2021年6月12日14 分

SDGs:全方位型サスティナビリティとワイン <ナチュラル・ワイン特集:第三章>

最終更新: 2021年6月13日

50年後も、100年後も、200年後も、この素晴らしいワインという飲み物と、ワインを彩る美しい文化が続いていくこと。それを心から願うのは、ワインに人生を捧げてきた一人の人間として、当然のことだ。しかし我々人類が、その文化を紡いでいくための、極めて重大なターニングポイントに来ていることに、まだ多くの人が気付いていない

我々は、ワインを造り、輸送し、販売し、楽しむことを、環境を保全しながら続けるためにどれだけの責任を追っているのだろうか。

まず、農業に始まり、収穫した葡萄からワインを造り、熟成と瓶詰めを行い、出荷するところまでが、造り手がワイン造りにおける様々な責任を負う範囲だ。本章では、これらの造り手の責任範囲に関して、ワイン造り、オーガニック、サスティナビリティの三つ異なる景色から、ワイン造りの環境問題との関わりを中心に、それぞれの主張を考察していく。また、サスティナビリティに関しては、より広範囲の責任を論じていくこととする。

ワイン造りからみた景色

ワインはヴィンテージによって味が異なる。しかし、ワインを良く知る人々の常識は、大部分の消費者にとっては、到底理解不可能なものである、というのが現実だ。現代社会は、ワイン特有の変数を受容するには、強制的に安定化された品質に、深く慣れ親しみ過ぎている。最終的には必ず消費者の主観によって判断される、という無慈悲に固定された結果は、ワイン造りの近代化に伴い、ワイン造りの在り方そのものを、変異させてきた。なぜなら、この深刻なギャップを埋める最も効果的な手段は、農薬、化学肥料、灌漑でもって自然をヒトの管理下に置き、様々な添加物を駆使して、ワインの品質を均質化させることだからだ。葡萄樹に散布する農薬は葡萄を病害リスクから守り、除草剤や殺虫剤は農作業の効率を劇的に高める。化学肥料は葡萄樹の成長スピードを早め、収量を容易に底上げできる。灌漑も同様に、リスクヘッジと収量増に寄与することができる。それらの慣行農法によって、多少葡萄そのもののポテンシャルが犠牲になったとしても、醸造時に様々な添加物で調整することによって、十分にカバーできる。

化学肥料と大量の灌漑で、収量が大きく増した葡萄

単純にワインビジネスの面から見ると、これほど洗練された手法は他に無いとも言える。ワイナリーの商業規模が大きくなるにつれ、人件費を含めた様々な固定費は飛躍的に膨れ上がり、当然その分だけリスクが増大する。リスクヘッジに失敗すれば、そのワイナリーで働く多くの人々とその家族の生活が、脅かされることになる。このようなリスクと環境問題を天秤にかけたとき、それが容易な判断にはなり得ないことは、想像に難くない。幸いなことに、環境問題への取り組みを加速させる大手ワイナリーは増加傾向にあるが、それでもまだまだ少ないのが現実だ。消費者もどれだけ環境負荷への懸念を口にしたといっても、実際には「綺麗で、安く、安定した」商品を最良とする現代社会の強力な洗脳に、なかなか抗えない。環境問題よりもビジネスを優先する(せざるを得ない)ワイナリーは、このことを良く理解している。

一方、オーガニックビオディナミといった農法(以降、二つを合わせて循環型農業と表記する)が、ワインの品質向上において、重要なピースとなり得ることは、世界中のワイナリーの間では、暗黙の了解となっている。その品質向上の理由が、循環型農業そのものにあるのか、手間のかかるそれらの農法を採用することによる農作業の精度向上や、収量が落ちることによる葡萄の凝縮といった副次的効果にあるのかは議論の余地が残るが、結果だけを見る限り、やはり循環型農業はワインの品質を向上させ得るとみて間違いないだろう。

実際のところでは、認証を得ることにかかる費用や、循環型農業導入によって実質的に不可避となる収量減が、最終的にはワインの価格として消費者に跳ね返ってしまうことを嫌う生産者は多い。さらに、認可されている農薬のほとんどは、定められた散布量を遵守する限り、自然循環可能であることから、減農薬農法でも問題ないと考える造り手は少なくない。

しかし、あくまでも筆者の私見であるが、綿密な散布プログラムを組み上げられるほどの高度に統制の取れたワイナリーでも無い限り、いったいどれだけのワイナリーが、循環可能な範囲での散布に留めるというコントロールを日々の過酷な農作業の中で、守り続けることができるのだろうか、という点には大きな疑問が残ると言わざるを得ない。実際に、農地で使用された農薬の約9.5%が、自然環境に流出しているという統計も出ている。

結果として、大メーカー(特に低価格帯ワインを大量生産している場合)になればなるほど、全面的な循環型農業への転換は困難であり、相対的に小規模ワイナリーであれば、(それぞれの畑の環境によって、転換のリスク度は大いに異なるが)比較的容易という図式がなかなか崩れない。しかし、現代のワイン市場において、オーガニックやビオディナミの認証は、強力なマーケットツールにもなり得る(市場によっては、慣行農法で造られたワインが新規参入することが非常に難しいことも多々ある)ことも、周知の事実とはなっている。EUが2012年に定めたオーガニックワインの規定が、非常に緩いものだったこともあり、マーケットツールとして利用することに対して、専門家や愛好家から否定的な意見が非常に多く見られるのは事実だが(筆者もEUの規定に関しては、紛い物の量産を助長すると考えている)、地球の環境保全に貢献するという結果がある以上、その思惑はどうあれ、基本的には好ましい変化であるのだろう。自然環境にとっては、健全であることが最優先であり、ヒトの思想など瑣末な問題に過ぎないのだから。

醸造過程におけるエネルギー消費も、大メーカーになるほど跳ね上がる。温度管理機能のついた大量の巨大タンク、ワイナリー全体に行き届かせた空調、そして高級感を演出する分厚いガラス瓶。これらの問題に真摯に対応する生産者もいれば、その対策にかかるコストと、それに伴うリスクを毛嫌いする者も当然いる。ワインと環境問題とビジネスは、非常に複雑で繊細な相関関係を既に形成してしまっているのだ。

ナパ・ヴァレーのオーガニックマーケットにて。綺麗、安い、安定という価値観は、徐々に変化しつつある。

オーガニックからみた景色

収量減と農作業負荷の増大という、(主にビジネス的な)マイナス面を考慮しなければ、循環型農業がワインにもたらす品質的恩恵、葡萄畑の管理と環境保全を共存させ得る強力な効果は、まさに特筆に値する。

品質的には、収量減による自然な凝縮に加え、葡萄樹にストレスがかかりやすいため、低下した生育を自ら回復させるための、対抗メカニズムを活性化させることが知られている。この自助プログラムによって、ポリフェノールビタミンCビタミンAが増加し、葡萄はより複雑さと頑強さを得ることができる。興味深いことに、この過程で生合成される物質の中には、アセトアルデヒド(二日酔いの主因)を人体に無害な物質に分解することで知られているグルタチオンも含まれている。また、葡萄畑の生物多様性が増強されることによって、野生酵母の種類と量も格段に増える。野生酵母は醸造時に厄介な存在にもなり得るが、熟練したワインメーカーの手にかかれば、アロマと味わいの複雑性を高める重要なピースとなる。これらのことを踏まえても、循環型農業が品質を向上させるという主張には常に懐疑者が付きまとうが、筆者の経験上、品質的貢献度は極めて高いと断言できる。

葡萄畑は、環境問題とも密接な関わりがある。慣行農法を行なった場合、(最も一般的な)窒素系化学肥料の過剰施肥は、空気中に大量の(温室効果がある)窒素を放出し、除草剤による雑草の駆除は、面積あたりの二酸化炭素吸収量を下げ、殺虫剤や殺菌剤は、地中と地上の微生物、地棲生物を駆逐し、樹木がそれらと複雑に形成している共生関係を破壊してしまう。

一方、有機農法で管理された土壌は、空気中の二酸化炭素を有機物として地中に固定化させることができる。この強力な効果は、約50年間続いたのち減衰し始め、約100年で、固定化できる飽和点に達すると予測されているが、人類が持続可能エネルギーへ完全に移行するまでの猶予期間が伸びると考えれば、その恩恵は計り知れない

とはいえ、循環型農業も万能ではない。有機肥料の過剰施肥は、窒素と同様に温室効果のあるアンモニアを多く放出する恐れ(有機肥料の生産過程にもアンモニアの問題がある)があるし、これらの農法の生命線とも言えるボルドー液(深刻なカビ系病害に対する唯一無二の農薬として、使用が認められている)も、過剰散布は土壌の銅蓄積過多に繋がり、生態系や環境に悪影響を及ぼす。循環型農業の認証をすり抜けた農薬も少なくないことから、やはり最終的には、それら(有機肥料と認定農薬)を使用するヒトの強い意志に左右されてしまう。自然に対してヒトが過度に手を入れたとき、自然界の最も重要な規律である食物連鎖に乱れが生じる。乱れた食物連鎖は、まわり回って深刻な環境破壊へと繋がるリスクを常に抱えている。つまり、どういった手段であれ、行き過ぎた場合、自然にとっては悪影響でしかないのだ。

循環型農業が抱えている懸念はそれだけではない。残念ながら全ての病害やウィルスに対して、認可されている対処法は有効ではないのだ。認証を得るというのは、規定を遵守するという制約と誓約を課されるということでもある。枯れゆく葡萄樹を目の前にした時に、規定を守って認証を維持するか、葡萄樹を生存させるために規定を破って認証を失うのか。そのような選択を迫られる状況は、決して珍しくない。

生態系の多様性が維持された、ビオディナミの葡萄畑

ビオディナミを、オーガニックの一歩先の農法と考える造り手は多い。基本的には対処療法であるオーガニック栽培に対して、ビオディナミは免疫療法と位置付けられている。辛抱強くビオディナミを続けた結果、葡萄樹が病害に対して非常に強い耐性を得るに至ったという報告例は、枚挙に隙がない。全ての場所でビオディナミがそのような効果を発揮する可能性はおそらく低いと考えられるが、ビオディナミの不可思議な効力の一例として、知っておくべきだろう。

筆者は、循環型農業の真の意義は、ヒトと自然の対話、にあると考えている。生物多様性が維持されることによって、植物はその機能をしっかりと発揮して、光合成によって二酸化炭素を固定し、酸素ガスを放出する。ヒトを含むあらゆる動物が生きていくために必須である、植物の生態系サーヴィス(生態系から人類が受ける恩恵)への対価こそが、ヒトによる正しい自然環境へのケアなのでは無いだろうか。

サスティナビリティから見た景色

一般的なワイン造りにおけるサスティナビリティのイメージは、循環型農業よりも規定が緩く、相当程度の曖昧さも受容した中途半端なもの、といったところだろう。そのような目線で見た場合、厳格なオーガニック信奉者からは、批判の対象となってしまうことが多い。しかし、サスティナビリティの本質は、循環型農業とは少しズレたところにある。循環型農業は、純粋に葡萄畑と地球環境の関係に特化したものであるが、サスティナビリティは葡萄畑、地球環境、ワインビジネスに関して、非常に広範囲に渡る「持続可能性」を重要視する考え方であるからだ。葡萄畑と地球環境だけであれば、確かにオーガニックの劣化版と思われても仕方ないと言えるが、ワインビジネスがサスティナビリティに含まれることによって、その意義は大きく変化する。

ワインビジネスがサスティナブルであるためには、時代に見合った価値を認められる必要がある。特に嗜好品であるワインの場合、許容されることの重要性は極めて高い。2015年に国連サミットで掲げられたSDGs(Sustainable Development Goals)の17の持続可能な開発目標は、昨今ようやく日本でも話題になり始めたが、その中にもワイン造りと深く関連した目標が多数含まれている。関連したそれぞれの目標のみを抜粋しつつ、ワイン造りがどのように関連しているのか、その目標に対してワイン造りがどのような対策ができるのかを、追っていこう。

外務省のSDGs概要説明ページはこちら

第6の目標[水・衛生]:安全な水とトイレを世界中に

年間降雨量500mm。葡萄樹が生命を維持できる降雨量の、下限ラインとされている数字だ。雨の多い日本では、簡単な数字に見えてしまうが、ニューワールドを中心に、このラインを下回る産地は非常に広範囲に渡っている。その対策には、当然のように大規模な灌漑が用いられ、大量の水が与えられている。ワイン造りの水問題は、地球環境にとっては深刻なテーマであるにも関わらず、非常に多くの造り手が、葡萄樹の生存のためだけでなく、収量と品質(というより特定のスタイルの実現)のために、下限ラインを大きく超えた灌漑をしている。地球温暖化によって、旱魃が続く地域では、貧しい人々よりも、葡萄樹に優先的に水が与えられるという状況すら、将来的には十分に起こり得る。ワイン造りは、この目標を達成するために、灌漑を最低限に止める努力をしていく必要がある。

古樹を守るために施された、必要最小限の灌漑。

第7の目標[エネルギー]:エネルギーをみんなに、そしてクリーンに

化石燃料企業による暴圧的なプロテストも、再生可能エネルギーの進展を止めることはできないだろう。太陽光風力による発電のコストも、どんどん低くなっている。ワイン造りでは、主にワイナリーにおいて、大量の電気エネルギーが消費されている。ソーラーパネルを設置して、部分的に自家発電をしているワイナリーも出てきているが、現状では導入コストが非常に高く、そのような投資を行えるだけの経済的余力をもったワイナリーは、極々一部に限られている。しかし、これは醸造施設を近代化した場合の話だ。電気を必要としない醸造設備(樽、アンフォラ、バスケットプレス等)の中で、現代でも問題なく使用できるものは多い。

第8の目標[経済成長と雇用]:働きがいも、経済成長も

清貧を貫くことは、経済大国に暮らす現代人にとって決して簡単なことでは無い。むしろ、品質の維持に欠かせない人材の確保といった切実な事情も踏まえれば、ワイン造りとワインビジネスは、しっかりと経済成長をしていくべきである。SDGsは、人類が原始時代の生活に戻ることを推奨しているのでは無い。ワイン造りのプロセスは、複数の段階で環境破壊につながる危険性があるが、経済的に甚大なリスクを背負って、それらの危険性をゼロにすることが大切なのではなく、人と自然の共生関係の中で、バランスと節度を保ち続けることが、サスティナビリティにおいては重要なのだ。

第9の目標[インフラ・産業化・イノベーション]:産業と技術革新の基盤をつくろう

ワイン造りにおける、SDGsの観点から見た技術革新とは、農薬、化学肥料、灌漑、近代的醸造設備をできるだけ「使わず」に済むための技術革新である。(技術革新を無視して)ただ「使わない」だけで、価値あるワインを生み出せるほど、ワイン造りは簡単なものでは無い。産業革命以降の葡萄栽培学や、ワイン醸造学は、いかに安価に安定して大量に生産できるかを追求してきたが、今後の研究は全く違う方向へと大きく舵を切る必要があるだろう。そして、既存の技術を使わないための新たな技術のノウハウは、速やかに共有、実行されていくべきだ。

第12の目標[持続可能な消費と生産]:つくる責任、つかう責任

この目標をワインに置き換えると、「つくる責任、運ぶ責任、売る責任、飲む責任」となるだろう。つくる責任に関しては、本特集で繰り返し述べてきたが、運ぶ責任には温室効果ガス排出量を下げるための、容器の軽量化コンテナの効率的使用等が求められる。売る責任は、売り手がそのワインの価値を維持するために必要な情報を、買い手に対して可能な限り正しく伝える、ということに終始する。味わいの特徴だけではなく、そのワインの背景を説明することによって価値を高め、抜栓後の持続時間等も含めて、いかにそのワインが「無駄にならない、破棄されない」状況を実現できるかが大切になってくる。飲む責任に対して、一方的に「抜栓したワインは全て飲み切ることを徹底する」といった極端な話をするつもりは無い。しかし、なるべく無駄を無くす、なるべく破棄をしない、という意識をもつことは大切なことなのでは無いだろうか。

第13の目標[気候変動]:気候変動に具体的な対策を

第14の目標[海洋資源]:海の豊かさを守ろう

第15の目標[陸上資源]:陸の豊かさも守ろう

この3つの目標に対しては、循環型農業をできるだけ厳格に採用することによって、大きく貢献することが可能になるだろう。完全な転換が難しい状況にあるワイナリーは、できる限りのことをする努力を、転換可能であるワイナリーは、言い訳を連ねるのを即座に辞めて、地球に生きる人間としての、決して小さく無い責任を全うする努力をするべきだ。

全方位型サスティナビリティが紡ぐ未来

ワイン造りが全面的にオーガニック、ビオディナミ、サスティナビリティへと移行するのが、決して容易では無いのは確かだ。しかし、地球はもう限界が近づいてきている。我々には、子供や孫の世代に今より破壊された地球を残すのか、それとも少しは改善された地球を残すのか、という選択に、真摯に向き合う責任があるはずだ。厳格な循環型農業を採用するヴィニュロンは口を揃えてこう発言する。「この葡萄畑は、私のものではなく、私の子供や孫から借り受けているものだ。」

サスティナビリティに関しても、これまでの一般的な認識は改められるべきだ。SDGsが求める全方位型サスティナビリティは、循環型農業の簡易版では決してなく、多少の厳格さは犠牲にしていたとしても、循環型農業を目標達成の重要な手段の一つとして内包している。

今一度、全ての造り手、売り手、飲み手に問いたい。

壊れゆく地球を見て見ぬふりをし、自らの欲のためだけに、環境破壊に加担するという生き方が、許されても良いのだろうか。

ワインとは文化であり、ワインを愛する人々は、その文化を愛しているはずなのではないだろうか。

ならば、文化人らしく、考えながら、調和の中で生きていくべきではないのだろうか。

文化を絶やさないために、自分にできることを実行すべきではないのだろうか。