2023年1月11日3 分

捨てる神あれば拾う神あり

物価高が世界を襲っている。

生産、物流、消費という流れは一方通行の大流であり、何かしらの理由で一度堰き止められてしまうと、なかなか元通りにはならない。

長引く新型コロナ禍による生産体制の滞り、ロシアのウクライナ侵攻による世界的なエネルギー不足とエネルギー価の爆発的な高騰、輸入産業を直撃する極端な円安。先行きの見えない不安が高まる中、消費も冷え込みがちだ。

こうなると、物価が維持されるために重要なスケールメリットも機能不全に陥る。

まるで、血栓ができた動脈のように。

そして、海外での生産、超長距離の輸送、輸入産業という、自力ではどうしようもできない要素が揃いに揃ったワイン市場は、物価高の影響を甚大に受けている

(正確な統計は出ていないが)物価高が目に見えて影響し始めた昨年9月以降のワイン価格を、同ワインの直近ヴィンテージと比較すると、平均的な価格上昇率は、130~140%といったところだろう。

これは、昨年の初め頃には4,000円だったワインが、5,200~5,600円程度まで上昇した、ということを意味する。

200%とも言われる輸送費の高騰や、円安の強烈な影響を考えれば、この結果の責を輸入商社に対して問うのはとんだお門違いだし、元々薄利がスタンダードな飲食店やワインショップに問うのも、おかしな話だ。個人的にはこの一連の出来事に対して、ロシアを強く非難すること自体には同意するが、それをしても何かがすぐに変わるわけではないのだから、どこまでいっても憂さ晴らしの域を出ない。

ならば、我々はポジティブになるしかない。

When one door closes, another opens.

捨てる神あれば拾う神あり。

ピンチはチャンス。

古来から人々が難局を乗り切ってきた知恵を、今こそ活かそうではないか。

そして、そのために最も必要なのは、「諦め」である。

思い入れをもってきたものを諦めることによって、新たな思い入れの対象が生まれる可能性は十分にある。

シャンパーニュが高騰し過ぎて辛いなら、世界各地のシャンパーニュ製法で造られたワインに目を向ければ良い。

ブルゴーニュが高騰し過ぎてばかばかしくすら感じるなら、世界各地のコストパフォーマンスに優れたピノ・ノワールやシャルドネを探せば良い。

お気に入りのカジュアルワインが、自身にとってカジュアルな価格で無くなったのなら、新たなワインを探し出せば良い。

幸いなことに、ワイン産業に宿る圧巻の多様性は、諦めという選択肢を手放さない限り、必ずと言って良いほど、オルタナティヴ・チョイスを提示してくれる。

確かに、新たなワインを探し続けるという作業が、苦痛を伴う人もいるだろう。

自身が頑なに信じてきた価値が崩壊していく様を見るのが、どうにも辛いというのも十分に理解できる。

だが、筆者はこの難局をこう見ている。

権威がさらなる権威と化したことによって生じた、脱権威主義を実現するための千載一遇の好機である、と。

もちろん、長年にわたる懸命の努力によって、その権威を勝ち得てきたワイン産地や生産者にとっては、非常に厳しい時代が訪れる可能性(不思議なくらい超高級ワイン市場は元気なので、おそらく大した問題にはならない)は捨てきれないが、明らかに行き過ぎた現状を鑑みれば、ある程度フラットな方向へ向かっていくメリットの方が、産業全体にとっては大きい。

今回の物価高をきっかけに、マニアの専売特許だったオルタナティヴ・ワインが、より広い範囲へと浸透していく時代がくるかも知れない。

どこにでもあるようなビストロで、シャルドネではなく、リボッラ・ジャッラが普通に飲まれる日が、ついに来るかも知れない。

高級店で約束事のように出されるシャンパーニュが、フランチャコルタ、コルピナット、MCCといったオルタナティヴに変わり、それがCOOLとされる時代が、ついに来るかも知れない。

ナチュラル・ワインが、いつの間にかパンクからポップへと変化したように、時代の流れは矢継ぎ早に、モノの価値を変えていくのだ。