2021年5月26日14 分

アンチ・サスティナブル <ナチュラル・ワイン特集:第二章>

最終更新: 2021年6月2日

無駄にしないこと。世界的なサスティナビリティの推進によって、限りある資源を無意味にする行為は、強く非難を浴びる対象となっている。飲食の世界においても、「フードロス問題」がキーワードとなり、数多くの先進的なレストランや食料品販売店で、対策が進んでいる。しかし、ワインにおける「無駄」はあまり議論されていないのでは無いだろうか。生活必需品である食料に比べて、嗜好品であるワインの「無駄」は、遥かに悪質と言えるのにも関わらずだ。

ワインにとって、無駄になる、とはどういう結果を意味するのだろうか?答えは、至ってシンプルである。飲まれることなく、ましてや料理酒としてすら使用されないまま、破棄されてしまうという結果のことを指す。

そしてここには、決して少なく無い数のナチュラル・ワインが抱える、極めて重大な問題が潜んでいるのだ。一般的にブショネが発生したワインは料理酒として使用される(ブショネの原因物質の一つであるTCAはポリエチレンと結合しやすい性質があるため、ラップ等に10分ほど浸してから、料理酒として使用することを勧める)が、抜栓後にネズミ臭が出てしまったワインは、サングリア等のカクテル材料としても、料理酒としても、使用することはできない。つまり、破棄という残酷な定めが待ち受けている。

ワインとは、その生産過程において、自然を切り開いて葡萄畑を開梱し、多くの場合は不必要であっても農薬を散布したり、灌漑を施したりしながら、葡萄畑を含む周囲の生態系を破壊する。そして、醸造所では大量の電気エネルギーが消費され、輸送では大量の二酸化炭素を排出する。

ワインのために費やされたそれらの貴重な資源は、ワインが破棄された瞬間に全てが無駄になる

もう少し明確に書こう。

ネズミ臭を筆頭とする深刻な欠陥が発生したワインは、あらゆるワインの中でも、際立ってアンチサスティナブルで、アンチエコロジーな存在になり得るということだ。

ワイン造りの過程においても、同様のことが起こり得る。極端な放置型醸造を行った結果、酢酸が過剰に生成され、「ワインが酢になった」という出来事は、まるで勇敢な挑戦をした人の美談が如く語られることすらあるが、どう考えてもおかしな話だ。その醸造家は、己の未熟さと怠慢によって、貴重な資源をただただ無駄にしただけである。一度の失敗なら仕方ないかも知れないが、「学ばない人」は驚くほど多い。そして、彼らが学ばずに済むのは、その稚拙な結果をも盲目的に受け入れてしまう人が、少なからずいるからだ。歪なこだわりと受容の果てに待ち受けているものが、最悪のアンチ・サスティナブルになり得るものだと、一体どれだけの人が気付いているのだろうか。

サスティナビリティが重視される現代だからこそ、ワインの健全な醸造と流通を、破棄という最悪の結果への対策を、長年に渡って支えてきた重要な添加物である亜硫酸は、正しく再評価されるべきである。

稚拙で怠惰な栽培によって、壊滅した葡萄。これもまた、無駄となる。

亜硫酸を理解する

亜硫酸を必要悪と捉える人は非常に多い。しかし、その認識は大きく間違っている。亜硫酸は必要であっても、決して悪では無い。むしろ、サスティナブルな社会において、ワインがその存在意義を維持していくための、極めて重要なゲートキーパーである。

酸化防止剤としても知られる亜硫酸の役割は、その通り名のまま、酸化を防止することにあるのは確かだが、実際にはそれ以上とも言える重要な役割がある。抗菌剤、そして十分な濃度であれば殺菌剤としても機能する働きだ。亜硫酸は、ワインに重度の欠陥的特徴をもたらし得る微生物に対する、強大な抑止力でもあるのだ。幸いなことに、亜硫酸は酵母菌よりも細菌や真菌類に対してより強い効果を発揮する。つまり、適切な濃度であれば、健全な発酵作用を維持しつつ、ワインの風味に悪影響を及ぼす細菌を抑制することができ、より純化したテロワールの表現にも繋がるのだ。

しかし、亜硫酸の適切な濃度、というのは少し複雑なテーマである。正しく理解するためには、結合型亜硫酸遊離型亜硫酸pH値、そしてポリフェノールについて知る必要がある。

ワインに含まれる(添加された)亜硫酸の一部は、ワイン中の化学成分と結合する。この結合型亜硫酸は、抗酸化作用、抗菌作用共に非常に限定された働きしかしなくなる。一方、結合していない遊離型亜硫酸は、ほとんどが不活発な亜硫酸水素イオンとなるものの、一部が活発な亜硫酸分子となり、本来の役割を果たす。一般的に表記される総亜硫酸量とは、結合型亜硫酸と、遊離型亜硫酸の総合値であるため、実際に有用な情報として把握するべきは、遊離型亜硫酸(結合型亜硫酸の全てが遊離亜硫酸に戻れるわけでは無い)であり、近年では、遊離型亜硫酸の量をラベルに記載するワインも増えてきた。

「白ワインでは1ℓ当たり0.8mgの亜硫酸分子を含むことが目標とされ、それを達成するには1ℓ当たり15~40mgの遊離型亜硫酸が必要となる。」(ジェイミー・グッド著 「新しいワインの科学」より)

ワインが高い安定性を維持するために必要な遊離型亜硫酸の量には、酵母菌が醸造過程で自然に生成する総亜硫酸量(約5~15mg/ℓ)では、到底及ばない。抗酸化作用と、限定的ではあるものの抗菌作用をもつポリフェノール類をより多く含む赤ワインでは、必要となる遊離型亜硫酸量は白ワインよりも少ないが、それでも無添加がハイリスクであることには変わりない。ネズミ臭等が強く顕現するワインが、より赤ワインに多く見受けられる傾向があるのは、醸造家のポリフェノールに対する過信が原因の一つと言えるだろう。

pH値もまた、亜硫酸の作用と密接な関係性がある。pH値とは中性となる数値である「7」を境に、それよりも低ければ酸性、高ければアルカリ性となる。全てのワインは例外なく酸性(ほぼ全てのワインのpH値は、2.9~4の間におさまる)であるが、有効な亜硫酸分子の総遊離型亜硫酸量に対する比率は、pH値2.9の場合は約7.5%であるのに対し、pH値が3.9になると、0.8%と大幅に減少する。さらに、亜硫酸の効果そのものも、pH値が低い方が高くなる。単純に数値だけを見ていくと、pH値が2.9で遊離型亜硫酸量が15mg/ℓの場合、亜硫酸分子の理論値は1.125mg/ℓとなり、安定性を得るのに十分な数値となるが、同じ遊離型亜硫酸量でpH値が3.1だった場合、比率は約4.9%であることから、亜硫酸分子の理論値は0.735mg/ℓとなるため、安定を得る理想値に僅かに及ばなくなる。

遊離型亜硫酸が正しく作用できる微生物量にも、当然限界がある。適切な濾過は不要な微生物を取り除くのには最も適しているが、濾過がワインの風味に与える影響を、完全に無視することは難しい。しかし、甘口ワインや無濾過ワイン(特に赤ワイン)の場合、真菌類や細菌が増殖するリスクが高くなるため、相応の亜硫酸添加を考慮する必要が生じる。当然、不潔な醸造環境も、微生物増殖の大きな要因となる。

総亜硫酸量に対する遊離型亜硫酸の比率は、ワインの酸化作用とも密接な関係がある。ワインを酸化させる要因というのは実に複雑であるが、その中の一つであるオキシダーゼという酸化酵素と亜硫酸が結合しやすい性質は、遊離型亜硫酸量に直結する。オキシダーゼは、腐敗果や、傷がついた果実に多く含まれる酵素であるため、低亜硫酸醸造を叶えるには、選果によってクリーンな果実を選別することが重要となる。このことは、貴腐ワインが通常のワインに比べてより多くの亜硫酸添加を必要とする理由でもある。

一方で、酸素とフェノール類が反応すると、遊離型亜硫酸と結合しやすいキノン過酸化水素が生成されるため、遊離型亜硫酸の抗酸化作用が弱まる。ポリフェノールはその代役を果たし得るものであるが、含有量が少ない白ワインの場合、酸素との過剰な接触は、リスクが高い。白葡萄であっても、より多くのポリフェノールが抽出できるオレンジワインは、低亜硫酸醸造が実現しやすい製法としても、注目を集めている。

まとめると、科学的側面だけからみた場合、低亜硫酸醸造を実現するには、低いpH値、クリーンな果実、高いポリフェノール含有量、清潔な醸造環境といった条件が必要になるということだ。

腐敗果の混入は、低亜硫酸醸造を困難にする。

低亜硫酸醸造を可能にするテロワール

「大前提として、正しい場所に正しい葡萄品種が植えられている必要がある。理想的なバランスで熟した葡萄は、どこでも育つわけではなく、完璧な天候という助けも必要になる。亜硫酸無添加を絶対的な目標にはせず、ヴィンテージによって柔軟な対応をしていくことが大切。」

筆者にかつてそう語ったのは、フランス・ロワール地方におけるナチュラル・ワインのパイオニアであり、時に失敗しながらも、この問題と長年真摯に向き合ってきた賢人、マルク・アンジェリである。

理想的なバランスで熟す、というのはどういうことだろうか。低亜硫酸醸造を目標とした場合、それは、pH値が低く維持されつつ、ポリフェノールが多く含まれる段階まで熟し、そのタイミングが過剰な果汁糖度に達する(発酵終了後に過度の糖分が残らない程度)前に訪れる、ということだ。

しかし残念ながら、このようなテロワールは稀有である。低亜硫酸、もしくは無添加を目的として、それを可能とするテロワールの条件が揃っていない産地であるにも関わらず、pH値が低いうちに、葡萄の過剰な早摘みを断行した結果、重大なポリフェノール不足により、深刻な欠陥の頻出、そして、あまりに早期の段階での酸化という、極端な特性をもったワインが市場に溢れ出たことは、まだ記憶に新しい。

テロワールのための亜硫酸

フランス・ジュラ地方のビオディナミ生産者であるステファン・ティソのように、「適切な量の亜硫酸添加は、テロワールを表現するために不必要となる欠陥的特徴を排除しつつ、テロワールの最も純粋な姿を形作るのに、決して欠かせない。」と主張する造り手も多い。筆者もこの主張には、全面的に賛同する。

しかし、適切な、と一言でいっても、理想的な総亜硫酸量は、pH値に関連した遊離型亜硫酸量と深い関係性があるため、必要な数値を一般化するのは困難だ。一つの解決策として、ラベルにpH値と遊離型亜硫酸量を明記することによって、相当程度正確な安定性に対する予測を立てることが可能となるが、ワインに例外はつきものであるため、理想値の範囲外にあっても安定性を得るに至ったワインを、排除する要因にもなりかねない。もどかしい問題であるが、結局は造り手次第、となってしまうのだ。

筆者が本特集の序章にて、「健康に育った葡萄はワインと成るために必要と考えられるほぼ全ての耐性を自然に備えているが、稚拙で怠惰な醸造に対する耐性は無い。」と述べた理由は、テロワール、栽培、醸造の全てにおいて、的確で聡明な判断ができる造り手にしか、真の意味でのテロワール表現を守り切ることはできないと考えているからである。

そして、序章でも述べたように、サスティナブル社会において、ワインという嗜好品がその存在意義を維持していくためには、テロワールの表現という絶対的な価値は、ますます重要性を増していく。自然の声を無視して、人の欲を叶えるためだけのワイン造りを許容し続ける余裕は、もう地球には残されていない

ビオディナミの効果

ビオディナミ農法が、葡萄のpH値を低く維持するという主張は、厳格なビオディナミ栽培を行う生産者からたびたび発せられる。ビオディナミ農法の科学的根拠を証明することは非常に困難と考えられるが、結果だけをみた場合、彼らの主張は概ね正しいと考えて問題ないだろう。

世界最大のビオディナミ認証団体であるDemeterが規定している亜硫酸添加量の上限値(国によって、僅かに異なる)は、意外なほど高い数値ではあるものの、熱心なビオディナミ生産者は、総じて規制を遥かに下回る添加量に留めている。中には、pH値を低く維持することが難しいはずの産地でワイン造りを行う生産者もいるが、低亜硫酸醸造でもクリーンさを保ったワインが非常に多く見受けられる。

産地単位でも、明らかにビオディナミが効果を発揮していると考えられる場所がある。代表例はフランスのアルザスだ。アルザスは世界的に見ても、地球温暖化の影響が甚大な産地であり、一時期のアルザス産ワインは、特徴的であったはずの酸を明らかに失していた。しかし、アルザスではビオディナミ農法の採用が大きく進んだ結果としてか、(ビオディナミとの因果関係は、あくまでも可能性の範囲を出ないものの)ワインに酸が戻りつつある。そして、低亜硫酸でありながら、テロワール表現を失っていないワインも、増加傾向にある。

仮説ではあるものの、これらの結果を踏まえれば、テロワール条件が整っていない産地で、低亜硫酸醸造を目指すのであれば、ビオディナミ農法の採用を真剣に検討する価値は十分にあるのでは無いだろうか。

過ぎたるは猶及ばざるが如し

ワインと健康の関係性は、まだまだ研究途上の分野であるが、一部の喘息患者に対しては、極々僅かな量(1mg/ℓ)であっても、深刻な反応を引き起こす可能性があることは長年指摘されている。ワインに含まれる程度の亜硫酸であれば、大多数の人には無害と考えられるが、WHO(世界保健機構)は亜硫酸の1日の最大推奨摂取量を「体重1kgにつき、0.7mg」と定めている。この推奨摂取量は、実際の許容ラインよりも低めに設定されているという意見もあるようだが、WHOの基準通りの場合、体重60kgの人が1日に摂取できる量は42mgとなり、これは60mg/ℓというナチュラル・ワインの平均的な総亜硫酸量のワイン一本分に含まれる量(45mg)に近い。これらの健康への懸念が、各国のワイン法が亜硫酸の添加量を規制している主な理由となっている。

大量の亜硫酸添加に否定的な意見が多いのは、健康への懸念だけでは無い。過剰な亜硫酸は、ある種の強力な防壁のような存在となり、ワインの(テロワールの)個性を、堅く閉じ込めてしまうと考える人は多い。筆者もこの点には賛同する。

少な過ぎても、多過ぎても問題が生じる。

何事も、過ぎたるは猶及ばざるが如し、ということだ。

また、亜硫酸と二日酔いの因果関係も興味深いテーマではある。亜硫酸が、アルコールが体内で分解された際に生じるアセトアルデヒド(二日酔いの主因と考えられている)を、無害な酢酸へと変換するグルタチオンという酵素の働きを阻害する、という研究結果が報告されているものの、亜硫酸だけが二日酔いに関連していると断定するのは極めて難しいだろう。亜硫酸が含まれていない日本酒や、ウィスキー等でも、二日酔いは生じるため、この理論の合理性には大きな疑問が残るからだ。しかし、筆者自身の経験上、そしてソムリエとして数多くの顧客に低亜硫酸ワインを提供してきた経験上、低亜硫酸ワインの方が身体に負担が少ないというのは、断言することができる。おそらくだが、亜硫酸だけではなく、低亜硫酸ワインは殺菌能力が低いことに起因する、ワイン中に生き残った微生物の特殊なメタボリズムも関連しているのでは無いだろうか。

無添加醸造の是非

亜硫酸無添加で、テロワールを美しく表現しているクリーンなワインを作ることは不可能なのだろうか。結論を言うと、非常に困難だが、可能ではある。筆者も実際に、そのようなワインにはたくさん出会ってきた。なぜ、可能になるのかは諸説あるものの、多種多様な酵母菌、真菌類、細菌が発酵中に「陣取り合戦」を行った結果、微動だにしないほど強固な陣地を形成し、驚異的な安定性に至る、というのが現時点で最も有力視されている説だろう。実際にこのような強固な安定性に至った無添加ワインは、圧倒的な長期熟成能力と、抜栓後の超然的持続力を獲得することがある。この説が正しいのであれば、微生物の多様性(とその総量)は非常に重要な要素となる為、葡萄畑においてこれらの微生物を減滅させない栽培手段は、必須とも言える条件となる。

テロワールの表現以外にも、無添加ワインは抗い難い魅力をもつことがある。正しい無添加ワインならではの、躍動感に満ちたエネルギー(フィリップ・パカレの言葉を借りるなら、ワインに含まれる微生物のメタボリズムによって生じるイオンの活性化)は、確かに無上の悦びを創出する力をもっているのだ。しかし、それを得るためのリスクは高い。無添加醸造に挑む造り手たちが、常に「無駄になる」と言うことの意味と、その挑戦の意義を天秤にかけ、聡明な判断を心がけてくれることを切に願うばかりである。

無駄を無くす為に

サスティナブル社会におけるワインの価値存続を真剣に考えるのであれば、将来的には極度の欠陥的特徴(特にネズミ臭)が生じたワインは、淘汰されて然るべきである。しかし、現実に多々存在するこれらの不完全なワインを、ただ単に否定し非難し、破棄することよりも、「無駄にしない」ためにどうすれば良いのかを議論していくことの方が、はるかに優先度は高い。「腐った食材に罪があるのではなく、腐らせた人間が悪い。」というのは極論ではある。しかし、例え簡単に商品価値を失するようなワインを生み出す造り手に重大な過失があったとしても、消費者や提供者にできる「工夫」を怠るのは、サスティナビリティの放棄に加担しているとも考えられるので無いだろうか。

工夫とは言っても、実際には非常に簡単なものだ。それらのワインを可能な限り14度以下の環境で保存し、抜栓後は速やかに飲み切ること。ただそれだけを守れば良い。

人と自然の共生関係は、簡単に達成できるものでは無い。人が「文化的生命体」でありながら、自然と歩み寄るのには、様々な譲歩を、慎重に検討していく必要がある。まずは、「無駄にしない」こと、そして、その為に我々に何ができるのかを議論し、できることはすぐに実践していくこと。その繰り返しの先に、持続可能な社会が待っているのだから。

*参考文献

新しいワインの科学(ジェイミー・グッド著、梶山あゆみ訳)