2023年2月10日3 分
日本人シェフが世界各地で活躍してきたのは、多くの方々がご存じのことだろう。そして、日本人ワインメーカーや日本人ソムリエが海外で活躍していることも、それなりによく知られているだろう。
しかし、海外でワインの世界に生きる日本人は、何もワインメーカーやソムリエだけではない。
この新シリーズでは、筆者が海外で出会った様々な日本人ワイン関係者にスポットライトを当て、彼らのストーリーを語っていきたいと思う。
彼らの歩んできた道のりは、将来的にワイン関係の仕事で海外移住を考えている人々にとっては、この上ないインスピレーションとなるだろう。
第一弾としてご登場いただくのは、イタリア・トスカーナ州モンタルチーノ在住のYoshiaki Miyajima(愛称はYoshi)さん。
人口約5,000人という小さな街であるモンタルチーノは、言わずと知れたイタリア最高峰の大銘醸赤ワイン、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノで有名だ。
当然、この街に住む「ワイン関係者」は非常に多いと思われるが、Yoshiさんとモンタルチーノの街を歩いていると、文字通り10メートル歩くたびに、誰かに挨拶をされる。
一緒にワインバーで食事をすれば、周りはYoshiさんの友人でいっぱいになる。
ワイナリーを訪問して、Yoshiさんの話をすれば、誰もが彼のことを最大限に褒め称える。
世界の各地で、色んな現地在住の日本人に出会ってきたが、Yoshiさんほど深くコミュニティに溶け込み、その一部として生きている人は極めて珍しい。
そんなYoshiさんは、モンタルチーノ最大のワイナリーであるBanfiで営業職を担っている。担当エリアは北部イタリア。そう、アジア圏担当や、日本担当ではなく、Yoshiさんは、イタリア国内でイタリア人を相手に、ワインの販売を行なっているのだ。
Yoshiさんがイタリアに渡ったのは1994年。
もともとイタリアが好きだったが、親友の父親が貿易関係の仕事をイタリアでしていたつてもあり、イタリアの大地を初めて踏み締める機会に恵まれた。
魂が彼に語りかけたのだろうか、それ以来29年間、Yoshiさんはイタリアに留まり続けた。
最初はボローニャの街でソムリエスクールに通いながら、ワインの学びを通じて、イタリアの文化、歴史、言語により深く入り込んでいった。
そして、時折ライターを務めていた雑誌の広告記事を依頼するために、Banfiを訪れたことが、Yoshiさんにとって人生の大きな転機となった。
運が巡り、Banfiのワインショップで職を得たYoshiさんは、それからBanfi一筋26年。
イタリア人スタッフとコミュニケーションをとる時のYoshiさんは、イタリア人以上のスピードでイタリア語を自由自在に操る。
何よりも心地良いのは、Yoshiさんの中に脈々と流れる日本人らしい「敬いの精神」が、相手へと深く伝わり、同じリスペクトが向こうから返ってきている様子が、はっきりとわかることだ。
イタリアの文化と風土を愛し、ワインを愛し、人を愛しながら、日本人であるというアインデンティティを保ち続けてきたこと。
個人的解釈ではあるが、Yoshiさんがこれほどまでに多くのイタリア人からリスペクトされ続ける最大の理由は、そこにあるように思える。
そんなYoshiさんを見ていると、アメリカで生きながら必死にアメリカ人みたいになろうと突っ走っていた若かりし頃に自分に、喝を入れたい気持ちにすらなる。
郷に入れば郷に従え、という古来からの知恵は確かに正しい部分も多いだろう。しかし、Yoshiさんの生き様は、別の可能性を確かに伝えてくれているのではないだろうか。