2022年7月10日3 分
ワインプロフェッショナルと一口に言っても、様々なタイプの人がおり、当然のようにそれぞれ異なったフィロソフィーをもっている。
私自身は基本的には非常にオープンなタイプだが、ある特定の考え方に対しては、頑なな態度を見せることも少なからずある。
例えば、ブルゴーニュ、ボルドー、シャンパーニュ、バローロ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、リオハ、プリオラートといった世界最高峰の銘醸地に対して、全くリスペクトをもっていないタイプのワインプロフェッショナルとは、どうも馬が合わない。
意外といるものだ。カリフォルニア至上主義とか、ゴリゴリのナチュラル至上主義とか、なかなかに偏った人たちが。ワインの世界は広いから楽しいのに、と何とももどかしい気持ちになる。
それが本人の「好み」なのであれば、何の問題も無いのだが、ワインのことを他者に伝える立場として、「カリフォルニアのピノ・ノワールは、ブルゴーニュよりも遥かに優れている。」なんて堂々と発言してしまうのは、流石にどうかと思う。
それと同じような、というか、少し程度は下がるが、「カベルネ・フランから青い風味がしたら、低クオリティ。」なんて言い放つ人にも、なかなか困ってしまう。
「いったいいつの時代の話だよ。」
とか、
「ロバート・パーカーに毒されすぎでは?」
とついつい反論してしまいたくなる。
ワインに限らずだが、初期教育というのは非常に重要で、その最も重要な時期に、たまたま通ったワインスクールの先生に「ピラジン=ダメ」なんて教わってしまったら、もうそのイメージは簡単には抜けない。
はっきりと断言するが、もうそんな時代はとっくに終わったのだ。
カベルネ・フランからピラジンを出さないために、様々な無理をした結果失われたフィネス。
フィネスが抜けた代わりにピラジンの無いフランも良いし、青いけどたっぷりとフィネスが満ちたフランも良い。
両者の違いは個性であり、優劣では決して無いのだ。
さて、そんな「古い価値観」ではきっと評価されないであろう、極上のカベルネ・フランと再会したので、レビューしていこうと思う。
造り手の名は、オーウェン・ラッタ。
ラッタは、オーストラリアからニューワールド各地へと届く大波となった「オーストラリア・クラフトワイン・ムーヴメント」の中でも、情熱と冷静さのバランスが際立って優れた造り手の一人だと思う。
極限まで最低限の介入しか行わないが、ワインは常にクリーンで、テロワールへのリスペクトを強く感じる。
ラッタのカベルネ・フランもまた、特別なテロワールで育った葡萄だ。
標高は420m。植樹は1988年と(オーストラリアとしては)古く、カベルネ・フランの華やかさや繊細さが際立つタイプの土壌に畑がある。しかも、無灌漑なため、葡萄の根は畑の個性をより強く宿すのだろう。
アルコール濃度は12.9%。
ライトなワインで、ピラジンの青いタッチもはっきりとあるが、ざらつくようなフェノールの未熟さは全く感じ無い。葡萄がゆっくりと育つ、そういうテロワールだということなのだろう。
いちごとハーブの繊細なアロマ、優美で可憐なテクスチャー。
どこまでも優しく、滋味深い味わい。
軽やかで心地よいフィニッシュ。
実に素晴らしいワインだ。
そして、このようなワインが「ピラジン」なんて古くさく、的外れで、理不尽な理由で、拒絶され無いことを、心から願う。
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「再会」と「出会い」のシリーズは、SommeTimesメインライターである梁世柱が、日々のワイン生活の中で、再会し、出会ったワインについて、初心者でも分かりやすい内容で解説する、ショートレビューのシリーズとなります。