2021年9月14日4 分

Advanced Académie <14> ビオロジック

最終更新: 2021年11月5日

SommeTimes Academie <16> 農法2でも簡潔に触れたが、本稿では一般的にオーガニックという言葉が用いられる際の基本となる、ビオロジックに関して、詳細を追っていく。

まずは改めて、ビオロジックの基本に再度ふれておく。

ビオロジックとオーガニック農法は、同一のものであると考えて問題ない。その基本は、化学肥料、化学合成農薬を禁じ、天然成分由来の有機農薬のみを限定的に認可する農法である。その点においては、ビオロジック=無農薬では決してないため、正しく理解する必要がある。

認可農薬

代表的なものとしては、うどんこ病対策の為の硫黄粉剤ベト病対策のためのボルドー液が挙げられる。そして、これら二つの農薬は、ビオロジック農法が抱える本質的な危うさを象徴している。硫黄粉剤の一部はGHS(*1)の区分によると1A、つまり、人に対する発癌性が認められている農薬である。これは残留農薬という点よりも、散布者への危険度の方が深刻な問題となりうる。また、ボルドー液に含まれる銅は、土壌に蓄積し過ぎて地棲生物(主にミミズ等)に害を及ぼしたり、蓄積した銅が雨などで河川に流出し、その汚染水が灌漑用水等に使用されることによって、悪循環が生まれてしまう恐れがある。食品やワインが含むことができる銅の最大許容量は厳しく制限されており、ボルドー液への依存が高い地域からは、少なくない数で、許容量を大きく超えたワインが報告されてきている。

(*1)GHS:Globally Harmonized System of Classification and Labelling of Chemicalsの略。化学品の危険有害性を、世界統一ルールのもとに分類する機構。

ビオロジックで、なぜそのような問題が発生し得るのだろうか。それは、「可能な限り耕種的、物理的、生物的防除の適切な組み合わせによって対処する」、というビオロジックの大原則が、必ずしも厳格に守られているわけではないということだ。本来は最終手段として限定的に認められているはずの有機農薬も、節度を守らずに依存してしまうと、たちまち害をなすものとなってしまう。農薬を使えるからといって、楽をして良いわけではない。ナチュラル・ワインの造り手たちの中に、認証に対して否定的な者は決して少なくないが、彼らの多くは実質的には認証の規定よりも厳しい自己規定を設けて畑仕事をしており、認証にかかる費用と、認証の規定そのものの「緩さ」にも疑問を呈している。

このように、ビオロジックにも不完全な部分があり、認証のマークがあるからといって、特に環境負荷の面においては、盲目的に信頼できるものではない。

また、ビオロジック栽培を厳格に行うと、気候条件によっては(特に温暖湿潤地)どうしても収量が落ちるのだが、このことに関しては、別の見方をすべきだと筆者は考える。収量が落ちる、という単純な理解では足りないのだ。正しくは、化学肥料と化学合成農薬を前提とした農業に「比べて」収量が落ちる、ということであり、言い換えれば、本来の「普通の収量」に戻るだけなのだ。

オーガニックというパワーワードは、非常に強力なマーケティングツールでもある。そして、その認証も「ある程度」のゆとりが認められている。このようなビジネス的側面からは、なかなか離れることができないのが現状だ。

ビオロジックで認可されている農薬の例は、日本における有機JASの規定を見ると、概要が分かるかと思う。国によって認可農薬は異なるが、有機農薬という点においては共通しているため、それほど大きな差は無い。

有機JASの農薬規定(P.33からの別表2を参照)

何を信じれば良いのか

認証は、問題点があるとは言え、ある程度の確かな目安にはなる。そして、認証が無くても、もっと厳格な農業を行っている造り手もたくさんいる。結局は、造り手を知ることが大切、となってしまうだろう。分かりにくさが拭きれないのは、仕方ない。認証マークが盲目的に信じられるものでは無い以上、我々も知る努力を怠るべきでは無い

現代社会は、オーガニック社会への過渡期であるサステイナブル社会である。急速かつ厳格なオーガニックへの転換は、経済的リスクが高い。前述した収量減に加えて、人件費も嵩む傾向がある。スムーズな転換のためには、減農薬を経て、緩やかに、しかし着実にビオロジックへと進みつつ、経済的損失を補うための様々な整備(生産規模、価格等)を行う必要がある。地球環境の保全と、経済的成長を両立させるSDGsの目標は、簡単に達成できるものでは無いということだ。

環境破壊を前提とした在り方から、環境保全を前提とした在り方への転換。ワインの場合、その中心にあるべきなのは、「美味しさ」という価値観の再構築である。そう遠く無い未来に、我々は前者の在り方によって作りあげられてきた美味しさに、別れを告げねばならない。過去の素晴らしい体験を置いて、オーガニックであることが当たり前である上での美味しさを受け入れる。ワインという素晴らしい飲み物を、我々の何百年も先の子孫にまで残していくために、現代を生きる人々は、少なからずエゴを捨てる時がきている。