まるでそこは、忘れ去られたかのような小さな集落が甦る、山梨県甲州市、塩山の福生里(ふくおり)。
塩山の美しく古い街並みの中には古寺も多く、武田信玄公の菩提寺 乾徳山恵林寺もある。一面に広がる葡萄畑や、多くのワイナリーが点在する同じ甲州市の勝沼近辺からは少し外れた、言わば山奥にワイナリー「98ワインズ」は潜んでいた。
甲州街道からフルーツラインを越え、座禅草のみちを進む。
「座禅草」とは何か、気になってみて調べてみた。
それは花弁の重なりが、座禅を組む僧侶の姿のように見えることから名付けられた多年草ということだ。険しくも広大な山岳地帯や渓谷からも、その道はかつて修行僧がいたのではと思わせるようだった。
細く急な坂道を登って行くと、古民家を再生した、お洒落なブティックのようなワイナリーが見えてきた。98ワインズである。看板を見た時の高揚感はいつだって計り知れない。まるで好きなミュージシャンのライヴ会場に訪れたような気分だ。
そこには3つの棟があり、現地を訪れるだけでも感慨無量なのだが、「木の棟」よりオーナーの平山繁之さんが明るくドアを開け、招き入れてくださった。中へ入るとそこには木材が暖かい雰囲気のバーカウンターやキッチンがあり、国産スピーカーからレコードが流れていた。スタッフの方やご家族が団欒する、まさに憩いの場である。傾斜がある故か風が心地よく、そのダイニングから見下ろす景色は圧巻で、甲府盆地と富士山の頂が望めた。
平山さんはシャトー・メルシャンで長年に渡り醸造責任者を務め、勝沼醸造など国内のワイナリーで技術指導をされるなど、日本のワイン界を牽引されてきた方である。2017年にワイナリーと交流の場を理想とした98ワインズを創立された。
98ワインズは、仲間が交流する「木の棟」、醸造を行う「鉄の棟」、貯蔵を行う「石の棟」と称された3つの棟から構成されている。「木の棟」があるブティックのような空間は元々公民館だったそうで、かつては地域の方が集まり交流していた場所だった。そんな場所でワインが造れたら幸せだろう。中に入れば、その当初の思いが込められたダイニングがもう完成していた。
「鉄の棟」はワインの醸造所。葡萄や果汁にストレスをかけないように、斜面を利用したグラヴィティー・フローが行われている。それも98ワインズらしい、クリーンでエレガントな味わいの一因でもあるいうことをそこで確信した。入口には鉄で出来た「鉄」の表札があり、その佇まいは印象的でその意味には衝撃が走った。
「鉄という漢字の旁(つくり)には人が入っています。鉄は錆びても人だけはいつまで経っても錆びないように。」
平山さんのユーモアと鉄のような堅固な意志を感じた。「鉄」にある人の文字は見事に太陽光を反射し、白く眩しく輝いていた。
「石の棟」は貯蔵に適した蔵環境と地域の景観を保全する目的から、福生里の石垣が再生され美しい外観である。
造られるワインは、赤はマスカット・ベイリー・A、白は甲州のみ。
「人が葡萄を選ぶのではなく、葡萄が土地を選んでいったのでしょう。その場所に適した品種を栽培し、その場所に適した可能性を引き出せるような、ワイン造りを目指しています。」
葡萄の生育に自然と宿ったその場所の特徴が、素直に表現されていることを知った。
生産者:98WINEs / 98ワインズ
ワイン名:SOU ROSE / 霜 ロゼ
葡萄品種:甲州、マスカットベーリーA
ワインタイプ:ロゼワイン
生産国:日本
生産地:Yamanashi / 山梨県甲州市
ヴィンテージ:2020
参考小売価格:¥2,200
98ワインズの中でも重きが置かれるロゼワインは、マスカット・ベイリー・Aと甲州をブレンドして造られている。野苺の魅惑的アロマを持つベイリーAと、瑞々しくも苦みのある甲州のそのどちらの個性も反映させている。素直でクリーン、自然な味わいは、塩山を吹き付ける風の中、体内を滞ることなく五臓六腑に染み渡っていく。
ところで、98ワインズの「98」とはどんな意味なのだろう。数字の意味を伺った。
「100点という完全は求めていくが、自分達だけでは完結出来ません。ワインを通して出会う人、響きあい惹かれあうあらゆる世界の人たちとの出会いによって、不完全な98が100にも200にもなれると信じています。」
心理学者アルフレッド・アドラーが提唱した「不完全であること認め、挑戦していく勇気」にもどこか通じるものを感じた。
98WINEsは「ワインの持つ力」を創造し文化交流の場所として生まれていたのである。生涯ワイン造りに心血を注ぎ、日本ワインを牽引されてきた平山さんの「人」が、とても眩しく輝いていた。
【参考文献】
・岸見一郎 古賀史健『嫌われる勇気-自己啓発の源流「アドラーの教え」』ダイヤモンド社 2013
・98Wines https://98wines.jp/ (参照2022.8.14)
・甲州市「甲州市ってどんなところ?」
https://www.city.koshu.yamanashi.jp/iju/about/miryoku.html (参照2022.8.14)
<ソムリエプロフィール>
藤原 龍 / Ryo Fujihara
アマン東京 ビバレッジ・マネージャー。
シンガポール「WakuGhin」や「ジャンジョルジュ東京」など、国内外のミシュラン星付き名店を経て、2022年8月より現職。
ホテル館内のイタリアンレストラン、鮨店、カフェや客室のワインリストを手掛ける。 日本酒にも傾倒し、その知見による酒ペアリングは内外からの信望も厚い。
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