2023年10月15日3 分
Beau Paysage “Kurahara le bois” 2014.
正直に言おう。
私がSommeTimesで「再会」のシリーズを書き始めてから、このワインをテーマとする機会は幾度となくあった。
それでも第47回目の投稿まで時間がかかったのは、単純に気乗りがしなかったからだ。
その理由もいくつかある。
このワインに対する私と世間の評価には、大きな隔たりがあると感じてきたこと。
このワインに対する私の正直な意見に、不快感を覚える人が少なからずいるであろうこと。
このワインを神聖視する人たち対して、私の真意が正しく届くことは決してないのではないか、と心のどこかで思ってきたこと。
気乗りがしない、と言う状況は今もさして変わらないが、海外のワインメーカーたちと、このワインを一緒に飲む機会が最近あったので、勢いに任せて、意を決した形だ。
さて、まずは誤解を恐れず、単刀直入に書こう。
私はこのワイン、つまり日本ワインの中でも最も希少価値が高いものの一つとされるBeau Paysageに対して、ある種の畏敬の念を抱き続けてきたが、美味しいワインだとも、高品質なワインだとも感じたことは、ほとんどない。
私の主観的価値判断に基づいた「美味しい」日本ワインなら、他にいくらでも思い浮かぶ。
客観的価値判断に基づいた「高品質な」日本ワインを選ぶなら、このワインは候補としてそもそも挙がらないかもしれない。
当然、美味しさでも品質でも、海外には膨大な数の、より優れた選択肢がある。
それでも私にとって、Beau Paysageを飲む時間は、いつでも満ち足りたものだった。
Beau Paysageが豊かに満たしてくれたのは、味覚でも嗅覚でもなく、私の魂だった。
実は、数年前にBeau Paysageを訪問したことがある。
造り手である岡本さんと、山梨県・蔵原にある葡萄畑を歩き回りながら、色んな話をしたのだが、この言葉が特に強く印象に残っている。
一切の脚色も意訳もしていない、岡本さん自身から発せられた言葉だ。
「美味しいワインを造ろうとはしていないんですよ。収穫までに出来る限りのことはしますが、ワインとして表現したいのは、その年の、収穫の瞬間の、ここ蔵原の味なんです。だから、収穫の日に葡萄が晩腐病にかかっていても、捨てずに使います。」
私には岡本さんのこの言葉が、これ以上なく腑に落ちた。
造り手本人が美味しいワインを造ることを目的としていないなら、私がBeau Paysageを美味しいとは感じてこなかったのも、全く不思議なことではない。
高品質ワインを目指すなら廃棄することが常識と言える、晩腐病にかかった葡萄を使うことを厭わないのであれば、一般的な品質基準のレールから外れるのもまた、当然だ。
そして、岡本さんが「場所の味」を表現することに全力を注いでいるからこそ、美味しいとか高品質だとか、そんな瑣末なことを超越した特別な何か、そう、何度も何度でも味わいたくなる、凄まじい引力のような何かが、Beau Paysageには宿っているのだと心から思う。
『グラス一杯のワインで地球が変わります。そう、食べ方や飲み方で地球は変わるのです。そんなの夢みたいとあなたは思うかもしれません。でもいつかあなたも私たちと一緒に歩き出してくるのを願っています。』
Beau Paysageの裏ラベルに書かれた、岡本さんの言葉だ。
私もまた、Beau Paysageのワインを通じて、岡本さんの願いに同調した人間の一人である。
Beau Paysage, Kurahara le bois 2014は、いつもと変わらないBeau Paysageの味だった。
何度も飲んだ2014年の味だった。
海外ワインメーカーたちのグラスにたっぷりと残ったBeau Paysageを横目に、私はいつも通り、魂の隅々まで染み渡る、良い味を楽しんでいた。
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「再会」と「出会い」のシリーズは、SommeTimesメインライターである梁世柱が、日々のワイン生活の中で、再会し、出会ったワインについて、初心者でも分かりやすい内容で解説する、ショートレビューのシリーズとなります。