2021年4月3日15 分

一周遅れのランナーか?それとも世界の最先端? <ポルトガル特集 前編>

数年前に、ダオンを代表する生産者であるキンタ・ダ・ペラーダアルヴァロを訪問した時に連れて行かれたのが、街と森の境界線にある場所だった。周りを見回して驚いた。葡萄畑のようだが無造作に植えられたのか樹間の統一性のかけらもなく、全ての樹は地面をうねり、ふたつとして同じ姿はない

今度この畑を買うんだ。赤も白も植えられていて品種のことはよく分からない。ただ古い。樹齢は恐らく100年以上。

ダオンはポルトガルの山の中にひっそりと佇む、この国で最も静かな産地だ。その花崗岩でできた家と土に埋もれていた偉大な可能性の再発見は、ダオンらしく、静かに、しかし着実に進んでいる。

そもそもポルトガルワイン自体、静かで、地味で、まるで道端にひっそりと咲く花のようだ。日本への2020年度の国別輸入量は10位。アルゼンチンや南アフリカに次いで多く、ニュージーランドよりも多い。今注目のジョージアの、実に10倍もの量のワインが日本に輸入されている。にも関わらず、ポルトガルワインとは何かと言われて、きちんと説明できる自信がある人はどのくらいいるだろうか。ダオンの話に入る前に、前半である本稿ではポルトガルワイン全体について、歴史や気候、土壌などの面から、その独自性と現状について紐解いていきたい。

ポルトガルとポルトガルワインの歴史

ポルトガルのワインの歴史は古く、紀元前3世紀頃にローマ人がイベリア半島を制服する前からワインを醸造していたとも考えられている。当時使われていた醸造用の石の容器はポルトガル東北部のトラス・オス・モンテシュやドウロ、中部に位置するダオンなどで今でも数多く目にすることができる。

711年に南部から侵入したイスラム勢力にイベリア半島をほぼ征服され、その後800年近く続くレコンキスタの中1143年にポルトガル王国が建国。レコンキスタ完了後の15世紀初頭からポルトガルは大航海時代(ポルトガル語ではEra dos Descobrimentos / 発見の時代、と言う)に入り、1543年に日本の種子島までたどり着いたのは皆さんご存知の通り。この頃日本人が初めて出会ったワインが「チンタ酒」と呼ばれているが、これはポルトガルのワインだったとも、スペインのワインだったとも考えられている。また、この頃は酒精強化はそれほど一般的でなかったとも考えられ、今でいうポートやマデイラのようなワインでは少なくともなかっただろう。

1756年ポートの産地が世界でもかなり早い段階で法的に規定されたことはご存知の方も多いと思うが、これは当時この産地のワインがイングランドで爆発的に人気があったため、質の悪い模造品が横行したことに端を発する。まだ一般的には産地を超えたワインの流通などは、一部の例外を除いてかなり限られていた時代だ。今ではポートといえばオールド・ファッションなイメージをもたれている方も多いだろうが、この産地が当時時代の最先端にあったことは見逃せない

さて、近代のポルトガルにとっての大きな転機は、その他のヨーロッパ諸国と同様、ヨーロッパ共同体(EC)への加盟であった。40年以上におけるアントニオ・サラザールの独裁政権が1974年カーネーション革命で倒れた後、1986年にポルトガルはスペインと共にECに加盟する。ECに加盟したことで外へ大きく開かれたポルトガルは、ワインに関しても重要な輸出商品の一つとして位置付け、生産者も海外マーケットへの意識を強めていくことになった。

とはいえ、それでポルトガルワインが大きく輸出されるようになったというほど話は単純でもない。よく私はポルトガルワインの現状を「一周遅れでトップを走っているように見えるランナー」に例えるのだが、この理由については後述したい。他のヨーロッパ諸国などと比べても遅れて走っていたはずのポルトガルワインだが、遅れていたことが功を奏し、むしろ最近は本当にトップを走っているのではないかとも感じる。そしてその理由の一つはダオンなのだ。

ポルトガルの気候と土壌

ポルトガルのDOC図。やや北よりの中部に位置するのがダオン。

ポルトガルの理解を難しくしている理由の一つがこの点だ。例えば上のポルトガルのDOC図をよく見て欲しい。北西の端にあるのが、低アルコール、微発泡の白ワインで今や世界的人気を博する産地、ヴィーニョ・ヴェルデ。そしてそこから東隣に目をやると、ポートとフルボディの赤ワインで有名なポルト/ドウロ酒精強化かその他かによって原産地呼称が変わる。)だ。不思議だと思わないだろうか。方や世界でも有数の低アルコールのワイン、方や世界でも有数のパワフルなワインの産地だ。緯度は変わらないし、隣接しているのにも関わらずこれだけワインのスタイルが変わる。ポルトガルは日本の4分の1の面積しかない国だが、気候の多様性が非常に大きいのである。それは何故だろう。

ポルトガルは大きく東に目をやればスペイン、イタリア、ギリシャとほぼ同緯度で並ぶ南欧の国だが、気候を考えるときに大きなファクターになるのが西に広がる大西洋だ。大西洋から涼しく湿った風が流れるため、この影響を強く受ける産地は南北に関わらず涼しい。代表格がヴィーニョ・ヴェルデだ。大西洋に面し東側には山があるので、その手前にあるヴィーニョ・ヴェルデには平均で1,200mmもの雨が降り、平均気温もポルトガルのワイン産地の中では最も低い。

対してドウロは、ヴィーニョ・ヴェルデから見ると東側の山を越えたところに位置する産地だ。西から流れてくる雨雲や湿った海の影響はこの山にブロックされて弱められる。ドウロでは最も雨が多い場所でも約700mm程度。最も雨の少ない東側は500mmを切るくらいの降雨量しかない。このことが、ドウロが力強い赤ワインを造ることを可能にする一因となる。

さて、ヴィーニョ・ヴェルデに並んで多雨かつ低温な産地ダオンだ。地図だけでは分かりづらいが、ダオンはポルトガル本土で最も標高の高い山 Serra da Estrela(星の山、という意味の美しい名前だ)の麓に広がる盆地のような産地で、西から流れる雨雲はこの周りの山にぶつかって雨となる。平均雨量は1,000mmとワインの産地の中ではかなり多い。またダオンは最も高い場所では700mを越す山の麓にぶどう畑が広がっており、これも平均温度を押し下げる要素となる。但し最も低い場所では100m以下の場所もあり、産地の中でも多様で一概には言い切れないので注意が必要。

ポルトガルの土壌についてもまた多様であるが、ヴィーニョ・ヴェルデとダオンは花崗岩が主であるという点でも一致している。ダオンでは花崗岩の岩がゴロゴロと埋まっていて、畑を作るのにも岩をブルドーザーで動かさなくてはいけないことがままあるが、ヴィーニョ・ヴェルデではより風化が進んでおり、ほぼ砂質となっているという違いはある。ともあれ花崗岩は非常に土壌としては排水性が高く、二つの雨量の多い産地が幸いにもぶどう栽培に結果として向いている、一つの要因となっていると言えるだろう。

ポルトガルのぶどう品種

ポルトガルのぶどう品種について話をするとき、私はよくこの話は止めましょう、と冗談めかして言う。いや、冗談ではなく、半分は本気なのだけれど。

ポルトガルの品種は複雑怪奇。その多様性を面白さとして捉えられる?

ポルトガルにある品種は250種類とも、400種類を超えるとも言われる。この点で同じ南欧であるイタリアやギリシャによく似ていて、それぞれの国と同じように、他の国にはほとんどない土着品種ばかりであることも同じだ。

イタリアやギリシャではよく品種の話をするじゃないかって?ネッビオーロやサンジョヴェーゼやアシルティコやクシノマヴロの話が沢山出てくるって?どうしてポルトガルでは同じようにトウリガ・ナシオナルやアルヴァリーニョの話をしないのかって?いやいや、しないわけではない。確かにトウリガ・ナシオナルやアルヴァリーニョなんかは同じような話ができる。けれどそれでは、ポルトガルワインを見誤ることになるんです。

ポルトガルとイタリアやギリシャを隔てるもの。それは品種のブレンドである。

イタリアやギリシャでは比較的多くのワインが単一品種から造られるのに対し、伝統的にポルトガルで単一品種から造られるワインは、ヴィーニョ・ヴェルデにおけるアルヴァリーニョやバイラーダのバガ、リシュボアのアリントなどごく一部に過ぎない。ヴィーニョ・ヴェルデの伝統的ブレンドとしてロウレイロ、トラジャドゥーラ、ペデルナンの3品種の60:20:20が挙げられているように、ポルト/ドウロでは、トウリガ・ナショナルトウリガ・フランカティンタ・ロリスティンタ・カオンティンタ・バロッカ重要5品種とされているように、そしてアレンテージョではアラゴネストリンカデイラアリカンテ・ブーシェ3品種が代表的なブレンドだったように(敢えて土着品種の名前を列挙したが、ほとんどの人には恐らく目眩がする呪文のように見えるだろう)、ポルトガル人は伝統的にとにかく品種を混ぜるのだ。

ポルトガルがECに加入した後、海外マーケットを志向する中で、伝統的なブレンドのワインから単一品種のワインの開発へとある程度流れが変化はした。ほとんど単一品種では造られていなかったトウリガ・ナシオナルが、80年代以降数多くの単一品種への挑戦を経て、ポルトガルを代表する黒ぶどう品種としての地位を確立していったのは好例だ。また今ではヴィーニョ・ヴェルデのみならずポルトガル全土で造られるアルヴァリーニョが、ソアリェイロによって初めてメルガッソで単一品種としてリリースされたのは1982年のことでもある。

とはいえ未だにポルトガルのメインストリームはブレンドだ。だから品種の特徴が捉えづらい。例えば上記したドウロの重要5品種の中でも、ティンタ・カオンやティンタ・バロッカなどは単一品種としてリリースされているワインが非常に少なく、有名な品種であるのにも関わらず品種単体のキャラクターがなかなか分かりづらい。(ティンタ・バロッカに関しては、例えばイーベン・サディトレインスプールのように、南アフリカでの単一品種の例のほうがむしろ知られているかもしれない。)

ポルトガルは数多くの土着品種を持つ国でありながら、それぞれの個性について語るよりはむしろ、ブレンドによってそれぞれの要素を組み上げ、最終的な味わいを造りあげていくことを選んでいると思う。

この点において、私としてはとても好意的に考えているが皆さんはどうだろうか。ブレンドは品種で考えづらいから理解が難しい?確かにそういった面はあるだろう。品種ごとのキャラクターを理解することで、地域ごとのキャラクターも理解しやすくなる。ピノ・ノワールがどういう品種なのか理解できれば(クローンという要素はあるにしても)、ブルゴーニュとソノマ・コーストとセントラル・オタゴのテロワールの違いについて比較することはある程度可能だ。アシルティコの特徴が分かれば、サントリーニやクレタとペロポネソス半島などそれぞれの産地の特徴について理解がしやすいだろう。

但し、それはそれぞれの品種について、それなりにでも理解していることが前提である。2010年台に入って国際的なワインマーケットは多様化、というよりは単純により複雑化した。今まで俎上にほとんど上がることのなかった国や産地が、次々に取り上げられるようになった。併せて今までほとんど聞いたこともなかったような品種が、次々とスターダムに登った。ワインに関わる情報量は飛躍的に増し、日本ソムリエ協会の教本も年々厚くなるばかり。これを、面白いと思うかめんどくさいと思うかはそれぞれである。ただもう常人には全てをフォローしていくのは明らかに限界だ。新しい、舌を噛みそうな名前の品種なんてこれ以上誰が覚えてくれるんだろうとも思う。

だから恐らく多くの人の頭を悩ます、複雑怪奇な多くのポルトガルの品種についても、先ずは一度傍に置いておいて欲しい。そもそも土着品種ばかりな上にブレンドばかりでは、品種がワインの特徴を捉える手がかりにはなかなかなりえない。

フィールド・ブレンド

ではポルトガルは品種に依らずに何を見ればいいのか。それは地域性だ。ヴィーニョ・ヴェルデにはヴィーニョ・ヴェルデらしさが、ドウロにはドウロらしさが、ダオンにはダオンらしさが、それぞれ明確にあると言っていい。それぞれの産地にそれぞれの土着品種があり、それぞれが文化や歴史と混ざり合いながら、その産地らしさを現出させているのだ。

その意味において見逃せないのが、ポルトガルのフィールド・ブレンドの畑だ。混植とも呼ばれ、複数品種が一つの畑にまとまって植えられているどちらかといえば古い栽培方法で、特にフィロキセラ前はヨーロッパでもほとんどがフィールド・ブレンドだったと言われる。栽培技術が向上した近代ではより効率的に管理がしやすい単品種での栽培が一般化しており、現代においてフィールド・ブレンドの畑がある程度まとまった面積があるのは、DACウィーナー・ゲミシュター・サッツとして世界で唯一、混植混醸(混植の畑の複数品種を一度に収穫して混ぜて醸造する)が原産地呼称の条件となっているオーストリアのウィーン、そして特に古い畑においてジンファンデルにムールヴェードルやプティ・シラー、アリカンテ・ブーシェなどが混植されているものが残るカリフォルニアなど、世界でも非常に限定される。

その中で、正式なデータこそないものの、恐らく世界最大面積の混植の畑を有しているのがポルトガルだろう。その中心地はドウロだ。ポルトガルの中でも特に高樹齢の畑が多い産地でもあり、ドウロでは80年や100年を越すような宝石のような古い樹が非常に多く残っている。その多くがフィールド・ブレンドであり、多くのワイナリーの上位キュヴェはこういった畑から造られている。

ドウロに広がる世界遺産の畑。フィールド・ブレンドが非常に多い。

また、ドウロほどではないが、ヴィーニョ・ヴェルデでも、トラス・オス・モンテスでも、ダオンでも、そしてアレンテージョでも、樹齢の高い混植の畑はポルトガルのあちこちで目にすることができる。

フィールド・ブレンドの良さは、正にその品種の存在感のなさに依る。

多い場合では数十種類もの品種が同じ区画に育ち、同時に収穫され、一緒に醸造される。フィールド・ブレンドされた畑の中では、一般には異なった時期に成熟を迎えるはずのそれぞれの品種の成熟が同じタイミングに近づくと多くの生産者が言う。一つひとつの品種の特性は溶け合い、通常のブレンドでは到達できないような一体感のある味わいが混植混醸の魅力だ

品種の味わいが溶け合いなめらかに消えたような、こういったワインに強く現れるのが、それまではそのバックボーンだったはずの、いわばテロワールの味わいである。ポルトガルのフィールド・ブレンドのワインは、その樹齢の高さも相まって、それぞれのワインがその土地、その気候、その造り手ならではの味わいを深く紡ぎ出すのだ。

ポルトガルは本当に一周遅れなのか?

さて、ここでやっと話の冒頭に戻ろう。ポルトガルはなぜ、私にとって「一周遅れでトップを走っているように見えるランナー」なのか?

それは簡潔に言えば、ここまで論じてきたように、ポルトガルがある程度の変化はあったにしろずっと伝統を保ち続け、経済効率的にもマーケット的にも価値がないと見なされてきた古い伝統や古い畑を守ってきたからであり、そのことが今世界の他のどこの国にもないような強みになりつつあるからだ。

それは幸いにも、他の国が国際市場を狙って国際品種を植え、ロバート・パーカーJr.の影響でビッグなワインを造ることを目標にしていた時代に、言わば出遅れたからだともいえる。当時ポルトガルでも国際品種が数多く植えられたが、その多くは新しくぶどう畑を拓く余地に恵まれた中部のテージョや南部のアレンテージョが中心で、樹齢の高い畑が植え替えられるようなことはコストの問題も大きく、かなり限定的だったようだ。

樹齢が上がり、古樹となったワインはぶどうの実をつける数が減るために生産性が落ちる。そのため多くの場合では植え替えが行われるが、これにもコストがかかる上に植え替え後も直ぐに果実が収穫できるわけではない。ポルトガルは貧しかったのだ。もし当時植え替えることが出来たら、少なくとも混植などという品種もよく分からない畑はとっくに単一品種の畑に変わっていただろう。結果的に多くの畑が植え替えられることなく、古いままの姿が保たれたのは今となっては幸運だった

ワインのグローバリゼーションに最初にこうして乗り遅れたポルトガルは、一周遅れのランナーとなった。

更に、ポルトガルが今でも保ち続けているのは、古いフィールド・ブレンドの畑だけではない。醸造面でも多くのポルトガル人が古い伝統を静かに、しかし確かに受け継ぎ、今でも活かしている。その一つの例がターリャであり、もう一つの例がラガールだ。

ターリャは、主にアレンテージョで脈々と受け継がれてきた、ワイン醸造に使われてきたアンフォラである。ポルトガルがユニークなのはジョージアのように、ずっとターリャを使ってワインを造ってきた文化があるということだ。彼らに言わせると「ジョージアなどに次いでアンフォラでワインを造る長い伝統がある」そうで、近代になっても自宅用のワインやレストランが自らのハウスワインを造るために綿々と使われてきた。昨今の世界的アンフォラ・ブームで再度注目を浴び、2012年にはDOC Vinho de Talhaとして、恐らく世界で初めてアンフォラを使うことが定められた原産地呼称も登場した。

アレンテージョのターリャ。写真のように地面には埋めず、自立するのが特徴の一つ。

ラガールはポルトガルで広く見られる発酵槽だ。多くは花崗岩でできたプールのような形状で、特にドウロでポートワインを造るために伝統的に使われている。収穫したぶどうをこのラガールに放り込み、数日間皆で足で踏み潰して破砕し、発酵させる

非常に原始的な印象を受けるが、実はドウロに限らずポルトガル全土で見られ、特に今ではワイナリーのトップキュヴェでラガールを使う例が非常に多い。柔らかい人の足で踏むことで、特にぶどうの種からのタンニンの抽出が抑えられることがメリットだと言われる。

ダオンのワイナリーのラガール。もちろん現役で使われている。

果たしてこういった文化を未だに残すポルトガルは、良い意味で伝統的なのか、それとも単に時代遅れなのか。ポルトガルが走っているのは単に一周遅れの場所なのか、それとも実はトップを走っているのか。

事項ではダオンの数名の生産者にフォーカスし、それぞれの過去と現在、そして未来について考えてみたい。冒頭のアルヴァロが立つ畑から、世界のどこまで見渡せるだろうか。