレスコの偉大なクリュをまとめた表

ブレンドの偉大なバルバレスコとその造り手

Gaja(ガヤ)

代表的ブレンドワイン:Barbaresco

バルバレスコというワインそのものよりも、おそらくアンジェロ・ガヤの方が有名だろう。このイタリア最強のワイン・アイコンはガヤ家の四代目として生まれ、1960年以降のランゲ復興に最も貢献した人物として、広く知られている。モダニストの象徴とされることも多いガヤだが、真実は異なると筆者は考えている。確かにランゲで最も早くバリックを導入したのはアンジェロ・ガヤだが、彼は熟成の一年目に用いるだけで、二年目以降は大樽で熟成させているし、発酵も極端に難しい年でもない限りは野生酵母だけを用いている。葡萄畑も実質的にオーガニック化している。それに、極めて高い評価を受けていた一連の「幻想名」シリーズ(実質的な単一畑シリーズ)にわざわざバルベーラをブレンドすることによって、Langhe DOCに格下げしてまで、伝統的なブレンド型のバルバレスコの価値を守ろうとしたほど(少々独善的で批判も多く浴びたが)、バルバレスコの伝統を心から愛している人物でもある。そんなガヤの代表的なワインといえば、やはりバルバレスコで間違いない。14の異なる畑の葡萄を精密機械のようにブレンドしたガヤのバルバレスコは、アルマーニ的なバルバレスコであるが、ドルチェ&ガッバーナではなく、フェラーリ的ではあるが、ランボルギーニではない。つまり、彼のバルバレスコは究極に洗練されたクラシックであり、モダンではなく、コンテンポラリーなのだ。また、その素晴らしい長期熟成能力も見逃せない。

バルバレスコの嗜み方

バルバレスコには、よりバローロ的な性質に近づくネイヴェが、バローロには、よりバルバレスコ的な性質に近づくラ・モッラがあるため、安易に一般化するのは少々危険だが、古典的なバルバレスコは平年で10年、偉大なヴィンテージなら15年ほどで飲み頃に突入する。しかし同時に、悩ましいポイントもある。バルバレスコの繊細さは、新樽の強いトリートメントに対して極めて脆弱なため、近代的アプローチによって早飲みスタイルに仕上げられたタイプでは、その真価が堪能しきれない。バローロであれば、早飲みと長熟を両立させたハイブリッド型にも素晴らしいワインが多々あるが、バルバレスコは古典派よりのワインの方が明らかに優勢だ。つまり、素晴らしいバルバレスコを味わいたいなら、ある程度の忍耐がどうしても必要になってしまうのだ。しかし、飲み頃に達するまでの期間が、バローロほど頑なというわけでもないのはまだ救いがあるし、10年以上熟成したバルバレスコを探し出すことは、それほど難しくもない。比較的手に入りやすい近年のヴィンテージで、今すぐに飲むなら、2011年ヴィンテージを強くお勧めする。冬の食材や煮込み料理とも、程よくほぐれたバルバレスコは素晴らしい相性となる。さらに見過ごせないポイントはその価格にある。本章であげた偉大なバルバレスコのほとんどが、バローロよりも安価なワインだ。有名な村の村名格ブルゴーニュよりも、真に偉大なクリュの最高のバルバレスコが安く味わえるというのは、幸せなことだと心から思う。

最終章となる次章では、ピエモンテ州にまだまだある他のネッビオーロ産地を追っていく。