2022年7月24日6 分

Bouchon Family Wines ~ワイルド・ヴィンヤードの魅力~

過去2年ほどの間だろうか、最先端のアイデアに敏感なソムリエやワインプロフェッショナルをじわじわと賑わせてきたワインがあった。

その名は、パイス・サルヴァヘ

チリの中でもややマイナーな、マウレ・ヴァレーから登場したこのワインが、多くのトッププロフェッショナルを魅了してきた理由は、その個性豊かな味わいだけでなく、非常に特殊な葡萄畑にもあった。

葡萄品種はパイス。樹齢は不明(おそらく、200年以上)。無灌漑、無農薬、そして、無剪定のこの葡萄は、まさに「手付かず」のまま、自然環境と完全に一体化する形で、数えきれないほどの悪天候による試練、旱魃、病害自力のみで乗り切ってきた

今でも栽培において人の手が入ることは一切なく、収穫時にのみ、ありのままの自然の恵みを人が分けて貰っている形だ。

さて、このワインの特殊性を深掘りする前に、まずはパイスという葡萄の話をしておこう。

パイスは、16世紀に当時「黄金の世紀」と呼ばれるほどの最盛期を謳歌していたスペイン王国・ハプスブルグ朝が中南米大陸に対して非常に積極的な植民地化政策を行っていた際に、キリスト教布教という重要な役割を担っていた宣教師達によって、イベリア半島からカナリア諸島を経由して、現在のメキシコとペルーに持ち込まれた。

元々の葡萄品種名はリスタン・プリエト。発祥の地とされるスペイン本土ではすでに姿を消したが、カナリア諸島には極僅かながら生き残っている。

注目すべきは、当時の航海者たちは、リスタン・プリエトの「枝」ではなく、「種」を持ち込んだという点だ。

当時は、まだまだ長い航海が大きな危険を伴っていた時代。あまりにも貴重な水を葡萄の枝に与えるなど、考えもしなかったのだろう。

実は、葡萄を種から育てた場合、元々の葡萄品種とは大きく異なる葡萄として成長する可能性が非常に高くなる

枝から育てた場合は同一の遺伝子をもつ「クローン」となるのだが、種の場合は異なるのだ。

つまり、現在のカナリア諸島にあるリスタン・プリエトと、メキシコ・ペルーで種から育ったリスタン・プリエトは、その最初期の時点から相当程度「似て非なるもの」となっていた可能性が極めて高い。

さらに、北米では「ミッション」となり、アルゼンチンでは「クリオーリャ・チカ」となり、チリでは「パイス」となったリスタン・プリエトは、それぞれの地に適応する形で、どんどん変異を重ねていったのだろう。

実際に、リスタン・プリエト、ミッション、クリオーリャ・チカ、パイスは、テロワールやワインメイキングの差を鑑みても、全く同じ葡萄とは到底思えないほど、味わいや色合いが異なっている。

話をパイスに戻そう。

チリに数多く残るパイスが、全て「葡萄畑」の中に植えられたわけではない。おそらくだが、畑仕事に従事していた人たちや、近隣の人たちなどが食べたパイスの種を、色々な場所に捨てたのだろう。その中の一部が、自然と一体化して自生し、(驚くべき葡萄の生命力!)チリの各地に残っているのだ。

種から芽を出し、蔓を伸ばしたパイスは、近くの樹木に絡みつきながら、やがて4~5mという高さにまで成長していった。

Bouchon Family Winesがパイス・サルヴァへ用の葡萄を得ている場所でも、収穫の際にはハシゴを使っている。

©️Bouchon Family Wines

少なくとも200年以上手付かずのまま、自然の中で自生してきた葡萄から造られたワイン。

なんともロマン溢れるストーリーだ。

一方で、品質面ではどうなのだろう?という疑問も同時に湧いてくる。

結論から言うと、一般的な価値判断基準から見た場合、「野生」であることが品質面に大きく寄与しているとは言い難い

野生に簡単に完敗してしまうほど、人が長きに渡って磨き上げてきた「ワイン用葡萄」の栽培技術は、価値が低いものでは決してないのだ。

しかし、品質とは別軸の、極めて特別な魅力が、パイス・サルヴァヘには確かに宿っている。

その最たるものが、葡萄そのものの多様性だ。

ワインに造詣の深い人以外には分かりにくいとは思うが、それだけ長い年月の間自生してきた葡萄は、一切の恣意性が宿らない、自然の「マッセル・セレクション」をひたすら繰り返してきたような状態にある。

当然、同じ野生のパイスであっても、果皮の色や粒の大きさに驚異的なヴァリエーションが見られることになる。

そのような葡萄をワインにした場合、擬似的な「超多品種の混植混醸」状態になるため、ワインには独特の多層感が宿るのだ。

さらに、パイス特有の「薄さ」も相まって、この多層感が実にわかりやすく表現されている。

ファーストインパクトには確かに欠けるが、向き合えば向き合うほどに、奥深い魅力が解き放たれていくのだ。

興味深いことに、赤ワインとしてのパイス・サルヴァへとは別に、白ワインであるパイス・サルヴァヘ・ブランコに使用される葡萄は、その正体が実はよく分かっていないらしい。

カナリア諸島からという経緯もあり、リスタン・ブランコ(パロミノ)ではと思うかも知れないが、リスタン・ブランコが大昔にチリへと運ばれ、最終的に自生した可能性は、現在残る記録からしても、極めて低い。まぁ、おそらくだが、パイスの突然変異種なのだろう。

パイス・サルヴァへ(参考小売価格2,700円)、パイス・サルヴァヘ・ブランコ(参考小売価格2,500円)共に、価格も非常にリーズナブルなため、実に手軽に興味心を満たすこともできる。

現在、野生のパイスからワインを手がけるワイナリーは数社しか無いが、今後新たなチリワインの特殊な魅力として、取り組みが広がっていく可能性は十分にある。筆者としても、継続的に注目していきたい。

Bouchon Family Wines

さて、野生葡萄から、いろんな意味でナチュラル感溢れる素敵なワインを手がけるBouchon Family Winesだが、その真の実力はパイス・サルヴァヘだけからでは計り知れないほど高い。

新時代のヴィジョナリーとして極めて優れた才覚を発揮しているフリオ・ブション・ジュニオール、そしてチリ屈指のワインメーカーとしての評価を瞬く間に固めてしまったクリスティアン・セプルヴェーダという強力タッグは、チリワインに新たな息吹を強力に吹き込んでいる。

マウレ・ヴァレーの名を世界に知らしめたプロジェクトのVIGNO(VIGNOに関する詳細は、こちらの過去記事から)は圧巻の品質とコストパフォーマンスを誇るし、パイスとサンソーをダイレクト・プレスの淡いロゼにしてシャルマー方式で仕上げたスパークリング・ワインなんかは、まさにセンスの塊だ。

さらに、セミヨンが圧巻の出来栄えとなっている。

緻密なミネラル感と奥行きのある豊かな味わいからは、マウレ・ヴァレーでセミヨンへの期待が大いに高まっているというのも十分に納得できるだけの、確かなポテンシャルの高さがにじみ出ている。

特に、「Skin」と題されたセミヨンのオレンジワインには、クリスティアン・セプルヴェーダというワインメーカーの類まれなる才能を感じずにはいられない。

酸化的要素は皆無で、色合いも一般的な白ワインに近いが、ジュニパーベリー(ジンの主要なボタニカル)的なスパイス感が独特かつ実に美味な、コンテンポラリー・オレンジワインへと昇華している。

スパークリング・ワイン、2種のセミヨンが日本国内で販売される日も近いようなので、楽しみに待っていようと思う。