2022年6月4日7 分
本シリーズの第一回で書いた通り、文化としてワインが根付いていない日本では、地の食である日本料理と、日本で造られたワインの間に、特別な関係性は極めて生じにくいと言えます。
ペアリングの真髄にとって重要なのは、冷静さであり、素直さです。本稿では、日本の土着品種とも言える「甲州」を題材にして、甲州ワインを使ったペアリングを冷静かつ素直に分析していきます。
甲州は、現時点でのDNA鑑定(この手の鑑定は、覆ることがしばしばあります)では、欧州種(ヴィティス・ヴィニフェラ種)が東洋系欧州種(ヴィティス・ダヴィディ種)と自然交雑した後、さらに欧州種と交雑したことによって誕生したと考えられています。この鑑定結果が正しければ、甲州の3/4は遺伝子的にヴィニフェラ種であるということになります。
ヴィニフェラ種と中国系野生種との交配がきっかけで誕生したため、起源は日本ではありませんが、7世紀(奈良時代最初期)に山梨県甲州市にある大善寺を建立した時に発見されたという説と、12世紀後半(鎌倉時代最初期)に同じく甲州市の上岩崎で雨宮勘解由(かげゆ)という人物が発見したという説があり、どちらが正しいにしても、非常に古くから日本に根付いてきたことは間違いないようです。しかし、長らくの間生食用として栽培されてきた甲州がワイン醸造にも使われるようになったのは、第二次世界大戦後のことですので、実質的なワイン用葡萄としての歴史は70年程度しかありません。
そのあまりにも短い歴史と、山梨県に栽培が一極集中しているという事実、非常に小さな生産規模を考えると、「日本料理と良く合う」といった、あまりにも幅が広く大雑把な括りが、そもそも成立し得ないことが理解できるかと思います。
さて、ワインになった時の、一般的な甲州の特徴を分析していきましょう。
酸味:Med ~ Med+
甘味:Low
渋味:Med-
アロマ:柑橘、桃、酵母
アルコール濃度:Med- ~ Med
余韻:Short
その他:シュール・リー製法の場合はやや強めの旨味、僅かな塩味。
となります。
甲州は白葡萄ではなく、グリ系葡萄であることから、一般的な白葡萄に比べると強めの渋味を含みます。この渋味を極力抑えるために、甲州は圧搾後のフリーランジュースだけを使用するのが一般的です。
特徴をまとめると、やや高めな酸味と程よい旨味を含んだ、シンプルな構造のスッキリ系辛口白ワインで、余韻は短い、となります。
この特徴を把握した上で、実際のペアリングワインとしての甲州の可能性を検証していきましょう。
実は、この特徴そのものが、甲州ワインが日本料理と合う、と言われることが多い本質的な理由でもあります。
ペアリング基礎理論の中には、「ハイライト」という技法があり、この技法には素材の味を活かしたシンプルな仕立ての料理に対して、シンプルな構造で比較的酸が高いワインを合わせることで、素材の味を引き立てる、という効果があります。
分かりやすく言うと、シンプルな料理に柑橘の果汁を絞るのと非常に良く似た効果です。
さらに多くの甲州ワインはシュール・リー製法で造られていますので(近年、やや減少傾向にはありますが)、旨味が「ブリッジ」の役割を果たすことから、「ハイライト」の効果もより高まります。
この「ハイライト」だけを軸に考えるのであれば、甲州ワインと日本料理が合う、というのはあながち嘘ではありません。
しかし、実は「ハイライト」という技法は、美食ペアリングとしては評価が非常に低いものとなります。理由は単純です。柑橘の果汁程度のものができてしまうことを、わざわざワインに代用させる必要性があまり無いからです。
素材を引き立てる役割は柑橘に任せてしまって、ワインには他の役割(ワインにしかできないこと)をもたせた方が、よっぽどワインを有効活用できる、と考えるのは自然なことです。
では、甲州の特徴から紐解く、その他の役割とはどんなものでしょうか。
まず筆頭に挙げられるのが、高めの酸を活かした、カットとハーモナイズです。
前者は、程よい塩分、油分、脂肪分を含んだ料理に対して有効です。
後者は、酸を含んだ料理に有効です。
日本料理の中で厳選していくのであれば、前者は天ぷらや串揚げ、後者は酢の物との相性を示していると言えます。
次点は、僅かな渋味を活かした、ハーモナイズです。
あくまでも白ワインとしての範疇で、渋味が強めな甲州ですが、この僅かな渋味は、食材や料理に含まれる同程度の「苦味」と調和の関係を成立させることができます。
食材で具体例を挙げると、山菜類や筍、春菊などです。
最後に、旨味による「ブリッジ」の効果が挙げられますが、これは半ば自動的に発生するようなものなので、特に意識する必要はありません。
では逆に、苦手なものも見ていきましょう。
アルコール濃度は中程度ですが、交雑品種特有の短い余韻がカヴァー範囲を狭めてしまいます。
肉料理は全般的に苦手で、複雑な構成や、ヴォリューム感のある料理も苦手です。
日本料理で言うと、醤油、味醂の味が強い煮付けなどが苦手な料理として挙げられます。
多少なりとも「カット」の効果を発揮することはできますが、正直なところ、物足りません。
さらに、もう一つの甲州の側面も見ていきましょう。
魚介類との相性に関して、です。
魚介類とワインの相性においては、不飽和脂肪酸とワインに含まれる成分の関係性を見ていく必要があります。
まず、ワインと魚介類を合わせた時に頻繁に生じる「生臭さ」の原因として、ワインに含まれる「鉄イオン」の存在が明かされています。
そして甲州ワインは、この鉄イオンの含有量が、他の一般的なワインに比べると平均してかなり低いことが分かっています。
これだけを切り取ると、「甲州ワインは魚介類全般に合う」といった早合点に陥りがちですが、ここは冷静になる必要があります。
鉄イオンは、あくまでも「判明している」原因であり、その他の可能性を否定している訳では決してありません。
何より、鉄イオンが少ない=生臭さが出にくい、とはなりますが(これも、実際には万能では無いのですが)、生臭くならない=優れたペアリング、では無いのです。
日本では、「邪魔をしない」ことに文化的にも価値が置かれる部分がありますが、世界基準の美食的観点から見ると、邪魔をしないのはネガティブ要素を生まないというだけのことで、プラス要素をもたらすとは考えないのです。
さらに忘れるべきでは無いのは、甲州ワインに宿っているテロワールの本質です。甲州の主産地は山梨県の甲府市勝沼盆地です。つまり、甲州は盆地の葡萄であり、甲州ワインは内陸のワイン、と言うことです。
筆者はありとあらゆる魚介類と甲州の組み合わせを探ってきましたが、確かに全体的に「邪魔をしない」性質は見られますが、美食的に見ると、その大多数が「いたって普通」の組み合わせに過ぎません。
しかし、一つだけ、甲州ワインと特筆すべき相性を発揮する魚介類のグループがあります。
それが、軟体類、つまりイカやタコです。
特にイカと甲州ワインの相性は極上で、おそらく世界中を探しても、甲州ほどイカに合うワインは無いのではとすら思えるほどの、圧巻の完成度です。
興味深いことに、軟体類はあらゆる魚介類の中でも最も「海の影響」が少ないグループでもあります。
これらの検証を総合すると、美食的に低レベルなペアリングとしては、甲州ワインと日本料理といった非常に大きな括りを否定し切れませんが、より高度なペアリングを目指すのであれば、特徴をしっかりと捉えた上で、適切な料理を選択していく必要があることがはっきりと伺えます。
甲州に1,300年を越える日本での栽培歴があろうとも、ワイン用葡萄としては僅かな年月しか過ごしていません。技術的にもまだまだ発展途上です。
まずは「思い込み」を外して冷静になり、しっかりと分析しながら、甲州ワインが輝ける瞬間を探していくのが良いでしょう。
そして、重々理解しておくべきです。
「甲州ワインは日本料理に合う」
という言葉は、
「シャブリはフランス料理に合う」
と言っているのと、本質的に同じだということを。