2022年6月26日4 分
敬愛する造り手は誰か、と問われたら、私は真っ先に彼の名を思い浮かべる。
マルク・アンジェリ。
フランスのロワール渓谷で、孤高のワインを生み出す賢人だ。
マルクは『ラ・フェルム・ド・ラ・サンソニエール(以下、サンソニエール)』という名の農場を経営しており、ワイン造りだけに留まらず、驚異的なジュ・ド・ポム(リンゴジュース)や、ミエル(蜂蜜)なども生産している。
農園は1990年から既にビオディナミで管理され、マルク自身も自然の力を最大限に引き出すために苦心しながら、様々な挑戦を続けてきた。
特定のワインに対してあまり思い入れをもたない筆者にとっても、そんなマルクのワイン(サンソニエール)は特別な存在だ。
なにせ、私とサンソニエールの間には、いくつものエピソードがある。
もう15年以上前になるだろうか。
当時は、いわゆるクラシックワインというものを集中的に学んでいた私が、徐々にナチュラル回帰の世界へと引き込まれていくきっかけとなるワインとの出会いを繰り返していたタイミングだった。
その最初期に出会い、以降の私のワインとの付き合い方を決定づけたとも言えるのが、サンソニエールだ。
サンソニエール無くして、今の私は無い。
そう言っても、決して大袈裟では無いだろう。
サンソニエールと出会ってからしばらく後のこと。
当時ソムリエをしていたレストランに、ルカ・ダットーマが来店した。イタリアワインファン以外はご存じないとは思うが、ルカは『レ・マッキオーレ』や『トゥア・リータ』などのトスカーナ州を代表する偉大なワインを手がけてきた、スター醸造家だ。ルカ自身のワイナリーである『ドゥエマーニ』も、定期的にグラスワインとして採用していた。
ルカの大ファンだった私は、初めて会ったにも関わらず、すっかり意気投合して話し込んでしまった。
そしてその日、ルカがワインリストをひとしきり眺めた後でセレクトしたワインは、サンソニエールだった。
ルカはブルゴーニュグラスを指定し、ワインが注がれると、まるで結界でも張ったかのように周囲と自分を遮断し、グラスの中の液体と深く対話をしていた。
どこか神々しさすら感じたその光景を、生涯忘れることは無いだろう。
記憶に強く残るペアリングもあった。
北海道のバフンウニに、出汁のジュレや細かく刻んだ春野菜を添えた一皿。
私が選んだワインは、サンソニエールが手がけるシュナン・ブランの一つ『Les Fouchardes』だった。
春野菜の、ほのかな苦味をともなった爽やかで軽やかな香味と交わりながら、出汁ジュレの優しい旨味を通じて、ウニの奥底までワインが染み込んでいく。
料理とワインが完全に一つになった。
私のソムリエ人生の中でも、3本の指には入るであろう、最高のペアリングだった。
念願かなって、マルクとの対面も果たした。
「正しい場所に、正しい品種を植え、ビオディナミで管理し、最大限の献身的な仕事をし、天にも恵まれること。」
優れたナチュラル・ワインを生み出すために必要なものとして、マルクが私に語ってくれた言葉だ。
さて、今回の再会ワインは、サンソニエールが繰り返してきた偉大な挑戦の象徴とも言える、幻の一本だ。
ヴィーニュ・フランセーズ・アン・フールは、フィロキセラ禍(19世紀後半に、ヨーロッパのワイン産業を壊滅に追いやった害虫による被害)以前のワインに強い興味をもったマルクが、1994年に自根で植えた畑から生まれた。
それだけではない。
マルクは0.3haを通常の5,500本/ha(ヴィーニュ・フランセーズ名義でリリース)で植えたが、0.15haの小さな区画だけ、40,000本/haという常軌を完全に逸した密植を行った。
アン・フール(群衆)は、その超密植の区画で育った葡萄だけを使用した、あまりにも異質なキュヴェだ。
この畑は後にフィロキセラにやられてしまい、現在は植え替えられてしまったため、もうサンソニエールは自根のシュナン・ブランを造っていない。(同じ区画のワインは現在、La Lune Noireとしてリリース)
ヴィーニュ・フランセーズ・アン・フール2002年は、圧倒的な濃密さとパワーを備えながらも、フィネスが隙間なく行き渡っている。
その驚異的な複雑性と持続力、無限とすら思えるような余韻。
なんと亜硫酸は無添加。
星の数ほどあるナチュラルワインの中でも、例外中の例外的存在。
もし見つけたら、なんとしてでも飲むべきだ。
これが最後の再会になるかも知れない。そんな寂しさすら痛快に吹き飛ばす、歴史的大傑作ワインなのだから。
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「再会」と「出会い」のシリーズは、SommeTimesメインライターである梁世柱が、日々のワイン生活の中で、再会し、出会ったワインについて、初心者でも分かりやすい内容で解説する、ショートレビューのシリーズとなります。