2023年8月5日6 分

樽とワイン <後編>

後編となる本稿では、David Ramey氏が語った「樽を使う本当の意味」に、焦点を当てていく。

なお、今回の話は一人の醸造家による「意見」であるため、別の見解も当然存在していることはご理解いただきたい。

樽とはワインを入れるための容器である

私がDavidに対して最初に投げかけた質問は、「なぜ樽を使うのか?」というシンプルなものだった。

この質問を最初にもってきたのも、ちゃんとした意図があってのこと。

1980~2000年代をトップワインメーカーとして駆け抜けてきたDavidは、当時強大な影響力をもっていた米国のワイン評論家、ロバート・パーカーJr.の嗜好を、ワイン産業及びワイン市場が、部分的に「湾曲解釈」したことによって生まれた「パーカリゼーション」時代の当事者だ。

「More is More」とでも言わんばかりの、濃厚で芳醇で、極端に凝縮したワインがもてはやされた時代を走ってきたDavidにとって、現代の「Less is More」な風潮はどう見えているのだろうか。

新樽100%が正義とされていた過去と、新樽比率が低いほど「テロワールのワイン」とみなされる現代。

移りゆく時代の中で生じた、David自身の変化も含めて、私は知りたかった。

質問に対して最初に返ってきた答えは、実にシンプルかつ奥深いものだった。

「大前提として、樽とはワインを入れるための容器である。」

この言葉には、Davidの深い意図が込められている。

そう、樽とはどこまでいっても、ただの容器に過ぎず、「味わいを積極的に足す」ためのものでは無い。

Davidはそう言っているのだ。

活きた

ただの容器である、という前提のもとに、Davidは話を進めた。

その話は、前編でも書いた主発酵後の育成期間中に関してのことだった。

樽でワインに味をつけるのではなく、ワイン自体の味わいを育てる。

重力による自然な清澄作用フェノール類の重合による沈殿作用は、樽にワインが入っているからこそ、その効果が正しく発揮される。

「ステンレス・タンクで育成を行なっても、樽と同じようには全くいかない。むしろ、ほとんど効果はない。」

とDavidは語る。

確かに、この作用は、酸素透過率の高い容器(樽)の場合、酸素との接触によって緩やかに酸化しつつ、より強い効果を発揮することが知られている。

Davidは、さらにこの過程における滓(一般的に、醸造家庭で生じるものを滓、瓶詰め後に沈殿しているものをと表記する)の重要性を強調した。

は死んだ酵母だと一般的に言われているが、それは嘘だ。実際には、がたくさん出ていても、まだ半分くらいの酵母は活きて、役割を果たしている。」

滓(分かり易くするために、ここでは「死んだ酵母」としておく)は、「吸着」する性質をもっており、一部の不快臭や酸素を吸着しつつ、窒素、タンパク質、アミノ酸を活動中の酵母に供給する。

栄養源を得た酵母は、さらなる活動のために酸素を吸収するため、滓と酵母の異なる働きによって、育成中のワインは酸化から(ある程度)守られることになる。

もちろん、過剰な酸化を防ぐための、適切な補酒や温度管理は必要だが、還元的環境のステンレス・タンクに比べ、酸化的環境である樽に入れられたワインが、極端に酸化することが無いのは、滓と酵母、そしてその活動を助ける酸素があってこそなのだ。

一見矛盾しているようにすら思えるこの自然の作用は、実に精妙なバランスで成り立っている。

そして、この作用が正しく行われる最大のメリットこそが、味わいやアロマの複雑性である。

Davidの話はさらに続く。

「もう一つ、この過程で大切なのがマロラクティック発酵(MLF)だ。と酵母の自己消化によって供給されたアミノ酸は、乳酸菌の増殖を促進するから、ワインが(微生物学的)に安定する。そして、MLFこそが、樽から抽出される「味わい」を軽減させている。」

MLFあってこその樽。

非常に興味深い話だ。

「例えば、過度に引きをしたり、亜硫酸添加をしてMLFが起こりにくくなったワインを新樽に入れると、あっという間に樽から出る味わいに支配されてしまう。でも、と酵母がしっかりとあり、MLFがちゃんと進む状態のワインは、新樽に入れても問題なく耐える。もちろん、限度はあるけどね。」

限度、とは何に基づいて決められるのだろうか。

私は、さらに質問を重ねた。

「新樽にワインが負けない限度は、収量とテロワールに関係している。基本的には収量が低く、凝縮した葡萄の方が良いが、フェノール類の熟度も高い必要があるから、単純に収量を落とす(糖度の上昇スピードが上がるため、場合によってはフェノール類が熟す前に収穫する必要が出てくる。)のが正解という訳でも無い。その微妙なバランスを完璧に実現できる葡萄畑こそが、グラン・クリュと呼ばれている。」

なるほど、と唸った。

確かに、ブルゴーニュにおいても、グラン・クリュは新樽比率が高い傾向にある。

より積極的に新樽の味わいをつけて、厚みと迫力をもたせることが目的と思われがちな部分だが、どうやら異なるようだ。

グラン・クリュだからこそ、高い新樽比率に耐えられる葡萄ができる。

そして、酸素供給力の高い新樽を多く使えるほど、ワインの複雑性は加速度的に高まっていく。

樽を取り巻く作用は、自然が造り上げた精密機械のように、複雑に、デリケートに、そして精緻に絡み合っているのだ。

なお、David自身は、段階的に新樽比率を下げてきた。

その理由は、「彼自身の嗜好の変化」によるものだそうだが、黒葡萄の方がMLFによる樽の味わいとのインテグレーションが高いとの考えから、白ワインよりも赤ワインの方が全体的に新樽比率を高めに保っている。

樽の違い

本筋の話がひと段落したところで、興味深い余談も出てきた。

「こんな実験をしたことがある。一つの樽メーカーが、フランスにある5つの森からそれぞれ造った樽、そして5つの樽メーカーが、1つの森からそれぞれ造った樽。これらの樽に同じワインを入れて、どのような違いが出てくるのか検証した。結果は、前者のパターンでは樽毎に明確な違いは認められなかったが、後者のパターンでは非常に大きな違いが出た。アリエだろうがトロンセだろうが関係ない。一番大切なのは、樽メーカーということだ。」

実際に、森の違いにまでこだわりをもつワインメーカーはそれなりにいたりするのだが、Davidはそのアイデアを一蹴した。

さらに、Davidは続ける。

「同じワインをいれた樽から良いものを選んで、特別なキュヴェを造る、なんて話は良く聞くが、ナンセンスだと私は思う。正しい醸造と正しい管理をしていれば、(同じ樽メーカーである限り)樽で違いが出るなんてことは無い。」

実際には、文面よりも少々語気は荒かったのだが、ここはマイルドに書かせていただこう。

樽メーカーに対して、細かな仕様の注文をする、という良くある話に関しても、Davidは言及した。

「DRCの樽を長年作り続けているフランソワ・フレール社に、私が細かく口出しをする?樽を作るのは彼らのプロフェッションだ。彼らには脈々と受け継がれてきた技術があり、その技術は完璧なものだ。そんな彼らに、森やトーストの加減を指示したところで、良いことなど何も無い。その樽メーカーが最も得意とする仕上げに不満があるなら、樽メーカーを変えれば良い。それだけのことだ。」

ワインには、様々な付加価値がつけられる。

樽にまつわる情報も、間違いなくその一つとなる。

そして、その付加価値とされているものの中には、デタラメも数多く含まれているのだろう。

だからこそ、Davidのように、歯に布着せないベテランワインメーカーの話には、経験に基づいた確かな真実味が宿るのだ。