2022年8月31日16 分

考え抜くものたち <長野・千曲川ワインヴァレー特集 第2章>

最終更新: 2022年9月10日

日本ワインに明るい未来はあるのか。

その問いへの答えを探るには、何をもって「明るい未来」と考えるかを明確にしておく必要がある。

日本ワインが、現在の在り方の延長線上、つまり日本国内消費量が極端に多い状況で発展していくだけなのであれば、その未来は明るいと言えるのかもしれない。

地産地消の流れがますます加速し、まだ産声を上げたばかりの産地にも第二、第三世代が現れれば、文化が徐々に形成され、地域に根付いていく。

日本人らしい丁寧な「モノづくり」を続けている限りは、安泰と言っても基本的には差し支えないだろう。

一方で、世界の中での立ち位置を基準に考えた場合、現状のまま日本ワインが「明るい未来」を迎える可能性は、絶望的に低い

そしてその理由は、ワインそのものの品質や個性では決してない

今、突破不可能とすら思えるようなサスティナビリティという巨大な壁が、日本ワイン産業の目前にまで差し迫っていることに気付いている消費者やプロフェッショナルは、非常に少ない。

そう、現在世界中のワイン産地が最重要視していることが、何よりも日本では難しいのだ。

そしてその事実が今よりも遥かに重く問題視される時代が、必ずやってくる

その上で、日本ワインはこのままガラパゴス化し続けるのか、それとも世界に率先して、難しいテロワールへの挑戦とサスティナビリティを両立させていくのか。

我々は今、考えるべきだ。考えて、考えて、考え抜いて、どう行動していくのか、何を大切にしていくのか、何を支持していくのか、各々の意思で、決めていく必要があるのではないだろうか。

少なくとも私自身は、もう人類は「環境破壊を前提とした美味しさ」という価値を手放すべきだと考えている。だからこそ、最も大切なことをおざなりにして無闇に賞賛するなど、私にとってはただの無責任でしかないのだ。

そこで造ることの意味

世界各地で深刻化する気候変動。ある場所では異常な旱魃を引き起こし、ある場所では数ヶ月分のをたった数時間の間に降らせ、ある場所では大規模な山火事が毎年のように発生する。気候変動は、より豊かな生活を送るために人類が費やしてきた様々な努力を、いとも簡単に破壊してしまう。

本質的には農業であるワイン造りもまた、方法次第では、地球環境にとって破滅的な存在となってしまう。温暖で適度に乾燥した地域では、(大量生産のために)化学合成肥料の大量施肥でもしない限りは基本的に環境負荷が低いが、湿潤地である日本ではそうもいかない

残酷だが、「難しい」という主張は、破壊された環境という結果からみれば、言い訳やエゴにしかならないのだ。

サスティナビリティを重要視する社会の中で、生活必需品ではないワインという嗜好品を、環境に強い負荷をかけながら造ることは、やがて「無意味」と切り捨てられる可能性すら高い。そして、その未来が差し迫っているのであれば、日本ワインは「価値」を高めることにもっと真剣になるべきではないのだろうか。

その場所に葡萄が植えられ、ワインとなることの価値。

その場所にワイナリーができ、ワインがその地の文化として根付くことの価値。

日本で造られたサスティナブルワインが、超長距離輸送という多大な環境負荷を起こさずに、地産地消の枠組みの中で、確かな役割を果たすことの価値。

環境保全意識が先進国の中でも際立って低い日本の中で甘えるのではなく、世界から「日本でワインが造られていて良かった」と認めてもらえることの価値。

価値は一方向ではなく、多方向から宿るものだ。

そして、それらのまだ見ぬ価値には、あらゆる可能性が秘められている。

新時代の好適品種

好適品種かどうかの判断基準は、その土地の平均的な気候で安定して葡萄が熟すかどうか、そして最終的に美味しいワインになり得るかどうか、という部分に重きが置かれてきた。

これは日本に限らず、世界中でそうだった。

しかし、サスティナビリティがワイン造りの中核となり始めて以降、この考え方に大きな変化が生じた。

今、好適品種の基準として世界的スタンダードになりつつある観点は、いかにオーガニックに近い栽培ができるかどうかだ。

この変化は当然、農薬に頼ればいずれワイン造りという行為そのものが無価値と成り果てるという自覚に基づいたものである。

特にニューワールドにおいてこの変化は顕著であり、人気のある国際品種から脱却するケースも激増し、場合によってはヴィティス・ヴィニフェラではなく、あえて(病害に強い)ハイブリッドを選択するということすらもある。

最終的な売りやすさ、分かりやすさ、美味しさといった価値よりも大切なものがあると、彼らは考えているのだ。

そして、時代はこの決断を、別の方向からも後押ししている。

そう、多様化の流れの中で、ワインを品種名で売らないといけない時代が終へと向かっているのだ。

実際に、ヨーロッパではモノヴァラエタルからブレンドへの回帰が起こり、ニューワールドでは法律上単一品種を名乗れる下限にこだわらないワインが増えた。

品種名に頼らなくても良いのであれば、新時代にあった好適品種を導入することも容易となる。

そして、千曲川ワインヴァレーの中にも、この変化を敏感に察知し、未来へ向けて動いている人たちが少なからずいる。彼らは皆、受け入れ、理解し、考えたからこそ、前に進めたのだと思う。私はそんな彼らの決断を、私のワイン人生をかけて、支持していくつもりだ。

考え抜くものたち

千曲川ワインヴァレーを巡る旅の中では、己の信念に対して忠実に、誠実に突き進む人々に多く出会った。そして、彼らの中には、ある種の苦悩とすら感じるほどに、己の「今」を疑問視し、考え抜きながら前に進んでいるものたちもいた。

テール・ド・シエル:桒原一斗

2021年末頃から、瞬く間に日本ワイン新時代の寵児となったワイナリー、いや造り手がいる。ワイナリーの名はテール・ド・シエル、造り手の名は桒原一斗(くわばら かずと)さんだ。

さんは2004年、23歳の時に消防士を辞めて栃木県足利市のココ・ファームに就職し、現在は共に北海道をベースに活躍するブルース・ガットラヴさんや、曽我貴彦さんの元で、葡萄栽培と醸造を学んだ。義父にあたる池田丈雄さんが2015年に千曲川ワインヴァレーの小諸市に葡萄畑を拓くと、休日には長野まで足を運んで畑仕事を手伝うようになった。2020年にテール・ド・シエルの醸造所が開設されるタイミングで小諸市に移住し、フルタイムで栽培と醸造を担い始めた。

そんな桒さんが一年かけて育てた葡萄から、彼自身が醸造したワインがリリースされたのが2021年末。

さんのワインは、舌の肥えたプロフェッショナルも、日本ワインに精通する愛好家たちも、一様に唸らせるほどのインパクトを初年度から放っていたのだ。

「もう醸造所内の様子は非公開にしようと思っています。」と語ったように、桒さんは葡萄畑での一年に重きをおいている。

標高950m近辺の斜面に拓かれた畑は約3.3ha。その内2.5haに植樹しているそうだ。この畑によってテール・ド・シエルは、日本の中では最も標高が高いエリアに畑をもつワイナリーの一つとなる。

昼夜の寒暖差が大きく、雨が少なく、日射が強いが、冷たい風も吹き抜ける特異なテロワールに合わせて、葡萄が最大限にそのポテンシャルを発揮するための方法を考え抜き、健全に育つための労力や工夫を一切惜しまない。

「傘をかけない方が、葡萄が居心地良く感じると思う。」

日本の葡萄畑では常識とされている笠かけが一切されていないことについて尋ねると、桒さんはそう答えた。

非常に感覚的な回答に思えるかも知れないが、私は違う受け取り方をした。

その言葉は、日々葡萄を「命あるもの」として捉え、親身になって接しているからこその言葉だったと感じたのだ。

さらに、「10月を過ぎればここではほぼ雨が降らない。寒暖差や10月の低い気温もあって、酸が落ちる心配もそこまでしなくて良いから、収穫時期を引っ張れる。そして、このテロワールは自由も与えてくれる。」と桒さんは語る。

その言葉通り、シャルドネ、ソーヴィニヨン・ブラン、ピノ・ノワール、メルローのような長野県の定番品種だけではなく、ピノ・グリ、プールサール、トゥルソーといった品種にも挑戦している。

さんの想いを尊重して、醸造所内の様子や、ワイン造りの細かな技術に関する言及は割愛させていただくが、タンクや樽から試飲した2021年ヴィンテージのワインには、驚きを隠せなかった。

少しだけ貴腐果を混ぜ、コンクリートエッグで仕上げたスケールの大きいソーヴィニヨン・ブラン。謐な空気が漂う、繊細なピノ・ノワール。ほどよいスパイス感が絶妙なメルローラマート(北イタリア・フリウリ州の伝統的な、ピノ・グリージオから造るオレンジワインの一種)的なピノ・グリ。そのピノ・グリに20%だけピノ・ノワールをブレンドした淡い赤。

そのどれもが、桒さんらしい優しい感性に包まれていながらも、葡萄畑で感じた心地よい風を思い起こさせた。

さんは、どこか不安そうな表情でワインの味はどうかと尋ねてきたが、言葉の少ない彼の真意を私が勝手に解釈するのであれば、その質問は私へ向けられたものではなく、「そのヴィンテージのテロワールと葡萄の個性を、自分がとった醸造方法はしっかりと表現できているのか。」という自分自身への問いだったように思える。

この先ヴィンテージを重ねるごとに、桒さんの「手段」もまた、研ぎ澄まされていくことだろう。今でも唸るほど素晴らしいが、これから先もまた、楽しみで仕方ない。

カーヴ・ハタノ:波田野信孝

1983年生まれで、筆者と同学年の波田野信孝(はたの のぶたか)さんとは、今振り返ってみれば、ほとんどワインの話はしなかったように思う。

ワイナリーを訪れると、波田野さんが淹れてくれた美味しいコーヒーを片手に、音楽、農業、水、温暖化、地産地消、地域と産業の繋がり、人の手の違い、味噌作り、菌に関する仮説など、あちらこちらに話が飛び跳ねた。

葡萄栽培家であり、醸造家である波田野さんは確かにワインの人だが、それはあくまでも彼を構成するほんの一部分でしかない。

波田野信孝という人物を一言で表現するなら、「文化のスポンジ」だ。どんなカルチャーも楽々と吸収し、自由自在に絞り出せる。

「東御には、他の産地にはない自由を感じる。」と筆者が話せば、伝説的なジャズ・トランペット奏者であるマイルス・デイヴィスの言葉を引用しながら、「制約があるからこそ自由が活きる。無秩序の中での自由は危険。」と返す。

温暖化の話になれば、森とアスファルトをメタ的に対比させ、緑化の効果を力説する。

の話になれば、各地方の料理の味わいが、水質の違いにも起因していることを例に挙げながら、地表近くに滞留した雨水を吸って育つ日本の葡萄と、地下水で育つヨーロッパの葡萄の違いを説明する。

造り手とワインの関係性の話になれば、淹れる人によって同じコーヒーでも味が違うことを例に、あらゆるモノとヒトの関係性にまで話を広げる。

発酵の話になれば、同じ原料と製法でも、発酵を進める場所によって色と味が全く異なってしまう味噌作りの話にまで飛躍する。

筆者が「菌類、特に乳酸菌はホーム環境を認識している可能性があるのでは。」と話すと、自身の経験と瞬時に照らし合わせながら、「興味深い。ありえると思う。」と眉を細めながら考え込む。

数々のインタビューを敢行してきた筆者だが、これほどまでに造り手との会話のキャッチボールが楽しかったのは初めてだった。

ワイナリー訪問では一度も欠かしたことがなかった葡萄畑の見学もすっかり忘れてしまい、危うくワインの試飲すらしないまま帰路に着こうとしてしまうほど、波田野さんとの会話には、特別な何かがあった。

そんな波田野さんは、ワイン造りにおいても、徹底的に「考える人」だ。

そして、考えるが故に、自身の「今」を常に疑ってもいるように思える。

一つの方法論に留まっていられる性質の人では無いのだろう。

ヨーロッパ伝統国へのリスペクトとオマージュを限界まで詰め込んだかのような「Grand」のシリーズ、千曲川ワインヴァレー各地に点在する、葡萄畑と葡萄に宿った細かなテロワールの違いを緻密に表現した「Origine」のシリーズ、気軽に爽快に楽しむワインとして、自由な発想と、さまざまな実験的要素を詰め込んだ「Ensemble」のシリーズと、一人の醸造家が全てを手掛けたとは思えないほど、カーヴ・ハタノのワインは驚異的なヴァリエーションに富んでいる。

Grand Chardonnay、Grand Merlotの完成度の高さは圧巻の一言に尽きるし、クラシックスタイルの日本ワインとしては、間違いなく最高峰レベルのワイン。Origineシリーズにおける、テロワールに対する波田野さんの変幻自在なアプローチもまた非常に興味深く、葡萄と波田野さんの多様な関係性が垣間見えてくるようだ。

また、「自分の殻を破るための挑戦」と語ったEnsemble Orangeでは、極端な酸化と還元をくぐった先に見えた世界から、感じ入るものもかなりあったようだ。

カーヴ・ハタノのベースには生真面目で、非常に技術の高い醸造家として波田野さんが確かにいるが、彼は同時に極めて好奇心と探究心の強いアーティストでもある。

「栽培も、醸造も、その場所、環境それぞれに、異なる正しさがあるはず。」

そう語る彼の「正しさ」を探し求める旅路は、まだまだ続いていくのだろう。

時代によって、パブロ・ピカソの作風がどんどん変化していったように、カーヴ・ハタノのワインとも、その変化を楽しみながら、接していこうと思う。

長野市浅川葡萄農園:ソンユガン

公平を期すために最初に述べておくが、ソンユガンさんはSommeTimesのライターであり、筆者にとっては親しい友人でもある。

イタリア、オーストラリア、ニュージーランドでワイン産地を巡りながら学び、都内ではトップソムリエの一人として活躍していたソンさんが、ファーマーへと転身するために家族全員で長野県へ移住したのは2018年秋。

将来的なワイナリー設立を視野に入れつつ、葡萄と共に、野菜を有機栽培しながら、半自給自足というサスティナブルなライフスタイルを探求してきた。

ソンさんがこれまでSommeTimesに寄稿してきた記事からもわかる通り、彼は根っからの「考える人」だ。しかも、常人よりも遥かに奥深くまで、考えてしまう性質の持ち主だ。

標高630m、(千曲川ワインヴァレー内ではない)山間の地、浅川に拓いた2haの畑に植樹を開始したのは2019年。約10年後の本格的な植え替えを見据えて、まずは27,000本の挿木を用意した。苗木ではなく、フィロキセラ耐性の無い挿木で始めたのは、苗木(接ぎ木)の入手にかかる年数(タイミング次第では2年待ちとも言われている。)や、苗木購入費用の高さ(苗一本が1,500円ほどするため、一万本を苗で植樹すれば、それだけで1,500万円もかかる。)といった現実的な理由もあったが、それ以上に好適品種を見極めてから、苗木に転換したいという狙いがあった。

初年度に植えた品種は、白葡萄を中心にヴィティス・ヴィニフェラを15種。さらに翌年春には、甲州や、日本独自の交配品種、アメリカ系、欧米ハイブリッドの生食用品種、3種のヴィニフェラで約20種、追加で少量植樹した。

同年の夏に、挿木から育った苗を7,000本ほど選抜して、他の畑に仮植したのちに、土壌改良と垣根仕立て用の支柱設置を終えた畑に植え戻すという過酷な作業もあった(これは苗木ではなく、挿木から始めたが故に発生した作業でもある)が、「この頃は毎日朝から晩まで畑にいても、楽しくて楽しくて仕方がなかった。」とソンさんが話すように、一歩ずつでも着実に前進していく畑や葡萄と過ごす時間が、彼にこれ以上ない活力を与えていたのだろう。

しかし、好適品種を探し出すための試験的栽培という取り組みそのものが、後にソンさんに深い苦しみを与えることとなる。

サスティナブルなライフスタイルを求めて長野に移住したソンさんは、人一倍、いや10倍は環境保全への意識が強い。

農薬散布を含む、環境負荷のかかるいかなる農法も、彼は可能な限り避けたいと願っている。

だが、試験栽培した品種の中には、畑のテロワールに適合せず、非常に病害に弱い品種も少なからずあり、農薬散布は避けられなかった

SS(スピードスプレーヤー)を使えば手早く散布ができるが、しっかりと農薬が当たらないため、散布量が増えてしまう。

少しでも環境負荷を減らそうと、散布は全て手吹きで行うことにしたが、それも過酷な作業となった。

軽トラに500リットルタンクと動力噴射機を積み、200mホースを引っ張って、畝を跨ぎながら手散布をひたすら繰り返す。タンクを一つ空にする作業にかかる時間は3時間。気温が上がらない日の出直後に散布を始めても、その3時間で疲労が限界に達する。2haの畑全てをカヴァーするには約1,500リットル必要なので、三日間に分けての作業となる。

農薬散布はしたくたい。農薬も高い。でも、彼はその場所に自らの意思で命を持ち込み、育ててしまった。そしてその命を健康的な状態に保つ責任が、肩に重くのしかかっていた。

自らの望みと、実際の行為の矛盾。

自由がもたらした、責任。

その重みは、やってみなければ分からなかった。

そして、畑仕事をするのが、苦痛になり始めた。

密植の垣根仕立てという選択もまた、ソンさんに苦痛を与えた。

肥沃な土、そして湿気の多い場所で垣根仕立てをすると、垣根内の風通りは悪化し、湿度もさらに上がり、果実の品質向上という見えない目的のために摘芯をし、それによって副梢がぐんぐん伸びてしまい、密集しがちな垣根がさらに混み合う。

当然、病害リスクが上がるため、副梢管理を行うことになるが、切っても切っても次々と伸びてくる副梢に追いつくことは難しく、結局より強い農薬を打たざるを得ない状況に繋がる可能性が高まる。

その作業の過酷さの話もソンさんはしていたが、本当の理由は別のところにあるのではと感じた。

伸び伸びと育って欲しいのに、厳しい躾をして、型にはめてしまう。そんな矛盾した感覚が、彼の精神を蝕んでいたのかも知れない、と。

「もう、垣根はやめようと思っている。」

彼の言葉には、行き場のない無念がにじみ出ていた。

日本でも、垣根がちゃんとできる場所はきっとある。ヨーロッパとオセアニアで学んだソンさんはそのことを分かっているが、自分の畑には合っていないと納得せざるを得なかったのだろう。

さらに、草生栽培も彼を苦しめた。

ソンさんの葡萄畑は多種多様な生命に満ち溢れていたが、栽培家としては、畑の中で命の優先順位をつけることを余儀なくされた

草花を生やし、虫の棲家を作っているのは自分なのに、最も優先される葡萄の命を守るために、葡萄に害をなす命を奪うしかなかった。

生態系の多様性を実現したいと願ったのに、命の選別をおこなっている自分がそこにいた。

自然と共にありたいのに、人間のエゴを捨てきれない自分がそこにいた。

この教訓は、ソンさんに「草刈りをする」という決断をさせた。

「葡萄畑は自分のテリトリー。命を奪われたくなかったら、不用意に立ち入るな。

自然界では当たり前の「テリトリー」という考え方が、ストンと心に落ちたのだろう。入ってきやすい環境を作らなければ、命を奪わなくてすむ。

確かに、自然界における共生とは、本質的には友愛ではなく相互警戒によって成立している

弱く小さな草食動物は、わざわざライオンのテリトリーに入らない。

人は作物を鳥から守るために、そこにカカシを立て、空砲を鳴らす。

生物多様性の実現が自然なことだと信じていたけど、それこそが不自然だと気づかされた。

多くの苦しみの中で、見えてきた光もあった。

好適品種、ヤマ・ソーヴィニヨンの発見だ。

ヤマ・ソーヴィニヨンは2年間、一切の摘芯も農薬散布も行わなかったが、病害とは無縁だった。ワインにして、美味しい葡萄かどうかは分からない。

それでも彼は、ヤマ・ソーヴィニヨンを伝統的な水平下垂仕立てで増やすと決意した。

その地特有の病害に強いこと。それこそが好適品種としての最も重要な要素。

ソムリエとして新時代の最先端を走ってきたソンさんだからこそ、人気品種でも、ヴィニフェラでも、定評のある品種でもないヤマ・ソーヴィニヨンを、素直に受け入れることができたのだろう。

初収穫となる2022年は、収穫できた葡萄を全て混醸してワインを造るつもりだそうだ。

ソンさんが乗り越えてきた葛藤も、苦しみも、そこからのひとときの解放も、きっとそのワインには込められるだろう。

ソンユガンは、どれだけ悩み苦しんでも、希望をもって前に進むことを決して諦めない。私の知る彼は、そういう男だ。

千曲川ワインヴァレー

今この地には、様々な想い、夢、希望、自由、そして葛藤が渦巻いている。まだまだ歴史の浅い産地故の問題も見受けられるし、その問題の一部はそれなりに深刻でもある。しかし、千曲川ワインヴァレーにワイン造りの夢を託した人々は、各々の信念に基づいて、突き進み、考え抜き、時に悩み苦しみながら、日々葡萄畑と向き合っている。

そんな彼らの意志がある限り、千曲川ワインヴァレーは前へ前へと力強く進んでいくだろう。