2022年2月12日4 分

真・日本酒評論 <5> 飲みやすさの進化系

<正雪:純米大吟醸 天満月>

飲みやすい酒。水のような酒。

この表現が褒め言葉なのか、そうでないのかは、実にややこしい問題だ。

古典的な反論は、「水のように飲みやすい酒が飲みたいなら、水でも茶でもレモンサワーでも飲めば良い。」だとか、「酒は飲んだら酔うのだから、飲みにくいくらいがちょうど良い。」と言った、実に正論と言えるもの。

そのジャンルの玄人になればなるほど、飲みやすい酒という表現を嫌う傾向も見られるが、さらに突き抜けたところになるとまた話が違ってきたりするのが、難しいところでもある。

例えばワインなら、ロマネ・コンティシャトー・マルゴーは究極的な意味で「飲みやすい酒」と表現して差し支えないだろう。

スコッチ・ウィスキーで最も「飲みやすい酒」がマッカランであることに異論を唱える人は、どう考えても少数派だ。

もし、同じことが日本酒にも当てはまるのであれば、中途半端に飲みやすい酒は賛否両論、突き抜けて飲みやすい酒は称賛の的となるのかも知れない。

むしろ、大量の水を原料とし、各酒蔵の仕込み水の水質が酒質にも大きく影響する日本酒だからこそ、「水のように飲める酒」という言葉とは、とことん真剣に向き合うべきなのかも知れない。

YK35(Y=山田錦、K=協会9号酵母、35=精米歩合35%)が日本酒界の覇権を握っていた

時代は、まさに中途半端に水のような酒が市場に溢れた時代でもある。その結果、多くの日本酒が個性を、テロワールを、伝統を失った。それもそうだ、半端に水みたいな酒なら、良し悪しをどのように測ればいいのか。その違いはあまりにも微小なものとなり、日本酒は本質的な酒質の良し悪しとはズレた、ブランド力で勝負するはめにもなった。

本来、酒の進化と消費者の進化は表裏一体なのだから、消費者の味覚を育てることを極めて困難にするような酒造りを続ければ、進化はストップする。

このように、酒にとって「水のように飲みやすい」という要素は、とにかくややこしい。

今回のレヴュー対象となる日本酒は、「飲みやすい」の向こう側に果敢に挑んだ意欲作といえる。

蔵元:株式会社神沢川酒造場

銘柄:正雪

特定名称:純米大吟醸

原料米:山田錦、吟ぎんが

精米歩合:山田錦35%、吟ぎんが50%

酒母:速醸

市場価格:1,750円(税別)

試飲日:2022年2月

静岡県の神沢川酒造場が手がける銘柄「正雪」は、平成22年に「現代の名工」を、同26年に「黄綬褒章」を受賞した南部杜氏の大名人、山影純悦氏が心血を注いで育て上げてきた銘酒だ。

五味と上品で爽やかな香が調和した、杯の進む飲み飽きない酒。

神沢川酒造場が目指す味わいは、一見すれば「水のような酒」を造ろうとしているように思えるかも知れないが、実際に酒を飲むと、違うことに気づく。

神沢川酒造場にとっての理想は、あくまでも甘味、辛味、苦味、渋味、酸味の総合的なバランス感の結果として生じた「飲みやすさ」であるため、中途半端に水のような酒にありがちな、「香りは極端に華やかだが、薄い味わい」にはなっていないのだ。

バナナやマンゴー的な香りは、実におしとやかで繊細。軟水の良さが生きた柔らかいテクスチャーの周りを、透明感の高い甘味と酸が踊る。旨味や苦味が優しくにじみ出る余韻も実に心地良い。

現代的な日本酒のようなインパクトの強さは皆無。究極的な飲みやすさと表現できるほど、突き抜けている訳でもない。しかし、正雪の純米大吟醸 天満月には、このジャンルの日本酒としての、確かな進化の形が見えてくる。

総合評価:90点

*真・日本酒評論は、筆者がワインにおいては忌み嫌う100点満点方式の評点を、日本酒を対象にあえて行っている。個性やスタイルが確かな価値として認められる土壌が出来上がっているワインに比べ、日本酒はまだまだ精米歩合をベースとした価値判断から抜け出し切れていない。いつかはこのような評点が意味をなさなくなる未来を待ち望みながら、しばらくの間、続けていくつもりだ。

なお、採点にあたって、精米歩合は一切考慮対象に入っていない。販売価格も一切気にしていない。あくまでも、その日本酒がもつ個性とスタイルの中での、完成度と洗練度を評価対象としている。よって、高価な高精米酒が低評価に、安価な低精米酒が高評価となるケースも当然出てくる。

試飲温度は、13度に統一して行っている。燗をしての試飲は、変数が増え過ぎるため行わない。

また、試飲の際に用いているのは、ワイングラスでは無く、伝統的な「ぐい呑」である。

筆者はこの取り組みを通じて、日本酒だからこそ達成できる価値を探ろうとしている。そのような取り組みにおいて、ワインコンプレックスの象徴たるワイングラスは不必要と考える。