2023年11月29日14 分

復活した銘醸地 <ポルトガル特集:ダオン前編>

最終更新: 2023年12月2日

初めての国を訪れる時は、いつも不思議な高揚感に包まれる。

雲のように掴みどころがないのに、カーテンの隙間から差し込む光のように、いつの間にか一点へと集約していく、どうにもチグハグな感情。

約1日かけた長旅を終え、私はついに降り立った。

ヨーロッパ最後の、ヴェールに覆われたワイン王国、ポルトガルに。

深夜にポルト空港へと到着し、慌ただしく迎えの車に乗り込む。

想像していたより、遥かに綺麗に舗装された、滑らかな道が続く。

長旅による眠気と疲れ、体の節々を襲う鈍痛、周囲を覆う暗闇、車内を流れるポルトガル・ミュージック。

初めて目にするはずの風景を楽しむこともなく、車は淡々と走り続けた。

単調で抑揚のない時間が、私の緊張をなだめていく。

1時間半後、ようやく最初の目的地に到着した。

かつてローマ街道の要所として栄えた古都Viseu(ヴィゼウ)、そして、ポルトガル屈指の銘醸地として名高い、Dão(ダオン)だ。

注:日本ではDão=ダンと表記されるケースが多いが、現地の発音を重視し、SommeTimesでは一貫してダオンと表記する。

南のブルゴーニュ

ポルトガルが誇る歴史的銘醸地ダオンは、ヨーロッパにおけるその他多くのワイン産地と同様に、フェニキア人の海上交易とローマ人入植者たちによって産声を上げた。

ローマ帝国が衰退し、イスラム系のムーア人による支配下に置かれてもワイン造りは途絶えず、中世になると、シスト派修道院の聖職者たちが大いにワイン造りの技術を高め、現在のダオンにも繋がる礎を築いた。

ダオンが(ブルゴーニュと同じ)シスト派の手によって真に発展した産地であることは、この地がかつて、「南のブルゴーニュ」と称されていたこととも関係している可能性は、十分にあるだろう。

また、19世紀には、ポルトガルの大貴族であり、当代随一の葡萄栽培家と称されたJoão de Sande de Sacadura Botte Côrte-Realがダオンのテロワールを研究し、ワイン造りのスタンダードをもう一段引き上げたとされる。

ボルドーや同国内の銘醸地Douro(ドウロ)フィロキセラが襲った際(ダオンにフィロキセラが到来したのはドウロよりも12年遅い1881年)には、各地の不足分を補うために、ダオン産のトゥリガ・ナシオナル(当時、ダオンに植えられた葡萄の約90%が同品種だったとされる)が大量に輸出され、ダオンは文字通りの最盛期を謳歌した。

やがてダオンもまたフィロキセラ禍に苛まれたが、シスト派修道院と大貴族の功績によってすでに高い名声を得ていたため、1908年にダオンは、酒精強化をしていないワインの産地としてはポルトガルで初の原産地認定を受けることとなる。

しかし、その栄華は儚くも短命に終わってしまう

1932年にポルトガルの首相となったアントニオ・サラザールが、その翌年からヨーロッパ最長の独裁政権とされる「エスタド・ノヴォ」体制を確立していくと、1940年代以降にはダオンを「ポルトガル国民のためのワイン産地」とする目的(究極的に、サラザールの自己満足的指針だったと考えられる)の元、全てのワイン製造及び販売の許可を、協同組合にのみ(例外は後述)与えた。

独裁政権によって協同組合に課された役割は、いかに大量のワインを可能な限り安く造るか、であったことから、協同組合は葡萄栽培農家に対して、質ではなく量を求めるようになった。

全体的に見れば、多産型クローンや品種と、高収量によって薄められた葡萄も、かつての伝統を残す古い混植畑で育った宝物のような葡萄も含め、あらゆる品質の葡萄を混ぜて平均化してしまう協同組合によるワイン造りは、まさにその平均化によって品質の底上げを行なったとも、最高品質のワインを消し去ったとも言える。

しかし、1961年以降に植民地での暴動が激化し、エスタド・ノヴォ体制が崩壊し始めると、混迷する独裁政権の脇をすり抜けるように、小規模ながら高品質なワインも、一部の協同組合が手がけるようになったため、詳しくは後述するが、エスタド・ノヴォ時代に協同組合製ワインの全てが低品質だったというわけでは決してない

1968年サラザール引退(1970年に死去)後、1974年から始まったカーネーション革命を経て、1976年軍政から民政へと移行したポルトガルでは、徐々に植民地支配による海上帝国としての在り方から、ヨーロッパの一国としての回帰が進められていった。

1979年EUに加盟申請をしたポルトガルは、ワイン産業における占有的生産体制を禁じていたEUの規則に準ずるため、協同組合によるモノポリーを解体する必要に迫られることとなった。

1986年、ポルトガルが正式にEUへと加盟した後、ダオンにおいても規制緩和1988年から始まり、ついに銘醸地ダオン復活の狼煙が上がった。

モノポリーが解かれ始めるとすぐに、SograpeBorgesといった大ワイナリーがダオン内に進出(以前はダオンの協同組合からワインを購入していた)し、栽培農家に対して「量より質」への転換を、より高額な葡萄買取り価格と共に求め始めた。

さらに1989年には、19世紀のダオンワイン発展に大きく貢献したSacadura Botte家に連なるQuinta da Bicaが、サラザール政権後のダオンでは初の独立した小規模ワイナリーとしてボトリングを開始、後に現Quinta da Pelladaアルヴァロ・カストロも1989年ヴィンテージをQuinta de Saesの名でリリースした。

ダオンが1990年にDOC認定を受けると、Quinta das Roquesルイシュ・ロウレンソなど、数々の私有ワイナリーが独立ムーヴメントに加わった。

こうして、約50年間という空白期を抜け出したダオンは、かつての栄光を取り戻すべく、力強く歩み始めたのだ。

開放からわずか30年と少し。

そう、ダオンに限らず、ポルトガルワインが長らく「眠れる巨人」と呼ばれてきた理由の一端が、この歴史的背景にある。

協同組合

1934年、サラザール政権は協同組合体制の前身となるUnião Viticola do Dão(UVD)を設立し、ダオン産ワインの生産販売統制に乗り出した。

1942年に、UVDは経済省直轄の組織であるFederação dos Viticultores do Dãoとなり、ダオンにおける支配的な影響を強めていく。1949年には最初の協同組合ワイナリーがダオン内に設立され、最終的には中〜大規模まで合わせて10のワイナリーが建造された。

なぜか1640年に設立されたCasa de Santarだけは、単独のワイナリーとして生産を続けていたが、協同組合による占有体制は、1950年代に入る頃には、強力に機能していたようだ。

第二次世界大戦時は中立の立場を貫いたポルトガルだったが、戦後の大幅なインフレーションと賃金低下で、結果的に国民は大変な苦しみを味わったとされ、ポルトガルはヨーロッパ最貧国とまで言われるようになった。

そのような状況下で、協同組合がある種の最低保証的在り方でもって、ダオンのワイン産業を生きながらえさせたと考えるのは、あながち間違いではないだろうし、ヨーロッパ各地の銘醸地でも、その在り方が同時代のスタンダードであったケースは、実に多い。

唯一の違いは、それが民間主導のものか、政府による独裁によるものであったかという点だ。

確かに、ダオンのように独裁政権主導の場合、「質より量」へと傾いていくのは、ジョージアにおけるソヴィエト連邦との関係性と同じく、避け難いものであったはずだが、当時ボトリングされたワインを見ると、「そうでもない側面」が少しだけ垣間見えてくる。

抑圧下に置かれていたとは思えないほど、個性的かつデザイン性の高いラベルが多いのだ。

当時の実態は、「推して知るべし」といったところだが、少なくとも、完全に額面通りの状況ではなかった可能性は高い。

そして、実際の当時のワインにも、驚くほど素晴らしいものが確かに紛れ込んでいる。

筆者がテイスティングした1974年ヴィンテージのGrão Vasco, Dão “Garrafeira”は、サラザールの死後、カーネーション革命が勃発した年に造られたワインだ。

Grão Vascoは、現在ポルトガル最大(世界的にも最大規模)のワイナリーグループとなったSograpeが、協同組合から購入した原料でボトリングしたワインであるはずだが、「なぜか」魔法がかかったような極上ワインが紛れ込んでいる、とダオンでも良く知られた銘柄。(現在は、Sograpeによってリーズナブルな価格帯のワインとしてリブランディングされている。)

抜栓には苦労させられたが、驚異的なフレッシュ感を保ったそのボトルは、最初の還元的なステージから徐々に妖艶な姿をみせ、最終的には最上級の熟成バローロを思わせるほど、驚異的に優美なアロマと奥深い味わいを放っていた。

現在でも、協同組合最大手のUDACAと、その協力関係にある4つの協同組合を合わせた生産量は、ダオン全体の約60%を占める。

各協同組合(筆者が訪問したのは、UDACA、Adega de Panalva、Adega de Silgueirosの3社)では、品質の向上もしっかりと図られており、特に低価格帯のコストパフォーマンスには目を見張るものがある。

現代におけるダオンの名声が、小〜中規模で高品質志向のワイナリーによって牽引されているのは事実だが、葡萄畑の後継者と働き手が慢性的に不足する中、協同組合が負っている役割もまた、極めて重要なものである。

Region and Subregions

には果実味豊かな赤ワインで名高いドウロには強烈な太陽の恵みを感じさせる力強いAlentejo(アレンテージョ)があるため、その間に挟まれたダオンは、両者の中間的性質となると考える人もいるかも知れないが、実際のダオンはそのイメージからはかなり遠い。

ダオンをダオンたらしめる、その特異な地勢を解説していこう。

画像提供元:CVR Dão

ダオンでは、南東ポルトガル本土最高峰となるトーレ(1,993m)を含むエストレラ山脈が走り、南西方向以外が全て山に囲まれている

いわば、巨大な盆地とも言えるような場所だ。

西側の山塊大西洋からの雨雲を、東側の山塊スペインからの熱風を防ぐため、基本的には暑く乾燥した夏、寒く多雨の冬(平均年間降雨量1,200〜1,300mmのほとんどは夏以外に降る)とはなるものの、他産地に比べるとややマイルドな気候特性となる。

画像提供元:CVR Dão

平均的な葡萄畑の標高は400~500mで、基本的には山脈に近いエリア(南〜南東部、北〜北東部、北西部の極一部)の標高が500m以上と高く、中央部は300~500mほど、西〜南西部にかけての一帯は100~300mとなり、各地の平均気温も標高とほぼ連動しているが、南東部のエストレラ山脈付近が最も冷涼なゾーンとなる。

また、時に20度にも及ぶ生育期の昼夜寒暖差は、ワインに豊かな酸と充実したフェノールをもたらす。

土壌は基本的に花崗岩が主体となるが、エリアによって含有率が大きく異なる。特に南東部のエストレラ山脈付近は含有率が高く、それ以外では粘土ロームの割合が増えていく。また、西部、南西部ではシスト(片岩)もより含まれるようになる。

産地を横断する3本の川と、周囲を囲む山脈群がもたらす起伏に富んだ地形は、多様なマイクロテロワールが存在していることを示唆しており、実際にダオンではなんと1933年という非常に早い段階で、下記の7つのサブリージョンが制定されている。

画像提供元:CVR Dão

1. Serra da Estrela(セッラ・ダ・エストレラ)

2. Castendo(カステンド)

3. Silgueiros(シルゲイロシュ)

4. Terras de Azurara(テラシュ・デ・アスララ)

5. Terras de Senhorim(テラシュ・デ・セニョリム)

6. Besteiros (ベステイロシュ)

7. Alva(アルヴァ)

しかし、今回訪問したワイナリーで聞いた話を統合すると、実際には造り手たちの間では、このサブリージョンに対する認識やこだわりは、随分と薄そうだ

いや、正確にいうと、葡萄畑が位置している「より小さな範囲」(小エリア)の話になることの方が多い。

規定上、サブリージョン名をラベルに記載することが可能であるが、そのような例はSerra da Estrelaを除いてほとんど見受けられない

それぞれのワイナリーが所有している葡萄畑の位置とワインの性質から(ワインメイキングが及ぼす変数を可能な限り排除した上で)判断する限り、7つのサブリージョンを5つゾーンへと再編成した方が分かりやすいとも考えられる。

造り手のサブリージョンに対する意識が少々低い中で、わざわざ詳説を行うのも憚られるため、簡易的な解説として記しておく。

また、筆者がテイスティングしたことのあるワイナリーに限り、各ゾーン(Alvaを除く)におけるトップ生産者も列挙(順不同)しておく。

ゾーン1:Serra da Estrela

最も高標高かつ冷涼で雨も比較的多い、南東部のエリア。花崗岩の含有率も際立って高く、緻密なミネラリティを主体とした、エレガントなワインとなる傾向にある。このゾーンに葡萄畑を構える生産者は、ダオンの最高峰と目される顔ぶれとなるため、Serra da Estrelaはダオンのグラン・クリュ候補筆頭と考えても差し支えないだろう。このゾーンに含まれる小エリアとしては、Gouveia、Seia、Vila Nova de Tazemが重要となる。

トップ生産者

Quinta da Pellada

Antonio Madeira

Casa da Passarella

Textura Wines

Quinta das Maias

Niepoort / Quinta da Lomba

M.O.B.

ゾーン2:Castendo

正式なサブゾーン名はCastendoだが、Penalva do Casteloという小エリア名の方が重要度は高い。Serra da Estrelaと同様に高標高エリアとなり、ワインの特性も似ているが、粘土含有率と平均気温の高さから、わずかに重心が下がる傾向にある。

トップ生産者

Textura Wines

Quinta da Vegia / Casa de Cello

ゾーン3:Centro

中央に位置する3つのサブリージョンを統合したゾーンとなる。このゾーンで重要となる小エリア名はSilgueiros(サブリージョン名と同じ)、NelasSantarCarregal do SalOliveira do Conde、そしてMangualdeだ。ダオンの中でも最も乾燥した三角地帯となり平均気温も高く、葡萄畑はこの一帯に最も集中している。標高は400m前後となりトゥリガ・ナシオナルを主体とした、抑制が程よく効きつつも、やや力強いワインが光る。Serra da Estrelaと並ぶ最重要ゾーンと見て良いだろう。

トップ生産者

Quinta dos Carvalhais

Dominio do Açor

J.Cabral de Almeida Vinhos / Liquen / Musgo

Quinta dos Roques

Casa de Santar

Boas Quintas / Fonte do Ouro

Soito Wines

Quinta de Lemos

Quinta dos Marias

Carlos Raposo

ゾーン4:Besteiros

カラムロ山脈とブサコ山脈に近づく西側ゾーン。Mortágua付近の標高は200m前後と低く、平均気温も高いが、フレッシュ感は十分に維持される。また、Tondelaでは一部のエリアが標高400m付近となるため、やや冷涼感が強まる。

トップ生産者

Casa de Mouraz

Boas Quintas / Opta

ゾーン5:Alva

南〜南西部をカヴァーしたゾーン。西部(Tábua)が最も標高が低く温暖、南部(Arganil)の一部は高標高、東部(Oliveira do Hospital)は400m近辺となっている。このゾーンのみからのワインは今回テイスティングしていないため、味わいに関する具体的な言及は控えることとする。

D.O.P. 概要

2022年度のデータによると、D.O.P. DãoI.G.P. Terras do Dãoを合わせて、葡萄畑の総面積は13,408ha(参考までに、ボルドー左岸メドック地区は約16,000ha強)、217の独立した生産者が登録されている。

そもそも決して国際品種が多くないダオンでは、I.G.P. Terras do Dãoとしてワインがリリースされるケース(全生産量の約15%未満)は少ないため、実際には葡萄畑の大部分がD.O.P. Dão用となっていると考えて差し支えない。

画像提供元:CVR Dão

D.O.P. Dãoで認可されている葡萄品種は、白葡萄が22種黒葡萄20種となり、セミヨンを例外として(セミヨンはブレンド用品種として、ダオンで長い歴史がある。)、41種がポルトガル、もしくはイベリア半島の地品種となっている。

認可品種としては白葡萄の方が多いが、植樹面積で見ると地品種系黒葡萄は合計で全体の77.3%白葡萄13.2%(残りは「その他」として統計されているため詳細が不明)となっている。

黒葡萄で最も植樹面積が大きいのは、スペイン・ガリシア地方等ではメンシアとして知られるJaen(ジャエン)であり、全体の22.6%を占める。

一方、ダオン発祥とされ、ポルトガルを代表する葡萄品種としても知られるTouriga Nacional(トゥリガ・ナシオナル)は全体の21.9%と、ジャエンとほぼ同じ植樹面積となっている。

さらに、日本ではテンプラニーリョとしてより知られているAragonez / Tinta Roriz(アラゴネス / ティンタ・ロリス)が18%、極めて興味深く将来性も高いAlfrocheiro(アルフロシェイロ)Rufete / Tinta Pinheira(ルフェテ / ティンタ・ピニェーラ)がそれぞれ、6.2%、3.6%となっている。

白葡萄で最も植樹面積が大きいのは、ダオンの最重要白品種であるEncruzado(エンクルサード)となり、全体の4.9%を占める。

さらに、Bical(ビカル)が3.8%、Malvasia Fina(マルヴァシア・フィナ)が2.9%、Fernão Pires(フェルナオン・ピレシュ)が1.6%と続く。

多様なワインスタイル

D.O.P. Dãoとして認可しているのは、スティル赤(Tinto)白(Branco)ロゼ(Rosado)スパークリング(Espumante)も同様に赤、白、ロゼとなっている。

また、上位格付けも設定されている。

Dão Nobre(ダオン・ノーブル)は、赤がトゥリガ・ナシオナルの比率が最低15%、白はエンクルサードの比率が最低15%(赤白共に、残りは指定された代表的な地品種)と定められているが、どうも中途半端な規定であるからか、あまり見かけない。

Garrafeira(ガッラフェイラ)は、ポルトガルでは、基本的に最上級のリザーブワインに用いられる格付けとなり、赤が最低アルコール濃度13%で最低2年間の樽熟成、白が同12%で同6ヶ月の樽熟成が義務付けられている。

他にも、以下のような特殊追加表記が見受けられる。

Novo(ノヴォ):ポルトガル版ヌーヴォー。カルボニック・マセレーションが採用されるケースが多い。

Clarete(クラレーテ):マセレーション期間が短く、非常に淡い色調の軽い赤ワインとなる。黒白葡萄が混醸されている場合(黒8白2の比率が伝統)もある。後者は次のPalheteとなるはずだが、その辺りの定義的境界線はかなり曖昧なようだ。

Palhete(パリェーテ):黒白葡萄の混醸で造られた軽やかな赤ワインであるが、後述のVinhas Velhasとは限らない。

Vinhas Velhas (ヴィーニャス・ヴェーリャス):フランス語ではVieilles Vignes、英語ではOld Vines、つまり古樹を指す言葉だが、ポルトガルでは基本的に用いられ方が異なる。大半のケースにおいて、Vinhas Velhasは古い混植の葡萄畑を意味し、ほぼ例外なく混醸となる。黒葡萄のみの混植混醸で赤もしくはロゼワインのケース、黒白葡萄の混植混醸で赤もしくはロゼワインのケース、白葡萄のみの混植混醸で白およびオレンジワインのケースなど、様々なヴァリエーションが見受けられる。文化的、歴史的、そして品質的な意味の全てにおいて、極めて重要なカテゴリーとなる。

Curtimenta(クルティメンタ):もしくはCurtimenta Brancoとなるこのカテゴリーは、いわゆるオレンジワインに相当する。かつての伝統製法だが、近年のオレンジワインブームに乗じて、復興しつつある。

Colheita Tardia(コリェイタ・タルディア):フランス語ではVendanges Tardives、英語ではLate Harvestとなるこのカテゴリーは、遅摘みした葡萄による甘口ワインとなるが、手がけているワイナリーは多くない。

このように、ダオンと一括りにはなかなかできないほど、広い多様性が認められているのだが、その全てを理解しようとしても、ダオンの真髄を捉えることは難しいだろう。

まずフォーカスすべきは、赤ワインにおいてはブレンド及び各種の単一品種ワイン白ワインにおいてもブレンド及び各種の単一品種ワイン、それらの上位ワインとしてのGarrafeira、そしてなんといっても全カテゴリーのVinhas Velhasとなる。

生産量の少ないロゼ(ポルトガルでは日本と同じく、ロゼ人気がイマイチとのこと。)や、ポテンシャルは高いものの、ロゼと同じく生産量が少ないスパークリング、そしてその他の小カテゴリーに関しては、あくまでも本筋ではないと理解しておいた方が良いだろう。

後編では、各重要スタイルの詳細な解説を、現地試飲したワインを中心に行っていく。