ファインダイニングのソムリエをしていると幸運なことがある。ブルゴーニュのトップ生産者、*DRCをティスティングする機会に恵まれることだ。ワインをあまり嗜まない方でもDRCのロマネ・コンティといえば世界で最も高価なワインの一つということを知っていると思うが、『なぜ素晴らしいのか』を知っている方は少ないのではないだろうか。それもそのはず、DRCの中でもお求めやすい(?)CortonやEchezeauxでさえもレストランでの販売価格は10万円を優に超えてくる。ソムリエという職業を選んだからには一度は口にしてみたいDRC。今回、憧れと尊敬の念を込めてDRCが所有するVosne-Romanée村にある特級畑の違いを記事にさせていただく。
*DRC:Domaine de la Romanée-Contiの略
DRC -その凄さとは-
DRCが他の生産者と違うところといえば、グラン・クリュ(特級畑)しか造らないことがまず挙げられる。現在ブルゴーニュの特級畑1haの平均価格は銀座の一等地より高く、約625万ユーロ、日本円にして約9億円弱だ。それらの畑を複数所有している事実だけでも、 DRCが特別だということがわかる。
DRCが所有する特級畑の説明を、簡潔にさせていただく。
ヴォーヌ・ロマネ村、及びフラジェ・エシェゾー村には8つの特級畑があり、DRCはその中の7つの畑を所有、もしくは借りてワインを造っている。
単独所有はRomanée-ContiとLa Tâcheの2つ。
他にもコルトンの丘からCorton(赤)、Corton-Charlemagne(白)、そして白ワインの最高峰Montrachetを0.68ha所有している。2018年に、ボノー・デュ・マルトレイからCorton-Charlemagneの畑を借地契約した件は記憶にも新しい。どのような順番や経緯でDRCは貴重な特級畑を手に入れたのだろう。少し歴史を遡りながら解説させていただく。
*参考までに各特級畑の斜度と標高をまとめたのがこちら。
全てはここから始まった
DRCのオーナーであるオーベール・ド・ヴィレーヌ氏は、『ロマネ・サン・ヴィヴァンから全てが始まった』と語る。歴史を遡ると、12世紀にAlex de Vergy家がSaint-Vivant修道院にLe Cloux de Vosneと呼ばれる区画を寄付したことから始まる。その約400年後、Le Cloux de Vosneを買い取ったCroonembourg家が、ワイン造りをもたらしたローマ人に敬意を表して『Romanée=ローマ人の』と名付けた。この当時はRomanée-ContiもRomanée-Saint-Vivantも一緒だったのだ。
*16世紀のLe Clouxを構成していた4つの区画と、現在のグランクリュを重ねたもの。
*紫色の外枠は、現在DRCが所有する区画。
*1Journaux:0.34ha。1ジョルノーは当時の1日で耕作できる広さ。
1745年にCroonembourg家の当主フィリップが亡くなり、素晴らしい領地だけでなく莫大な借金も残したため、その息子は1760年にドメーヌを売ろうと決断した。それを購入したのが、のちにロマネ・コンティの名前の由来となったコンティ公ルイ・フランソワ・ド・ブルボンだ(ルイ15世の従兄弟)。その当時、近隣相場の10倍以上でRomanéeの領主権を買い取り、自身の名前を冠してロマネ・コンティRomanée-Contiと呼ぶようになった。(その時、競売を争ったのがルイ15世の公妾であったポンパドゥール夫人である。)Romanéeのワインは彼と親しい者たちとの晩餐会でのみ供出されたので、市場から姿を消し幻の存在になったそう。
フランス革命後、領地は没収され、1794年に園芸家であったパリジャンのNicolas Defer de la Nouerreが競売で落札、1819年にナポレオンの資産を管理していたJulien Ouvardの手に渡った。Romanée は78,000フランで購入されたそうだが、この価格は、当時のChambertin、 La Tâche、Richebourgという三つの特級畑を全て合わせた価格とほぼ同額であったことから、非常に高額だったことがわかる。
そして1896年、ついに現在のオーナーであるオーベール・ド・ヴィレーヌ氏のヒイヒイヒイ爺さんに当たるジャック・マリー・デュヴォー・ブロシェに売却された。そう、あの特級畑の若木などを格下げした特別な年にしか生産されない、ヴォーヌ・ロマネ・プルミエ・クリュのcuvée Duvalt-Brochetの由来となった人物である。
DRCはこの時代に、Echézeaux、Grands-Echézeaux、Richebourgの畑を獲得している。
彼が亡くなった後、畑の所有は玄孫(やしゃご)であったジャックとマリー・シャンボンの手に渡った。さらにマリーの夫のエドモン・ゴーダン・ド・ヴィレーヌは、ヴォーヌ・ロマネの名家コント・リジェ・べレールからLa Tâcheを購入。ここまで順調に特級畑を獲得してきたが、1930-1960年代は世界大戦によって厳しい時代を迎える。この時、畑の所有権を半分持っていたジャック・シャンボンは手放すことを考えたが、ヴィレーヌ家のエドモンはRomanée-ContiやLa Tâcheが細分化するのを恐れ、DRCを法人化することを決意。この考えに賛同し協力したのがネゴシアンのルロワである。法人化されたことによって、ジャック・シャンボンがもっていた権利は株式となり、その株をルロワ家が取得。これによりド・ヴィレーヌ家とルロワ家の共同経営となって、現在に至る。
1963年:ムーシュロン伯爵からMontrachetを購入
1966年:マレ・モンジュ家からRomanée-Saint-Vivantの畑を折半耕作にて造り始める。
1988年:後継者がいなかったため、Romanée-Saint-Vivantの所有権を買い取る。
(推定1000万ドル、資金を工面するためにドイツの保険会社に一部EchézeauxとGrands-Echézeauxの畑を売却)
2009年:Cortonをプランス・フローラン・ド・メロードより借地。
2018年:Corton-Charlemagneをボノー・デュ・マルトレイより借地。
土壌よりも斜度が大事
生産者の個性が強く表れるブルゴーニュのワインを畑の個性を説明するとき、私は村毎の特徴より斜面のどこにあるのかでワインのスタイルを表現することが多い。斜面上部は標高が高い分、より涼しいので、ワインのスタイルも引き締まったタンニンの力強いタイプになることが多く、反対に下部の方は豊満でタンニンの優しいスタイルになりやすい。
斜面上の位置は、大きく分けて3つある土壌タイプとも関係してくる。石灰質、粘土、そしてその二つを合わせた泥灰岩のマール土壌だ。(石灰岩も種類が沢山あるがここでは割愛させていただく)
表土は通常細かい粒子である粘土が蓄積されるが、斜面の畑だと表土は雨風で流されるため、表土が薄く石灰質が露出する傾向にある。斜面でも上部はより薄く、下部は厚くなる。
ブルゴーニュでは、石灰質はwarm soil、粘土はcool soilと言い換えられる。その理由は石灰岩と粘土の“温まりやすさ“にある。表面積が大きい石灰質の石は太陽の熱をよく吸収し、色も白いので反射しブドウの成熟を助けることもある。対して粘土は赤茶色で太陽があたっても温まるのに時間がかかり、温まっても日が暮れると冷めやすい。
これが暖かい土壌、冷たい土壌と言われる所以だ。斜面上部が涼しいのに、繊細ではなく力強いと表現するのはこの為だ。どちらが素晴らしいかというのは、ヴィンテージによっても変わる。雨の少ない年には水分の保水率がより高い粘土の多い斜面下部の畑の方が良い場合もあるし、雨が多く曇りがちの年は斜面上部や中腹の石灰岩の比率が強い方が良いだろう。まず以下の画像から、斜面の土壌がどのような構成になっているかをご覧いただきたい。斜面上部は表土が薄くマールや粘土石灰、下部の方は泥灰岩に粘土の割合が高くなる。筆者は決して土壌=ワインの味わいに直結するとは考えていないが、土壌の種類、つまり水捌けによってワインのスタイルは変わると思っている。
又、地質学者ロランド・ガディルによると、『重要なのは土壌よりも斜度』らしく、斜度によりブドウの生育スピードが変わるらしい。DRCの特級畑を調べた際に一番積算温度が高かったのは中腹にあるRomanée-Contiで、一番早く熟すのもRomanée-Contiだったそうだ。ただ、一番早く熟すからといって一番早く摘むのかといえばそうでもなく、香りの元となるフェノールの成熟を伸ばす目的で、ブドウの実が樹になっているハンギングタイムを長くとるため収穫は遅い。Romanée-Contiが幾層にも広がる官能的なアロマをもつのは、こういった背景がある。
*参考までに各特級畑の斜度と標高をまとめたのがこちら。
La TâcheがRomanée-Contiを上回る年があるというのを、聞いたことがあるだろうか。実はこれ、La Tâcheの畑の高低差が関係する。La Tâcheが約50mも標高にアップダウンがあるのに対し、Romanée-Contiは262-272mとわずか10mの間に収まっている。Romanée-Contiがヴィンテージを直接反映するのに対し、La Tâcheはある程度“調整”が効きそうだ。暑い年には斜面上部、寒い年には斜面下部の良いとこ取りが出来る。土壌のスペシャリストのイヴ・エロディ氏によると、La Tâcheの特異性は斜面下部で暖かい風が渦巻き斜面を昇るので、雨が降っても他の畑より早く乾くという。また斜度が強いために雨はすぐ側面に排水され、ブドウが実膨れるのを防いでくれる。これらの理由により出来上がるワインは凝縮感に富んだ力強いワインとなる。よくLa Tâcheの方がRomanée-Contiより長期熟成すると言われるのは、この恵まれたテロワールから生まれる豊富なタンニンによるところが大きい。
標高差でいえば、RichebourgとRomanée-Saint Vivantの関係も面白い。隣接しているのに、そのワインのスタイルは対局にある。近年ジェンダーの関係でフェミニンとマスキュランという言葉はワインを表現する際に使用されなくなってきてはいるが、オーナーのヴィレーヌ氏によるとRichebourgはマスキュラン、Romanée-Saint Vivantはフェミニンだという。ここであえて、ヴォーヌ・ロマネの特級畑の違いを女系と男系に分けると、以下のようになるだろう。
フェミニン Romanée-Conti ▶︎ Romanée-Saint Vivant ▶︎ Echézeaux
マスキュラン La Tâche ▶︎ Richebourg ▶︎ Grands-Echézeaux
男系であるRichebourgがLa Tâcheの弟的な存在と言われるのは、二つの畑に共通する急勾配の斜度にある。出来上がるワインはリッチで濃厚、若い時にはタンニンをしっかりと感じる。又、化学肥料を大量に使っていた1960-70年代、『ブルゴーニュの土壌はサハラ砂漠より微生物が乏しい』と衝撃の発言をして当時注目を浴びた地質学者のクロード・ブルギニヨン氏(DRCの土壌改良のコンサルタントでもあった)によると、Richebourgは1g当たりの粘土の比表面積が他の特級畑より大きいらしく(対照的に一番小さいのがRomanée-Conti)、この粘土の比表面積も出来上がるワインのタイプに関係してくる。例えるなら、Richebourgは筋骨逞ましく豪華。しっかりとした構成要素をもつ。
Romanée-Saint Vivantは他の3つに比べると最も標高が低く斜度が緩やかな為、出来上がるワインは可憐で華やか。若いうちから調和が取れていて、最もフラグラントなワインになる。さらにSaint-Vivant修道院が所有していたことを考えると歴史が深く、市場価格では負けるものの、“格”ではRichebourgより上だと考える人も多い。
困ったことに、Grands-EchézeauxとEchézeauxの違いは、斜度や標高では語れないところがある。Grand(偉大)と名前につく通り、Echézeauxよりもしっかりとした構成をもつGrands-Echézeauxは、元々はEchézeauxより大きかったためにGrandと名前がついた。断層の真上に位置し、Clos de Vougeotの上部やMusignyとも近しいスタイルとなる。土壌はEchézeauxよりも粘土が多めで表土が厚く、ストラクチャーのしっかりした壮大なワインとなる。
対してEchézeauxは同じ名前を冠するもののスタイルとしては真逆で、ワイン評論家のマイケル・ブロードベント氏は「Echézeauxを合唱に例えると、真っ先に聞こえてくる歌声」だと言う。標高はGrands-Echézeauxより高いが、大部分はコンブ(涸れ谷)にあるのでほとんどが平らに見え、緩い波のようにうねっている。その為、他のDRCの畑と比べると一番熟成が早くに訪れ、若いうちから微笑みかけてくれる繊細でチャーミングなワインとなる。
DRCの特徴として他にも覚えておいていただきたいのは、
・ヴォーヌ・ロマネで最も収穫の遅い生産者であること
・haに対し、他のワイナリーよりブドウ畑を管理する人が多いこと
この二点が挙げられる。筆者も初めてブルゴーニュに訪れた時に、管理の行き届いた畑を見て思わずため息が出たものだ。対照的にルロワの畑はボーボー生い茂っていたのが印象的で、同じビオディナミ栽培でもそのスタイルの違いを感じたことを覚えている。
DRCをブラインド・ティスティングする際にはぜひこの記事を思い出し、参考にして欲しい。
今夜もまたこの幸運が訪れますように。
<ソムリエプロフィール>
井黒 卓
国際ソムリエ協会(A.S.I.)認定ソムリエ
米国Court of Master Sommelier認定ソムリエ
2020年 JSA主催 第9回全日本最優秀ソムリエコンクール 優勝
2021年 ASI主催 アジア・オセアニア最優秀ソムリエコンクール 日本代表
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