2月4日4 分

出会い <53> ブルゴーニュ生まれのナチュラル「テロワール」ワイン

Domaine Dandelion, Pet’ Nat 2022. ¥5,000

 

今回はあえて、この言葉を極端な意味合いで使うが、私はかねてから歴史的大銘醸地における「ナチュラルワイン」に、少々懐疑的な立場をとってきた。

 

理由は二つ。

 

まず、ナチュラルワインの中でも欠陥的特徴の現出を厭わない「ワイルドナチュラル」が、葡萄畑と葡萄のもつ個性をありのままに表現したいという造り手の想いとは反し、(往々にして稚拙で極端な)醸造工程によって発生した欠陥的特徴そのものが、テロワールと呼ぶべきものを相当程度覆い隠してしまう危険性を秘めているからだ。

 

もちろん、テロワールの精緻な表現よりも、最終的な味わいを自身が「美味しい」と感じることを最優先とするのであれば、問題とはならない。つまり、そこに個人的な「良し悪し」という二元論を他者に押し付けること自体が、「余計なお世話」ということだ。

 

よって、(クラシックワインと呼ばれるものの相当数も、過度な調整と矯正によって結果的にテロワールを失していることも踏まえ)本稿の内容はあくまでも私見であり、他者の考えを否定する類のものでは一切ない。

 

二つ目の理由は、テロワール表現の相対的な価値、にある。

 

ここでもあえて極端な形で例を挙げるが、例えば東欧諸国のほとんど知られていないような小規模産地のワインと、世界に名だたる大銘醸地であるフランスのブルゴーニュ地方とでは、「テロワールの精緻な表現」がもつ価値が相対的に異なってしまうのは、避け難い事実だ。

 

当然、ワイン一本あたりの価格も桁が(時に2~3桁)違う。

 

そして長い歴史の中で、極限まで精密なテロワール研究が進んだ高価なブルゴーニュから、その根幹たるテロワールが雲隠れしてしまうのは、あまりにも「もったいない」と私は感じる。

 

隣接する葡萄畑に全く異なる個性が宿り、それを客観的に観測することができるというのは、ブルゴーニュを味わう上で、極めて重要度が高い。

 

むしろ、ブルゴーニュのようなワインに限っては、「美味しい」という単純で分かりやすい結果よりも、「テロワールが見事に表現されている」という複雑で分かりにくい結果の方が、私にとっては大切なのだ。

 

だから、懐疑的だった。ブルゴーニュで造られるナチュラル然としたワインには。

 

 

今回は、そんな私の考えを、少し和らげてくれたワインと出会ったので紹介したい。

 

Domaine Dandelionは、Hautes Côtes de Beauneを中心に、程よくナチュラルでありながらも、繊細で優美なワインを手がけている造り手。

 

極小規模の生産であるため、なかなか何度も味わえないのがもどかしいが、毎年新しいヴィンテージが届くのを心待ちにしている。

 

そんなDandelionから初お見えしたのが、今回のPet’ Nat

 

高価なブルゴーニュの葡萄を使って、ドリンカビリティに振り切ったようなペット・ナットを造るとはいかがなものか、と最初はしんだが、一口目を味わった瞬間、その考えが変わった。

 

フルーティーで、ジューシーで、ドリンカビリティに長けたペット・ナットらしさはあるものの、明らかに「それ以上」の味わいだった。

 

そう、密度が違うのだ。

 

一般的に、ペット・ナットは中心部が抜け落ちたようなストラクチャーとなることが多いが、このワインには強靭なコアが存在していた。

 

限界的栽培条件がもたらす、果実味、ミネラル、酸、フェノールが渾然一体となった、独特の緊張感に満ちた「あの」コアだ。

 

なぜブルゴーニュでペット・ナット?という疑問は、「このペット・ナットはブルゴーニュでしか造れない」という確信へと変わった。

 

テロワールの表現とは、定型分のようなものでは決してない。

 

そのことは重々承知していたつもりだったが、まさかそのことをペット・ナットに再び思い知らされるとは、全く予測していなかった。

 

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「再会」と「出会い」のシリーズは、SommeTimesメインライターである梁世柱が、日々のワイン生活の中で、再会し、出会ったワインについて、初心者でも分かりやすい内容で解説する、ショートレビューのシリーズとなります。