2023年12月16日3 分
オールドワールド、ニューワールド。
ボーダーレス社会の現代では、ともすれば問題視されかねないこの言葉を日常的に使っているのは、おそらくワイン関係者だけである。
そして本来は、「大航海時代以前からワイン造りを(産業レベルで)行っていたか否か」に基づいて定義付けられていたはずの言葉は、ワイン市場がグローバル化し続ける中で、その意味を拡張させてきた。
原初の定義であれば、純粋な歴史的事実に基づいた、単純な地理的区分けであるため、現代でも当然通用して然るべきだ。
しかし、拡張された定義が今、大きな誤解の温床となっている。
まずは、拡張された定義の中で、ワインの味わいや性質を示すために用いられる、典型的な「オールドワールド、ニューワールド」の内容を整理していこう。
オールドワールドワインは、ミネラリーで土っぽい。
ニューワールドワインは、フルーティー。
オールドワールドワインは、酸が強い。
ニューワールドワインは、酸が緩い。
オールドワールドワインは、樽が強い。
ニューワールドワインは、樽が控えめ。
オールドワールドワインは、エレガント。
ニューワールドワインは、パワフル。
オールワールド産地は、冷涼。
ニューワールド産地は、温暖。
あくまで一例として挙げたこれらの「典型的」とされてきた特徴は、もはやあらゆる角度から見ても、全て著しく不正確だ。
例えば、最初のミネラリーかフルーティーかという部分。
かつては、このような差異が確かに大筋では見受けられたが、温暖化に苦しむオールドワールド産地では続々と灌漑が認められるようになり、ニューワールド産地においては、旱魃による水不足、サスティナビリティへの高い意識など複合的な理由から、灌漑もかなり控えめになってきている。
灌漑の有無とその頻度は、ミネラリティとの深い関係性があると考えられるため、こうなると、前述した図式は音を立てて崩れていってしまう。
つまり、もはや現代において、オールドワールドワインはミネラリーで土っぽく、ニューワールドワインはフルーティー、などと表現してしまうと、もはやマイノリティーではなくなったかつての「例外」をことごとく無視した、限りなく「嘘」に近いものとなってしまうのだ。
このように、すでにワインの味わいや性質を示す言葉としては、あまりにも不正確になっている「オールドワールド、ニューワールド」という表現が、近い将来には完全に意味消失し、全く使われなくなる(もしくは、そのような表現を使い続けるのはワイン後進国だけ)可能性は非常に高いと考えている。
来るべき時に向けて、我々も準備を始めるべきなのではないだろうか。
そのためにはまず、我々自身が、「ニューワールドワインはこうあるべきだ」といった類のあらゆる呪縛と洗脳から解放され、ワインに宿った真実のみを見つめる能力を養っていく必要がある。
海外に出て、さまざまな国から集まってくるワインプロフェッショナルたちとディスカッションを繰り返していると、いつも思わされる。
我々日本人は、ワインの知識に関して、海外勢と比べて明らかに劣ったりなどはしていない。
むしろ、我々の方がより広範囲に渡ってワインをテイスティングしていることも、決して珍しくはない。
しかし、考え方や捉え方に関しては、大きく出遅れている。
SommeTimesでは度々繰り返し主張してきたが、新時代に必要なのは、膨大な知識でも経験値でもなく、柔軟だがしっかりと芯の通った「考え方」なのだ。