2022年1月31日11 分

祝福の鐘は、葡萄畑から鳴り響く <オーストラリア・クラフト・ワイン特集:後編>

過ちを正すのは難しいことではない。だが、正したことを理解してもらえるかは、全く別の問題だ。「他人の不幸は蜜の味」という底知れぬ悪意は、カソリック教会における「七つの罪源」や、ダンテの叙事詩「神曲」などにおいて、人を罪へと導くものとして常に描かれてきたように、残念ながら、人という種にとって、極めて自然発生的なものだ。だからこそ、消し去りたい過去ほど、他者によって消えない烙印のように刻まれてしまう。だからこそ、「農」のワインであれば許されたはずの失敗は、「人」のワインであったが故に、許しを得る可能性が著しく制限されてしまった。

だが、それで良いのだろうか。失敗した人間の成長を認められないほど、人の心に善と許しは無いのだろうか。

決して違う、と私は信じていたい。

悪意ではなく、善意でもって、受け止めて欲しい

オーストラリアの、自然を愛する造り手たちの想いと、結果に対する責任を

矛盾からのそれぞれの脱出

極端な醸造的欠陥が生じたワインは、テロワールを表現する能力を失う。葡萄畑のありのままの自然な姿を表現しようという想いが暴走し、そのための手段を決定的に誤った結果として、オーストラリアだけではなく、世界中の多くのナチュラル・ワインが、テロワールを見失うという矛盾に陥った。この矛盾は、そもそもテロワールを表現しようとしていないのであれば問題にすらならないのだが、実際には、彼らの想いは葡萄畑の表現にあった。変わらないままでは、すぐにでも行き止まりに当たる。不可避に思える未来の可能性をしっかり受け止めたからこそ、彼らは前に進むことを選んだ。それぞれの方法で、それぞれの想いや誠実な心と共に

オーストラリア・クラフト・ワイン・ムーヴメントの先頭に立っていたアントン・フォン・クロッパー(Lucy Margaux)は、醸造所を新設し衛生環境を向上させると共に、レストラン(アントンは元々シェフでもある)も開業した。亜硫酸無添加への拘りは相変わらずだが、以前と比べると欠陥的特徴が抑制され、ディテールが見えるようなワインが増えてきた。特に、自らのレストランで自らのワインを提供するという方法は、不安定になる可能性が捨てきれないワインを、最も良いコンディションで味わうための、最良の選択肢の一つだ。非常に高く評価できる試みだと、筆者は強く思う。

アントンと並んで、このムーヴメントの象徴的存在となっていたジェームス・アースキン(JAUMA)は、生産量を半分以下に落とし、カーボニック・マセレーションに独自のアレンジを加えた醸造方法の精度を高め、格段に品質を向上させた。亜硫酸は相変わらず無添加だが、以前に比べると圧倒的に安定している。また、赤ワイン造りにおける抽出も以前より強まっているため、品種の個性や葡萄畑のテロワールも、はっきりと見えるようになった。

二人とも、2018年以降、自社畑や契約畑のオーガニック化に邁進してきたことも見過ごせない事実だ。世捨て人のようなイメージすらあったヒップスターのワインには、確かな誠実さが宿るようになった

JAUMA, Cabernet Franc “UJO” 2019は、抜栓後1週間経過しても、不安定さを露出させず、生き生きとした果実感が持続した。2016、2017年の結果に深く苦しんだであろうジェームズが、前を向いて進化し続けてくれた事実と、見事な安定感を示すワインという結果を目の当たりして、私は生涯忘れられないような感動を覚えた。

亜硫酸無添加の信念を貫きながら、進化の道を模索するアントンやジェームスのような造り手がいる一方で、考え方を大きく変えたものたちもいる。

ピノ・ノワールの名手として知られるウィリアム(ビル)・ダウニーと、一世を風靡した意欲作「ジャンピング・ジュース」で知られるパトリック・サリヴァンは、2018年以降、亜硫酸添加に対する考え方を軟化させた。添加量は非常に少ないものの、極一部のキュヴェを除いて、基本的に添加を行うようになった。結果として、ビルの造るピノ・ノワールは産地や畑のテロワールをより明確に示すようになり、赤ワインの生産をほとんどストップして白ワイン造りに集中するようになったパトリックのワインには、強烈なミネラルとテロワールが宿った。

また、ビルとパトリックは農園を共同運営する仲でもあり、2018年以降、自社畑への集約、オーガニック栽培への全面的な転換、畑仕事への比重を格段に大きくするなど、醸造よりも葡萄畑での改革を多く行い、純然たるワインメーカーから、情熱溢れるファーマーへと変化した。

ヤング・カルチャーの発信地メルボルンでも、オーストラリア・クラフト・ワインは隆盛を誇ったが、2016、2017年の失敗により、人気は急落した。

次世代の躍動

ワイン造りに対して、かなり感情的な部分が大きい側面もあった彼ら先導者の側には、より冷静な次世代の担い手たちがいたことも見過ごせない。

JAUMAのジェームス・アースキンはアントン・フォン・クロッパーの初代アシスタントだったが、2代目以降にも、豊かな才能がアントンの元に集まり続けた。2代目アシスタントのギャレス・ベルトンGentle Folk Wineを、3代目アシスタントのジャスパー・ボタンCommune of Buttonsを、4代目アシスタントのティム・ウェバーManonを立ち上げ、ナチュラルでありながらも、よりクリーンなワインを世に送り出してきた。

象徴的な造り手たちによる2016、2017年ヴィンテージの失敗によって、オーストラリア・クラフト・ワインのムーヴメントが完全に崩壊しなかった理由は、彼ら次世代の頑張りにこそあると筆者は思っている。最初から誠実だった彼らのワインが、このムーヴメントの原動力となった「未知の魅力」を絶やさずにいてくれたのだ。

2010年を前後して徐々にオーストラリア各地から出現した他の次世代スターたちも、精鋭揃いだ。

ブレンダン・キース(BK Wines)、アレックス・シュルキン(The Other Right)、ブレンダン・カーター(Unico Zelo)、アンドリュー・バーチェル(Good Intentions Wine)、オーウェン・ラッタ(Latta)、リッチー・ハーカム(Harkham Wines)、ロブ・バーレイ(UNKEL)、スティーヴン・クロフォード(Frederick Stevenson)、ルーク・ランバート(Luke Lambert)、ジョシュア・クーパー(Joshua Cooper)、デーモン・コーナー(Koerner)

これらの名は、世界的にも稀有な充実度を誇るオーストラリアの若き才能たちの、一部に過ぎない。

そして、彼ら次世代組はみな、葡萄畑での仕事を何よりも重視しており、醸造所ではミニマムな介入を心がけながら、クリーンナチュラルの模範とも言えるワインの数々をプロデュースしている、自然を愛するファーマー達だ。

デーモン・コーナーとの対話

クレア・ヴァレーで、圧巻のクリーンナチュラルを手掛けるデーモン・コーナーの話からは、オーストラリア・クラフト・ワインが間違いなく「人」から「農」へと向かっていることを実感させられた。

「葡萄畑を完全にオーガニック転換したことによって、土壌の状態も大幅に改善されたが、畑仕事のあらゆる工程の精度が格段に上がったことによる影響もかなり大きい。クレア・ヴァレーの気候や土壌に合った品種、適切な収穫のタイミングが、より分かるようになってきたし、葡萄畑の中で日々働くことが、ワイン造りにどれだけ大きな意味があるのかを、僕は伝えたいよ。」

デーモンの語る言葉は、筆者がどちらかというとヨーロッパの造り手から耳にすることが多い言葉と全く同じだった。適地適品種と適熟が、偉大なテロワールを形成する。そして、偉大なテロワールが宿った葡萄は、醸造所でも良い振る舞いをする

「正しい場所に正しい品種が植えられ、しっかりと手をかけた栽培をして、理想的なタイミングで収穫する、ということが前提ではあるけど、醸造所では、清潔な環境の維持や、適切な温度管理、酸化を防ぐためのこまめな補酒(ウイヤージュ)といったケアを怠りさえしなければ、亜硫酸以外の添加物を使わなくても、テロワールを表現したクリーンでナチュラルなワインを造れる。でも、怠惰なワインメイキングはダメだ。葡萄を潰して、発酵槽に放置するだけで、良いワインは造れないよ。多少の揮発酸やブレタノミセスは、バランスさえ整っていれば大丈夫だと思ってるけど、ネズミ臭だけは絶対にダメだ。」

そう静かに語るデーモンの言葉には、今にも溢れ出んばかりの膨大な熱量が、押し込められていた。

また、デーモンはシャカレッロといったマイナー品種からも、素晴らしい成果を上げている。

シャカレッロは、暑く乾燥したオーストラリアの気候の中でも、灌漑を必要としない品種であり、しっかりと熟しながらも高い酸が維持できる上に、病気に強いためオーガニック栽培もしやすい。

悪化する一方の気候変動、今後の農業にとって必須となるオーガニック転換、水の計画的使用。それらの問題をクリアできるクレア・ヴァレーでのシャカレッロの栽培は、確かにあらゆる意味で理に叶っている。

多様性に満ちた畑に佇む古木の姿は、こんなにも美しい

不動のベテラン勢

みなぎる情熱で極限まで突っ走ったアントン・フォン・クロッパーの世代、より冷静なワインメイキングと葡萄畑の重要性に回帰した次世代組が躍動する傍らで、不動の存在感を示し続けてきたベテラン勢もいる。

2020年に、49歳という若さで、この世を去ってしまったタラス・オコタ(Ochota Barrels)は血気盛んな若者が集ったアデレード・ヒルズにおいて、誰もが信頼する「」のような存在であり続けていた。その影響力は凄まじく、まさにタラスはアデレードのヤング・ガンズにとって精神的支柱だった。タラスがいなければ、今のオーストラリア・クラフト・ワインのシーンは、全く別物になってすらいただろう

孤高の存在、ティモ・メイヤー(Mayer)も忘れてはいけない。常識の壁を軽々と蹴破るような、驚異的なワインの数々を手がけるティモは、ピノ・ノワール、シャルドネ、カベルネ・ソーヴィニヨン、ガメイ、ネッビオーロ、サンジョヴェーゼといった個性の大きく異なる葡萄に、ヤラ・ヴァレーの冷涼気候というテロワールをはっきりと刻み込む。ティモは全房発酵のマスターでもあり、通常は必ず完全除梗するカベルネ・ソーヴィニヨンまで全房で仕込み、異次元の味わいを創出する。

オーストラリアでも最も早くからビオディナミ農法に取り組んできたジュリアン・カスターニャ(Castagna)は、クラシックとナチュラルの境界線が交錯するような、驚くべきワインを手掛ける。エネルギーに満ちた躍動感に溢れる一連のワインは見事という他なく、オーストラリア・クラフト・ワインのシーンとは少し離れたところにいる存在ではあるものの(Castagnaは、ニコラ・ジョリーが創設した世界規模のビオディナミ生産者団体であるルネサンス・デ・ザペラシオンの一員でもある)、偉大なパイオニアとして、常に指標となってきた。

モダン・オーストラリアワインの銘醸として知られるクロナキラで長年に渡って活躍してきた醸造家ブライアン・マーティンが、自身のブランドとしてひっそりと極小規模のワイン造りを行ってきたRavensworthも、待ち焦がれた日本市場へのデビューを果たし、既に熱狂的な支持を得ている。亜硫酸以外の添加物を拒絶したナチュラルな造りだが、欠陥臭は微塵も生じず、極めてクリーンで緻密な味わいを実現している。

実は、タラス、ティモ、ジュリアン、ブライアンには共通点がある。それは、彼らが皆、(伝統的なトレーニングを受けた)熟練の醸造家であり、亜硫酸添加を嫌わないということだ。そして、当然のように、葡萄畑とテロワールを常に最重要視する。

彼らのようなベテラン勢の存在は、一過性となる危険と常に隣り合わせとも言えるムーヴメントに、確固たる土台を築いてくれる。タラスが後年には亜硫酸の添加量を少し減らすようになったり、ジュリアンやブライアンがオレンジワインを造ったりと、若手からの刺激も、良い形で伝わっているように見える。

ファーマーズ・ワイン

かつて、オーストラリア・ワインは大きな問題を抱えていた。超巨大企業が産業を牛耳り、大部分の葡萄畑や自然環境が大切にされてこなかったのもそうだが、何よりの問題は、テロワールが見えるワインがあまりにも少なかったことにある。

オーストラリアを代表する赤ワインとして知られる、PenfoldsGrangeは、まさにその象徴的なワインだ。Grangeが偉大な品質と超長期熟成能力をもった赤ワインであることは間違いないが、南オーストラリアというあまりにも広大な範囲を表現の対象とし、州を跨ってブレンドされたワインに、細かなテロワールが宿るはずもない。

最も象徴的なワインが、テロワールのワインではない

この事実は、オーストラリアの多くのワイナリーから、「テロワールを緻密に表現する」という意識を奪い続けてきたのだろう。

バロッサ・ヴァレーとマクラーレン・ヴェイルのシラーズは似たような味わいになり、ヤラ・ヴァレーとモーニントン・ペニンシュラとギプスランドのピノ・ノワールから違いを見出すことは難しく、マーガレット・リヴァーのシャルドネには新樽が効きすぎていた。

行き過ぎたワインメイキングは、数多くのオーストラリアワインから、「そこにあったはず」のテロワールを奪い去ってきたのだ。

この点においては、欠陥的特徴によってテロワールを失した一部のナチュラル・ワインと、「テロワールの有無」という結果だけを見れば大差無いとすら言える。

テロワールの緻密な表現を理念として掲げ、より控え目なワインメイキングも取り入れてきた一部の小規模ワイナリーも、全体的に見ると、結果としては中途半端な印象が拭いきれない。彼らにとっての「控え目」は、テロワール表現にとっては「行き過ぎ」であることが、往々にしてあったからだ。

だからこそ、テロワールの声がかすれたオーストラリアワインに、真の革命と変化をもたらすほどのインパクトを確かに残してきたオーストラリア・クラフト・ワインの造り手達を、決して過小評価すべきでは無い。むしろ筆者は、彼らに心から感謝している。彼らのワインが紡ぎ出した緻密なテロワール表現のおかげで、アデレード・ヒルズのシラーが、ギプスランドのピノ・ノワールが、クレア・ヴァレーのリースリングが、ようやく理解できたように思う。

それぞれの想いと方法で方向修正をしてきたブームの先導者達、冷静さを保った次世代の造り手たち、不動の存在感を放ち続けてきたパイオニア達。相互に影響を与えながら、前を向いて歩み続ける多世代に渡るファーマー達のワインからは、テロワールを祝福する鐘の音が聴こえるようだ。

本特集を

オーストラリア・クラフト・ワインの真の功労者

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