2023年5月31日15 分
最終更新: 2023年6月4日
E掴めそうなのに、手をすり抜けていく。
蜃気楼のように、神秘と現世を往来し、奇跡の残り香だけが、かろうじてその実在を示唆する。
グラスに注がれた美麗なルビー色の液体は、まだ私に真実を語ってくれない。
ならば、確かに存在しているものを、先に理解するべきなのだろう。
今回のAnteprima展示会(新ヴィンテージのお披露目)には、モンタルチーノは含まれていなかったが、私は前倒しでトスカーナ入りし、モンタルチーノで数日間過ごすことにした。
久々のイタリアというのもあり、次の機会をどうしても待てなかったのだ。
本章は、モンタルチーノという産地の解説でも、Brunello di Montalcinoというワインのレヴューでもない。モンタルチーノで訪れた造り手たちと私が話したことの、純粋な記録となる。
モンタルチーノを訪れると決めた時、真っ先にアポイントメントを取ったのが、ステッラ・ディ・カンパルトが率いるPodere San Giuseppe(銘柄名:Stella di Campalto)だった。
私にとって人生最上のBrunello di Montalcino、いや、最上のサンジョヴェーゼは、彼女の作だったからだ。
Case Basse、Poggio di Sotto、Biondi Santi、Il Marroneto、Ciacci Piccolomini d’Aragona。
同じモンタルチーノにある数々の大銘醸を差し置いて、なぜ彼女のワインが、これほどまでに心に残るのか。
私はただただ、その理由を知りたかった。
前日の深夜にフィレンツェ入りし、わずかな睡眠をとってから早朝の電車に乗り込み、モンタルチーノへと向かった。
時差か、高揚か、どちらにしても電車では全く眠れなかったが、随分とのんびりした乗り換えを挟んで、どうにかこの「陸の孤島」に到着した。
駅まではSan Giuseppeの広報担当が迎えに来てくれたので、ワイナリーへはすんなりと辿り着いた。
そして数分後、ステッラが現れた。
軽く挨拶を交わした後、二人で葡萄畑を歩くことにした。
最初は、ワイナリーの歴史や彼女自身のキャリアの話。
今の時代、調べれば分かるような説明をされるというのは、距離感の問題だ。
しかし、応じるように、内容の無い会話をしながら、葡萄畑に足を踏み入れた瞬間、ステッラの表情と声色が変わった。
彼女の魂の在りどころがここなのだと、私はすぐに察した。
ステッラと私は、葡萄畑の中を10m進むたびに、しゃがみ込んで、土や石に手を触れた。
10~30mごとに地表の色が変わる、モンタルチーノ特有のハイパーモザイク型土壌。
San Giuseppeの葡萄畑は、まさにその最たるものだったのだ。
ステッラは決して、小難しい土壌の名前を出したりしなかった。
その代わりに、「この土で出来た葡萄は可愛い、あっちは人懐っこい、向こうは頑固。」と人や動物に例えて話す。
ビオディナミについて話が及ぶと、土、微生物、根、葡萄の関係を、まるで仲の良い家族のように語る。
シュタイナー哲学の深層にまで触れていることは容易に推察できたが、彼女はやはり、難しい言葉を使わない。
そして、ビオディナミ調剤の話をしたあと、ステッラがふと、葡萄畑を取り囲む森を指差し、こう語り始めた。
「私はシュタイナーを信じ、その理論を農業として実践している。自然に近づこうと、心を砕いている。でもね、あの森を見て。森は、500番も501番も必要としない。彼らは、雨が降らなくても、調剤がなくても、暑くても寒くても、あんなに立派に命を輝かせている。あの森を見るたびに、私はいつも考えさせられるの。」
私はこう答えた。
「福岡正信も、晩年は森に入っていたんだよ。きっと彼は、森の中で、自らの存在意義を、神に問いかけ続けていたんじゃ無いかな。」
ワイナリーに戻って、簡素な醸造施設を一通り見た後、樽からの試飲をした。
ステッラは、標高210~340mほどに渡って広がる9つの区画(ワイナリーを取り囲むように、それぞれが隣接している)の葡萄を、全て別に仕込んでいる。
幸運なことに、それぞれの区画ごとに樽試飲をさせて貰ったが、あまり多くを語るのも意味はないだろう。
全ての区画のワインが、微小なテロワールの違いを鮮明に示していたことには、もはや驚きすらしなかった。
そして、私の経験上、これほどまでに魂が奥底から震えた樽試飲は無かった。
樽試飲を終え、応接室でコーヒーを飲みながら会話を続けた。
私が4年前の2014年ヴィンテージお披露目の際に経験した違和感をステッラに話すと、彼女は笑って答えた。
「悪いヴィンテージなんて無い。難しいだけよ。それに、難しい年の方が、インスピレーションが溢れてくるの。」
その言葉を聞いて、私はこう返した。
「ステッラはやっぱり、アーティストなんだと思うよ。ちょっと、ベートーヴェンの話をするよ。彼は若くて健康な時、ドイツ・オーストリアの古典音楽を完成させた。もちろん、その時代の彼の音楽は、歴史に残る偉大なものばかりだ。でも、ベートーヴェンが唯一無二となったのは、彼が聴覚を失い始めてから書いた晩年の音楽があってこそだと思う。信じられない苦難の中で、彼は古典を抜け出して、他の誰でも、何派でもない、ベートーヴェンそのものになった。」
ステッラは深く考え込んだあと、遠くを見るような目で、「そうね。」と短く返した。
Brunello di Montalcinoを生産する造り手としては、「最小」となるのがL’Aietta。
そして、フランチェスコ・ムリナーリという男は、筆者とよく似ている部分が多い。
生まれ年が同じなのはただの偶然だが、友人は大切にしつつも共同作業よりもマイペースなソロ活動を好み、何事も自分自身で試してみないと気が済まず、常識とされるものはとりあえず疑ってかかり、何かと過去の失敗を自嘲しつつも成功の糧だと信じ、新しいアイデアが湧くと、年甲斐もなくはしゃぐ。
フレンチェスコと話していると、農家になった自分と話しているような、不思議な気分になった。
モンタルチーノの町からすぐの距離に、ガレージというか、小屋というか、とにかく驚くほど小さなセラー(新しく大きなセラーを建造中とのこと)を構え、その奥に小さな葡萄畑がある。
テラス状になった古い葡萄畑で、油断すると転げ落ちそうな急勾配。
狭い畑なのに、高低差は130mもあるらしい。
畑の端から向こう側は完全な崖になっているので、普通に危ない。
そして、この隔絶された小さな世界の中で、フレンチェスコは学び続けてきた。
2013年からオーガニック転換し、生物多様性を高めることに苦心した。
この地のサンジョヴェーゼを大いに悩ませるエスカ(治療法が完全には確立されていない病害)への対策も、手探りで行ってきたがようやく手応えを感じ始めた。
アルベレッロ(株仕立て)や自根も試してきたが、アレナリエ(砂岩)土壌の彼の畑では、フィロキセラは現状問題にはならないようで、順次自根に植え替えているそうだ。
そろそろセラーへ向かおうとした時、彼は葡萄畑の角にある、一段上がった小さなテラスの上に植えられた、一本の葡萄樹の前で立ち止まった。
「この葡萄樹は、僕の大切な友達だ。畑仕事を始めた頃から、無知で愚かだった自分の色んなチャレンジを、この葡萄樹が受け止めてくれた。見てくれ、ボロボロだろ?かわいそうに、本当に申し訳ない。でも、まだちゃんと生きて、実をつけるんだ。」
何も知らない人が見たら、40歳手前のガタイの良い男性が、小さなボロボロの葡萄樹を優しく撫でながら愛おしそうに見つめる姿は、異様に思えるかも知れない。
でも、その場にいた私には分かる。
フランチェスコと葡萄樹の半径1mの小さな世界は、美しかった。
セラーに戻ると、次々とワインを出してくれた。
その日はとても寒く、ワインの温度も随分と低かったが、フランチェスコの純朴さが、正直な性格が、葡萄にかけた愛情が、純度100%で表現されたようなワインは、心身に優しく染み渡った。
「手をかけすぎると、葡萄は人の奴隷になる。」
フランチェスコの言葉の裏には、彼と葡萄の間に宿った、対等な関係性が見えてくる。
帰り際、新世代のBrunello di Montalcinoをお勧めしてくれと頼んだら、次から次へと名前が出てきた。
やっぱり、フランチェスコは仲間を大切にする、良い男だ。
「最小」のワイナリーの後に訪れたのは、「最大」のワイナリー、Castello Banfiだった。
約3haの領地に対して約1haの葡萄畑というL’Aietta、約2900haの領地に対して約830haの葡萄畑というCastello Banfi。
実は、Banfiの訪問に当たって、不安が無かったわけでは無かった。
ワイン産地における「最大」という立場は、必ずしも好意的に受け取られているとは限らないことを、私は重々知っていたからだ。
大規模ワイナリーと地域の関係は時に、弱者に対する搾取的なものとなる。
私益のみを求めるようなワイナリーの場合、市場の独占に向けて弱者を駆逐していくこともある。
嫌われ者の大地主。そんな大規模ワイナリーを、私は少なからず見てきた。
しかし、そんな私の不安を救ってくれたのは、むしろ小さな造り手たちだった。
L’Aiettaのフレンチェスコに、翌朝Banfiを訪れることを告げると、即座にこう返ってきた。
「モンタルチーノ中のワイナリーが、Banfiに感謝している。彼らがいたからこそ、今のモンタルチーノがある。」
モンタルチーノで訪れた他の全ての造り手たちも、異口同音にBanfiを褒め称えていた。
案内してくださったのは、<世界で活躍する日本人ワインプロフェッショナル>にもご登場いただいたYoshiさんだったので、腹を割った話をたくさんすることができたのも、本当に良かった。
Yoshiさんのドライブで、昨日見たL’Aiettaとは何もかもが異なる、雄大な葡萄畑を巡った。
Banfiの葡萄畑は、モンタルチーノの中でも最も温暖で乾燥したSant’Angeloにある。起伏は緩やかで、広く開けた畑は日当たりも抜群に良い。
土壌もハイパーモザイク型ではなく、より統一性が高い。
特に近年のBanfiの味わいには、この葡萄畑のテロワールが忠実に再現されている。
温暖化の影響が大きいSant’Angeloのエリアにあるからこそ、グリーンハーヴェストを抑えたり、少量の灌漑をあえて行ったりして、凝縮感を高めすぎない工夫もしているそうだ。
醸造所には、Banfiのトレードマークとも言える、24基の巨大なハイブリッドファーメンターが居並ぶ。
全体の76がオーク、残りはステンレスタンクというこの特殊な発酵槽は、微量の酸化と緻密な温度コントロールを両立することができる。
90年代は小樽が主体だったという熟成庫には、数えきれないほどの大樽が並んでいた。
ワインメーカーは、「高アルコール化に対して、大樽でバランスを取っている。」と語る。
つまりこの変化は、Banfiの温暖化対策だと言うことだ。
スキンコンタクトの期間も、ヴィンテージによって柔軟に変える。
最も温暖なSant’Angeloに葡萄畑をもつBanfiのワインが、そのテロワール個性に強い敬意を払いつつも、以前よりもずっとフレッシュ感に満ちているのは、細かい工夫の積み重ねによるものだと確信した。
2020年ヴィンテージのBrunello di Montalcino(正確にはその元となるワイン)は、3種類のオーヴァル型大樽から試飲したのだが、これもまた非常に興味深い体験だった。
Klaus Pauscha製の樽に入ったワインは、バランスの良い球体的な味わいに。
Mittelberger製の樽に入ったワインは、古典的で立体感のある味わいに。
Stockinger製の樽に入ったワインは、洗練されたおしゃれな味わいになっていた。
また、Banfiは地域のリーダーとしての役割も十全に果たしている。
SDGsと密接に結びついた、総合型サスティナビリティへの取り組みは、約10年前にスタート。
コルクの栽培に挑戦したが、失敗してしまったと言うエピソードを、Yoshiさんは笑いながら話していたが、開拓者精神が現れた、実に良いストーリーだ。
驚異的に詳細なサスティナビリティ・レポートは、BanfiのHP上(英語)でダウンロードすることができるため、是非一度は目を通していただきたい。
大メーカーが、どのような精度と深度で、地球と人類が抱える問題に真摯に取り組んでいるのか。Banfiのレポートを読むと、学ぶことが非常に多い。
他にも、サンジョヴェーゼの研究・勉強会を開いて、後進の育成にも努めたりと、余念がない。
最後に、先述したフランチェスコの言葉をYoshiさんに伝えたとき、心温まる答えが返ってきたことを、記録しておこう。
「Banfiが切り開いた市場に、他の造り手たちが入っていくこと。そして、Banfiだけでなく、モンタルチーノの様々なワインが世界各地で認められていくこと。それはBanfiにとって最大の喜びであり、大きなワイナリーとしての大切な使命だと考えています。コミュニティがあってこそのBanfiですし、Banfiもまた、そのコミュニティの一部なのですから。」
40年以上に渡ってBrunello di Montalcinoを生産してきたLa Magiaは、この地では中堅寄りの古参組に入るだろうか。
正直なところ、そこまで強いインパクトを私に残していたワイナリーでは無かったのだが、4年前のテイスティングでその印象がガラリと変わった。
2011年に完全に息子のファビアン・シュワルツへとバタンタッチして以降、目覚ましい進化を遂げていたのだ。
典型的な家族経営のアットホームなワイナリーに到着すると、元気いっぱいの愛犬が出迎えてくれた。
見晴らしの良い葡萄畑には、強風が吹き付ける。
辺り一面の空気が、澄んでいた。
オーガニック転換して生命力を高めた葡萄に、非凡なファビアンの才が合わさった結果、南東向きのガレストロ土壌というパワー型の要素に加え、標高450~500mという高地らしいエレガンスと緊張感がLa Magiaのワインに宿った。
日照の強いエリアゆえに、アルコール濃度は高くなるが、重さは全く感じさせないところにも、ファビアンの類まれなるセンスを感じる。
興味深いことに、Brunello di Montalcinoにおけるファビアンの手法は、かなり古典的だ。
Brunello di Montalcinoにはオークファーメンターを用い、マセレーションを45日ほど続けることもあるし、主に500Lの樽で、しっかりと熟成させる。
ガレストロ土壌のBrunello di Montalcinoは、非常に頑強な酒質となるため、このサイズの樽も、(熟成を適度に早めるという意味で)実に理に適っているように思える。
特にトップキュヴェとなるCiliegioは、10年は手出し厳禁レベルの屈強な酒質なのだから、ファビアンが、「適切な酸化」にこだわる理由はよくわかる。
実際、最近古いセメントタンクをようやく入手できたそうで、「もうちょっと酸化的に造りたいと、ずっと思ってきていた。ステンレスタンクだと、どうしても還元的になるからね。」と早く試してみたい気持ちを抑えきれない様子で話していた。
落ち着いた性格のファビアン(また偶然にも、筆者と同い年)は、悩みながらもマイペースに改革を進めているようだが、その歩みは着実に前へ前へと向かっている。
シャイなのか、自分に厳しいのかは分からないが、どうにも不安げにテイスティング中の私を見つめていたファビアン。だが、私は黙々と、そして存分に堪能していた。
古典と現代的センスの融合したワインが、今のLa Magiaだ。
「どれも素晴らしいし、Brunelloの硬さからも、私はさっき見た畑のテロワールをちゃんと感じることができて、嬉しくなる。どのワインも快活で、生命力がある。」
そう話しかけると、ファビアンの表情に笑みが溢れた。
ファビアンにも同世代の新しい造り手たちに関して尋ねたのだが、フランチェスコと同様に、たくさんの名前を挙げてくれた。
そして、日も暮れ始め、ワイナリーを出ようとした時、ファビアンの子供たちが帰ってきた。
走り寄ってくる子供を、高々と抱え上げるファビアン。
親から子供へ、そしてまた次の子供へ。
葡萄畑と共に生きるファミリーのレガシーは、こうやって優しく、穏やかに紡がれていくのだろう。
モンタルチーノの町を歩いていると、ワインバーでも、ワインショップでも、必ずRidolfiのボトルを見かけた。
4年前とは全く異なる光景だ。
なぜ、それほど名が知られているとは言えなかったワイナリーが、こんなにも短期間の間に大躍進を遂げたのか。
その理由は、ジャンニ・マッカーリという、現代ブルネッロを代表する凄腕醸造家の存在に集約される。
2014年にRidolfiの醸造責任者として着任したジャンニは、モンタルチーノ至高の大銘醸Poggio di Sottoでは、偉大なるジュリオ・ガンベッリの元で醸造責任者を務め、同じく銘醸として知られるSalicuttiでもその辣腕を存分に発揮してきた、現代の「マエストロ」だ。
ジャンニは着任後すぐに、Ridolfiの葡萄畑をオーガニック転換した。さらに、カバークロップの研究を独自に進め、土壌分析の結果に基づいて、10~12種類ほどの異なる草を、配合を変えながら畝間に撒くという徹底して理知的なアプローチも展開。
ビオディナミに興味はあるのかと尋ねると、「ビオディナミにはワインメーカーとして何度も関わってきたが、信じていない。」と即答する。
色々な話をするにつれ、ジャンニも私がどういう飲み手なのか理解してくれたようで、会話はさらに複雑かつ緊張感のあるものへと変化していった。
サンジョヴェーゼに、パワーではなくエレガンスを求めるジャンニは、微笑を浮かべながら「サンジョヴェーゼはカベルネに似ているか、ピノ・ノワールに似ているか。」と聞いてきた。
答えを間違えてはいけない。アシスタントワインメーカーが私を見つめる視線には、強い緊張が宿っていたが、私は「ピノ・ノワールに決まっている。」とすぐに返した。
途端にジャンニの表情が崩れ、「そうだろ、そうだろ!ピノ・ノワールに決まっているじゃないか!カベルネなわけがない!」と豪快に笑う。
醸造所では、大きなステンレスタンクを前にして、少し不機嫌そうな表情を見せながら、「全てセメントタンクに変える予定だ。なんでだと思う?」とまた聞いてくる。
「ステンレス・タンクはサンジョヴェーゼに強い還元をもたらす。その還元は、サンジョヴェーゼの美点を奪ってしまうのでは?」と答えると、「そうだ、その通りだ。ステンレス・タンクは、サンジョヴェーゼのエレガンスを閉じ込めてしまう。」と念を押すように語りかけてくる。
熟成庫には、もはやBrunello di Montalcinoの新時代スタンダードとなりつつあるオーヴァル型大樽が所狭しと並んでいたが、「樽メーカーによって、味わいの違いが出るのが分かるか?」としきりに聞いてきた上で、突然ワイングラスの中に、複数の樽からとったワインを混ぜ始めて、「これが俺のBrunello di Montalcinoだ!こうやって作るんだ!」と、また豪快に笑う。
その頃には、私もこの「マエストロとの奇妙な問答」が妙に楽しくなってしまい、どうせ聞き返されるのが分かっていながら、なぜStockingerの樽(この型の樽では最も有名なメーカー)を使わないのかと尋ねたら、案の定「お前はなぜだと思う?Stockingerが好きなのか?」と返ってきた。
「Stockingerは良い樽だと思うけど、サンジョヴェーゼにはどうかな。味わいが洗練されすぎるというか、サンジョヴェーゼからMOJOが消える気がする。」
と答えると、またジャンニはニヤっと笑った。
どうやら、ジャンニが私に課した数々の「試練」はなんとかクリアしたようで、テイスティングルームに入る頃には、すっかりマエストロと仲良くなってしまった。
Brunello di MontalcinoとRosso di Montalcinoの垂直テイスティングを行いながら、私はジャンニに最後の質問を投げかけた。
「モンタルチーノには、色々なサブゾーンがある。ジャンニはモンタルチーノ中の葡萄畑からワインを造ってきたと思うけど、例えば、MontalcinoとTavernelleとCastelnuovo dell’Abateにはそれぞれ、どの造り手にも共通して現れるような、はっきりとしたテロワールの特性があると思うか?」
その日初めて、ジャンニは私に聞き返さずに、ゆっくりと時間をとって、深く考え込んだ。
「答えはNOだ。テロワールは、ワインとして表現されるために、必ず人の感性を通る。そして、人の感性には一つとして同じものは無い。だから、テロワール以上に、誰が造るかが、大切だ。例えば、Castelnuovo dell’Abateを見てみろ。Poggio di Sotto、Mastrojanni、Ciacci Piccolomini d’Aragonaは、それぞれかなり近い距離にあるワイナリーだけど、全然味が違うだろ?」
ワインメーカーとしての、ジャンニの誇りと矜持が、強く胸に突き刺さった瞬間だった。
今回のモンタルチーノ訪問では、私はまだBrunello di Montalcinoの深層に近づくことは出来なかった。
この偉大なワイン産地は、大きな壁として、私の目の前に立ちはだかっている。
戦略を立てて、Chianti Classicoに挑んだように、次の機会では、Brunello di Montalcinoと真剣勝負をしよう。
その準備を始めるまでは、束の間の「ただのファン」であろうと思う。