2022年4月15日11 分

フランスの庭 <ロワール渓谷特集:第一章>

全長1,006km。フランス最長の河川であり、ヨーロッパ全土でも3番目の長さであるロワール河は、色とりどりの恵みを、フランスに、そして世界にもたらしてきた。数々の壮麗なシャトー群は世界中の旅行者を魅了し、アスパラガスやアーティチョークは世界各地のレストランへと届けられる。ヴァランセ、サント・モール、クロタン、セル・シュール・シェールといった、世界に名だたる極上のチーズでも有名だ。そして、「フランスの庭」と称されるロワール渓谷には、広大な「葡萄の庭」が広がっている。約2,000年の歴史を誇るその庭は、まさに楽園。そして楽園に美酒はつきものだ。

歴史

ロワール渓谷におけるワイン造りの歴史に関して、簡潔に触れていこう。

記録上、ワイン造りが始まったのは1世紀の間とされている。古代ローマの政治家であり、自然と芸術に関する歴史的書物である『プリニウスの博物誌』の著者であるガイウス・プリニウス・セクンドゥス(大プリニウス)は、その著書(西暦77年発表)の中でロワール河沿いに広がる葡萄畑に関して言及している。

しかし、ロワール渓谷でワイン造りが盛んになり始めたのは、大プリニウスによる言及から約500年後のこと。西暦583年、聖職者であり、歴史家でもあった聖グレゴリウスが発表した著書には、時のアンジュー伯爵とカソリック教会が共同で、サンセールやトゥレーヌの地に葡萄畑を拓いたと記録されている。以降、ロワール渓谷におけるワイン造りは何世紀にも渡って、聖アウグスチノ修道会聖ベネディクト会という二つの修道会が先導した。当時の修道会は、河川を巧みに使って、ワインを各地に運搬していたとされている。

次の飛躍は、1,154年に訪れた。ノルマンディー公爵、アンジュー伯爵でもあったヘンリー2世が、イングランド王国の国王になり、アンジュー産のワインのみを王宮で供すると定めたのだ。この慣習は、1,272年にヘンリー3世が崩御するまで続いた。

同時期から15世紀頃までにかけて、ワイン造りの主体は徐々に修道会から貴族へと移りつつも、17世紀までは順調に名声を高めていった。

その後は、18世紀末のフランス革命(貴族や修道会が領地を没収された)、19世紀初頭の鉄道網の普及(ロワール河を利用した運搬というアドヴァンテージの消失)、19世紀末のフィロキセラ禍と苦難が続き、フィロキセラ禍以前には、約160,000haもあった葡萄畑は、現在AOPとIGPを合わせても約70,000haに縮小している。

ロワール渓谷に点在する美しいシャトー

原産地呼称制度

日本におけるロワール渓谷産ワインの人気は、驚くほど低い。いや、それ以上に深刻なのは、この偉大な産地に対する理解が、あまりにも浅いことだ。主たる理由は2つ。一つは、明白に流行重視型(ミーハー型)の日本市場において、産地の人気を牽引できるほどのインパクトがある造り手が少ないこと。二つは、ロワール渓谷における原産地呼称制度の複雑さにある。

流行重視型の問題に関しては、相当程度国民性とも関連しているため、根が深い。そして、流行を生み出せていないのは、提供者、紹介者の責任であるのだから、本来責めるべきは我々プロフェッショナルと呼ばれる人種である。少しずつ変化の兆しは見えているが、それでもまだ日本のワイン市場には、「ワインよりもラベルを飲む方が好き」な人が圧倒的に多いのは事実なのだから、我々にはもっと工夫と努力が必要だ。

原産地呼称制度に関しては、答えは極めてシンプルだ。「無理して覚えなければ良い」のだ。ワイン関連の資格試験に挑んだことがある人であれば、誰しもがロワール渓谷の複雑な原産地呼称制度に頭を悩ませたことだろう。暗記することこそが有資格者としての美徳、などという古臭い考えは捨ててしまい、ロワール渓谷のワインに関して分からないことがあれば、スマートフォンやパソコンを取り出して、その場で調べれば良いのだ。私がそうはっきりと断言する理由も、もちろんある。ロワール渓谷の原産地呼称制度が有している価値や意義は、全く別の部分に宿っているからだ。

結論から言うと、ロワール渓谷の原産地呼称制度は、世界でも最も洗練されたものの一つである、ということになる。そしてその真価は、制度内における徹底した「役割分担」にある。

簡潔に説明すると、(少々の例外はあるが)葡萄品種や製法、栽培地が狭く厳しく制定された「小地区」のアペラシオンが、6つの異なる特徴(栽培品種、製法)をもった「大地区」の中に細かく配置されている、という構造だ。Touraineのように複数の小地区をまとめる「中地区」的な性質のアペラシオンや、Crémant-de-Loireのように特定の製法を定めた超広域アペラシオンも存在するが、数は少ない上に、重要度が高くないものも多いため、ピンポイントで要点を押さえてしまえば良い。

さらに、6つの大地区も、ワイン自体を日本市場ではほとんど見かけないOrléans地区は、栽培品種は特殊(ムニエ、カベルネ・フラン)だが、あまりに気にしなくても問題にならないため、ムロン主体のPay Nantais地区、シュナン・ブランとカベルネ・フラン主体のAnjou及びSaumur地区、最も複雑なTouraine地区、ソーヴィニヨン・ブランとピノ・ノワール主体のCentre Nivernais地区の4つに集約できる。Touraineを「複雑」と濁したのも、そこに含まれる小地区の方が遥かに重要なため、覚える必要は特に無いと考えているからだ。

文章だと分かりづらいかも知れないので、簡潔にリスト化しておく。

大地区

・Pay Nantais(ペイ・ナンテ地区)

白葡萄:ムロン

・Anjou & Saumur(アンジュ及びソミュール地区)

白葡萄:シュナン・ブラン

黒葡萄:カベルネ・フラン

・Touraine(トゥレーヌ地区)

白葡萄:シュナン・ブラン、ソーヴィニヨン・ブラン

黒葡萄:カベルネ・フラン、コー、ガメイ

・Centre Nivernais(サントル・ニヴェルネ地区)

白葡萄:ソーヴィニヨン・ブラン

黒葡萄:ピノ・ノワール

ロワール渓谷のワインに詳しい人から見れば、随分と大雑把なリストに見えると思うが、この程度の理解で十分良いのだ。記載していないマイナー品種や、細かい規定などはあるが、その情報が必要なときは、調べれば良い。それだけのことだ。

また、ロワール型原産地呼称制度にはもう一つ、重要な要素がある。それは(ミュスカデ・クリュという例外はあるが)、実質的に階層が存在していないことだ。

この構造は、特にワイン法の整備が遅れている後進国においては、理想的なあり方ともなり得る

例えば、ロワール型の構造を、日本に当てはめてみるとする。その場合、G.I.山梨という広域アペラシオンが多種多様な品種や製法をカヴァーする一方で、G.I.勝沼、G.I.明野といった狭域アペラシオンは品種と製法を大きく制限する。という考え方になる。長野でも同様だ。G.I.長野では広範囲をカヴァーし、G.I.塩尻や、G.I.桔梗ヶ原では、厳しい制限を設ける。このようにすれば、高品質ワイン造りにとって最も重要な要素の一つである、「適地適品種」の考え方が、(半強制的ではあるものの)浸透していく可能性が格段に高まる。もちろん、日本の原産地呼称制度がロワール型を完全踏襲するのは、時期尚早であることは間違いないし、公益よりも私益を優先する人々の影響下にある限り、それが難しいのもまた、事実だ。

それでも、ブルゴーニュ型やボルドー型のような、階層制度が土台となっている構造をまねるよりも、遥かに現実的で、実利があるだろう。階層制度の頂点、つまりグラン・クリュとは、他を圧倒する実力があってこそ、その名にふさわしい存在となる。その点で言えば、筆者には正直まだ、日本にグラン・クリュが出現しているとは思えないのだ。

少々話が横に逸れてしまったが、要するにロワール渓谷の原産地呼称制度は、その構造のバランスの良さと、適地適品種の促進に多大なる価値が宿っているのだ。

ロワール渓谷は、ロワール河と一体となった美しい場所だ。

ペイ・ナンテ地区

ロワール渓谷の最も西側に位置し、大西洋の入り口にほど近い場所に広がるペイ・ナンテ地区には、絶対に知っておくべきワインがある。ミュスカデだ。

栽培品種は公式名ではムロン・ド・ブルゴーニュ(ムロン)、通称ではワイン名と同様にミュスカデと呼ばれる品種だ。公式名にブルゴーニュとつく通り、原産地はブルゴーニュと考えられている。1,395年にフィリップ豪胆公が発令した有名なガメイ栽培禁止令には、実はムロンの栽培禁止も含まれていた。中世にブルゴーニュからムロンがロワール渓谷へと運ばれてきた際には、Plant de Bourgogneと呼ばれていた。17世紀にはオランダ商人が蒸留に適した多産型品種を求めた頃から、ペイ・ナンテにおけるムロンの植樹が爆発的に広がった。興味深いことに、遺伝子解析の結果によると、ムロンの両親はピノとグエ・ブランであり、シャルドネ、ガメイ、アリゴテとは兄弟のような関係にあたる。

粘土とシリカの土壌に適し、寒気にも強く、多産型のムロンはペイ・ナンテの地に適合し、重宝されたが、貴腐菌の影響を非常に受けやすい性質もあるため、早摘みをして低アルコール濃度で酸の高いワインに仕上げる、という手法が一般的なものになった。

また、早摘みによるネガティヴ要素を補うシュール・リー製法が、ムロンのフラットな性質に、確かな豊かさとコクをもたらしたため、ミュスカデというワインは、多産を維持することによって、薄利多売の戦略を貫くことができた。いや、できていた。そう、世界有数のヴァリュー・パフォーマンスを誇る白ワインとしてのミュスカデは今、静かにフェードアウトしようとしている

2,000年代に突入すると、世界各国からライヴァルとなる低価格ワインが台頭してきたこともあり、ミュスカデはその優位性を失い始めたが、変化の直接的なきっかけは2008年に起こった。強烈な霜害がペイ・ナンテを襲い、壊滅的に収量が落ちてしまったのだ。さらに同様の被害は、2016年、2017年にも起こった。

2,000年以前には約18,000haあった葡萄畑は、現在その約半分にまで縮小。生産者は次々と廃業し、現在はおおよそ600程度の生産者が残るのみとなった。

しかし、別の側面から見ると、2008年の霜害をきっかけに、ミュスカデというワインは、多産低価格のワインから、少量生産の中価格ワインへと変化していったということでもある。

筆者としては、生産者が苦難の時代を過ごしたことには、いたたまれない思いもあるが、品質の向上自体は手放しで歓迎したいと思う。

実際に、過去10数年間のミュスカデの進化は、目覚ましいものがある。

夕焼け色に染まる、ペイ・ナンテの葡萄畑

ミュスカデと名のつくアペラシオンは、以下の通りとなる。

Muscadet(ミュスカデ):広域

Muscadet-Coteaux de la Loire(ミュスカデ=コトー・ド・ラ・ロワール):小地区

Muscadet-Côtes de Grandlieu(ミュスカデ=コート・ド・グランリュー):小地区

Muscadet-Sèvre et Maine(ミュスカデ=セーヴル・エ・メーヌ):小地区

実際に重要と言えるのは、ミュスカデ=セーヴル・エ・メーヌのみで、他の小地区アペラシオンに関しては、目にする機会も極端に少ないだろう。

さらに、2011年に、実質的な上位格付け(ロワール渓谷では初めてのケース)となる、クリュ・コミュノーが制定された。

現在、クリュ・コミュノーの総数は10クリュとなっている。リストは以下の通り。

Clisson(クリッソン)

Gorges(ゴージュ)

Le Pallet(ル・パレ)

Goulaine(グーレイヌ)

Château-Thébaud(シャトー=テボー)

Mouzillon-Tillières(ムジヨン=ティリエール)

Monnières-Saint Fiacre(モニエール=サン・フィアクル)

La Haye Fouassière(ラ・エ・フアシエール)

Vallet(ヴァレ)

Champtoceaux(シャントソー)

一応、情報のために全てのクリュを記載したが、もちろん、これも覚える必要は特に無い。そもそも、日本で手に入るクリュ・コミュノーのワインが少な過ぎるし、このコンセプト自体が、まだまだ発展途上だからだ。

現時点では、クリュ・コミュノーのそれぞれの特性を理解することよりも、これまでの一般的なミュスカデとは確かに品質が大きく異なっていることを体感することに、真の意義があるように思える。

筆者も未経験のクリュ・コミュノーもあるが、力強いクリッソン、特徴的な薫香と長い余韻が魅力的なゴージュ、極めてエレガントなル・パレ、ハーブの香りが鮮烈なシャトー=テボーあたりは、機会があれば是非試してみていただきたい。薄くて軽くて酸っぱい白ワインという、ミュスカデへのこれまでの認識が一変するだろう

高品質ワインへの変化という意味では、かつて有効だったものが枷となるケースも、ミュスカデでは発生している。シュール・リー製法だ。澱と共に熟成し、アミノ酸を増強させるこの製法は、ミュスカデの名声を高めてきた(ミュスカデ=セーヴル・エ・メーヌの約半数がシュール・リー製法)が、「収穫翌年の11月までに瓶詰めする」という規則が、それ以上に長いシュール・リーを望む生産者の頭を悩ませている。クリュ・コミュノーの多くは長いシュール・リー期間にも特徴があるにもかかわらず、シュール・リーと表記することはできないのだ。

スタイルの変化も、少し消費者を混乱させているだろう。昔ながらのミュスカデは、シンプルな海鮮に対して無類の相性を誇り、オイスターと合わせるには最高のワインだった。しかし、特にクリュ・コミュノーのクラスになると、むしろ白身肉が欲しくなるぐらいの、豊かなテクスチャーと奥深さをもち合わせている。しかし、それだけミュスカデの用途が広がったということでもあるのだから、私としてはやはり歓迎したい変化だ。

現時点では、ミュスカデはアペラシオンやクリュ・コミュノーでワインを選ぶよりも、秀逸な生産者から探した方が良い。以下は、筆者が個人的に愛飲してきた造り手たちのリストとなる。現在ミュスカデにおいて、最高品質を担保している造り手たちや、今後の成長が大いに期待できる造り手たちでもあるため、ぜひ参考にしていただきたい。

Domaine Pierre Luneau-Papin(ピーエル・ルノー=パパン)

Domaine de l’Écu(ドメーヌ・ド・レキュ)

Domaine du Grand Mouton(ドメーヌ・デュ・グラン・ムートン)

Michel Brégeon(ミシェル・ブレギオン)

Domaine de la Pépières(ドメーヌ・ド・ラ・ペピエール)

Domaine Landron(ランドロン)

Bonnet-Huteau(ボネ=ユトー)

Complémenterre(コンプレモンテール)

再定義されるロワール渓谷

本稿で取り上げたのはペイ・ナンテ地区のみとしたが、今後の第二章〜第四章にかけて、他の地区も追っていく。その中で、ロワール渓谷のワインに様々な変化が生じていることに気付く人もいるだろう。そう、我々は今、ロワール渓谷を少しずつ再定義しながら、その魅力を再発見していく必要があるのだ。