2021年12月26日12 分

偉大さだけが、価値では無い <ピエモンテ・ネッビオーロ特集:最終章>

より優れていること。漠然としたその言葉だけが絶対的な価値になってしまうことほど、悲しく、虚しく、恐ろしいことはない。ヒトに当てはめてみると、その怖さが良くわかる。極々一部の「より優れた人間」だけに価値が宿る社会になってしまったとしたら、ヒトの大多数は逃れようの無い絶望感の中で生きていくことになるだろう。そう、「優れている」という言葉は、使い方を間違えれば脱出不可能な混沌への呼び水となってしまうのだ。ワインについて語る時、特に、偉大とされるワインと必ずしもそうでは無いワインの両方を語る時は、何をもって「優れている」と表現するかが、極めて重要になる。つまり、広義としての「優れている」ではなく、常に狭義としての「優れている」という価値判断を貫くべきなのだ。イタリア・ピエモンテ州のネッビオーロにおいては、バローロ・バルバレスコという圧倒的な知名度を誇る二大巨塔と、それ以外のネッビオーロとでは、優れているポイントが全く異なる。確かに、古典的価値観に基づく偉大さという点では、二大巨塔の優位は揺るぎないものだ。しかし、現代は多様性と個性の時代である。偉大さだけが、価値では無いのだ。ピエモンテ・ネッビオーロ特集の最終章となる本章では、バローロ、バルバレスコ以外の、あまり日の目を見ることのないネッビオーロワインの真価に迫っていく。

Langheのネッビオーロ

Roero DOCG

ランゲ地方の北西部、最も緯度の高い位置にあるRoero(ロエロ)に、近年注目が集まるようになったのは二つ理由がある。一つは、復活した土着白葡萄であるアルネイスの中心地であったことから、ピエモンテ州屈指の高品質な白ワインの産地として知られたこと。もう一つは、ランゲ第三のネッビオーロ銘醸地として、バローロやバルバレスコとは違った個性が認められ始めたことにある。このような経緯もあり、Roero DOCGは白、赤、スパークリングが認められている。本章では、ネッビオーロ主体(最低95%、残り5%は非アロマティック系黒葡萄)の赤ワインに関してのみ取り上げていく。

ロエロには、一人の偉大な革命家がいた。故マッテオ・コッレッジァだ。かつてロエロではアルネイスが中心に栽培されており、産地としての知名度は非常に低く、むしろ他のランゲ地方の造り手に葡萄を供給する(かつては、エリア外の葡萄をブレンドすることに対する規制があってないようなものだった)という、名もなき下請け企業的立ち位置が、ロエロに与えられた主な役割だった。しかし、若かりし頃のマッテオが、1976年エリオ・アルターレらと共にブルゴーニュ視察に向かったことが、その後のロエロにとって、まさに運命の分かれ道となった。

ロエロの中でも様々な土壌や微気候のヴァリエーションが見られるが、土壌に関しては全体的に砂質の割合が多いことが特徴となっている。この土壌からは、しなやかで軽やか、香り高く、若いうちから楽しめるチャーミングなネッビオーロが生まれるが、その特性は強固なタンニンと酸の構造をもつバローロ、バルバレスコの価値観とはかなり異なるものとも言える。しかし、Valmaggiore(ヴァルマッジオーレ)のように一部の限られたエリアでは、よりバルバレスコ的な性質をもったネッビオーロが生まれ、ブルーノ・ジャコーサ、ルチアーノ・サンドローネといった名門が、この地から素晴らしいワイン(Roeroではなく、Nebbiolo d’Alba Valmaggioreとしてリリース)を造っている。

Valmaggioreの例のように、現状ではNebbioloと表記できた方が販売しやすい側面があり、規定に厳しいDOCGであるRoeroではなく、あえてDOCのNebbiolo d’Albaとしてワインをリリースすることも少なく無い。

クリュ名、コムーネ名を合わせたMGAは153という非常に多い数が認定されたが、現在のロエロに対する世間的な理解度を鑑みれば、欲をかいたが故に意味消失してしまったと言えるだろう。

ロエロは2005年にDOCGへと昇格した。

*Roero DOCGの秀逸なワインと造り手*

造り手:Matteo Correggia(マッテオ・コッレッジァ)

ワイン:Roero Rosso “Roche d’Ampsej” Riserva

ロエロらしい砂質土壌に加え、黄土が混ざる特異な土壌を有するロッケ・ダンピセは、ロエロの中でも屈指の極めて秀逸な葡萄畑。丘の中腹、最も日当たりの良いエリアにある畑は、13世紀頃からその存在が確認できるほど歴史的な畑でもある。マッテオは耕作放棄地となっていたこの畑の偉大な可能性に目をつけ、再生させた。ロエロが決して「飲みやすさ」だけの産地では無いことを証明するかのような、奥深いアロマ、複雑で力強い味わい、長期熟成能力を合わせもった傑作ワイン。

Nebbiolo d’Alba DOC

バローロ、バルバレスコゾーンの北側からロエロを含むランゲ北西部エリアを広範囲にカヴァーするDOCがNebbiolo d’Alba(ネッビオーロ・ダルバ)。範囲が広いため、一貫的した特徴は断定しづらいが、総じて軽やかで香り高いネッビオーロとなることが多い。ヴァリュー・パフォーマンスに優れたワインも多く、前述したロエロゾーン内にあるValmaggioreは特に名高い。ネッビオーロ・ダルバはネッビオーロを100%使用する必要がある。

Langhe Nebbiolo DOC

北はロエロ、南はドリアーニまで、ランゲ西部全体をカヴァーする大きなDOCがLanghe Nebbiolo(ランゲ・ネッビオーロ)。当然、その広さ故に玉石混合となっているが、注目すべきはこのゾーンにはバローロ、バルバレスコが含まれている点にある。つまり、それらのゾーンにある優れた畑に植わった若木が格下げされてランゲ・ネッビオーロとなるケースがかなりあるのだ。ロエロもゾーンに含まれるが、こちらの場合は格下げでネッビオーロ・ダルバとなることが多い。造り手を慎重に選べば、非常にヴァリューパフォーマンスに優れたワインが多く出てくるため、ネッビオーロを気軽に楽しみたい人にとっては、追求してみると楽しいDOCだ。ランゲ・ネッビオーロはネッビオーロのブレンド比率が最低85%と規定されており、バルベーラをブレンドするケースも少なく無い。ガヤの高名な「Soriシリーズ」などは、あえてランゲ・ネッビオーロに格下げして、バルベーラをブレンドしている。

ロエロの葡萄畑

Vercelliのネッビオーロ

Gattinara DOCG

アルプス山脈の麓に位置する、ピエモンテ北部のGattinara(ガッティナーラ)は、1950年代頃までは、バローロとバルバレスコに勝る特上のエリアとされていた。今でこそ、「ワインの王」の名はバローロのものとなっているが、かつてその名はガッティナーラのためにあったのだ。しかし、第二次世界大戦後、急速に衰退し、現在では最盛期の1%程度の規模(総栽培面積100ha弱)にまで落ちぶれてしまった。もし、ガッティナーラがその生産規模を維持していたなら、今のバローロやバルバレスコの地位はなかったのだろうか。という問いは度々繰り返されてきたが、筆者は全くそう思わない。ランゲよりも遥か北部(約100km離れている)に位置し、より冷涼で厳しい気候、農作業が難しい山肌の畑、そして何より強い火山性の土壌。ガッティナーラのテロワール特性は、根本的なレベルでランゲとは異なるからだ。つまり、ガッティナーラがバローロ、バルバレスコと並び称されていた可能性はあっても、格上とされ続けることができたかには、大きな疑問が残る。

ガッティナーラではネッビオーロをスパンナと呼び、DOCGの規定では90%以上のブレンドが義務付けられている。他の葡萄は、最大10%のウーヴァ・ラーラ(現地ではボナルダ・ディ・ガッティナーラとも呼ばれる)、最大4%のヴェスポリーナが認可されている。他の葡萄が歴史的に認められてきた背景には、この地がネッビオーロにとってまさに限界的生育条件の産地であり、他品種とのブレンドというリスクヘッジを必要とする程度には、安定的に熟させるのが難しい場所であるという事実がある。

この限界的条件は、ガッティナーラに利点とも欠点ともなる一つの特性を与えた。それは、平凡なバローロやバルバレスコを優に凌ぐ、圧倒的な長期熟成能力である。かつて、高級ワインに親しむ上流階級にとって、偉大なワインの最も重要な指標の一つは、長期熟成能力であった。ガッティナーラがバローロとバルバレスコを凌ぐ名声を得ていた時代があった理由は、まさにここにあるとするのが定説だ。

ガッティナーラらしさを求めるなら、古典的な超長期熟成型のワインが正しい姿だろう。しかし、10年程度では微動だにしないそのあまりに強固な構造は、飲み手に長い忍耐の時を強いてしまう。かといって、バリックでモダンに仕上げてしまったら、ガッティナーラであることの意味が消失する。なんとも悩ましい問題だが、ガッティナーラのトップ生産者は、一部のガッティナーラをワイナリーで長期熟成させてから出荷している。20年ほど前のヴィンテージを現行リリースとして入手することも十分に可能なため、チャンスがあれば是非試していただきたい。強靭なタンニンと酸がほぐれ、熟成によって高まった野性味が顔を出してきた段階のガッティナーラは、確かに凄いネッビオーロだ。

ガッティナーラは1990年にDOCGへと昇格した。

*Gattinara DOCGの秀逸なワインと造り手*

造り手:Antoniolo(アントニオーロ)

ワイン:Gattinara “Osso San Grato” Riserva

ガッティナーラを語るのに避けては通れない重要な造り手が、アントニオーロ。一時期はバリックを部分的に導入していたが、現在はまた大樽へと回帰している。リリースするワインはGattinara、Gattinara Riserva、Gattinaraの単一畑、単一畑のRiservaと4段階に分かれており、どのクラスであっても緻密な古典美を讃えた見事なワインとなっている。20年程熟成させたライブラリーリリースも定期的に行うため、熟成によって華開いたガッティナーラの真価を確認するには、うってつけの造り手でもある。また、3種の単一畑はどれも素晴らしいが、特にOsso San Grato(オッソ・サン・グラート)は圧巻の一言。ネッビオーロファンなら一度は試していただきたい、大傑作ワインだ。

Lessona DOC

ガッティナーラからブラマテッラを挟んだ西側に位置するLessona(レッソーナ)は、ピエモンテでも最小クラスのDOCだが、ネッビオーロ(スパンナ)を主体に興味深いワインを産出している。ネッビオーロのブレンド比率は最低で85%。ヴェスポリーナとウーヴァ・ラーラは最大15%まで認められている。近代化とは無縁の冒頓とした古めかしい味わいのワインからは、小さな農村の風景が浮かんでくるようで、このノスタルジックな魅力は何ものにも替えがたい。

ガッティナーラの葡萄畑

Novaraのネッビオーロ

Ghemme DOCG

ガッティナーラから東に下り、セシア川を越えた向こう側のノヴァーラ県に位置するのが、Ghemme(ゲンメ)。位置関係的にはガッティナーラと隣り合う産地であるが、その個性は大きく異なる。火山性土壌主体のガッティナーラに対し、ゲンメでは氷河の活動によって堆積した粘土質土壌が中心となるからだ。また葡萄品種も最低85%のネッビオーロ(スパンナ)に最大15%のヴェスポリーナとウーヴァ・ラーラ(現地ではボナルダ・ディ・ノヴァレーゼとも呼ばれる)となる。ガッティナーラとゲンメの違いは、バローロとバルバレスコの違いと類似しており、ゲンメはより繊細で華やかなアロマ、柔らかいタンニン、重厚感のある果実味が特徴。生産量はガッティナーラよりもさらに少なく(総栽培面積50ha強)、バローロの0.1%程度しかないため、イタリアのDOCGでも屈指の小生産ワインとなる。ガッティナーラほどでは無いものの、非常に長熟なワインとなるため、リリース後10年は抜栓を我慢したいところ。野性味が入り混じる独特の艶かしいアロマ、しなやかながら集中力のあるテクスチャーからは、確かな古典美が溢れ出ている。

ゲンメは1997年にDOCGへと昇格した。

*Ghemme DOCGの秀逸なワインと造り手*

造り手:Vini Ioppa(ヴィーニ・イオッパ)

ワイン:Ghemme “Bricco Balsina”

1852年から続く老舗。過去にはバリックを試していた時期もあったが、現在はソフトな抽出と長期熟成を大樽で行うスタイルに回帰した。栽培もオーガニックへと転換し、ますます品質に磨きがかかっている。特にトップキュヴェは大樽で4年間も熟成を行うため、リリースの時点でも、かなりオープンな仕上がりとなる。若いセンスと伝統が見事に融合した、注目すべきワインだ。

Boca DOC

ゲンメの北側に位置し、同じく非常に小さなDOCであるBoca(ボーカ)。しかし、土壌組成はよりガッティナーラに近い火山性が主体となるため、ゲンメよりも引き締まったテクスチャーが特徴となる。葡萄は70~90%がネッビオーロ(スパンナ)、10~30%がヴェスポリーナとウーヴァ・ラーラであり、近いエリアのDOC、DOCGと違って、ボーカではブレンドが義務付けられている。ネッビオーロの比率が低ければより柔らかい特性をもつが、高比率の場合は、頑強なワインとなり、スパイシーなアロマと強靭な酸、分厚いタンニンが特徴となる。かつてはネッビオーロの比率が最低で45〜70%だったが、改定によって引き上げられた。

ゲンメの葡萄畑

Torinoのネッビオーロ

Carema DOC

トリノ県の北端、隣州のヴァッレ・ダオスタとの境界線に位置するピエモンテ北限エリアの産地Carema(カレーマ)には、どこか悲壮感が漂っている。総栽培面積は18ha程度と極小規模だが、カレーマはピエモンテで最も早くにDOCのステータスを与えられた産地だ。しかし現在は、協同組合が強い(品質は高いが)ため、アクティブな造り手は実質二軒のみと多様性に著しく欠ける。高齢化、過疎化も深刻で、世代交代の難しさにも直面している。山肌に切り開かれたテラス状の美しい葡萄畑には、棚仕立てでネッビオーロが植えられている。しかもこのネッビオーロは、プニェットというカレーマ独自のローカルクローン。かつては厳しかった北限の気候も、温暖化によって随分とマイルドになってきている。つまりここには、人的な要因による困難と、ユニークなテロワールの魅力が、互いを拒絶し合うかのように混在しているのだ。アルプスの麓でしか表現できない、悠然とした美しいワインは、ネッビオーロとカレーマのテロワールが特別な関係にあることをはっきりと示しているし、DOCGのステータスに十分相応しいポテンシャルがあるにも関わらず、その財産と伝統を受け継ぎ、進化させる人材がどうしようもなく足りていない。ランゲを中心にピエモンテ州のネッビオーロを席巻したビッグワインブームが去り、いよいよカレーマにも脚光が当たり、ワインの売れ行きも好調なのに、この状況は本当に残念だ。高齢者でも畑仕事がしやすいように、一部の畑では棚仕立てが垣根仕立てに変えられた。棚仕立て(高収量)だからこそのチャーミングなカレーマ・ネッビオーロの良さは、絶対にあったはずだ。高齢者のために垣根に変えるというのは、まさに本末転倒。先行きはまだまだ不安なだけに、カレーマのカレーマらしい姿を知りたいのなら、今のうちに飲んでおくべきかもしれない。

*Carema DOCの秀逸なワインと造り手*

造り手:Produttori Nebbiolo di Carema(プロデュットーリ・ネッビオーロ・ディ・カレーマ)

ワイン:Carema “Classico”

80名の農家が参加し、カレーマ全体の2/3に及ぶ葡萄畑を管理している協同組合。手がけるワインはシンプルそのもので、農家たちからかき集めた葡萄から、通常の「クラシコ」と上級の「リゼルヴァ」を作る。多数の畑から集めた葡萄を、たった2種類のワインに分けるのだから、プロデュットーリのワインは、カレーマのテロワールを総体として確かに表現している。個人的には、田舎っぽいゆるさのあるクラシコの方が好きだ。

カレーマの葡萄畑

広がるネッビオーロの世界

バローロ、バルバレスコは、古典的な広範囲ブレンド型、単一コムーネのブレンド型、クリュの特徴を反映させた単一畑型の3種類に対してそれぞれ違った楽しみ方ができる。この2産地だけでも非常に奥深く、追求しがいのある多様性が広がっている。一方で、その他エリアのネッビオーロからは、より特殊性の高い個性や、冒頓とした田舎的味わいを、高いヴァリューパフォーマンスで楽しむことができる。2ヶ月に渡って、過去最大のヴォリュームで綴ってきたネッビオーロ特集だが、筆者自身も執筆の過程で、ネッビオーロの魅力を数多く再発見することができた。そして、改めて確固たる確信にも至っている。ネッビオーロはイタリア最上の黒葡萄品種であり、紛れもなく世界最高峰の葡萄であると。