2022年5月1日4 分

再会 <11> スーパーナチュラル

Moric, Haus Marke Supernatural Weiss 2019. ¥4,800

今でこそ、クリーン・ナチュラルが、ナチュラル・ワインの一派としてはっきりと認識されるようになってきたが、ほんの数年前まで、キレイな味わいのナチュラル・ワインは、ブームから爪弾きにされていた。

別の言い方をすると、そういったワインは、ナチュラル・ワインとしては、売れ行きが良くなかったのだ。

多少の例外はあるが、ワインをクリーンに造れる人は、ワイルドにしか造れない人よりも、圧倒的にワイン造りが「上手い」。さらに、上手いだけではなく、ナチュラルかつクリーンに造るには、勤勉さと献身が欠かせない。それだけの技術と情熱をもった造り手のワインが、怠惰で無責任で下手だけど、ラベルを含めたプレゼンテーションは抜群に得意、といった造り手のワインよりも遥かに市場で苦戦するという実情には、なんともやりきれない思いが深まる。

しかし、ナチュラルとクリーンを両立できる造り手が、(売りにくいからといって)わざわざ自分のワインを、よりワイルドな方向へともっていくことは極めて稀。

彼らの情熱は、それしきのことでは揺るがないのだ。

今回ご紹介する造り手と私の関わりは、かなり昔まで遡れる。

ニューヨークでの修行中に、伝統国のクラシック・ワインを深く学びつつも、新たな品種や産地の発見に精を出していた頃に出会ったのが、オーストリア・ブルゲンラントの造り手、モリッツだ。

モリッツが得意としているブラウフレンキッシュ(オーストリア最上の黒葡萄)は、かなり強い興味をもって色々な造り手のワインを既に試していたのだが、モリッツのワインにはとてつもない衝撃を受けた。

驚異的に緻密で流麗。奥深く、繊細で、大胆でもあった。

その品質は、世界最高峰の銘醸と呼ばれるようなワインと同じ領域にあった。

そして、モリッツのワインは理想的なクリーン・ナチュラルでもあった。

テロワールを最大限にリスペクトし、余計なものは足さず、必要なものは引かない。モリッツのワイン造りは、昔からナチュラルそのものだったのだ。

縁は巡り、日本帰国後に勤めたレストランで、モリッツのワインメーカーズディナーを開催することができた。

ワインから、非常に気難しい人なのかなと勝手に思っていたローラント・フェリッヒさんは、気さくで、物腰の柔らかいジェントルマンだった。

そのディナーで、特に記憶に残っているペアリングがある。

ホワイト・アスパラガスを使った料理と、モリッツの白ワインを組み合わせたペアリングだ。

グリューナー・フェルトリーナー主体のその白ワインは、ホワイトアスパラガスの奥底から、濃密な甘味を引き出していた。

当時は別の名前(畑名であるザンクト・ゲオルゲンの表記を部分的に塗り潰したラベル)がついていたこのワインだが、現在は紆余曲折あり(例のごとく、頭の固い原産地呼称制度が絡んだいざこざ)、ハウスマルケ・スーパーナチュラル、なんていうなかなか過激な名前になった。

ハウスマルケは、ハウスワインという意味もある言葉であり、そこにスーパーナチュラルという「決め台詞」のようなものまでついている。

ジェントルマンなローラントらしからぬネーミングかも知れないが、それだけ彼はこのワインを大切にしているということでもある。

葡萄品種はグリューナー・フェルトリーナーが約80%。残りはほとんどがシャルドネで、ごく僅かなリースリングも含まれている。

ピーチやアプリコット、青リンゴのアロマが濃密に折り重なり、マシュマロのようにソフトなテクスチャーの後に、硬質なミネラルの余韻へとダイナミックに繋がっていく。

やはり、モリッツのワインは、繊細で、大胆だ。そして、抜群に美味い。

久々の再会を果たしたモリッツ。そして、相変わらず、クリーン・ナチュラルの教科書のような、圧倒的な完成度のワインだった。

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「再会」と「出会い」のシリーズは、SommeTimesメインライターである梁世柱が、日々のワイン生活の中で、再会し、出会ったワインについて、初心者でも分かりやすい内容で解説する、ショートレビューのシリーズとなります。