油が熱を宿していくと、扇情的なハイノートの旋律が流れ、徐々にその音色は音域を広げながらハーモニーとなり、やがて、小さな管弦楽団のような厚みとリズムが生まれる。つややかな衣を纏った食材が加わると、パーカッシヴな音に包まれたオーケストラへと変貌する。
何度も聴いてきた音だが、この日だけは何もかもが違った。
全ての音が、驚くほど鮮明に聴こえたのだ。
全ての音が、緻密な強弱と抑揚を讃えながらも、一つの壮大な音楽を奏でていたのだ。
それはまるで、天才指揮者サイモン・ラトルが率いていた頃の、ベルリン・フィル・ハーモニーの演奏のようだった。
コンサートホールの名は、成生(なるせ)。
静岡にある僅か8席の天麩羅料理店には、日本全国から筋金入りの美食家たちが集う。
食材は、ほぼ全て静岡産。
鮮度もそうだが、目利きも桁違いに凄い。
さらに、固定概念に捉われない自由な発想と、それを実現する技の圧倒的な練度。
時に揚げたてが供され、時に余熱を経たものが供される、千変万化の夕べ。
次の天麩羅が供されるまでの時間ですら、未体験のご馳走に思えた。
成生は、噂に違わぬ、いや、想像を遥かに越えた、至極の名店だった。
筆者は、ワインペアリングについて語る時、可能な限り論理的なアプローチをとるようにしている。感覚に偏りすぎると、再現性が著しく下がるからだ。
しかし、世界には、ペアリングの論理が全くといって良いほど通用しない料理が、ごくわずかながら存在する。